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サタナエル・サガ  作者: Yuki
第八章 皇国動乱~幽鬼と竜壊者
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第四話 全てを失いし女

 レエテ・サタナエル一行がノスティラス皇国への入国を果たした、その同じ頃。


 エストガレス王国一の巨大湖と、アンドロマリウス連峰とのちょうど中間に位置する小さな寒村、ドゥムレミイ村。

 ここは100世帯あまりの小村であり、ファルブルク地層につながる痩せた土地柄のせいで、収穫物もあまり質の良くない馬鈴薯やトウモロコシ等を細々と王都に出荷するのみ。

 村全体が貧しく失活しており、若者も近年では王都に出て行く者が多い。

 そのような、国内でも忘れ去られているに等しい場所であった。


 陽も高く登った日中、村の畑では、常日頃どおり男女が自分たちの畑に出て作業に精を出していた。


 そんな畑の中の道を――。


 日常とはほど遠い、あまりに異彩を放つある一つの存在が、おぼつかない足取りで歩みを進めていた。

 異彩――という言葉では生易しい。それは見た目はもちろんのこと、内包する「世界」そのものが、この平凡という言葉でしか表現しえない一小村とは異次元の存在と云うべきものであったのだ。

 まるで真っ白なキャンバスに、一点の赤黒い血を落としたかのように。


 それは、若い女性、であった。


 身長は170cm強。抜けるような白い肌を惜しげもなくさらす露出度の高い衣装であり、あまりに目を引く豊満な乳房、それと対象的に鍛えられし腹筋と太腿が作り出す魅力的な身体のライン。

 黒レザーの衣装の上に軍用ジャケットを羽織る。鮮やかな金髪を一本の三つ編みにし、金細工を施した大きな黒い帽子を被っていた。年齢の割には童顔と見える可愛らしい貌は完全に生気を失い、死人同然と云って良い面持ち。

 そしてそれら以上に突出して異彩を放つ、背中に掛けられた、このような農村には存在すらない「武器」。それも尋常ではない重武装装置と細工を施された巨大クロスボウ。

 また、生気を失い身体も薄汚れているとはいえ、その内包する常人を超越した才気と、強大な戦闘者としての凄みを帯びた闘気は隠しきれるものではなかった。


 元サタナエル、統括副将シェリーディア・ラウンデンフィルであった。


 バレンティンにおいて“短剣(ダガー)”副将セフィスを一撃で屠り、そのまま逃亡を続けながら続くサタナエル刺客をたやすく返り討ちにしていたシェリーディアの向かった先。それがこの彼女と、今は亡き彼女の親友フェビアン・エストラダの故郷であるドゥムレミイ村であったのだ。

 

 13歳でフェビアンとともにこの故郷を捨てて以来10年、一生戻ってくることはないと思っていた。

 が――全てを失い生きる糧の無くなったシェリーディアは、あまりの孤独感に押しつぶされ正気を失いそうになり、もはやこの故郷を目指す以外足の向く先はなかった。


 10年に渡る激動の人生を経て変わり果てた彼女を、シェリーディアだと認識できる者などいなかった。

 畑に立つ人々は、完全にその作業の手を止め、異形の怪物を見るかのような恐怖の形相で彼女を見つめ続けた。


 その中で――ただ一人。恐怖の中にも他の者とは違う驚愕の形相をしていた一人の大柄な若者が畑から恐る恐るシェリーディアに近づき、手にした鍬を置いて話しかけた。


「……な……なあ、あんた。

あんた、もしかして……シェリーディアじゃあないのか? シェリーディア・ラウンデンフィル……?

10年前に、この村を出ていった……。違う、かい……?」


 その声に、シェリーディアは足を止めてこの若者の方を向き、虚ろな両眼でじっと貌を見つめた。

 そしてボソリ、と呟いたのだ。


「……アレクシス…………?」


 その呼びかけに、若者――アレクシスは貌を輝かせて言葉を返した。


「そうだよ!! 俺だよ、アレクシス・ニルディンだよ! 幼馴染で遊び相手だった!

久しぶりだなあ! いったい、この10年どこで何をしてたんだよ?

俺も仲間たちも、ボスだったお前のこと皆で心配してたんだぜ!?」


 シェリーディアは、スッとアレクシスから目を逸らし、小声で呟いた。


「……それは……云えない、わ……」


「それに、お前と一緒にいなくなったフェビアンはどうしたんだ? 一緒にいたんじゃないのか? 今も元気か?」


「……それ……は……」


「まあいい。とにかくお前がいなくなったとき、村では色々大変だったんだ。

特に、お前の親父さんが泣きながらお前のことをずっとずっと、探し続けて……」


 ――アレクシスのその言葉を聞いた瞬間、それまで一切の生気が失われていたシェリーディアの表情に目に見えて動揺が広がった。


「そん……な、お父さんが……わたしのことを、泣き、ながら……!?」


 言葉遣いも、完全に昔に戻ったシェリーディアは絶句した。それは彼女にとってあまりに、意外な事実であったからだ。


「ああ、もう半狂乱になって、ラ=セフィス湖から、皆に止められたけどアンドロマリウス連峰までお前を一人で探しに行こうとした。

シェリーディア、戻ってきてくれ、お前がいないと俺は生きていけない、てな……」


「……そ……そんな、そんなことあるわけが……」


 そう、シェリーディアの父、農夫ディクス・ラウンデンフィルは、絵に描いたような暴虐な父親だった。

 酒を飲んでは暴れ、気に入らないと家族を殴り足蹴にしてあらゆる罵詈雑言を吐き、逆らいなどすれば手酷い折檻が待っていた。常に家族は皆傷だらけで、ディクスに怯えて暮らしていた。

 特に長女であるシェリーディアは利発だったゆえか家族の中で突出して目の敵にされ、毎日虐待を受けた。食事もまともに取らせてもらえず、成長してからは徐々に性的虐待を受けるようになった。

 そしてあの日、ついに折檻していたシェリーディアの下着までも引き破り、少女だった彼女を犯そうとしたのだ。ついに彼女は手にした果物ナイフでむき出しのディクスの下腹部を刺し、そのまま家を逃げ出した。

 自分にかけらの愛情どころか、憎しみしか持たれていなかった筈のそんな父。そこまで自分を心配し必要としていたなど、とても信じられることではなかった。

 その表現と接し方は完全に間違い道を外れていたものの、自分に対する愛情の裏返しだったとでもいうのか。


「食事もとれず、眠れなくなり――どんどん衰弱してやせ細って――。お前がいなくなって1年後に、とうとう亡くなったんだ。最後までお前の名前を呼んでたそうだよ」


「う…………う」


 シェリーディアは口に手を当て涙ぐんだ。自分にした仕打ちを許すことなど到底できないが、今の彼女にとって、自分を愛してくれていた存在が実は身近にいて自らそれを手放し、しかもそれが既にこの世にいない、という事実は――。大いなる悲しみとなって襲い来たのだ。


 そして衝動的に、シェリーディアは走り出した。

 その方向を見て、察したアレクシスは、その背に掌を向けて叫んだ。


「シェリーディア!!! お前の、お前の家に今行くのは――!!」


 しかしその声は、もう彼女の耳に届いていなかった。


 シェリーディアの向かった先は――自分自身の生家、だった。

 まだ健在であれば、そこには彼女の母、ミア・ラウンデンフィルと、妹であるタニーシェス・ラウンデンフィルが生活している筈だ。


 畑をいくつも走り抜けると、森林にほど近い場所に、それはあった。

 こぢんまりとした木造りの小さな建屋、木と藁とで葺いた屋根、柵で覆われた土地には数匹のヤギが放され小さな畑がある。


 まさに生まれて13年、生活していた我が家。

 立ち止まったシェリーディアは一瞬、あまりの懐かしさに表情を緩め、見とれた。


 が、その表情はすぐに変化した。

 

 建屋のドアが開いて、二人の人物が姿を現したからだ。


 一人は、40代半ばと見える中年女性。農婦らしく質素なロングスカートのチュニックにエプロンを身に着け、やや白いものの混じった金髪を後ろでひっつめている。

 今一人は、10代後半と見える若い女性。女性にしては背が高く、極めてスタイルの良いその身体をもう一人の女性と同じ農婦の衣装に包んでいる。髪はショートで肩の手前で切りそろえている。その貌立ちは――。あまりにもシェリーディアに、そっくりだった。


 それは、忘れもしないシェリーディアの母親ミアと、すっかり成長したものの一目で間違いないとわかる妹、タニーシェスの姿であったのだ。


 シェリーディアは、目を潤ませながらも、やや緊張の面持ちでゆっくりと彼女らに近づき――。

 意を決して、声をかけた。


「あ、あの……。

お……お母……さん。それに、タニーシェス……。

わたしよ……。シェリーディア、よ。

心配かけて、本当にごめんなさい……。戻ったわ。

ひさし……ぶりね、変わりは、ない……?」


 その震え声のぎこちない挨拶を聞いて、外に出たミアとタニーシェスは怪物か亡霊でも目にしたかのように――表情と身体を完全に凍りつかせた。


 そして刮目しながらシェリーディアの貌をまじまじと見つめたあと、その異様な出で立ちを上から下まで見た。


 目を見開いたまま、母ミアは声を、発した。


「シェリーディア……? 本当に……あんたなのかい……? 10年前居なくなった……?」


 その声は、シェリーディアの記憶にある懐かしい母の声そのものだった。シェリーディアと違いやや低いトーンの落ち着いた声。

 シェリーディアは涙ぐみながら破顔し、彼女らに近づこうと歩みを進めた。


「そうよ……わたしよ、シェリーディアよ! 何も云わず出ていってごめんなさい。

お母さん、タニーシェス!」


 そう云って駆け寄ったシェリーディアの足は――。

 自分の額に当たった、一個の大きな石で、完全に止まった。


 シェリーディアは、一瞬、何が起きたのか理解できなかった。

 が、その後に襲った、猛烈な言葉の暴力が、いやが応にも現実を理解させたのだった。


「こぉの、疫病神!!! どの面下げて戻ってきやがった!!! シェリーディア!!!

あんたがね、あんたがねえ、しでかしてくれたことで、あたしたちがどれだけ迷惑したと思ってんだい!!!!」


「え…………?」


 シェリーディアは呆けたように、額に手を当てた。

 先程の石は、ミアがシェリーディアに向けて力いっぱい投げつけたものだった。


「え、じゃあないんだよ!!! あんたがいなくなってくれたおかげでねえ、うちの人はすっかりやつれ果てて働けなくなって――しまいには寝込んで死んじまったんだよ!!!!

よくも一人だけのうのうと、逃げてくれたねえ……。あれからあたしたちの生活は、地獄そのものだった! 元から苦しい生活がどん底になって、寒波や干ばつがあって、本当に死ぬ思いをした!!!

やっと、このタニーシェスが働いてくれるようになって、どうにか人間並みの生活をおくれるようになった! 

あんたのせいだ! あんたがおとなしく、あの人に乱暴され続けてりゃ、それなりにウチはうまくやれてたんだ!! シェリーディア!!!

どうせあんたのことだ、この10年男に媚びるような――娼婦でもやって食いつないでたんだろう、汚らわしい!

本当あんたなんか、産まなきゃあ良かったんだ!!!! この淫売が!!!」


 そのあまりに酷い、シェリーディアの人格を根底から否定する、自分のことしか考えない思考から発される罵詈雑言。ましてや、「産まなければ良かった」などという、決定的な言葉。

 繊細なシェリーディアの心は――、一転してズタズタに引き裂かれ潰され、あまりの苦しさに身体も表情も動かすことができず、ただ大粒の涙だけが流れ続けた。


 そして追い打ちをかけるように、隣の妹も、母そっくりの声と口調で彼女を口汚く罵った。


「そうよ!!! 何いまさら戻って来てるのよ!!! あんたなんか、知らないわよ!!!

まだ9歳だったわたしが、あんたがいなくなったことでどれだけ苦しい想いをしたか――。

餓死にしそうになったこともそうだし、何よりあんたが優秀すぎたせいで、わたしは何やっても村であんたと比較されて死にたくなるぐらい心が傷ついてきた!! 

なによ、今更お姉ちゃん面して……。あんたの存在なんかわたしは認めない!!

出て行け!!! わたしたちの人生から今すぐ出て行け!! 戻ってくるな!!!」


 そう云って、鬼の形相で母と一緒になりシェリーディアに投石するタニーシェス。


 罵声とともに投げつけられ続ける石つぶて。

 所詮普通の女の細腕での投石、サタナエルでも10指に入るであろう絶対的な強者で歴戦の戦闘者であるシェリーディアの肉体には、蚊が刺したほどのものですらない。


 しかしその内側の心には――想像を絶するダメージが与えられていた。

 石つぶて一つひとつがまるで砲弾のごとく、崩れかかったシェリーディアの心を容赦なく大きく削り取っていく。


「う……ううううう……ええええ…………」


 貌を大きく歪め、まるで幼子がべそをかくように泣き呻き、シェリーディアはすばやく踵を返してこの恐るべき目には見えぬ暴虐の攻撃の場から、全速力で逃げ出した。



 自分の認識は、間違っていた。

 自分に愛情がなく憎んでいたのは、父ではなく母の方だった。

 父からかばってくれなかったのは、恐れからだと思っていたが、彼の暴力や性欲がシェリーディアに集中して居るほうが自分に都合がよかったからだ。

 また反面、父がシェリーディアに執着したことで、強い嫉妬もあったのだろう。いずれにせよ自分のことしか考えない偏狭冷酷な内面であり、妹にもそれが色濃く受け継がれた。


 もう、自分の帰る家など、ここにも――どこにもないのだ。


 自分は、真の孤独――。この世で、たった一人――。


 村を出て森林に入ったシェリーディアは、倒れ込むように両膝と手をつき、ショックのあまりそのまましたたかに地面に向かって嘔吐した。


 胃から少ない内容物を全て吐き出し、さらにその上に大量の涙が落ちる。


 ついに、死を迎えるに至ったその心。目は虚ろとなり、身体は震え、手は自然に背中の“魔熱風(パズズ)”に向いた。

 フックから取り外し、スイッチを操作して先端にオリハルコンの刃を飛び出させる。


 白光りするその刃を反転させ――。

 ゆっくりと自分に向け――そのまま鋭い切っ先を自分の喉元に突き当てる。


 あとは、手を自分に向けて引き、首を押し出せば全てを終わらせることができる。自分自身の命、を。

 そして、永遠にこの地獄以上の苦しみから解き放たれるのだ。救われるのだ。


 力を込めようとした、その時。シェリーディアの耳に、ある極めて聞き覚えのある声が入ってきたのだ。

 

(クックック……貴様は所詮その程度のものなのか? シェリーディア……)


 ハッとシェリーディアが前を見ると、そこには――。


 ドゥーマで自分が命を奪った筈の親友、フェビアン・エストラダがクロスボウを手にして立っていた。


「フェビ……アン……?」


 シェリーディアは首を振った。彼女は自分の手で殺した。生きているはずはない。

 己の狂気の縁に立った精神が見せている、幻影だ。まやかしだ。


(この私ほどの存在との最後の決闘を制し、勝利しておきながら――。こんなところで、あのようなつまらぬ塵芥に等しい女どもの罵声ごときで、自ら命を絶とうというのか?

軟弱者が――。私は、そんなつまらぬ、戦闘者の風上にもおけぬ馬鹿者に殺された覚えはない。

私は、とうの昔から、孤独だった。が、それがゆえに強くなった。

貴様は孤独でないがゆえに強いのだと思っていたが、実は孤独が恐ろしいがゆえに強くなったのだな。

ならば、抗ってみせろ。孤独に対して。まだ貴様には、残っているだろう。その戦闘者としての実力も、サタナエルという組織の一員であったことも、さらには美しい女であることも……。

最後の肉片になるまで抗い共に生きる者を探して生きろ。このフェビアン・エストラダに、地獄で恥をかかせるな……)


 云うと“フェビアン”は、クロスボウを構えてそのトリガーを引く。


 瞬間。シェリーディアの両眼が強烈な光を放ち――。

 手にした“魔熱風(パズズ)”を神速で回転させ、レバーに手を掛け、次いでトリガーを引く!

 

 まばたきするより速いその動きで放たれた強力無比なボルトは、“フェビアン”の額を再び貫き――。そのまま背後の樹に深々と、突き刺さった。

 

 額に真っ黒な孔の開いた“フェビアン”は――不敵な笑みを浮かべながら、その姿を消滅させていった。


 それを見送り、シェリーディアは“魔熱風(パズズ)”を下ろして真っ直ぐに両の足で地に立った。

 その両眼は、以前ほどではないものの、いくらかの生命の光をともして、確実に赤々と燃え盛っていた。


「……いいさ、分かったよ、フェビアン……。

アンタの云うとおりだ。こんな終わり方――このシェリーディア・ラウンデンフィルらしくはねえし――。アンタの魂にも礼を失する行為だ。

もう少しだけ抗ってやる。そう――希望は、まだ『一つだけ』残されている。

アタシはそれに賭ける。必ず、生き残る術を、見つけてやる――!」


 まだ弱々しいものの、確実に戦闘者シェリーディア・ラウンデンフィルに戻った彼女は、その足を南東の方角に向け、歩き出していったのだった。

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