第二十九話 戦女神の反撃(Ⅱ)~堕ちたる大騎士
サタナエル“剣”ギルド副将、ジークフリート・ドラシュガンの動き出しは、極めて速かった。
余計な挑発や探り、様子見などは一切なく、即座に攻撃に移行する戦場における実戦戦法を感じさせる。
左腕の盾を掲げ、視界を盾上端ギリギリの位置で確保して突進し、太刀筋を見せぬよう後方に引いた右手の剣には膂力が充填されている。
ジークフリートは、ホルストースの持つ剛槍ドラギグニャッツオの特性を明らかに知っていた。
超硬度アダマンタイン製にして、魔宝玉の力で無敵の切れ味をほこるこの槍も、力を逃されては効力を発揮できない。綺麗に半球状に成形、磨き抜かれたジークフリートの盾は、突きも斬撃も力を別方向へ逃してしまう。
ホルストースは攻撃を仕掛けることをあきらめ、即座に右手の槍を左手に持ち替えた。
そして突進する盾を自らの鎧の一部である右手甲で防いだ。
ガァァァアン! という重々しい金属音が響き渡る。次いでジークフリートの右手の剣撃が右下方向から襲い来るのを、ドラギグニャッツオの刀身で受け、剣の破壊を目論む。
しかし、ジークフリートはこれも読んでいた。
すでに狙いは刀身ではなく、その下に位置する柄の部分だった。
剣の刃と、槍の柄との鍔迫り合い。膂力はどうやらほぼ互角と見えたが、僅かにジークフリートが上回ったと見え、ホルストースの身体は1mほど後方にスライドした。
これを機に、ホルストースは巨体に見合わぬ軽業師の如き動きで5mほど後方へ退き距離を取った。敏捷性や体術では彼にやや分があるようだ。
「さすが、歳は食っても腕は衰えちゃいねえなあ、ジーク。嬉しいぜ。
サタナエルの身でありながら。俺が13の餓鬼のころから目をかけてくれ、戦う術と戦う男の心構えって奴を教えてくれた……。
あんたを殺したくねえ気持ちはあるが、所詮サタナエルに堕ちた殺人者。容赦は……しねえ。
地獄へ引導を渡すことがあんたへの恩返しになると信じ、あんたを斃す」
ジークフリートはホルストースのその言葉に感じるものがあったのか、フッと嬉しそうな笑いを漏らした。
「それでこそ、このジークフリートの弟子だ。私の目に狂いはなかったな、ホルス。
私は祖国ノスティラスで盟友カール・バルトロメウスとの元帥位の競いに敗れ不遇を囲い、名誉を失った。
もはや力しか信じるものの無くなった私の前に、ソガール様はこの世の至上の存在として現れた。
私はそのとき、悪魔に魂を売った。このまま修羅道を突き進むも良いが――。私の中に流れるものを、正しい形で受け継ぐことができたお主にならば、斃されてもよかろう。
己が正しいと、その力で証明してみせよ、ホルストース!!!」
云うが早いか、再び盾を前に殺到するジークフリート。
ホルストースは再度手甲と槍での防御の構えを見せた――と思いきや、その脚力をもって一気に上空に跳躍した!
198cmという長身のホルストースからは想像できぬほどの高い跳躍。
距離は――それほど跳ぶ必要はない。なぜなら彼の得物は2m半もの長尺武器であるからだ。
柄を長く持ち、上半身のバネを利用して一気に上空から槍の刀身を叩きつける!
が――その攻撃は読まれていた。
流れるように上空へと掲げられた盾に、刀身は防がれあらぬ方向へと流れた。
その隙を見逃さず、ジークフリートは滑るように下方から軌跡を描いた剣先を、上空へ向けて一気に放つ!
その一撃はホルストースが何とか身を捩ったことにより、左腕外側を切り裂くに留まったが――出血量は小さくはなかった。
着地し、傷口を押さえるホルストース。
その彼が体勢を整えるまで、敵は待っていてはくれなかった。
すぐに盾を前方に襲い来て、剣撃を加えんとする。
どうにか防いだホルストースだったが、負傷した分、十分な受けが発揮できない。
左手の槍で応戦するも鍔迫り合いに敗れ、今度は左の腿を切られた。
「ぐっ……!!」
腰を落として体を右方向にひねりながらどうにか脱出したホルストース。
ジークフリートの低い声が響く。
「どうした……そんな程度か、ホルストース。
お主の正義がその程度ならば、やはり我が道は、死すまで修羅道となりそうだな。
ここで一気に止めを刺し、私が引導を渡してやろう!」
勝利に近づいた確信を得たジークフリートは、再び同様の鉄壁の構えでホルストースに肉薄する。
しかしそこには――僅か、ほんの僅かすぎる分量ではあるが、一定の隙が発生していた。
それは少年時代、何百回とジークフリートからのしごきを受けたホルストースにしかわからない隙。
このような有利な状況においてほんの僅か、彼の上体が上がり、盾の位置も上がるのだ。
ホルストースはまさに、この瞬間を狙っていたのだ。
その動きは雷迅を思わせる疾さだった。腰を落とした上体から地を蹴り前方に踏み出すと同時に、一気に敵に向けた爪先から仰向けとなり、地を滑り突進する――スライディングだった。
「なっ……!?」
完全に不意を突かれたジークフリートは、対処するべき右手の剣を振り上げるのがコンマ秒単位遅れた。
彼の直前まで肉薄したホルストースは、旋風のように回転させた両脚を利用して瞬時に上体を起こし、目前にあるジークフリートの盾を右手で抱え込んだ。
間髪入れず、身体を回転させた勢いでジークフリートの左手から鉄壁の盾を強引にもぎとる。
「ぐううううっ!!」
右手の刃を振り下し対抗しようとしたジークフリートだったが――すでに、遅かった。
ホルストースはあらかじめ柄を短く持った左手を突き出し、その刀身をジークフリートの白銀の鎧の胸部、プレートの継ぎ目に突き刺していた。
ドラギグニャッツオの神魔の切れ味は、瞬く間もなく刀身を突き入れさせ、それはジークフリートの背を突き破り――完全に貫通した。
胸の前後から鮮血を噴き出し、ジークフリートは右手の剣を地に取り落とした。
そしてゆっくりとその巨体を――地に崩れさせていった。
「悪いな。あんたを上回るには、あんたに教わらなかった思想・戦法が必要だった。
ついこの前闘ったある戦士が教えてくれたことだ。敵の戦法をも自分のものにする。勝つためには容赦なく敵の隙と弱点を突き斃す、ってな」
哀しみをたたえた貌のホルストースが瀕死のジークフリートを見おろす。
ジークフリートは、血の海に仰向けに倒れ、目を剥いたまま、呟いた。
「……そう……か。みごと……だ、おぬ……しはおの……れのみち……を……ゆけ」
そのまま、ジークフリートは事切れた。
ホルストースは、屈んで彼の両目をそっと閉じ、剣を地に突き立てて盾をその柄にかけ、墓標とした。
「さらばだ。騎士ジークフリート・ドラシュガン。あんたのこと、あんたの教えは決して、忘れねえ」
ホルストースは踵を返し、レエテたちの後を追った。
*
レエテ、キャティシア、ムウルの三名は、インレスピータ宮廷までの道をひた走っていた。
ホルストースの云う通り、場所は容易に知れた。ランドマークとしてそびえ立つ巨大な建物に向かってひた走るだけでよかったからだ。
墓地を出た後、市街地を走り抜けた。雑踏を避け、裏道を見つけながら進んでいった。
そうして2kmは走っただろうか。
おそらくはインレスピータ宮廷の裏手と思われる、広場に出た。
300m四方はある、芝生の空き地だ。
到着したからには、侵入口を探さねばならない。レエテが周囲を見渡していたそのとき、一つの声が、かかった。
トーンは高いが、確実に男の声だった。
「おやおや……こんなところで会おうとは……まったく、奇遇だねえ。まさか、標的自らがこちらに飛び込んできてくれるとは。
なにやらお連れさんがいるようだが……君の首を取り、殊勲を手にするのはどうやらこのおれ、サタナエル“剣”ギルド副将エルウィン・ブラウフェンに他ならないようだねえ! ワクワクするよ!!」
レエテが振り向いたその場所にいたのは、クセのある肩までの黒髪、少年のような美男子の面持ち、それでいて剣士としてのしなやかな肉体をそなえた男――もうひとりの副将たるエルウィンだった。
彼はお喋りを続けながらも、背中に差した刃渡り160cmにもおよぶロングソードを抜き放ち、構えた。
エルウィンの両脇には、おそらく部下の兵員と思しき昏い目をした二人の屈強な男たちが付き従っており、彼らも武器を抜いた。
「レエテ・サタナエル。さきほどおれはこのバレンティンの監獄で、君の大切な仲間“背教者”ルーミス・サリナスに会ってきたよ」
レエテはそれを聞き、目に見えて動揺した。それは、背後のキャティシアも同様だった。
「な、に……!? ルーミスが……囚われた?」
「そう。君らはたぶんソガール様の想定どおり、あの困った王子のホルストースお坊ちゃまの手引で隠し通路を来たんだろうけど、このバレンティンの麓にはグラドの町ってのがあってね。
そこで色々嗅ぎ回ってたルーミスくんは、一緒にいた“紅髪の女魔導士”と一緒にサタナエル“短剣”ギルド副将二名にこてんぱんにやられてね。
ルーミスくんは犠牲を買って出て女魔導士を逃したものの、自らは囚われて拷問をうけ――敵にしたのと同じように全身を傷つけられ、爪をはがされ、かわいそうに右手を引きちぎられたそうだよ」
その事実を聞いたキャティシアは、思わず矢を取り落としてその手を口にあてて驚愕し――。
レエテは体中を震わせて目を見開き、次いで歯ぎしりしつつその両眼から射るような怒りの炎を発した。
「で、さっきおれがソガール様に代わって彼と面会したら、云っていたよ。自分は君に味方し我々サタナエルに楯突いたものの、それは間違いだったって――」
すでに、レエテはエルウィンの言葉など耳に入ってはいなかった。
間合いを踏み込み、瞬時に現れた右手結晶手での斬撃をエルウィンの目前1mにまで肉迫させていた!
「!!?? ぬおおおお!!」
エルウィンは焦り、怒号を発して攻撃をロングソードで受けた。
それは――恐るべき、パワーだった。正直にいって、彼が幾度となく訓練で受けてきたソガールの黒き大剣の一撃ですら凌駕していた程だった。
自分の刃が自分に食い込むのだけは阻止したが、彼の身体は為す術なく後方へ吹き飛んだ。
5m、6m――8mは優に吹っ飛ばされ、ようやく地についた足を踏ん張り大地に立った。
それを見た両側の“剣”ギルド兵員二名は、即座に自分達の得物の剣を振りかぶり攻撃をしかけたが――。
何とレエテはそれを二本ともやすやすと躱し、空を斬った彼らの右手をそれぞれ切り落としたのだ!
「ぎ、ぎいやああああ!!」
「うおおおおおおお!!」
二人の男たちは、武器を取り落としたばかりでなく、血を流しながら地面をのたうちまわった。
そこへ――、一本の嚆矢が放たれ、一人の頭を横合いから見事に貫通した。
その男が倒れるのを待たず、小さな影が素早く迫り、手にした円月刀でもうひとりの男の喉を掻き切り、同じく絶命させた。
前者はキャティシア、後者はムウルであった。
「ぐ……き、貴様……らああああああああっ……!!」
この状況に、エルウィンの余裕の笑みをたたえた美しい貌は――。別人のように醜く引き歪み、獰猛に歯を噛み鳴らし、そのどす黒い本性を表出させていた。
レエテは――明らかに以前とは異なる、冷たく澄んだ、ぞっとするような冷徹な怒りをその両眼にたたえていた。無論内部では激烈な怒りが暴風のごとく渦巻いているのだが、それを感情的に、取り乱したように表出させることはなくなっていた。
「どうだ……痛いだろう、右手を失うというのは。
よくも、私達の大事な仲間の身体を、奪ってくれたな……! あとはお前だけだ。
今から同じ目に遭わせたあと、速やかに地獄へと送り込んでやる! 覚悟しろ!」




