第二十六話 熱き再会、そして熱き死闘へ【★挿絵有】
ドミナトス・レガーリア首都、バレンティン。
その南端に位置する、バレンティン監獄。
高さ50m、周囲500mにおよぶかという堅牢かつ大規模な建造物だ。
おそらくはソルレオン国王に敵対する反乱軍捕虜、もしくは暗殺者が投獄・拷問・処刑される場所であろうから、それだけの規模を持つことはうなずける。
その裏門を臨むある建物の影で、密かに様子を伺う一人の女性。
フードとローブを目深に被ったままの状態の――“紅髪の女魔導士”ナユタ・フェレーインだった。
彼女はランスロットととともに輸送業者の馬車で密行してこのバレンティンに潜入した。
この独特の、唯一無二の都市の様相に戸惑いながらも監獄の場所を住民に聞き込み、ここへたどり着いたのだった。
辿りつくと間をおかず、ランスロットを空気供給管に忍び込ませてルーミスを探させ、自らはこの裏門で待ち脱出してきた彼らとタイミングをあわせて門を破る算段だ。
ルーミスの無事は相変わらず最大の関心事だが――彼らの脱出を待つ間、ナユタはかがみ込んでその地面に触れずにはいられなかった。
そこには石畳も引かれていなかったため、むき出しの地面――すなわちこの都市が大地とする超巨大樹の「幹」があったのだった。
触れてみると、確かに、「樹」そのものだ。気の遠くなるような大きさではあるが。
自分が通常の都市――どころか通常の大地の上にもいないのだということが改めて実感された。
「ほんとに、狐につままれたみたいな気分だ。
樹の上に本当に街があって、何万も人が生活してて――そんな場所に今、自分が居るだなんてね」
20平方kmにおよぶこの超巨大樹の樹上には、事実として町並みが存在し、国王の居城と思われる城郭もそびえ立っていた。人が行きかい、馬車が往来し、一国家の首都に相応しい威容と賑わいを見せていたのだ。
樹上は多少の凹凸は見られるものの、人工的にも手が入り、ほぼ均一な平野となっていた。
少しでも高い建造物に登れば街の全てを一望でき、その外にある山脈までが見通せた。
したがってこの首都内では高層建築にあたる監獄は、住民から方角を聞き出せさえすればすぐに視認でき、全く迷わず到達できた。
しかしそれは――今ナユタらを追跡している、サタナエル副将二名にとっても、容易くたどり着けることを意味する。待つしかないのは分かっているが、もはや一刻の猶予もならない。
そんなことを考えていたとき――前触れ無く変化は訪れた。
目前の裏門の鉄扉から、その向こうで喧騒が起きていると思われる音が漏れ出てきたのだ。
ついに、来たか――。
ナユタはゆっくりと建物の影から歩み出て、真っ直ぐに裏門に向かって歩き出した。
すぐに、裏門を警備する10名ほどの兵がそれを見咎め、中の一人が怒声を上げる。
「おい! そこの女!! ここは市民の立ち入りは禁止されている! それ以上近づくな!
すぐにここを立ち去れ!!」
ナユタは胸をそびやかし、両手を広げてその手に炎を充填させた。
通常の大きさではない。2m以上もの火柱があがる大火炎だ。
その満ち満ちた膨大なパワーは――魔導に疎いであろうドミナトス蛮族の兵士達でさえ、これから起こる只事ではない事態と、命の危険を即座に感じさせた。
ナユタの目は大きく見開かれ――笑みをたたえた唇からは叫び声が上がる。
「それはこっちの台詞さ! あんたらこそ今すぐに! そこをどきな!!
今のあたしの力じゃ! 命の保証は! できないからねえええええ!!!」
それが――脅しでないことは、兵士達には即座に肌で感じられた。彼らは思わず大きく後ろに飛び退った。
「魔炎旋風殺!!!」
叫びと共にナユタの両手から放たれたのは――左右二本ずつ、合計四本の――直径2m、高さ10mにもなる巨大な火柱だった!
火柱はグルグルと竜巻のように地を走りながら、鉄扉に向けてその牙をむく!
鉄扉に激突した火柱は――火薬での爆発を遥かに凌ぐ、地獄の業火のごとき爆炎地獄を発生させた!
耳をつんざく轟音、破裂する火球、途切れることなく触手を伸ばす超業火!
「うわあああ!!! ひいいいいいいいい!!!」
離れていても火傷を負いかねない火焔の威力に完全に恐れをなした兵士達は、散り散りになって逃走した。
鉄の扉は――ドロドロに溶解しつつ破片を散らせ、跡形なく吹き飛ばされていた。
その中からまず姿を現したのは――額から氷の刃を突き出させ、血を流しフラフラと歩く一人の看守役兵士。
数歩、歩いたところで瞳がグルンッと裏返り、地にどうっと倒れ伏した。
続いて姿を現したのが――。
肩にその氷結魔導の主たるランスロットを乗せた少年――右手を失い、傷だらけの姿となった“背教者”ルーミス・サリナスであった。
「す……凄いな。一体オマエに何があったんだ、ナユタ。
とんでもない魔力じゃあないか。下手をしたら、オレたちまで一緒に溶かされていたかも知れないな……」
外へ出て青ざめながら扉を眺める、ルーミスの姿が視界に入った瞬間――。
ナユタは息を呑みながら両手で口を押さえ、涙を流し打ち震えた。
「――ルーミス!!! ああ、ルーミス、良かった、本当に良かった!! 生きてた!! あああ、ルーミス!!」
ナユタは感極まって走り出し、ルーミスに思い切り抱きつき――そのまま自分の腕をクッションにしつつ地面に押し倒した。
たまらず吹き飛ばされるランスロット。
そして身体と貌を密着させてきたナユタの、以前味わったレエテのそれより女性らしい柔らかさをもった感触と、ふわっと鼻をくすぐる芳しすぎる香りに、心臓をどきつかせて目を白黒させるルーミス。
「うあ! ナ、ナユ……ナユタ!? い、いったいどうし……」
「ルーミス……ごめんね、ごめんね……本当にごめんね……あたしが悪かったんだ。あんたはあたしのこと守ってくれたのに……。
手が、そんなことになって、傷だらけで……痛かったろ? 苦しかったろ……? かわいそうに……。
あたし心配で心配で、あんたのこと……大事で……本当に……生きててくれて本当に良かった……」
貌を離して至近距離でルーミスを見つめるナユタ。その目は黄玉のように輝き涙で潤み、白い肌を持つその貌は、これだけ近くでみると本当に美しい。いよいよ心臓の鼓動が高鳴るルーミスに対し――。極限にまで感極まったナユタは――目を閉じて一気にその紅い唇を彼の唇に重ねた!
「ん!!! んんんんん……!!」
キスをしたナユタは、呻き身体をビクつかせるルーミスに構うことなく、彼の頭を引き寄せさらに舌を侵入させる。
いよいよ抵抗を強めたルーミスが強引に身体を引き離すと、ナユタの唇が離れた。
「な、な、なななな……何をする!! ナユタ……! お、落ち着け、お……ちつくんだ、や、やめるんだ!!」
貌を比喩ではなく真っ赤に染め抜きながら、動揺をあらわにしてルーミスが叫んだ。
ナユタは――ようやく正気にもどり、動揺を表に出しつつ、云った。
「あ……う、ご、ごめん……なんか感情が昂ぶっちゃって、つい……。
き、気を悪くしたら本当にごめん。忘れてくれ……って、忘れられないかもしれないけど……。
と、とにかく取り敢えず『そういう』意味なわけじゃあないから……安心……していいよ」
彼の兄を含め数々の男たちと数え切れずキスを交わしてきたはずのナユタだったが、弟のように思っているはるか年下の少年に対する気まずさと、自分でもわからないなぜそのような行為に及んでしまったのか、という思いから頬を少女のように染めていた。
ルーミスにとっては――当然、初めての経験であった。
まだ、唇はもちろん身体中が痺れている。あまりに心地よい感覚の余韻が残っている。
もちろん彼の中で何とはなしに、キスをするなら初めての相手は――レエテと、という内なる強い思いはあった。
それが自分の意志とは関係なく強引に別人によって奪われたわけだが、なぜか――その相手がナユタなら、と悪い気は全くしなかった。と、いうかそのまま放っておいたら「行為」に及ばれそうな勢いだったし、動揺して強引に引き離してしまったが――。できれば、ずっとそのままでいたい位心地よい経験だった。
その経験が頭をぐるぐると周り混乱するルーミスの耳に――。
突如、その快楽を吹き飛ばす、極限に不快な二つの声が、入ってきたのだった。
「おいおい……なにやってんだ、おまえら。実は『そういう関係』だったのか?
真っ昼間から人目もはばからずいちゃつきやがって。
まあ、これから地獄におちる奴に情けをかける意味で、最後まで見守ってやってもよかったんだが――そうは問屋がおろさねえええ!!!」
「愚かな……早く逃げれば良いものを、この期におよんで色恋にうつつなどぬかして。
これで、あなたたちの命運もつきました。そこのリスもろとも、三名全員地獄に落として差し上げますわ」
ついに――その、姿を現した。
ナユタとルーミスの背後10mほどの距離まで接近していた、二人の男女。
いずれもその両眼には夥しい憤怒の炎をたたえ――戦闘者としての装いをまとった不吉なその姿の中に、それぞれの得物を抜き放ち構えていたのだった。
現在のナユタとルーミスにとっての仇敵たる――サタナエル“短剣”ギルド、副将シャザー・ガーグリフィスと、同じく副将セフィス・マクヴライドの姿に、相違なかった。
ナユタは貌を下げたまま――ゆっくりと、立ち上がった。
その纏う空気が、冷たい。爆炎魔導を操り、情に厚い性格の彼女にふさわしくない、冷酷な空気だ。
その寒気を感じさせるぞっとする雰囲気に、思わずルーミスもランスロットも生唾を飲み込んだ。
ナユタが口を開く。
「……思ったより……早かったじゃあないか。検問を突破できずにもう少しモタつくかと思ってたが」
「ああ。話のわからん頑固な木偶の坊に、“剣”ギルド、エルウィン副将が話を通してくれてなあ。首都まで上がってこれた。そこから先は早いもんさ。監獄に全速力で駆けつけてみれば、裏門の喧騒。裏門に回ってみたら、こうしておまえらが抱き合ってたわけだ。
覚悟しろよ、ナユタ・フェレーイン、逃げたおまえには振り回されたし、恨みははらしたが囮にしようとしたおまえには許可なく移動されるしな、ルーミス・サリナス!」
シャザーは左手に装着された黒の鉤爪を真っ直ぐに突き出し、怒りにその先を震えさせた。
さすがに、まだ失った右手の義手は間に合っておらず、肘の先で石膏で固められた右腕は下げられたままだ。
ナユタは――貌を上げた。
その双眸は冷たい――怒りに満ち、身体の周囲は青白い。
彼女は素早く、腰からダガーを抜き放ち、両手に構えて云い放つ。
「あんたぁ――やっちゃあいけない事を、やらかしたんだよ。シャザー。
あんたは、あたしを、怒らせた。
よくも、ルーミスの右手をあんなにし――拷問をしかけてくれたねえ。
覚えてるかい? あたしは云ったねえ。“短剣”ギルドが、ダガーの技に敗れるのは屈辱だろ、てね。
その言葉どおり、ダガーの技であんたを殺す。
いいかい……一撃で、だ。あんたは為す術なくあたしの一撃で、死ぬ」
その言葉に、一瞬呆けたような表情を浮かべたシャザーは、次いで見る見る血管を浮かび上がらせ――。激怒の表情で、すぐに攻撃に移行した。
「ふざけ……やがって……!! その小生意気な口、永遠に、ふさいでやらぁあ!!!」
「……待ちなさい、シャザー副将!! 何かおかしい。ナユタ以前と何かが違う。不用意に飛び込むのは危険――」
異変に気がついたセフィスが、シャザーに鋭い警告を発するも、すでに遅かった。
シャザーは左足の鉤爪で地面の樹をえぐりつつその蹴り足で全身のバネを左手の鉤爪に込め、ナユタに殺到する。
もちろん、その先端には強力無比な耐魔をまとわせて。
ナユタはゆらり……とダガーを手に不気味に弛緩した動きの後、驚くべき疾さでクロスさせた両手のダガーを前に突き出し、一気に下半身から上半身を硬直させた。
そしてその身体全体から一気に巨大な火柱が噴き上がり――その垂直の業火が一瞬にして、両手のダガーを通じて水平方向への巨大なる神魔の槍へと姿を変えたのだ!
「……地獄へ堕ちろ。魔炎業槍殺!!!」
圧倒的密度の岩漿に等しい超高温の巨槍は、真っ直ぐに敵の攻撃の先端を捉え――。
槍のミリ以下の突端に凝縮された巨大な魔導は、耐魔などまるで存在せぬようにその鋼鉄の爪を――シャザーの残った左手を貫いた後瞬時に焼き尽くし――。腕を完全破壊しながら、一気にその全身を地獄の業火の中に叩き込んだ!
「おあああああああああああ!!!!! ああああああああああああ!!!
レーヴァ……テイン……様ああああああああああああ!!!!! あぁぁぁ………」
シャザーは一瞬に業火の中で焼死体の様相となった貌にむき出しの両眼だけをギラつかせ、おそるべき断末魔の叫びを上げた後――。
火が消えたとき彼に残されたのは――辛うじて形を残す消し炭となった頭蓋、脊髄――わずか数本の十数cmの骨、のみであった。
それを前にし、鬼神のごとく立ち、シャザーだった残骸を見下ろすナユタ。
「消えな……。あたし達の前から。そして祝福するよ。あんたにこれ以上なくふさわしい場所、地獄に行けることをね」