第九話 “斧槌”ギルドの強襲【★挿絵有】
ホルストースが廃城3階にあるレエテの居室に入った、そのほぼ同時刻。
一階エントランスから廊下を隔てた大食堂内。
おそらくは、かつて執事や奉公人などの召使いたちが食事をとり憩う場所であったと思われた。
50畳を超える広さの整った空間に、なかなかに立派な造りの樫の大テーブルが4つ。無数にある椅子も小綺麗で快適な座り心地だ。とても下働きの者たちが使用する場とは思われない。
この室内の状況も、ノスティラスという国の気質を良く現している。
通常他国における召使いとは、厳然たる身分で隔たった、極端にいえば働いて当たり前の家畜同然の存在。主人である貴族王族に徹底的にかしずき、基本的にどれだけ働いても感謝されることなどない。
しかしこの国は違っていた。個人としての身分の差は存在するものの、努力・勤勉・労働が美徳とされ、それらに勤しむ者への称賛はいたって公平になされる。おそらくこの城の召使いはよく主人に仕えて汗水流して働き、それに感謝した城主が私財を投じて快適な憩いの場を提供したのだろう。そしてまたそれに感謝した召使いが喜んで主人に尽くすという健全なサイクルが回る。
そして今。ここでテーブルを囲んで談笑する二人のノスティラス人もまた、本人らの生来の気質もあるのだろうが、極めて屈託なく明るい健全な対話を繰り広げていた。
ナユタと、彼女と孤児院でともに育ったという幼馴染の騎士エティエンヌだ。
「――それで? その後どうしたんだい、ルイスの奴は? サディにちゃんとプロポーズできたのかい!?」
「それが、てんでダメでさ。あいつは昔から変わらないよ。ガチガチに固まっちまって、辛抱強いサディをカンカンに怒らせて、の繰り返しさ。まあ別れてないからそのうちくっつくと思うけど」
「なんだい!! やっぱりそうかぁー、残念! あたし達の中で最初の夫婦が誕生してたらと思ったんだけどねえ。
……まあでも、孤児院の同級の皆は元気にしてるって分かって、安心したよ。ありがとう。エティエンヌ。
あんたも大出世はしたけど、きっととても苦労したんだろうねえ、真面目なあんたのことだし」
「そんな、僕の苦労なんて大したことじゃない。きっと、君の方が――魔導士でやってくって決めた君の方が何倍も辛い思いをしてきたろう。
まだ……ひきずってるのかい、『トリスタン』のこと」
エティエンヌが発した、「トリスタン」という名前に――それまで明るく闊達だったナユタの様子がやにわに変わった。笑みは消え、目はふせられ、沈痛な面持ちがその表情を支配する。
「……ひきずっちゃあ、いないさ……。けど、忘れたことは只の一度たりともない。
これからだって……ずっと同じ。あたしはこれからもこの魔導を、あいつのために磨いてくだろうさ――大陸一の魔導士となるまでね」
「ナユタ…………」
エティエンヌも、沈痛な面持ちになった。それらの反応は、どうやら「トリスタン」なる人物は、二人にとってかけがえのない存在であり、同時に――。おそらくはもう、この世にいない人物であろうことを強く感じさせるものであった。
しばらくの間訪れた、二人の間の沈黙。
それを破ったのは――想像だにしなかった――ひとつの、「轟音」だった!
まるで、大砲でも打ち込まれたかのような耳をつんざく轟音が、二人の身体を貫いたのである。
「――ナユタ!!!」
エティエンヌの緊迫した表情。ナユタも同様だ。
二人は頷き合うと、立ち上がり走り出した。
走りながらナユタは両の手に炎を、エティエンヌは――。腰の二本の曲刀ファルカタを鮮やかに抜き放った。
音は明らかにエントランスの向こう――。天守閣玄関口の大扉からだった。
ナユタらがエントランスホールに出ると――。
そこには概ね、駆けつけるまでに彼女が予想していた光景が展開されていたのだった。
まず、施錠をされた上に巨大な閂がかけられていたはずの、重い鉄扉は――。
真っ直ぐに吹き飛ばされ、正面の吹き抜けを上がる階段を破壊していた。
次いで、開け放たれた玄関口から、5人の男たちがすでにエントラスホールに侵入していた。
多少の差異はあれどいずれも屈強な体格、明らかに堅気ではない「戦闘者」の闘気と殺気を撒き散らす凶相。
さらには、その手に持つ得物の共通した特徴――。
叩き潰す、または叩き斬る。その手段に特化した戦斧、戦鎚――。もはやこの国を主な活動拠点とする“斧槌”ギルドの暗殺者たち――サタナエルに間違いなかった。
そして5人の男たちの向こうの玄関口で、両手に凶悪な得物を構える大男。
それは、斧でありながら背面に重厚な槌を備える、両用の打撃武器だった。
おそらくはこの男が二刀流のこの武器を振るい、槌の側を叩き当てて強引に扉を吹き飛ばしたのだ。
2mを超す巨体と手にしているのが戦斧であることから、騎士ランドルフを彷彿とさせるが、身にまとう闘気はランドルフの聖気に対して「邪気」であった。
そして全身を覆う山の如き筋肉の上に身に着けた、常人では動くことも叶わぬであろう重装鎧。
その上にある岩のような醜い貌、頭頂部近くまで禿げ上がった頭と、浮き上がった血管。
両の目はギロリ、と射るような眼光を放ち、ナユタとエティエンヌの二人を貫く。
それを受けても微動だにせぬ涼しい表情のエティエンヌ。しかしその中には、さきほどまでの温厚な紳士と同一人物とは思われぬ一匹の修羅、一流の戦闘者としての気が充満していた。
彼は右手のファルカタを大男に向けて、云い放った。
「来たな……! サタナエル“斧槌”ギルド副将、バルテュークス・ギルダス。
戦場で見えるのは初めてではないが、明確な敵としては――初めての対面だな」
大男、バルテュークスは歯をむき出して顎を突き出し、エティエンヌに言葉を返す。
「小賢しい……! 三角江の四騎士の中でも一番の若造のおのれでは、おれの相手は務まらん、エティエンヌ・ローゼンクランツ。
おれの標的は唯一人、ドゥーマでわが同胞たる副将ガリアン、レイドらを殺した憎きレエテ・サタナエルだが――。
奴がおらぬなら、そこにいる“紅髪の女魔導士”めが次なる標的だ。お主のごとき細腕の優男は、とっとと皇都ランダメリアに帰ってあの女男皇帝めをベッドの上で抱いておるのが相応しい! いずれ穢らわしい病にでもかかってくたばるだろう、あやつをな。とっとと去ねい!!」
自分はともかく、忠誠を誓い私淑する主君への侮辱。一転憤怒の形相となり攻撃をしかけようとするエティエンヌだが、その肩を掴んだナユタの手で、身体の動きを止めた。
「待ちな、エティエンヌ……。気持ちはよく分かるけど、あの猪男と他の雑魚どもはあたしが殺る。
あんたは――今闘えないルーミスを助けに行ってやってほしい。たぶん、外の庭園にあった礼拝堂に行ってると思う。あたしが援護するから、そこのドアから外に出るんだ。
心配すんな……師兄はあたしにとっても偉大な存在。それを侮辱するあの野郎は、必ず息の根を止めるし、不覚をとったりはしない」
静かな怒りを秘めたナユタの目を見て、エティエンヌは頷いた。
決めると、その動き出しは速かった。エティエンヌは二本のファルカタをクロスさせて眼前に構え、玄関口ドアの左端部分に狙いを付けて一気に3mの距離を踏み込む。
そしてそこに居た、両手斧を構えるスキンヘッドの男に鮮やかな斬撃を見舞う!
右手剣を水平に、左手剣をほぼ垂直に振り抜く変則的斬撃だ。
その太刀筋は――闇夜の中に流麗な光の軌跡を描いて美しく、一分の無駄もない神速の一撃だった。
両手斧の男は、右手の水平斬撃は得物を垂直に構えて受けきったものの、垂直斬撃をかわしきることはできず、右肩を切り裂かれて大きく身体を後方にのけぞらせた。
その隙を見逃さず――。ナユタもすかさず援護の動作に移る。
腰を落とし、炎に包まれた右手を大きくねじりながら後方に引いている。その構えは――彼女の歴戦のパートナー、親友レエテの「あの技」を彷彿とさせるものだった。
そのまま右手を回転させながら前方へ突き出し、爆炎の砲弾を打ち出す!
「魔炎煌烈弾・螺突の型!!」
ナユタの叫びとともに右手から打ち出された爆炎は、通常の直線的弾道ではなく、竜巻のような紅蓮の旋風となって前方の敵を襲う。スピードと破壊力を増したその攻撃に、正面に居た両手槌使いの長髪の男が巻き込まれる!
「がっ……あああああああああ!!!!」
瞬時に炎がその全身を覆うのと同時に、圧倒的風圧によりその身体は一直線に後方へ吹き飛ぶ。
そしてその軌道上にいた、バルテュークスの巨体を巻き込み、彼もろとも威力を弱めることなくさらに後方へ吹き飛ばす!
「ぬぐ!! 何いい!? おおおおおおお!!!」
さらに間髪入れることなく、ナユタは残る左手の炎を、2mに届く火柱に変え――。
そのまま手を振り払い一気に解放する!
「魔炎旋風殺!!」
その太い火柱は扉を失ったドア枠に到達し――。
巨大な爆発とともに石壁もろとも破壊する!
衝撃音の後、エティエンヌの前には――。
ドアであった場所に口を開けた巨大な穴があり、その向こうに居たはずの強敵は吹き飛ばされて姿を消していた。
通常の「援護」の範疇をはるかに超えた、幼馴染の強大な魔導の力に肝を冷やしながらも――。エティエンヌは疾風のごとく外へ飛び出し、礼拝堂に向けて駆け出していった。
それを確認し、笑みを浮かべながら腰の二本のダガーを抜き放つナユタ。
「頼んだよ、エティエンヌ。――しかしまあ、あんたのおかげだよ、レエテ。無断で盗ませてもらったけど、凄まじいね。この“螺突”って技は。あたしの技の威力も跳ね上がったよ。
さて――まずは雑魚どもを片付けるか」
一時はその爆炎の余波を受けひるんでいた、ギルドの兵員たちは体勢を整えていた。
そしてその中の二人が同時に、ナユタの左右を挟撃する形で戦斧・戦鎚の攻撃を繰り出す。
「左右同時なら何とかなると思った? 甘いねえ!! 灼熱焔円斬!!!」
ナユタが腰の高さから円弧を描くように両手のダガーを頭上に振り上げると――。
その刃の軌跡から灼熱の円盤が形成され、左右それぞれの方向に向けて放たれてゆく。
巨大で極めて鋭利な、橙色の円盤。耐魔のエキスパートである“短剣”ギルドも殺戮したその凶器を防ぐすべはなく、二人の男は――ひとりは胴を袈裟懸けに、いまひとりは首を寸断され絶命する。
「ぐっ……この、魔女――化物があああああ!!」
残る一人の兵員――両手にメイスを構える少年のように若い面持ちの短髪の男が、決死の覚悟でナユタに襲いかかろうとした、その時。
「待て!!!! ユリアヌス!! 無駄に命を散らすな!!!」
穴の外から、突如響く蛮声。
ゆっくりと穴をくぐって建物内に入った、大男。その両手には、焼け焦げた死体が抱きかかえられている。
自身も火傷をおってはいるが――。まだ軽傷と見える、副将バルテュークスであった。
「無残に殺されたお主の父、ガリアンの仇討ちにはやる気持ちはわかる、ユリアヌス・オクタビア。しかしこの女、想像を超えた力の持ち主。お主にはまだ無理だ。ここはおれがやる」
そう云うと、そっと抱きかかえた焼死体を床に横たえ、前進する。
その気迫、殺気は先程とは比較にならない。食いしばった歯の間から唸り声と猛烈な吐息を吐き出すと、バルテュークスは両手の戦斧を構えた。
「その力、見誤ったわ! “紅髪の女魔導士”ナユタ・フェレーイン。
現時点でレエテ・サタナエルと並ぶ、一派で最強の手練と見た。もう容赦はせん!!
さらに4人も、掛け替えのない同胞を殺しおって……! 許さん!!」
その圧力に、ナユタも表情を変え、両手のダガーを構え直して言葉を返す。
「望むところさ……副将バルテュークス。しかしあんたらサタナエルの口から、『掛け替えのない』とか、同胞とか仇討ちとか……仲間意識や絆みたいな言葉を聞くとは思わなかったよ」
「ふん……我が“斧槌”ギルドは、お主らが見てきた“剣”ギルドや“短剣”ギルドのようなクズどもの烏合の衆とは訳がちがう。
我らは強大にして偉大なる父、将鬼レヴィアターク様を長にいただく、『家族』同然の集団。
互いを想い、互いを補い助け、命奪わらば必ず仇を討つ。仲間の命は……他のギルドなどとは重みが違うのだああ!!!」
「『家族』――? 笑わせる! その言葉、レエテが聞いたらブチ切れるだろうねええ!!」
そしてぶつかり合う両者。
バルテュークスは右手の戦斧を上段に構えたまま、左手の戦斧を水平に振り抜こうとする。
もちろんその刃には、最大出力の耐魔が纏わされている。
ナユタは直径3mの業火の環、赤雷輪廻を纏い防壁にしつつ近づき、現時点の最大の必殺技である魔炎業槍殺を放ち一気に勝負を決めるつもりだ。
まず赤雷輪廻を押し出してバルテュークスの隙を作ろうとするナユタ。
しかし――。彼女にとって予想外の事態が起きた。
バルテュークスの耐魔は、“短剣”ギルドであるシャザーやセフィスのレベルには遠く及ばない。ナユタの業火を弾き飛ばすことなどできず、多少なりひるみつつ下がるものと予想していた。
だがバルテュークスは、何と耐魔で多少の軽減をさせたのみで赤雷輪廻に自ら飛び込み――左腕、貌、胴の全面を焼きながら射程範囲に身体を押し出すと、右手の戦斧を一気に振り抜き、ナユタを両断しようとする!
(――!!! ま、まずい――!!)
ナユタは空いていた左手で、最大出力の焔防壁を作り出す。
「焔盾!!!」
すぐに彼女の左側に1m四方の厚い紅蓮の壁が出現するが――。接触を防ぐことは出来たものの強大な衝撃は吸収しきれず、一直線に右側へ吹き飛ばされて石壁に激突する。
戦士のような鍛え方をしていないナユタのほぼ一般女性の身体は、バキッとイヤな悲鳴を上げ、口からは大量の血を吐いた。
「ぐあああ……!!! い……痛……!!」
おそらく肋骨が複数、右上腕が骨折、肺にも損傷があると思われた。
右側をかばいながらふらふらと立ち上がるナユタの前で――大きくふらつきながらも刮目して立つバルテュークス。自ら瀕死に近い火傷を負いながらも攻撃を成功させたこの勇士は、倒れそうな身体を鋼鉄の精神力で踏みとどまらせ、第二撃を繰り出そうとしていた。
おそらく意識は朦朧としているであろう。
「バルテュークス副将!!!」
ユリアヌスが上げる悲痛な声を遠くに聞きながら、恐るべき激痛をこらえてナユタも構えを取る。
「や……るじゃあ……ないか、バルテュークス……。あんた大した男だ、尊敬するよ。その仲間との絆と覚悟、侮って申し訳なかったよ……。
けどあたしも、命に替えても護らなきゃいけない仲間が……いる。次で……決めさせてもらうよ……」