第三十七話 互いの秘めたる愛、そして次なる討伐へ
シエイエスが右下の地面に声をかけると、それは徐々に、徐々に姿を現してきた。
どうやらその生物は、透明化の能力を持つようだ。
やがてはっきりと姿を現したそれは――。長さ3mほどの手足のないうねる胴体、純白の鱗をもち鎌首をもたげた頭部にはつぶらな黒い瞳、口からは出し入れされる赤い舌――。背には大きな翼を畳んだ――“翼蛇”と呼ぶべき、蛇の魔導生物、だった。
それを見たナユタとランスロットは、その見た目に対する以上の過剰にギョッとした反応を見せて、即座にレエテを見たが――。すでに、遅かった。
「きゃああああああ!!!! ひゃああああああ!!!! いやあああああああ!!!!」
レエテは、強く勇敢な彼女が全く見せたことのない、恐怖に支配された必死の形相で――。か弱い少女のような金切り声で悲鳴の絶叫を上げ、大きく後方に飛び退り、腰を抜かしてその場に崩れ落ちた。全身が恐怖にブルブルと震えてしまっている。そのまま失禁しそうなほどの慄きぶりだ。
「あちゃあ……やっぱり、そうよ、ねえ……」
以前1mもない小さな蛇に腰を抜かしていた彼女を知っているナユタとランスロット。比較にならぬ大蛇を前にした瞬間にそれがフラッシュバックしたのだが、予想した以上のレエテの過剰反応に貌を片手で覆った。
「レ……レエテ、さん……?」
「レエテ…………だ、大丈夫、か…………?」
この状況を受け止められず、呆気にとられるキャティシアとルーミス。
その後ろでは、ムウルと、観覧席でじっと様子を窺っていたホルストースが即座に状況を理解して腹を抱えて笑っていた。
そして翼蛇は口を開いて、極めて穏やかな女性の口調で話し始めた。
「おやおや……レエテ様を、驚かすつもりはありませんでしたが……まあ私の姿を見た何割かの方はお見せになる反応ですし……致し方ないですね。
一応、自己紹介しておきますれば、私、魔導生物のクピードーと申す者。
シエイエス様の従僕にして、主に透明化能力と飛行能力を駆使します。
戦闘はあまり得意ではありません。ダレン=ジョスパン公爵の襲撃時も、潜んでいたサタナエル副将に存在を気づかれ、手も足も出ませんでした。そのところはご了承のほど」
「……と、いうところなんだが、すまなかったな、レエテ。
まさかお前が、そんなにも蛇が苦手だとは知らなかったのでな。
透明化しここから出ろ、クピードー。以後は、レエテの前ではその姿を現すな」
「承知。それでは皆様、いずれまたお会いしましょう」
云い残すと、クピードーはその姿を再び消し、完全に見えなくなった。
レエテは、心配して駆け寄ったキャティシアに支えられて、大きくふらつきながら立ち上がった。
まだその膝がガクガクと震えている。
同時に情けなく恥ずかしいところを仲間全員に見られてしまった羞恥心で、その貌を真っ赤にして口ごもる。
「ご……ごめん……なさい、シエイエス。あなたの相棒にわ、悪気はないのだけれど……私……どうしても、へ…………だけは」
もはや蛇、という言葉を口にすることもできないようで、かなりの重症だ。
これには、レエテに想いを寄せる二人の男――ルーミスとホルストースは、想像もしなかったレエテの可愛らしい反応に、男として胸をときめかせずにはいられなかった。とくに、ルーミスは露骨に貌を赤らめ、怯えるレエテの姿から目を離すことができなかった。
「まあ、取り敢えず安心したよ。あれだけ心強い相棒がいれば、あんたの腕ならそうそうヘマはしないだろう。気をつけて行ってきなよ」
ナユタの言葉に、シエイエスは大きく頷いた。
「シエイエス……最後に、一つだけ、聞かせて」
レエテの言葉に、振り向くシエイエス。
「さっきあなたが私達に告白してくれたこと――その話の範囲では、あなたは私たちを騙していた。
けれど――。
それ以外で、あなたが旅の間、私達にしてくれたこと、助けてくれたこと、話してくれたこと、心配してくれたこと――。その行動と言葉と気持ち、は本当のこと、本心からのことなの――?」
レエテの問に、その黄金色の瞳をじっと見つめていたシエイエスは、ゆっくり口を開いた。
「ああ…………。本当のこと、本心からのことだ。
セルシェ村の山小屋で話した俺の過去の話も本当だし、ナユタを救おうとした行動、鬱に陥ったお前に語った内容も本心から。レガーリアからの野営で晩酌しながら話したこと、お前に対する言葉――。もろもろ、ダレン=ジョスパンからの任務に関わること以外、すべて本心からだ。それだけは、ハーミアに誓って云おう」
レエテはそれを聞いて、心の底からの安堵の表情を浮かべると同時に、安心が大きかったのか、涙ぐんでいた。
安堵の表情は彼女だけでなく、ナユタら他の仲間も同様だった。
致し方ない事情で騙していた行為を除けば――彼女ら仲間に見せていたシエイエス・フォルズという一人の男の人間性は、嘘偽りのものではない真実のものと分かったからだ。
「それじゃあ、すまないが俺は、ブリューゲルの元へ旅を急ぐ。
ムウル、短い間だったが、お前がいなければこの国を旅することはできなかった。礼を云う。達者でな」
「ああ! シエイエス兄ちゃんも、元気で!」
「キャティシア……お前には、精神的にも随分助けられた。お前は自分が思ってるよりも、とても頼りになる、強い子だ。これからも皆をささえてやってくれ」
「え……いや……あの……あ、ありがとうございます! 私、頑張ります!」
「ランスロット、お前の能力や機転は、皆の危機を救うに欠かせない。これからも頼むぞ」
「そりゃ、こっちの台詞さ、シエイエス。君も必ず帰ってこいよ。いずれクピードーともゆっくり話させてくれ!」
「ホルストース……。お前とは、初めまして、だな。いずれ、ゆっくりと飲みながら語り合おうじゃないか? 俺がいない間、皆のこと是非ともよろしく頼む」
「こちらこそ、シエイエス・フォルズ……ご高名はかねがね聞いてたぜ、レエテからな。
まだついてくとは云ってねえのに……まあ、ついてくつもりだが。
見てたが、お前、大した男だよ――俺のライバルに、ふさわしいぜ。早く帰ってこねえと、いろいろ状況が変わってるかもしれねえのは警告しとく。一緒に飲むのは大歓迎だ……楽しみにしてるぜ」
「ナユタ……云うまでもないことだが、お前は俺たちにとって一番頼りになる存在だ。
これからも皆をその大胆な知恵と力で導いてくれ。今後はまずお前の故郷でもあるノスティラスを目指すことになるだろうし、ルーミスの『手』のことも含め、よろしく頼んだぞ」
「おいおい……それこそ、こっちの台詞、てやつさ。あたしが大胆なら、あんたは緻密だ。
あんたの知恵や力こそ、あたし達は必要としてる。必ず帰ってきな。
ルーミスの手のことは……あたしの責任なんだ。必ず、あたしが対策法を見つける」
「ルーミス……今はその手の状態だ。くれぐれも気をつけてくれ。後方支援に徹し、自分の身を守ることを優先しろ。必ずナユタが何とかしてくれる。
ブリューゲルのことは心配するな。
俺が必ず、安全な場所に導く。お前を一人ぼっちにだけは絶対にしない」
「ああ……兄さんも本当に、気をつけて。あのラ=ファイエット将軍が立ちふさがるとしたら、サタナエル以上の脅威だ。自分の命を粗末にだけはしないでくれ」
「レエテ……前も云ったが、お前は少なくとも俺たちにとってあまりに尊い存在で、素晴らしい女性だ。必要とされている。自信を持ってほしい。
この世で最も過酷な運命を背負ってしまったが、必ずそれを、ともに乗り越えよう。将鬼どもと“魔人”を斃し、ビューネイも、もう一人の女性ドミノも必ず探し出して救い出そう」
「シエイエス……ありがとう……本当にありがとう。
わかったわ。私はもう、迷ったり自分を貶めたりしない。あなたがいなくても大丈夫なよう、強くなる。 ビューネイたちのことも……心配してくれて本当にありがとう。
必ず、私のもとに生きて帰ってきて……約束よ」
その言葉に優しく笑みを返し、シエイエスは踵を返した。
レエテは――その背中を目で追ううち、急に胸が、締め付けられるように苦しくなった。
自分でも、抑えきれないほど強い想いが、止めどなくこみ上げてくる。
この男と、離れたくない。
自分ひとりだけでも、一緒にその後をついて行きたい。
イヤだ、イヤだ、行かないで――。
私の側にずっといて。
その思いと衝動を抑えきれず、レエテは、叫んだ。
「シエイエス――!!!!
私、私――あなたのこと!!! ――」
――そう、“愛している”。
その言葉が、喉まで出かかった。
しかし、目をギュッと閉じ、全力の理性でその言葉をギリギリのところで、飲み込んだ。
その決定的な言葉を云ってしまったら、本当に自分を抑えられなくなる。
が、現実にそんなことは、できない。彼と同じように自分には自分の、なすべきことがあるのだ。
シエイエスは、一度振り返り、優しく、愛情に満ちた笑顔をレエテに投げかけた。
「ありがとう、レエテ――。
“俺も”、だ――」
その一言を最後に、シエイエスは両手の鞭を伸ばして観覧席に引っ掛け、それを頼りに軽やかな身のこなしで上に上がり、出入り口からその姿を後にしていった。
その先をいつまでも見送るレエテに対し――。
ルーミスは唇をかんで目を伏せ、ホルストースは貌をしかめて肩をすくめた。
(やれやれ――お熱いことで。
まあ相手はあれだけの男だ、無理もねえっちゃねえが、俺はそんなことぐれえで、レエテを諦めたりはしねえぜ。
ノスティラス皇国に、北ハルメニア自治領。上等じゃねえか。そんだけの旅路がありゃあ、十分だ。
サタナエルの討伐と同時に、お前をも振り向かせてみせるぜ、レエテ)
そこで突然、ムウルが口を開いた。
「さて……それじゃあおれは、故郷のバルバリシア村に帰るよ!
仇のソガール・ザークも死んだし、ソルレオンもレエテ姉ちゃんのおかげで何だか気持ちが変わったようだったし、おれの目的ってやつはぜんぶ果たされたしね!
シエイエス兄ちゃんじゃあないけど、妹やばあちゃんたちのことも心配だし」
それを聞いて、レエテは振り返り、近づいてムウルの手を強く握った。
「そう……名残惜しいけれど、どうか達者でね、ムウル。
シエイエスも云ったとおり、あなたがいなかったら私は、ホルストースにも会えず、ソガールを斃すこともできなかった。
本当に感謝しているわ。道中気をつけてね」
「ああ、ありがとう、レエテ姉ちゃん! 姉ちゃんのすげえ話は、おれがドミナトス=レガーリア中に広めるよ!」
キャティシアも、近づいてムウルの頭をなでた。
「ありがとうね、ムウル。一緒に旅ができて、私楽しかったわ。
村のみんなによろしく伝えて。いつかまた、お邪魔させてもらうわ」
「ああ、待ってるよ、キャティシア姉ちゃん!」
そしてホルストースが、その巨体を観覧席に下ろし、ムウルに近づいた。
「小僧、俺ぁお前とは短い間だったが、どうか達者でな。
一つだけ、頼まれて欲しいことがあるんだ。
帰る途中に『不死鳥の尾』に立ち寄って、反乱軍の長イオリア・ドライアードに事の次第を伝えてほしい。
『この国のサタナエルはほぼ壊滅し、ソルレオンも奴らと距離を置き反乱軍との和解の方向に傾いた。そしてホルストースはレエテと共にサタナエルを滅ぼすべく、旅に出る。後のことはよろしく頼む』ってな」
「わかったよ、ホルストース! あんたも、すごい男だった。必ず仲間に伝えておくよ!」
「ありがとうよ。ついでに、また何か旨いもんでも食わせてもらえ」
そう云ってホルストースは、ムウルの小さな体を抱え、観覧席の上に上げてやった。
彼は、笑顔で手を振り、出入り口からその場を後にしていった。
レエテは、彼の姿を見送った後、一度だけ、ソガールの遺体を見やり――。
そして彼女のもとに残ったナユタ、ルーミス、ランスロット、キャティシア、ホルストースの五名に向かい――。決然とした口調で、云った。
「皆、それじゃあ次の目的地はノスティラス皇国、その後北ハルメニア自治領。
目的は、まずはルーミスの失われた右手への治療と対策、そしてその後は――。
私の仇、サタナエル“斧槌”ギルド将鬼にして『竜壊者』の異名を取る魔物――レヴィアターク・ギャバリオンの、討伐――!!!」




