第八話 混乱の廃城、そして現れし血族【★挿絵有】
ルーミスがハッシュザフト廃城礼拝堂にてサタナエル刺客の襲撃を受ける、その十数分前――。
場内の整然とした廊下を、燭台の炎の明かりを頼りに歩く、ホルストース。
大分リラックスしてはいるがその姿は、黒と橙の重装鎧の背後に、柄を二つに折った剛槍ドラギグニャッツオを背負うという普段の姿のままだ。
軽薄そうな雰囲気を漂わせるホルストースだが、ドミナトス=レガーリア反乱軍の一員として長くゲリラ活動に従事していた歴戦の勇士だ。実際、眠っているその時以外は攻め入る寸分の隙も見出すことのできない超一流の戦士なのであり、現況も踏まえて今武装を解くことはない。
そしてレエテの居室のドアの前で歩みを止め、数回拳でノックする。
「レエテ。約束どおり来たぜ。入ってもいいかあ?」
呼びかけると、中からレエテの返答があった。
「開いてるわ。入って、ホルストース」
ホルストースがドアを開けると、30畳ほどの居室の中には天蓋付きベッド、ドレッサー、テーブルとソファーが並んでいたが、そこにレエテの姿はない。ぐるりと室内を見渡したホルストースの視線の最後に、出窓に腰掛けるレエテのシルエットが捉えられた。
ソファーでもベッドでもない場所に座ってじっとしているレエテを見て、ホルストースは肩をすくめた。
「おいおい、何でそんなとこに座ってんだ。月でも見てたのか? まあ今日は満月だしな」
「ううん。そうじゃなくて……、落ち着かないの。
私、生まれてこのかた一度も、こんな立派な部屋で過ごしたことがなくて……。綺麗で、汚すのも申し訳ないしどこに座っても落ち着けないから、こうやって石の上にね。座ってみると、やっぱり一番落ち着くわ」
「ハッ、まあお前の事情からすればしょうがねえだろうが、とんでもねえ貧乏性だな。お前のこの部屋、たぶん元城主の妃か姫の居室だぜ。寝泊まりできるなんて機会、まずねえってのに。いいからこっちのソファーに来いよ。
ま、そういうちょっとズレてたり変に真面目な性格なのは、お前のいいとこでもあるけどな、レエテ」
レエテはおずおずと出窓を降りて、ソファーに腰掛けた。だがやはり、ふかふかの感触があまりにも慣れないのか、困惑の表情を浮かべる。
普段の勇ましさ、完全な大人の女性の見た目にそぐわないその様子はとてもいじらしく、ホルストースは抑えていたレエテへの愛おしさがこみ上げてくるのを感じた。
元々、一度は振られながらもめげずに、下心をもって今回の誘いを持ちかけている彼。そのままレエテをソファーに押し倒し、振るい付きたくなる衝動を感じるも強力にこらえ、持っていたガラスの酒瓶をテーブルに置いて座った。
レエテはそれを見て、目を輝かせた。
「それ、何? ホルストース。お酒なの?」
レエテの食いつきぶりに、満足の笑みを浮かべるホルストース。
置いてあった盃に、その透明な酒を注ぎながら説明する。
「おうよ。厨房に置いてあったのをいただいた。砂漠の植物から造られる珍しい酒、蘭蒸留酒だ。俺も飲んだのは初めてだが、想像の10倍はうめえし刺激的だった。飲んでみろよ」
レエテは貌をほころばせて、盃の中身を全て口の中に入れて、少しずつ飲み干した。
喉が焼けるように強いが、舌に残る刺激がとても美味だった。
「本当、おいしいわ! とっても。葡萄酒より強い刺激なのがいいわね。ありがとう、ホルストース。
もう一杯もらってもいい?」
「……そいつを一口で飲むとは思わなかった。お前、大分好きだな。まあいい、飲めよ。
サタナエル一族が酔うとどうなるのか、俺も興味あるしなあ」
「そんな……普通の人と、変わらないわよ。
それよりホルストース。あなた、明日はどうするの? 行くの? 残るの?」
レエテはホルストースに尋ねた。それは、解散前にナユタが皆に向けて云った明日の組分けについての件だった。
騎士ランドルフの通達を受け、ルーミスは早速アルケイディアに旅立たねばならなくなった。
しかし都市部に赴かねばならない都合上、レエテが同行すれば非常に高いリスクを市民に及ぼすことになる。したがって、「アルケイディア行き組」と「留守番組」に分かれる必要がある。
ルーミスとレエテ以外の人員を決めねばならないが、ドミナトス=レガーリアでの例にもれず、あまり計算しすぎても失敗する場合もある。よって今回、各人の希望に任せるゆえ明日までに決めておくようにというナユタの通達だったのだ。
「ハッ、そんなの俺は当然もう、決まってるぜ。レエテ。お前と一緒にここに残る。
こうして毎日でもお前と飲み明かしたりして、お前のことをもっと知りてえし、俺のことも知ってもらいてえからな。それにサタナエルの大物も、お前をこそ狙う。ここに居た方が、奴らを滅ぼすという俺の目的にもかなう」
「そうなのね。わかったわ。私も楽しいし、歓迎よ。
サタナエルのことについては……そうね。必ず奴らの襲撃はある。それは、ルーミスの方も同じ――。たぶんナユタはついて行ってくれるはずだと思うけど、とても心配はしてる――」
そう云ってレエテが、両手で二杯目の盃に口をつけようとした、その時――。
彼女は言葉と手を止め、表情を凍りつかせて両眼を見開いた。
ホルストースもほぼ同時に、同様の反応を見せた。
そして次の瞬間――先程までレエテが近くに居た窓が――ガラスと枠同時に、巨大な衝撃音とともに破壊された! そこから、一つの影が身を丸めつつ飛び込んでくる!
すでに気配を察知していたレエテは反応し、盃を放り出して側転でソファーから身を翻す。
影は垂直回転しつつ、ソファーと、その下にある石の床を粉々に粉砕する。
破壊されたソファーの木材が、鋭利な刃物になって飛んでくるのを、すでに出現させた結晶手で払うレエテ。
レエテは、侵入してきたその人影を視認しようと目をこらした。
ソファー内部から発生する大量の埃に紛れる中で、月光とわずかなロウソクの光のみではあるが――。床を踏みしめて立ち直立したその人影は、どうにか見ることができた。
男、と見えた。身長は185cmほど。黒い外套の下に、コルドク製衝撃吸収繊維と見える黒いボディスーツ、ブーツのみという超軽装。手足も長く、細く引き絞られた、贅肉のほぼ皆無な強靭な肉体と見える。
頭部には、極めて硬質な髪が大きく逆だった、ハリネズミのような髪型が形造られている。
貌立ちは――なかなかの美男ではあるが、あまりに強烈な闘気と殺気が溢れ出す獰猛な表情によってその禍々しさのみが強調されている。その両眼は真っ直ぐにレエテを見据え、歯を食いしばった口の両端とともに吊り上がり、殺意をみなぎらせている。
しかしこの男の、最大の特徴。レエテと、すでに身を翻しドラギグニャッツオを構えているホルストースが驚愕し、その目を離すことができない最大の特徴は――。
その髪の色と、瞳の色、肌の色、そしてその両手。
髪は月光に輝く銀色。瞳は黄金色。肌は小麦色の褐色。両手は――。黒曜石様に黒光りする、結晶手。
まぎれもない、サタナエル一族、であった。
その男は一度手前でクロスさせた両の結晶手を力強く両側に振り、荒々しく一呼吸すると、口を開いた。
「レエテ・サタナエル……。逢いたかったぞ。家畜たる一族女子の分際で、偉大なる組織、そして我ら男子に反逆した愚か者……。
俺はサタナエル七長老直属暗殺部隊、“幽鬼”副長、レ=サーク・サタナエル。
ベルザリオンの派遣した今回の強襲部隊に同行する形で、貴様の命、もらい受けにきた!」
名乗りののち、間髪入れずに攻撃に移行する男――レ=サークは、猛然とレエテに向かって踏み込み、長い外套をなびかせながら両手結晶手を同時に振り下ろす。
レエテは反応し、同じく両手結晶手でこれを受ける。鉱物と鉱物が擦れ合う、久しぶりに聞く衝撃音とともに結晶手同士が打ち合わさる。
レエテは腰を落として攻撃をこらえたが――。おそるべき膂力だった。
もとより常人の域をはるかに超える身体能力を持つ、サタナエル一族。レエテはその女性として特別に優れた筋力を有しているが、当然ながら一般人と同じく女性より男性の方が力は強い。
ソガール・ザークに匹敵するこの圧力。そして10m近い高さにあるこの3階まで一気に跳躍してきた驚異的脚力。一族男子の精鋭部隊である“幽鬼”副長を名乗るだけあり、凄まじい化物であることは瞭然であった。
と、側面から殺気を感じたレ=サークが、攻撃の手を止め後転宙返りで身を翻す。
そこへ、即座に踏み込んできていたホルストースの剛槍の一撃が風切り音とともに空を切る。
「レエテに手出すんじゃねえ……! 同じサタナエル一族みてえだが、“幽鬼”とやらは組織の一員なんだろ? てめえをぶっ殺して、サタナエルの戦力を一つ、潰してやらあ」
着地し両手を広げたレ=サークは、凶悪に口元を歪めて嗤った。
「フハハ……。ドミナトス=レガーリア第二王子、ホルストース・インレスピータ。不良王族の放蕩息子ごとき、選ばれた純戦闘種たる俺の相手ではない。部屋の隅で指でも咥えて見ていろ!」
すると今度はホルストースに向けて踏み込むレ=サーク。より低い姿勢から行われる踏み込みと、足元から突き上げるような両手結晶手の攻撃。それらが捉えきれないほどのスピードで行われる状況に、歴戦の強者のホルストースの表情に激しい焦燥が刻まれる。
「ホルストース!」
レエテの叫びと同時に、レ=サークの結晶手がホルストースの胴を両断した――かに見えたが、ぎりぎりドラギグニャッツオの柄での防御が間に合った。が、想像をはるかに超える砲弾のような衝撃力により、ホルストースの巨体は一直線に後上方に吹っ飛び、部屋の隅の壁と天井の継ぎ目に激突。石壁が大きく崩れるほどのダメージに、床に落下したホルストースはぐったりと倒れた。
「ぐ……なんて、野郎だ……! パワーもスピードも、技術も――次元が違いやがる……!」
そう、その身体能力もさることながら、一つ、レエテが明らかに及ばない要素が――技術、だった。
かつてドゥーマでシェリーディアを相手にした時も感じたが――。サタナエルは長い歴史のノウハウ蓄積があり、そこで正式な教育を受けた者は身につけた技術が違う。
レエテが教育を受けたのは、その強さの大半が激しく突出した身体能力に支えられたマイエからの、我流の伝授のみである。その質や密度は、組織のものとは比にならない。
それを極めて高いレベルで身につけているレ=サークは、生来のサタナエル一族としての身体能力と合わせ、おそるべきトータルでの戦闘能力を体現しているのだ。
レエテは攻めあぐねた。隙を探れる可能性も見越し、言葉を投げかける。
「レ=サーク、といったな……。お前ら“幽鬼”は、七長老の命でのみ動く、組織の別働部隊。そう滅多には外界に姿を現さないハズだ。なぜ、このノスティラス皇国にお前らが居る? レヴィアタークかベルザリオンの救援要請を受けてなのか?」
すると、レ=サークは意を得たように目を閉じて笑みを浮かべ、返答した。
「フハハ、将鬼や副将の救援要請などで、七長老は動いたりしない。ギルドの奴らは奴らで、最悪“魔人”の権限の範疇で何とかするのが原則だ。
俺が今外界にいるのはな……ノスティラス皇国に『メフィストフェレス』を蔓延させることが目的なのだ」
その名――。「メフィストフェレス」を耳にしたレエテの表情が変わった。
その不吉な名を持つ、合成麻薬は――彼女の親友であったビューネイの精神と肉体を蝕み続けている、あまりに忌まわしいモノであったからだ。
「ノスティラス皇国は、その国家システムも国民性も極めて健全な国だ。他国に比べ成熟し、かといって退廃もなく、陰謀や内乱、対立などが発生しにくいのだ。なれば、それはつまりサタナエルが活躍できる場が比して少ない状況であることを意味する。有り体に云えば我が組織に利益をもたらさない。
皇国を任されるレヴィアタークは、戦闘者としては極めて強いが武人としての性格が強すぎ、ノスティラスでの利益を開拓できん。そこで我らが介入し、強制的に皇国を退廃の地に堕としこもうと画策しているわけだ――」
最後まで云わせることなく、レエテはごくごく僅かな隙に期待をかけて攻撃に移行していた。
距離を詰め殺到し、左手結晶手を、敵の右脇腹を狙って突き出す。
当たらなくても、その攻撃を起点に体勢を崩させ、“螺突”への移行を狙っていたのだ。
しかし――。その期待は甘かった。レ=サークは完璧なタイミングでレエテの左結晶手を自身の右結晶手で防御し、同時に後方を身を引き体勢を整えた。これでは、第二撃に移ることはできない。
レエテは内心、激しく焦っていた。その理由は――。ルーミスの存在だ。
(――今頃、この廃城内の複数箇所に、他のサタナエル刺客が現れているはず。ナユタやキャティシアももちろん心配だけれど、血破点打ちが使えず闘えないルーミスは――。誰かが守ってあげなきゃいけない。
もう、もうあれ以上ルーミスを守れず怪我をさせてしまったり、死なせてしまったりしたら、私、私――。
何があろうとこの男を斃して駆けつけ、ルーミスの身を私が守って見せる……!)




