第三十二話 剣帝ソガール・ザーク(Ⅱ)~「死十字」【★挿絵有】
コロシアムにおいて、レエテがシエイエスとの協力によりソガールの「氣刃」を破る、その5分ほど前――。
インレスピータ宮廷の中庭に面した廊下を足早に歩く、精悍ながら貴人然とした一人の長身の男――。
レエテ達とソガールの出現を前にして場を中座した、国王ソルレオンの姿だった。
用事があると云っていた彼は、それが済んだのかコロシアムの方向に向かって大股に歩き移動していたのだが、廊下の途中、中庭が最もよく見えるその場所で突然に立ち止まった。
そして――やにわに、腰に下げた大剣を抜き放つ。
鞘から抜き放たれたそれは――現実の武器とは思えぬ、神代の業物としか表現できない刃だった。自ら発光しているとしか思えぬ昼光色の輝きを放ち、流麗な鍔にも柄にも、見事な意匠の彫刻がなされている。そして鍔に近い刀身の根元には、金剛石と思しきまばゆい宝石が埋め込まれている。
その後変化はすぐに、現れた。
中庭の中央部の見事な花壇の中心から大量の土とともに1m四方の金属板が爆発的に打ち上げられたかと思うと、その中から巨大な人影が飛び出し、ソルレオンに襲いかかった。
そして、手に持つ長尺武器を振り上げ、彼に向かって斬りつける。
ソルレオンがその攻撃を見事な剣捌きによって大剣で防御すると――。
それが防いだ攻撃の元は槍、であり、しかも彼が今持つ神代の大剣と遜色ない業前の出来によって黒く妖しく光っているのだった。
その得物はまぎれもなく――“太陽を貫く槍”ドラギグニャッツオ、であった。
「いよおぉぉ……しばらく振りだなあ、クソ親父……。
こいつは大した偶然ってやつだ。今ここで、てめえの素っ首を落とし、反乱軍を勝利に導くとするか……!!」
その狼藉者は当然――襲撃された当のソルレオンの実の息子、第二王子たる男、ホルストース・インレスピータであった。
ソルレオンは息子の攻撃の圧力に、即座に両手で剣を支えて持ちこたえた。
しかし、年齢を感じさせぬソルレオンの剣技や身体能力もさることながら、最も驚愕すべきは――。その材質や特殊な機構によって、他の武器をことごとく破壊するはずのドラギグニャッツオをまともに受けながら、ヒビ一つ入らせることなく持ちこたえているその大剣の方であった。
「まったく、小五月蠅え気配がすると思ってみりゃあ、やっぱりお前か、ホルス……。
断りもなく宮廷への隠し通路を使いやがって……。て、ことはあのジークフリートを斃したか。
その攻撃、同じ神器である女神マルゼ・ファロンの、アレクトを持ってる俺じゃなけりゃあ真っ二つだったな。
てえか、そいつあ……ドラギグニャッツオは元々俺の得物だ。せっかく持って帰ってきたんなら、とっとと返しやがれバカ息子」
一国の国王でなく、一蛮族の頭として、父親としての貌に戻ったソルレオンが悪態をつく。
「やなこった。すでにこいつあ俺の身体の一部だ。
サタナエルなぞと手を組み、無辜の民を虐殺するような暴君なんぞに返してたまるか。
ここで俺がスッキリとその大元を断ってやるっつってんだよ!!」
現在敵対関係とはいえ、実の父親に対して本気の殺気を向けるホルストースに、人を小馬鹿にしたような笑みを向けるソルレオン。
「まったく……こんな阿呆に“ホルスの申し子”なんて意味の大層な名前を付けちまって、あやかった主神に申し訳がたたねえぜ。
せっかく俺が、サタナエルとの関係を見直すいい機会にめぐり逢い、今後の考えを改めるかもしれねえって今このタイミングで俺を殺そうなんてよ……」
その言葉を聞いたホルストースの攻撃の手が緩んだ。
「なに……? どういうこった?」
「わかんだろ? 今お前は何しに、5年ぶりにこの宮廷に戻った。
俺を殺すためでも、親子の挨拶をするためでもねえだろ?
レエテ・サタナエルとともに、サタナエルを、ソガールを討ちにきたんだろ?」
「ああ……そうだ」
「今まさに、その最後の闘い、てやつが始まろうとしてる。いや……もう、始まっているかもしれねえ。
その闘いに、俺は現時点はもちろんソガールが勝つ前提で依頼を下してるが……。
万が一にもあいつが敗れた、場合は色々と現状を見直さなきゃいけねえ、てことさ」
ソルレオンのその言葉に、ホルストースは殺気を収めてドラギグニャッツオを引いた。
「ようやく、その足りねえおつむでも理解できたようだな。
さあ、急がねえと終わっちまうかも知れねえ。久しぶりに一緒にコロシアムに行こうじゃねえか。世紀の激闘、てやつを拝みにな」
*
そしてコロシアムに辿り着いた国王と王子が目にしたものは――。
闘技場の中央で、レエテの耐魔をまとった結晶手がソガールの「氣刃」を破る決定的な瞬間。そして己の奥義を破られたにもかかわらず見たこともない狂気の悦びを爆発させるソガールの姿、だったのだった。
「何て……こった。あのバケモンの悪魔の技が破られちまうなんて……。
あれが……あれがレエテ・サタナエル、か……。
凄え、な……。こいつはひょっとするとひょっとするかも知れねえ、期待しちまうな。
ついでに……有り得ねえほどの別嬪ぶり……いいねえ、そそるぜ」
顎に手を当て独りごちるソルレオンを尻目に、ホルストースは一気に観客席を駆け下りた。
そして己も加勢すべく闘技場に降りようとしたその瞬間。
「ダメえ!!! ホルストース!!! 下に降りちゃダメ!!
レエテさんは、手を出すなって。自分とシエイエスさんの二人だけであの魔物を斃す、って……!!」
キャティシアの制止の声で寸前で停止するホルストース。
「んだってえ!? 何バカなこと云ってやがるんだ! 奴の強さはよおく知ってんだろ!?
一人二人でどうにかなる次元の相手じゃあねえ!」
戸惑い怒鳴るホルストースに対し――先ほどのレエテの言葉を伝えるキャティシア。
ホルストースは首を振ってドラギグニャッツオの柄先を地に打ち付けたが、伝え聞いたその言葉と視線の先にあるレエテの鬼気迫る気迫と殺気を目の当たりにすると、軽々しく入り込むことはできなかった。
「何考えてやがる……! 大丈夫なのか、レエテ? この場での敗北は、万が一にも許されねえんだぞ……!」
闘技場のソガールは、己の裡に湧き上がる歓喜を抑えられなかった。
これまで、彼の人間離れした強さに比肩あるいは上回る戦闘者は、自分以外のサタナエル将鬼、“魔人”ヴェルなど、ほんの数えるほどしか、しかも味方にしか存在しなかった。
彼らとは鍛錬で手合わせることはあれども、当然味方である相手を理由なく殺すことなどできない。ソガールにとって本気の殺し合い、命のやりとりと呼べる戦闘の経験はこれまでに皆無であり、鍛錬と割り切らねば到底遂行する気にもならない一方的虐殺ばかりだった。
が、今――。何千の人間を殺してきた己の必殺の奥義を破り、同じ高みに立つ敵が初めて現れたのだ。
ソガールの、常人の腿を超える太さの両腕には力が漲り――彼はこれまで見せたことのない基本に忠実で美しい、正確無比な二刀流の構えを見せた。
――己の本気の、剣技をぶつける気だ。
「ゆくぞおおおおおお!!! レエテ・サタナエル!!」
アシッド・ドラゴンのポイズン・ブレスのごとき黒き死の砲弾となり、ソガールの巨体は一気にレエテの寸前にまで踏み込む!
そして得物が巨大なる鉄塊であることを除けば、まさしく超一流の剣聖としての流麗かつ力強い神技の太刀筋――。正中線振り下ろし、水平斬り、袈裟懸け、燕返し、怒涛の突き。ありとあらゆる剣撃が、地上最速の速度を持ってレエテとシエイエスを襲う!
瞬時に目を閉じ呼吸を止め、“沈黙索撃”ともいうべき絶対防御に移行するレエテ。当然その技を彼女に授けたシエイエスも、同様の構えだ。
ソガールのその超連撃――。この場でいえば、キャティシアとムウルの目にはソガールの両腕と大剣が消えたようにしか見えぬスピードの連撃は、右手の数撃がレエテに襲いかかった。
そして返す左手で繰り出した袈裟がけ、燕返しといった極めて躱しにくい技がシエイエスを襲う。
これに対しレエテはよく反応し剣筋を受け切るも――。サタナエル一族に匹敵する元々の超筋力に加え、剣士として超一流の踏み込み・震脚が加算されたその一撃一撃はまるでヒュドラの六本首の殴打に匹敵するパワーであり――明らかに初戦のそれとは別次元だった。
一撃ごとにレエテの身体はミシッと蓄積するダメージと同時に後方へ押し出され、最後の突きを両手で受けたレエテの身体は一気に吹き飛び闘技場の壁に打ち付けられた。
シエイエスは攻撃に反応し、変異魔導による驚異的速度での被攻撃箇所の怪物的変形による回避で対応していた。常人にはありえない動きにより、かわすのは不可能とさえされる燕返しすらやり過ごした。が、その直後距離をとった瞬間、以前彼もかわせなかった「あの」一撃が襲ったのだ。
「黒帝流断刃術――氣刃の四!!」
それは大剣を中心に、刃ではなく極めて広範囲に円錐状に放たれる、迫る氣の壁。
これにはいかに耐魔を駆使しようと破ること叶わず、シエイエスは縱橫無尽に振り巡らせた鞭にまとわせた耐魔のバリヤーでダメージを軽減しつつ後方に飛び退った。
しかし完全にかわすことができなかった氣の光弾が、シエイエスの肩・腿、耳など身体の一部を削いでいく。
「シエイエス!!!」
彼の危機に血相を変えて反撃に飛び出すレエテ。
吹き飛ばされた距離を一気に詰め、跳躍し、最も隙の見えた頭上から襲いかかるべく両の結晶手を向け急降下する。
しかし――ソガールはいつの間にか、奇妙な構えに移行していた。
腰を落とし、斜め下に下げた両手の大剣の先端を何と闘技場の地面に突き刺している。
刃はレエテの方、前方に向け、両の腕には極限までの力が込められているように見える。
その状態を見たシエイエスは、一瞬思考したのち――その構えが意味する恐るべき技の正体を見抜き、必死の形相でレエテに叫んだ。
「レエテ!!! ダメだ!!! それ以上飛び込むな!!!
すぐに!!! 今すぐ心臓と首を防御しろお!!!!」
空中のレエテはその声にハッと目を見開き、瞬時に云われたとおり手で心臓と首の位置の前に結晶手を当てた――。その瞬間。
「黒帝流断刃術――死十字!!!!」
ソガールの怒号とともに――。
彼が地面というストッパーに突き刺したまま、極限までその超力を「溜めた」両手の大剣は一気にレエテに向けて解放され――。
これまでのソガールの神速の太刀筋とさえ次元の異なる、超々速度の斬撃が地から天へ向けてクロスするように振りぬかれ――。
視認どころか全く反応さえできないレエテの、両の太腿から腰、腹、胸にかけてを一気に斬り裂いた!
左胸は直前の防御が功を奏し、斬撃の心臓への直撃は免れたが――。
それ以外の斬り抜かれた場所はパックリと口を開け、夥しい血の噴水と、十字に斬られた腹部からは夥しい腸と内臓の一部がはみ出んばかりになった。
ついに斬られ、決定的な傷を負った――レエテに観衆たちは、あるものは押し隠しきれない絶望的表情を、あるものはひたすら驚愕を、あるものは悲痛に満ち満ちた表情を浮かべた。
「レエテ!!!!」
「レエテさあああああん!!!!」
「何て……こと!? レエテええ!!!」
「あああ……レエテ、レエテーーーー!!!」
「レエテ!!!!!」
最後の重なる3つの声は――ようやく、コロシアムに辿り着いた――。
“紅髪の女魔導士”ナユタ・フェレーインと下僕ランスロット。そして“背教者”ルーミス・サリナスの観客席入り口からの声、だったのだった。
本話から登場の技“死十字”は、名作「駿河城御前試合」および「シグルイ」に登場の絶技“無明逆流れ”のオマージュです。