第三十三話 剣帝ソガール・ザーク(Ⅲ)~反撃の狼煙
ソガールが「黒帝流断刃術」において隠し持った更なる奥義、「死十字」をまともに食らったレエテ。
動きを制約される重傷を負うことなど許されない極限の闘いで、内臓がこぼれ落ちるほどの大傷を受け、出血を余儀なくされた。
うずくまり傷を必死で押さえるのと同時に、恐怖と動揺を鎮めるためどうにか呼吸を整えようとする。
「ハッ、ハッ、ハッ――ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ」
そこへ、一気に踏み込んでレエテとの距離を詰めたシエイエスが、左手の鞭を構えて叫ぶ。
「レエテ!!! 立ち上がって傷から一瞬手を離せ!!!
傷に響く荒っぽいやり方だが、我慢してくれ!!!」
レエテが痛みと恐怖に耐えつつすぐ云う通りにすると、即座にシエイエスは左手の鞭をレエテの腹から下半身にかけて打ち付け、そのままグルグルと巻きつけ、最後に先端と柄を強力に締結した。
鞭に埋め込まれた細かく鋭利な刃が重傷に食い込み裂き、痛みにうめくレエテ。
「ぐうううっ!!」
だが、この鞭の身体への締結が開いた傷を押さえ、内臓の流出を防いだ。これであれば、1,2分でいかなる出血も止まる肉体のレエテにしてみれば十分な応急処置だ。また、鞭で下半身が固定されたことで、結果的に傷の痛みも軽減した。
しかし――まずいことに戦況は、悪化するばかりだ。
せっかくソガールの持つ奥義といわれる「氣刃」を破り、幸先の良い開始の火蓋を切ったかと思いきや、特異な技に頼らぬ突出して優れた強力な基本的剣技、物理的現象を奥義に昇華した絶技など――。どれほど技を捌こうが破ろうが終りがないかに思える。
自分たちはこれほど消耗しているのに、ソガールは息ひとつ上がってもいなければ、かすり傷一つ負ってはいないのだ。
「恐るべき絶技だな……黒帝流断刃術、死十字。
弓やクロスボウが用いている力の溜めの原理を、双剣と大地を用いて技に昇華し、もはやどうあがいても視認できぬ異次元の剣速を実現した。おそらく威力も通常の振りとは比較になるまいな」
観客席を降りてきたソルレオンが、死十字に対しての考察をダレン=ジョスパンに振る。
自らも、謎の人外の異能力をもつダレン=ジョスパンは――おそらくここに居る全ての人間で唯一、死十字の太刀筋を完全にその目に捉えていた。
「……たしかに、恐るべき技だが……迎撃にのみ使用可能であり、構えと予備動作を知られればそれまでの技ともいえますな。
技量や実戦経験はともかく、死線を超えし経験はレエテが圧倒している。まだまだこの闘い、分かりませぬぞ、ソルレオン陛下」
「はっはっは! 貴殿の願望からすればそういう見方になるであろうな。まあここはそのように信じ、私も状況を見守ることとしよう」
一方、観覧席の最前列に到達したナユタたちは、キャティシアから現在の状況となった背景を聞いたところだった。
「何だって……!? 正気の沙汰じゃない。あの化物と二人だけで闘うだって?
あたしはまだ、あのソガール・ザークは技を一瞬見ただけだが人間のレベルじゃないって分かるし、別の将鬼とも闘った経験から云っても、全員が束になってかかっても勝てるかどうかだよ。
あたしはたとえ観覧席からでも、魔導で援護したい気持ちだけどね」
至極まっとうなナユタの反論に、キャティシアは泣きそうな貌になりながらもレエテを弁護した。
「そう、なんですけど……私も援護したい気持ちで一杯なんですけど……。
10日前、あの闘いを間近で見た私にはわかるんです。あの異常な魔物は、自分の認めた相手、状況でなれけば、死んでも負けは認めない。
そしてあの魔物、ソガールは――レエテさんの大切な義理の妹、ターニアさんの首をはねて殺した、張本人だったんです……。
だから、身体だけじゃなく、あいつの魂も完全に殺さないと、復讐は果たせないんです……」
「……そう、だったのかい……」
それにはさしものナユタも絶句した。そこまでの事情を知り、レエテの気持ちを慮ると軽々しく手出しするわけには、いかない。
彼女も、そしてランスロットも、ルーミスも――。歯噛みしつつ闘技場の成り行きを見守るしかなかった。
未だ流れる血液を闘技場の地に吸わせるレエテと、その傍らに立つシエイエスに向かって、不気味な笑いをたたえながらゆっくりと近づくソガール。
「どうした? もう我が奥義に臆し、戦意を失ったか?
うぬの恨みはその程度で消え去る浅薄なるものではなかろう、レエテ・サタナエル?
10日前は見せたではないか、怒りの炎をまとった姿を」
その言葉に、レエテの眉が動き、貌に険が刻まれた。
「うぬからあの時聞いて、我も1年前の『本拠』での出来事を思い出した。
突如として将鬼長フレアより全将鬼に緊急の招集がかかり、我らは“魔人”に随行してマイエ・サタナエル捕獲とそのコミュニティ殲滅に動くこととなった」
「…………」
「うぬも知っての通り、追い詰められたマイエは鬼神の強さで我ら将鬼を蹴散らした為、“魔人”ヴェルが自らマイエとの一騎打ちに持ち込んだ。
そして逃走をはじめたうぬを除くコミュニティの女どもを我らは追い、ほどなくこれを捕捉、戦闘に入った」
「…………うう」
「我らが、あのビューネイとかいう雌ザルをようやく倒し捕らえると、ロブ=ハルスの手でターニアという娘も捕らわれておった。
我はそれに近づき大剣を細首に当て、何か云い残すことはあるか、と訊いた。
ビューネイとやらはほぼ手足もない状態でも、止めろとぎゃあぎゃあ騒ぎたてておったが、そのターニアという娘は完全に怯えきって震え、失禁し、泣きながら首を振るばかりだった」
「……やめろ……ううう……うう……やめて、やめてえええ……」
レエテは見るも痛々しい極限の苦悶の表情となって身をよじり、涙を流して両耳を塞いだ。だがソガールの声はそれを通り抜け容赦なく入りこんでくる。
「あやつが最後に名を呼んだのはな、マイエではなく――うぬだったぞ、レエテ。
こう云った。『助けて……助けて……レエテ』、とな。
その直後、我の大剣によってその素っ首は宙を舞い、地に転がったのだ」
その言葉に――。
レエテの両眼は極限まで見開かれ、同じく大きく開いた口からは、魂の慟哭が放たれた!
「おおおおおおあああああああーーーー!!!!!」
瞬間――。
闘技場全体に、人間の姿から放たれるはずのない巨大な音弾が響き渡った!
地も壁も天井も――ビリビリと打ち震え、空気が張り裂けんばかりに膨張したかに感じた。
その場の――ソガールとダレン=ジョスパンを除く全員が怯み、耳を塞いだ。
――音の程度自体は、内臓を損傷しているせいもあるのか、マイエを失いフレアとヴェルを戦闘不能にしたときのような巨大な爆発には到底およばない。
が、その場の者を萎縮させ、耳の機能を一時的に奪うには十分だった。
そして音弾が止むと、そこには、怨念に身を支配された黒い獣がいた。
「ハアッ……! ハアッ……! ハアッ……! ハアアアア……!」
それは両目を血走らせ、見るものをゾッとさせる漆黒の怨念を貌に刻みながら、身体を曲げ結晶手を突き出し、獲物にとびかかる猛獣の様相となったレエテだった。
そのままやにわに飛びかかるかと思いきや――。これまでと異なる行動を、レエテは取った。
一瞬、その両目を閉じたかと思うとすぐに再び開き、左手の結晶手を直下の自分の爪先に深々と突き刺したのだ。
「ぐあっ、ぐうううう!!!」
その脳天まで突き抜ける瞬間的激痛により、恐るべき怨念の表情は和らぎ――。落ち着きを取り戻したレエテはスッと立ち上がり構え直した。
その表情は変わらぬ激烈な憤怒を内包しつつも、極めて冷静に感情を制御していた。
「レエテ、お前は――」
シエイエスの驚嘆の声に続き、ソガールの口からも同様の思いを込めた言葉が漏れた。
耳を塞いでいなかった彼は、今聴覚がほぼ機能していないはずである。
「ほう……。あれからうぬに何があったのかは知らぬが、随分と精神的に成長したものだ。
よかろう、ただ怨念にまかせて突っ込んでこられるだけでは詰まらぬ。この後うぬに何ができるか、その全力を見せてみよ!!!」
観覧席の上では、ソルレオンとネイザンが耳を押さえて苦悶の唸り声を上げていた。
「ううう……耳が痛い。何なんだ、あのド外れた馬鹿でかい叫び声は……。あれも、サタナエル一族の能力なのか、ダレン=ジョスパン殿下?」
ソルレオンの問いに、ダレン=ジョスパンはゆっくり首を振った。
驚くべきことに、彼はソガールと同じく耳を塞いでいなかったのにも関わらず、何ら聴覚に異常を来していないようだった。
「いいや……私の知る限り、いかに超人たるサタナエル一族でも、あのような能力を持つ者は聞いたことがありませぬ。
私が最初にあやつ、レエテを見たダリム公国のコロシアムの闘いでもあの叫びは使っておりましたが、そのときは戦法として意図的に用いており、音量もあれとは比較にならぬ小さいものでした。
おそらく一族としても極めて特殊であろうあやつの声帯と横隔膜の力は、本来その強い感情とともに発現するものであり、自分で完全に制御することはできないのでしょうな」
そして内心、ますますその身体の謎を調べたい衝動に駆られるダレン=ジョスパンであった。
一方、その反対側の観覧席に陣取るナユタらレエテ一派は、叫びの余韻で貌をしかめていたが、それ以上にソガールが、レエテにとってかけがえのない大切な存在を、命乞いを前にして冷酷に奪い、しかもその様子を彼女に残酷にも語って聞かせたことに――。当事者でないにも関わらず生理的嫌悪感と、強い怒りをその表情に表していた。
「……血と涙のかけらもない、ド外道が……! 許せない。
どれだけレエテの心を傷つければ気が済むんだい……! しかもその義妹が最後に、助けてって自分の名を呼んでただなんて……あいつの悲しみはどれほどのものか……」
ナユタのその言葉と同じ思いを共有していたルーミスは、ギリッと歯を噛み鳴らし、観覧席の最前列まで走り、レエテに向けて叫んだ。
「レエテ!!! ソガールを魂共々斃したいというオマエの心は分かったし、兄さんと二人だけで闘うのならばそれでもいい!!!
オレは手はださないが――しかし『口』は出しても良いだろう!?
監獄であったサタナエルの男から、オレは訊き出した。
ソガール・ザークの弱点は、『右膝』だ!!!
かつて“魔人”との闘いで完全に破壊され、回復したものの痛みと後遺症が残っているそうだ!!!
そこに、付け入る隙がある!!!」
ハッとした表情で、レエテとシエイエスはルーミスを見上げた。
眼前のソガールはすでに臨戦態勢の構えをとっているが、まだ聴覚が機能していないのか、ルーミスのその言葉が聞こえている様子はない。
「黒帝流断刃術――氣刃の壱と弐!!!」
それは、右手で垂直、左手で袈裟がけに振った大剣の軌跡から繰り出される二本の氣刃だった。
レエテは、行動を開始した。
左斜め前に進路をとり、右手で放たれた垂直軌道の氣刃に耐魔を当てて切り裂く。
そしてそのまま低く前に踏み出した姿勢から爪先を前に出して滑り込むスライディングによって、一気にソガールの右側へと距離を詰める。
停止すると同時に電光石火の早業で、右手を地についてそれを軸にし、身体全体を浮き上がらせて振り、ソガールの「右膝」に向かってその左足で渾身の蹴りを放つ。
ソガールはその状況に気がつき、一気に驚愕と焦りの表情をその貌に貼り付けた。
そしてルーミスの情報が正しかったのか――瞬間的にもたついたその右脚は捌ききることができず、レエテの蹴りはメキッという音を立ててソガールの右膝にめり込み――。右膝の内側から折れた骨の先端が突き出し、おびただしく出血した!
「ぬおおおおおお!!!!」
激痛と痛恨の叫びを上げるソガールは、振り戻した右手大剣を頭上に振り上げ、足元で攻撃後のわずかな隙を見せるレエテを寸断しようと攻撃を仕掛ける。
が――そこへシエイエスが殺到し、レエテを抱きかかえてすんでのところで攻撃をかわす。
空を切った一撃は、大音響をたてて地面の樹をえぐる。
「でかしたぞ、ルーミス!!!
レエテ、これで奴の、氣刃と死十字以外の攻撃は封じ込められる!
あとは反撃の手を封じることができれば、止めを刺せる!!!
そこで聞け、俺の……」
そこから先は、ソガールの聴覚が回復していることを警戒し、レエテに耳打ちするシエイエス。
レエテは全てを理解し、シエイエスに向けて大きく頷いた。
そして、観覧席にいるホルストースに向かって、右手を高らかに上げて、叫んだ。
「ホルストース!!! 私に、あなたのドラギグニャッツオを、貸して!!!」
ホルストースは意外なタイミングでの意外な要求に一瞬面食らったが、反応は速かった。
彼は右手のドラギグニャッツオを素早く放った。
レエテはしっかりとその長尺の剛槍を受け止めた。
「そいつあ俺の身体の一部だ。大事に大事に扱えよ、レエテ!!!」
ホルストースのその言葉に微笑みで返事を返すと、レエテは次に左手結晶手で――。
ソガールに見られないようシエイエスが差し出した左腕に刃を当て、静かに切り裂いた。
斬られた傷からは、その血がべったりと結晶手に付着した。
そして右側に身体を倒しつつも強靭な精神で持ちこたえるソガールの前面に立ち、右手のドラギグニャッツオを真っ直ぐに突きつける。
「ソガール……今から私が繰り出すのが、おそらく最後の攻撃だ。
かわし切ればお前の勝ち、そして攻撃が成功すれば――私たちの勝ちが確定する。
一気に勝負をかける!!! 行くぞ、ソガール・ザーク――!!!」