第十六話 魔工匠(マスター)と、示される覚悟
ルーミス、ナユタ、キャティシアを乗せた馬車は、順調に行程を進み、正午を回ったころに――。魔工都市アルケイディアの領内へと辿り着いた。
その街は、石の城壁で周囲十数kmをぐるりと取り囲まれていた。
城門は数十人からなるノルン統候領兵士で固められる。すでに話の通っている彼らの馬車は、無言のまま開かれた城門をすんなりと通過することができた。
内部に入ると、そこにはまず草原が広がっていた。
そしてぽつり、ぽつりと、小屋や風車の立ち並ぶ郊外の風景。
城門から一直線に伸びる街道を先を先をと見やると――。数km先に、高い建造物が軒を連ねる、中心たる都市部が見えた。
それは、一種異様な風景だった。
通常は石造りである、このぬ時代の一般的な建造物はそこにはなく――。
全てが鉄で形成されたと思われる、黒鉄の城が密集してそびえ立っていた。
そこかしこから、上がる膨大な蒸気。これだけ離れていても聞こえる、上がる蒸発音と、鉄を叩き続ける、リズミカルな固い高音。
大陸で唯一この都市にしか存在し得ないであろう、特異な技術が造り上げた特異な空間が形成されていた。
これを目にしたキャティシアが、驚嘆の声を上げる。
「すごい……。何だかもう、圧倒されますね。この街にだけ存在してる技術が確かにあるんだ、って見ただけで思い知らされますよ……」
ナユタは、厳しい貌を崩さぬままチラリ、と都市部を見やり言葉を返した。
「ああ……そうだね。元々ノルンは鉱石や化学物質が多量に産出される土地。こういった技術が発展する下地としちゃあ十分な場所だが、このアルケイディアこそが、その技術の結晶。
そしてどうやら……その結晶が生み出した、大陸で唯一の存在がお待ちかねの場所が見えてきたようだよ……」
「……え……?」
キャティシアは、ナユタが顎でしゃくった場所に目を向けた。
そこは、草原に覆われた郊外の建物の中でも、一際目を引く存在だった。
金属でできたパネルがほぼ立方体に近い形状を作り出している。同じく金属で形成された長方体の煙突が天に向かって突き出ている。
「あれが『工房』ってやつさ……。魔工士が己の技術でモノを生み出す場。
魔工匠ともなれば、いくつもの工房を所有してるだろ。あれは多分その一つさ」
馬車はその工房の前で停車した。下車する一行。
ナユタが先導し――キャティシアが続く。その後ろから――険しい貌をしたルーミスが続く。
四角い建物の正面の、四角いドアの前に立ったナユタが、数回それをノックする。
「――入れ」
声が、聞こえた。野太い、男の声だ。
短いが威厳を伴ったその声にしたがい、三人は建物の内部に入る。
極めて、独特の匂いがした。そう――これは、油だ。彼女らが知る食用のものとは違うが、はっきりと分かった。それと、金属に発生した錆が放つ匂い。
その匂いと――。得体の知れない金属の束や構成品に囲まれた中に――。
椅子に腰掛けたその男が、居た。
想像したほど、年配ではない。おそらく40代前半、といったところだろう。
髪は黒くこわく、後頭部で一つに束ねて長く背中に垂らしている。
身長は175cmほどと見え、黒い衣服の上にキャメル色のレザーでできた作業着を身に着けている。首にもなぜか、黒い長いスカーフをしっかりと巻き付けている。
細面で、いかついというよりは神経質そうな貌立ち。高い鼻、引き結ばれた唇の薄い口元、細長い眉と――ある意味敵意とさえ取れる鋭すぎる眼光の、持ち主。
「はじめまして。あたしはナユタ・フェレーイン。あんたが噂に名高い魔工匠、で間違いないかい?」
するとその男は、ナユタを上目遣いに睨みつけ、低く、それでいて鋭い声を放った。
「お前は義肢の依頼者なのか? 違うなら黙っていろ。
女は元々、よく喋るから好かんしな」
それに貌をしかめるナユタに構わず、男は真っ直ぐに、一番後ろに佇むルーミスを睨みつけて言葉を継いだ。
「俺が皇帝陛下から聞いている依頼者は、お前だ、小僧……。
喋りたくないなら黙ってていい。俺の向かいのこの席に座れ」
促されたルーミスが、男と作業台を隔てた椅子に腰掛けると、鋭い眼光は至近距離でまっすぐに彼の両眼を射抜いた。
だがルーミスは――それに一切臆することのない、強烈な自我を内包した眼光を返す。
「俺は、イセベルグ・デューラー。魔工匠の職を拝命し、皇帝陛下にお仕えする者。
お前の名は? 小僧」
ついに名乗った男――イセベルグと睨み合ったまま、ルーミスは口を開く。
「俺はルーミス・サリナス。“背教者”だ」
「ではルーミス。手を失ったという右の腕をこの台の上に出せ」
ルーミスは黙って台の上に右腕を乗せ、包帯をほどき始める。
やがて――。肘から少し上で途切れ、切り口を法力によって細胞増殖させた皮膚で覆った、その先端が顕になる。
イセベルグはそれに貌を近づけ、両手で丹念に確認すると、傍らから一本のダガーを取り出し、勢いよく台に突き刺す。
鋭い音がして、キャティシアがビクッと身体を震わせる。
「俺の魔導義肢を装着させるにはな……。その先端の皮膚を切り裂き、肉も1cmほど切り取り、土台となる骨を露出させる必要がある。
今から、このダガーで――それをまずお前自身の手でやれ」
それを聞いて――息を大きく吸い込みながら、目を剥き貌を青ざめさせる女性二人。
「ええ!!!! そ、そんな――!!!」
「――ふざけんな!!! あんた正気かい!!?? 悪ふざけも大概にしないと――」
「黙れ!!!!!」
それまで低い調子だったイセベルグの、鋼のごとき恐るべき怒号。
女性たちは押し黙った。
「どうだ? できるのか、ルーミス。
俺はな、この魔導義肢の製作に命を賭けている。毎度一つ作る度、死ぬ覚悟をしている。
いかに皇帝陛下の依頼だろうと……覚悟もなく施術に臨むような軟弱者につけてやる『作品』はない。
これは、俺のところに来た人間には皆、やって貰ってることだ。
できないのなら、今すぐに包帯を巻き直してここから出て行け」
ルーミスは先程の命令と、今のこのイセベルグの話を聞いている間、終始ここに入ったときから変わらぬ険しい表情のままだった。
そして彼はためらうことなくダガーを手に取り、自分の腕の先端に押し当てる。
「ルーミスさん!!! いやあ!!! やめてえええ!!!!」
「ルーミス……!!! やめてくれ……そんなことになるくらいなら……!!!!」
キャティシアとナユタの悲鳴を、ダガーを持ったままの左手を一度上げて制止するルーミス。
そして再び自分の腕に押し当て、イセベルグを睨みつける。
「オレを舐めるなよ、イセベルグとやら……。
こんな腕の先端を切り取るぐらい、闘いで死ぬことも許されず何度も身体を刻まれてきたレエテの苦痛に比べたら、100分の1にも満たない。よく、見ているがいい!!!」
叫ぶとルーミスは、自らのマントの端を思い切り噛んで口の中に入れた。
舌を噛むのを防ぐためだ。
そしてダガーの刃を、迷うことなく腕の先端の皮膚に切り込ませる!
瞬く間に血が噴き出し、腕から台に滴り落ちる。真っ直ぐに切り込みを入れ、それを刃で両側に開く。すぐに赤黒い筋肉組織と、その真中に骨が露出する状態となる。刃を動かすその勢いで、今度は肉を削り取りにかかる。すでに台の上は血の池だ。
「――んん!!! んんんんんーー!!!!」
脳天を突き抜ける恐るべき苦痛。他人にされるのは一度経験したが、自分自身で行うのは恐るべき精神力と、加算される苦痛に耐える力が必要とされた。意識を失いそうな苦痛に、歯の間から声が漏れ、額から信じられない量の汗が吹き出す。
「ううううう………。ふぐうううううう!!!!」
「……うあ……うううう!!!」
すでにその凄惨な状態に耐えきれず、両手で口を覆って床にへたり込むキャティシアと、片手で口を覆い壁に背中を付けるナユタ。両者とも呼吸は荒く、目からは止めどなく涙が流れる。
そして3分の1ほど刃を入れ、鬼の形相でさらに肉を切り取ろうとするルーミスの、その手の上にイセベルグの手が置かれ、動きを止めた。
もう一方の手で――用意していた白い粉を握り、腕の傷口に大量にまぶす。
驚くべきことにそれで出血は止まった。――それは、法力の力を凝縮した石灰を粉状にした『止血灰』と呼ばれる、通常手に入らない高価すぎる代物。
「もういい、そこまでだ。あとは俺がやる。できるだけ出血も苦痛も少なくしてやる。
本当に恐れ入った。その歳で、大人でもまず無理な所業。驚くべき精神力だ。
通常は皮膚を切るまでで、そこまでやる事ができたら一先ず俺も受けるが、肉にここまで刃を入れ得た奴は一人としていない。――侮って、また試して悪かった。お前は、真の勇士だ。
それに見合った魔導義肢を贈らねばならんな」
ルーミスはダガーを台に突き刺して突っ伏し、ゼエ、ゼエと大きく息を吐いた。
大量の脂汗が台に滴り落ちる。
「苦しいだろう。しばらくそうして、後は俺に任せろ。すべて終わるには1時間ほどもあれば十分だ。
女ども。怖がらせて悪かったな。しばらく外に出て待っているといい。
これだけの男を仲間に持って――お前たちは幸せ者だな」
ナユタは額の汗を拭って肩で大きく息をした後――。へたり込むキャティシアに手を貸してドアから外に出た。
そして外の芝生で再びへたり込んだキャティシアの背中をさすりながら、ようやく言葉を切り出すナユタ。
「大丈夫かい……キャティシア。吐きたいなら吐いちまいな。
まったく……魔工も高度になれば確かに命がけだけど、相手にあそこまでやらせるのはイカれてるよ……。まあ、完全にあの野郎の想定をこえて協力を得られたし、成功ではある……。何よりもあれだけやるルーミスの根性、精神力、目的意識。あたしは何か惚れ直した感じだけど……。あんたはどう、キャティシア? ちょっと引いちまったかい?」
こんな状況ながら、「惚れ直した」という言葉に反応して振り返ったキャティシア。
おそらくナユタのことなので、恋愛対象としてでなく、単純に男らしさを褒めているのだろうと思うことにした。
「……いいえ、私も……ルーミスさんを……尊敬し直しました」
「そうか、そいつは良かったよ。
喋れるぐらい落ち着いたんなら……ちょっと冷静に話を聞いてくれるかい……」
そう云ってナユタは屈んでキャティシアの耳に貌を近づけ、小声で話す。
「この後――あたしたちは確実に、二つの勢力の敵に襲われるだろう」
「…………!!!」
「まず一方の勢力は、もちろんサタナエル。
相手も分かっている。ランダメリアを根城にし、廃城に刺客を差し向けた張本人――統括副将ベルザリオンが必ずここへやって来る。おそらくは残った“斧槌”ギルドの勢力をいくらか引き連れてね。
もう一つの勢力は――。今あたし達が味方だと信じている者たちの手の者がやって来る――。
誰が差し向けるのか予想はついているが、襲ってくるまでは確信がない。
ひとまずルーミスの施術が終わり、ランスロットが到着するまでの間――。キャティシア、あんたはこの建物の屋根に上がって、弓で周囲を警戒しててくれるかい?」
「……わかりました」
余計なことは聞かない。キャティシアも、ナユタの知恵には全幅の信頼を置いている。
信じて、云う通りにするのみだ。
そして工房の屋根で弓を番えるべく、壁をよじ登っていくのだった。