第三十四話 剣帝ソガール・ザーク(Ⅳ)~死合の終焉
レエテはついに、闘いの決着へ向けた攻撃の初弾を繰り出した。
一気に踏み込み、ソガールとの5mの距離を詰める。
そして繰り出したのは――剛槍ドラギグニャッツオによる突撃。
槍使いではないレエテが繰り出すそれは、当然ホルストースに比べて圧倒的に精度に劣り隙だらけであったが、ドラギグニャッツオの刀身は通常の武器とは大いに異なる驚異の存在。
当然その破壊力について知識をもつソガールは、最初から攻撃を受け切ることはせず、受け流す選択をした。
大剣の見た目からは想像もできない、左手の流麗な剣さばきで攻撃を後方へ流すように刀身を受ける。
驚異的な事実は――右膝が破壊され、真っ二つになった骨が突き出ている状況にも関わらず、ソガールが未だほぼ左足のみで一流の剣技を維持していることだ。その表情も痛みに支配されることなく、防御と反撃に意識を集中している。圧倒的技術と、なにより驚異的に過ぎる精神力だ。
が――レエテは刀身が当たると同時に、ドラギグニャッツオを手から離していた。
受け流され吹き飛ぶドラギグニャッツオ。
そしてソガールが攻撃を受け流した分、より彼に近づくことができたレエテは、左結晶手でさらなる攻撃に移る。
ソガールは右手の大剣で防御しようとするが――。
レエテの狙いはソガールの胴体ではなく、大剣を持つその「手」だった。
しかもその攻撃は浅く、ソガールの剣を握る手の指に切り傷を与えたに留まった。
そして大きく飛び退り、返す左の大剣での反撃を前に距離を取るレエテ。
ソガールは――今一度己の右脚に体重をかけ、その状況を確認した。
元々“魔人”ヴェルに破壊された後遺症により、彼にとって50%ほどのパフォーマンスしか発揮できていなかった右脚。左脚を基本に、己の剣技に全く影響のないレベルまで鍛え上げてきた。
今右脚に体重をかけると脳髄に響くほどの激痛だが、これにさえ耐えればまだ杖代わりに使うことはできそうだ。
大きくパフォーマンスは下がるが、まだ己の力が敵に通用する自負はある。
そして、ソガールがすわ反撃に移ろうと左足を踏み出した――その瞬間。
彼は、自身の身体に起きた大きな異変を察知した。
右足が、前に出ない。
それは、怪我のせいなどではなく――。身体そのものが云うことを、きかない。
右足だけではない。右半身全体が痺れ、もはや右手の感覚はない。自分の身体ではないかのようだ。
加えて、経験したことのない強烈な目眩と頭痛と吐き気が襲い、思わずその身体をぐらつかせるソガール。
そしてついに――その右手の大剣を取り落とす。地に落ちた、超重量の剣が、重い音を周囲に響かせる。
「おのれ……我に、何をした……レエテ。
その左手に……うぬは『何か』を仕込んでいたな……!?」
目を回しながら問うソガールに対し、ゆっくりと歩いて彼に近づきながらレエテは答える。
「そうだ……今、お前の身体を襲っている痺れと不調は、『神経毒』によるものだ。
私と同じく、お前への肉親の復讐を望む、シエイエスの体内で精製し、その血をこの左手に塗りつけてお前の体内に送り込んだ。彼の身体で精製している以上、死に至るほどの強力な毒は作れないが、お前の身体の自由を奪うには十分。
さあ――まだ、左半身は動くだろう? 今から私がお前に放つこの一撃を、防御できるものならば防御してみせろ!!!」
すでにソガールから2mの距離にまで迫ったレエテ。
優に射程範囲に入った憎き敵を、その不自由な身体であっても斬り伏せようと左手の大剣を振り上げようとするソガール。
が――ソガールは、目前でレエテの取った奇妙な構えを瞬時に捉えて判断し、攻撃への移行を中止し防御へと切り替える。
それほどの危険な匂いを、敵の構えは放っていた。
レエテは低く腰を落とし、左手を前に出し、さらに腰を大きく右に捻っていた。
加えて右腕を大きく後方に下げて力を溜め――さらに奇妙だったのは、その右手が思い切り右回りに捻られていることだ。
後方だけでなく、回転方向にまで力が充填されているのだ。
そして――溜めた力だけではなく裡に込められた殺気と、それ以外の己の怨念、仲間が失った者の怨念、失われた者の無念。すべての思いを乗せ、レエテは一気に力を解放する!
末端の爪先を起点に、足首、脹脛、太腿、腰、背筋、上腕筋、前腕筋、手首――。
全ての力を手先の結晶手に集結し、しかも強力な回転がかけられた必殺の突きが、ソガールが己の身体の前に掲げて防御した左大剣の刀身に襲いかかる!
「“螺突”!!!!!」
レエテの右結晶手は――厚さ5cmを超えるその鋼鉄の塊を易易と破壊し――。
その向こうにある、ソガールの巨岩のごとき厚い胸板に到達し――。
軽装鎧を突き抜け、皮膚を、筋肉を、骨を内臓を突き抜け――。
ソガールの胸部を背後まで貫通したうえ、その衝撃力によって巨大な風穴を開けた!
吹き出す血と、臓物がレエテの髪に、貌に、身体に降りかかり――。
闘技場の地を赤く、染め抜いていく。
「…………が……あ、ジ、オット……。わ……れ……は……我が……負け……。
死ぬ……な……ど…………え……ぬ……ガハッ……アアアア!!」
最期の、断末魔を放った、サタナエル将鬼にして“剣帝”――地上最強の剣士、ソガール・ザークは――。
その両眼を見開いたまま、ゆっくりと崩れ落ち――両膝を着き――。
そのまま仰向けに、巨木が倒れるがごとく、地に、倒れていった。
両の目は見開かれたまま、穴の開いた胸も、腹部も微動だにせず――。
ついにそのまま、事切れた。
「――ッハアッ!!! ハアッ!!! ハアッ!!! ……やっ……た。
やったよ、ターニア、みんな……。仇は……とった。死んだ……ソガールは、死んだ……!」
それまでの緊張からの解放とダメージが一気に襲ったかのように、レエテは肩で息をしながら両手を地に着いた。
見守っていた者たちは――。一瞬、その現実を飲み込み腹の中に落とす時間が必要だったが――。
ついに、それぞれの己の感情を爆発させた!
「う……うおおおおおおお!!!! やっ……た、やったよ、母さん!! ついに……あなたの……あなたの仇を取ることが……!!!! あああああ!!!」
秘めたそのカタルシスを一気に爆発させ、母を失ったその時の少年に戻ったかのように叫ぶシエイエス。
「やったああああ!!! やりやがった!!! レエテ!!!!」
「レエテえええ!!!」
「レエテさん!!」
「レエテ姉ちゃん!!! すげえ、やった!!!」
「レエテ……レエテ、ありがとう……!! これで母さんも……父さんも、報われる……」
口々に叫び、観覧席から次々に降りてレエテに駆け寄っていく仲間たち。
反対側の観覧席にいたホルストースは、心から安堵した様子で微笑んでいた。
そこへ、歩み寄って来る、ソルレオン国王。
「どうした……お前は行かねえのか、ホルス?」
「ハッ……俺あまだ、あん中に混ざるには大分早えみてえだ。今は遠慮しとくぜ。
で……どうなんだ? 見事、サタナエルを象徴する魔物は討伐されちまったが……あんたの中の方針ってやつは、これで何か変わったのか、親父?」
「そうさな……変わったともいえるし、そうでないともいえる。
だが、今はそれより先に、解決すべき問題が一つある」
そう云ってソルレオンがちらりと見やった先は――。
ダレン=ジョスパンであった。
彼は、珍しく興奮と驚愕を貌に貼り付けているネイザンの足元で、相変わらず薄く開いた両眼のまま、極めて満足げな笑みを浮かべていた。
そしてゆっくりと立ち上がり――。
観覧席の最前列まで歩み、声を張り上げる。
「レエテ・サタナエル!!! 此度の闘い、見事であった!!!
お主に、この台詞を、しかもコロシアムという場で申し渡すのは、奇遇にも二度目、であるな!!!」
その声に、喜びの表情から一転、ハッとしてダレン=ジョスパンを振り返る一同。
そう、敵は――まだこの場から居なくなったわけではない。
まだ、この男がいた。ソガールよりも以前から、レエテ個人を付け狙う最大の敵、が。
そのことを認識していたのは、ソルレオンのほかは、シエイエスと、そしてレエテ当人のみであった。
レエテは目をギラつかせてゆっくりと立ち上がり、真っ直ぐにダレン=ジョスパンを見た。
「お主が命拾いしてくれて、余は心より胸を撫で下ろしておる!
これで、ソガール・ザークは死に、お主の目的も、シエイエスの目的も果たされたのだろう!?
おとなしく、余についてきてくれるな!? さすれば――全ては、『丸く収まる』」
その言葉は――すなわち、レエテが彼に逆らうことがあれば『仲間の命は保証しない』ことを意味しているのは明らかだった。
これに対し、レエテがダレン=ジョスパンに向けて何かを云おうとしたその時――。
思いもよらぬ方向から、全く思いもよらぬある一人の女性の声が、響いたのであった。
「――お従兄さま!!! ソルレオン陛下!!!
これは、一体どのような状況ですの!?」
それは――まだ湯浴み前の、別れる前と変わらぬ軍服姿の、エストガレス王国第一王女――オファニミス・ローザンヌ・エストガレスその人、であった。
観覧席を駆け下りてくる従妹の姿に驚愕し、その後すぐにソルレオンに視線を移し、睨みつけるダレン=ジョスパン。
ソルレオンはその視線を受け、ニヤリと笑って肩をすくめた。
この男が、呼んだのだ。先程この場を中座したときに。
ソルレオンは、宮廷への入城を出迎え会話したあの僅かな時間で、ダレン=ジョスパンとオファニミスの関係性を見事に見抜いた。そして現在この場で、ダレン=ジョスパンがどのような行動に出ても自分に都合よく話を進められるようにするため――ひとつの「保険」として手を打ったのであろう。
しかしソルレオンが想像する以上に、この保険は功を奏した。
己の人外の能力も、暗黒に染まった本性も、全て隠している相手であるオファニミスの前だ。
今やダレン=ジョスパンは自己目的でレエテを連れ去ろうとすることも、それに従わぬレエテを脅すことも、脅しに屈しないレエテの前で仲間を殺戮することも、一切不可能となったのだ。
やがて肩で息をしながらダレン=ジョスパンの前に辿り着いたオファニミスは、目の前の従兄に問うた。
「お従兄さま! ここで、何をしておいでなのです!?
ソルレオン陛下からお聞きしました。今このコロシアムで、大変なことが起きようとしていると。あの組織、サタナエルの領袖の一人たる男がレエテ・サタナエルを付け狙い、戦闘状態に入ろうとしていると。
そしてお従兄さまもその場におられ、場合によっては危険なことになると。
ソルレオン陛下はご自分が何とかすると仰せになりましたけど、わたくし居てもたってもいられなくって――。供回りや衛兵に話しても埒が明きませぬゆえ、場所のみ尋ねてわたくし一人でここへ参った次第ですの」
ダレン=ジョスパンは心中歯噛みしていた。
そもそもサタナエルにその任務を依頼した自分のことはしれっと押し隠しているのもさることながら――。あくまでダレン=ジョスパンを巻き込まれた被害者のように話すことで事を荒立てず、秘密を守り、自分に対して恩を売っているソルレオン。
年齢と経験のなせる業か。この男は超一流の策士であり――しかも自分には難しい、人の正しい心につけ込む術をも持っているのだ。
「オファニミス――。今のこの状況はな――」
云いかけた、ダレン=ジョスパンの言葉が止まった。
ある気配を、瞬時に感じたからだ。それも、決して「有り得ない」気配を――。闘技場内から。
不気味な、ドス黒い、それでいて生気のない――「ある男」の気配。
その従兄のただならぬ雰囲気と視線に気づいて、闘技場を見やったオファニミスが上げる、悲鳴と――。
闘技場内でまさに「それ」を目撃したキャティシアが上げる悲鳴が、ほぼ同時に重なった。
「きゃあああああああああ!!!!!」
「いやあああああああああ!!!!!」
その恐怖に凍った視線の先にあったのは――。
ゆっくりと、起き上がってくる一つの巨大な、岩石のごとき屈強な人影。
左手に、破壊され折れた大剣を握りしめ――。
折れた右脚に構うことなく立ち上がり――。
胸に赤黒い巨大な風穴を開け、天を仰ぐその貌にある両眼は白く濁り、死人そのものとしか思われぬ状態の――。
たった今、その生命を絶たれたばかりの筈の――ソガール・ザークの肉体が、レエテの目前で生ける屍のごとく立ち上がっていたのだ!