第二十八話 戦女神の反撃(Ⅰ)~ある告白と、最初の刺客
インレスピータ宮廷で、ダレン=ジョスパンとソルレオンの密談が行われる、その一時間ほど前――。
そこは、超巨大樹「バレンティン」の内部であった。
「バレンティン」の膨大な体積を誇る幹の部分は、アリの巣のごとき通路が縱橫無尽に張り巡らされている。それは自然にできたものもあり、人間の手で掘られた部分もあるが、1000にもおよぶ通路が複雑に入り組んでいると云われており――。不用意に飛び込んだ者には脱出不可能な迷宮とされる。
その通路の一つを歩く、4つの人影。
縦横3mに満たない狭い通路を歩く、レエテ、ホルストース、キャティシア、ムウルの姿であった。
彼女らは「不死鳥の尾」で話し合ったとおり、バレンティンのサタナエル討伐を実行に移すべく行動を開始した。
しかし――出発を前にしたそのとき、彼女らに衝撃的な知らせが一枚の紙とともに反乱軍の兵士からもたらされた。それは街道沿いに無作為大量に貼られたビラ――シエイエスを人質にしたダレン=ジョスパンからの脅迫文だった。
それを手にしたレエテはワナワナと震えたが――。女性の扱いに長けたホルストースは、ショックを受ける中に一瞬現れた、彼女の心からの安堵の表情を見逃さなかった。おそらくシエイエスという男が生きていた、という事実に対しての。
いずれにせよシエイエスを救出すべく行程を大幅に急ぐ羽目になり、強行軍でバレンティン手前1kmにあった隠し通路入口に突入し、それから2時間ほど狭い通路を歩き続けていたのだった。
先頭を歩くホルストースの手には、松明が握られている。
キャティシアは、巨大樹が燃えないのか? と至極真っ当な質問をした。が、この超巨大樹「バレンティン」は決して燃えない、というのがホルストースの答えだった。魔導士たちの解析では、細胞壁にフッ化炭素とかいうものを始めとした燃えにくい物質が含まれ、たとえくすぶるように燃えても、内部の膨大な水分によりすぐかき消されてしまうかららしい。火計もものともしない、まさに天然の要塞となっているのだった。
「……ねえ、まだなの? だいぶ歩いたと思うけれど、出口はまだなの? ホルストース」
ホルストースに、焦燥のこもった口調で問いただすレエテ。
彼は、もう3回は聞いたその台詞に、いい加減にうんざりしながら云った。
「しつけえなあ……! 云ってるだろ、慣れた俺だって慎重に見極めながらじゃないと間違う可能性があるんだって。そんな都合よくはい出口です、ってトンネルみてえにはいかねえよ。ってえか、そんなにお前にとって大事なのか? 人質になってるシエイエスって男は。どんな色男か知らねえが、まったくもって妬けるねえ……」
そのホルストースの言葉に、後ろに続いていたキャティシアが眉を吊り上げて云った。
「なによ、失礼ね! シエイエスさんは頭がよくて頼りになって礼儀正しくて、皆に分け隔てなくとても優しい紳士で、あんたみたいなデリカシーのかけらもない無神経男とは比べ物にもならないわ!!
それにそんなことを聞いて、まさかあんたレエテさんのこと、狙ってたりしないでしょうね!」
その言葉にホルストースは軽く後ろを振り向きながら、肩をすくめて云った。
「狙ってるよ。悪ぃか?」
「……はい!?」
キャティシアは思わず素っ頓狂な声を上げた。ホルストースはレエテを見やりながら言葉を続ける。
「ラルバの泉であの凄え身体を見せられたから、てのもあるかもしれないのは否定しねえが、あれからというもの、レエテ、俺はお前のことが四六時中頭から離れなかった。そのあまりに美しい貌、声、立ち居振る舞い、そこから読み取れる性格。全部が俺にとって本当に最高だった……。
今回、レエテに事情を話し、共闘を呼びかけた最大の理由はもちろんサタナエル打倒だが、もう一つは――お前を俺のものにしたかったから、だ。
今の時点ではできればずっと、俺の側にいてほしいとさえ思っている」
そのあまりにストレートな愛の告白に、純情なキャティシアは自分のことではないのに貌を真っ赤にし、口をパクパクさせることしかできなくなっていた。
対して当事者であるレエテは――若干目を細めただけで、極めて冷静に言葉を返した。
「気持ちはとてもありがたいけれど――。それを受け入れることはできないわ。ごめんなさい、ホルストース」
表情も変えないレエテに対し、ホルストースは余裕の笑みを浮かべながら云った。
「今はそれでいいさ。俺は嫌がる女を無理強いしたりは決してしねえ。時間がかかってでも――必ず俺に振り向かせてやるよ」
「やめておいたほうがいいと思うわ。私は悪魔の一族の血を引く女。そんな程度の覚悟で私に関われば、たぶん後悔しながら命を落とすことになる」
「それが『そんな程度の覚悟』かも、そのうち分かることになるさ。
さあ……話してる間に着いたようだぜ、お望みの出口に。
我がバレンティンへようこそ――てところかあ?」
そう云ってホルストースが指し示す先には――光が、太陽光が天井から差し込む行き止まりの場所があった。
天井は、何らかの石のようなもので蓋をされているようだ。
長身のホルストースが手を伸ばすと、そこには難なく手が届き、そのまま音を立てながら石をスライドさせる。
約1m四方の開口部ができ、注ぎ込む燦々たる太陽光で、一行の目が眩む。
ホルストースは用意していた縄梯子を開口部付近の樹に打ち付け、地上へと上がっていく。
それに、レエテ、キャティシア、ムウルも従う。
地上に上がると――そこは墓地のようだった。
芝生に無数の墓標が立っているのがぼんやりと見えた。それはもちろんハーミア教の見慣れたX十字のものではなく、おそらくシュメール・マーナの教義によると思われる石碑、だった。
数百以上も立ち並び、その向こうには高い木の柵で囲まれていることがわかる。
人はいないようだ――と思ったが、たった一人だけ、いた。
レエテらが通路としたダミーの墓石の正面10mほど先の墓標前に――あぐらをかいて座っている一人の男。
その全身は、おそらく一国の一定の身分の将校に与えられるであろう高級な白銀鎧に覆われている。
胸には、輝かしい戦績を表しているのであろう幾つもの勲章のメダルが光を放っている。
屈強な男だ。顔も幾多の修羅場を切り抜けたと思しき精悍そのものの様相であり、髪は短い金髪、口の周りと顎まで生やした髭も金色だ。
そして――その右手には、120cmほどの長さの鞘に収まった、見事な直刃の片手剣。
左手には、丸型の頑強そうな、鎧と同じ白銀の盾が装備されていた。
その男に対し数歩近づいて止まり、ホルストースが声をかけた。
「よおお……なんか、お待たせしたご様子だなあぁぁ……。
まあ、あんたほどの精神力の持ち主なら、たとえ一週間だろうが微動だにせず標的を待ち続けるんだろうがなあ……。
あんたが今回最初の敵とはな。サタナエル“剣”ギルド副将、ジークフリート・ドラシュガン……」
ホルストースの呼びかけに、一度上目遣いに視線を投げかけた後、男――副将ジークフリートは立ち上がった。
その身長は190cmほどか。ホルストースよりは低いが、横幅は彼を上回っている。
「ようやく来たか――。レエテ・サタナエルだけであってほしかったが、お主も来てしまったか、ホルストース……。
反乱軍に下って5年、我々に盾突き、兵員やヴァザルド副将を殺すなどの戦歴をあげてきたお主。ついに、私の前に立ちふさがることになったな」
ジークフリートのその言葉に、感慨深げにホルストースは両目を一瞬閉じた。
そしてそれを開くと同時に、背後のレエテに声をかける。
「レエテ!! お嬢ちゃんたちを連れて、先にインレスピータ宮廷を目指せ。もうここまでくれば、アホでも辿り着ける。このバレンティンで一番高くてでかい建物がそれだ。
この男とは、ちょっとした因縁があってなあ……。ここは俺がくい止める。先に行け!!」
一瞬だけ逡巡したレエテだが、すぐに頷き、墓地の外に向かって走り出す。
「わかったわ、ありがとう、ホルストース! 必ず生きて、追いついて。
キャティシア、ムウル! 私についてきて!」
立ち去るレエテらを目で追い、ジークフリートは剣と盾を構えた。
騎士のお手本のような、完璧な構えだ。僅かな隙ですら見出すことができないのと同時に、そこから繰り出される攻撃の正確さ、威力も手に取るようにわかる。
「私は、ソガール様の命により、レエテ・サタナエルを殺さねばならぬ。わかっているな?
その障害となるならば、たとえお主であろうと、地獄へ叩き落とす」
「もちろん、わかってるさ。元ノスティラス皇国准将、ジークフリート・ドラシュガン。
あんたがそういう男と知るからこそ、この俺がここであんたを止め――その、息の根すらも止める!」




