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短編集

傘の花、咲いた

作者: 枝鳥

 春の雨がしとしと降る。

 桜にはまだ少し早い。

 オフィスの窓から見える交差点に、少しずつ傘の花が増えていく。


 時計をちらりと確認する。


 18時20分。


 ああ、そろそろだ。


 俺はPCのモニターを見ているフリをしながら、交差点を見つめる。


 18時22分。


 18時23分。


 18時24分。


 来た。

 彼女だ。

 薄紫の地に鮮やかな黄色の花。

 派手な傘は、透明や黒い傘の花の中で一際目を引く。

 弾むように揺れながら交差点を渡っていく鮮やかな傘の花。


 気がつけば時計の針は18時26分を指していた。


 3年前の転職でこのオフィスに勤めるようになった。

 前は営業職で毎日あちこち飛び回っていたが、仕事中に事故に遭ってから左脚を少し引き摺るようになってしまった。

 幸い、事故の加害者には手厚く補償してもらったが、さすがに毎日飛び回るような仕事を続けることは無理だった。

 オフィスワークに戸惑うこともあったが、なんとか1年ほどで仕事にも慣れた頃だった。


 あの頃は、雨の日が嫌いだった。


 引き摺ってしまう左脚は、靴底がすぐに磨り減る。

 まだ大丈夫なんて思っている時に、雨に降られて左足だけ水が染み込んでくる。

 ジワリ、ジワリ。

 替えの靴下を忘れた日なんかには、一日中不愉快を我慢しなくてはならなくなる。


 初めてその傘に気が付いたのは、そんな不愉快な雨の日だった。


 定時を超えて残業をしていて、モニターを眺めるのに疲れて窓の外に視線を移したら、透明や黒い傘の群れの中に、パアッと派手な傘が一つ目を引いた。

 あの時は、赤い地に白い水玉。

 どこかのキャラクターを彷彿とさせる鮮やかな傘は、疲れたような色をした傘の群れの中で一つだけ弾んでいるようだった。

 いや。

 よく見れば、本当にご機嫌そうに上下に揺れながら移動していた。


 その時は、随分と派手な傘がいる、くらいに思っただけだ。


 そしてその翌日。


 何となく外を眺めた定時過ぎに、また派手な傘を見つけた。

 水色の地に白い雲の模様。

 雨降りに、暗い傘の群れの中で、そこだけが晴天だった。


 鬱陶しい雨の日だというのに、なぜか俺は少し笑った。


 それからは、雨が降る定時過ぎに窓の外を眺めるようになった。


 ピンクの地に、赤いストライプ。


 黄色の地に、青い水玉。


 黄緑色の地に、白とピンクのチェック柄。


 いつの間にか、傘を見かけるたびに

(あ、これは先月も見た傘だな)

 とか

(今月の新作だな)

 なんて思うようになるようになった。

 そうなったら、何だかまるで雨の日を待ち遠しく思う自分がいた。


 雨の日の傘は、いつも楽しそうに弾んでいた。



 そして去年の秋、ようやく傘の持ち主の顔を遠目に見ることになった。

 多少の小雨では傘を畳まないが、その日は偶然、交差点で信号を待つ間にスッキリと雨が上がってしまった。

 周囲はするすると傘を閉じていく。

 そして。

 傘の持ち主も諦めたかのように、傘を閉じた。


 何となく、女性ではないかと思っていた。


 予想通り女性だったけれど、俺は意外に思っていた。

 鮮やかな傘達から、きっと華やかな女性か、それとも明るい服装の女性を想像していた。


 閉じた傘の中から現れたのは、どこにでもあるような事務服を着た女性だった。



 どこか、がっかりしている俺がいた。

 勝手に期待して、なぜか裏切られたような気持ちになっていた。


 それからしばらくは、雨が降っても窓の外を見ないようにしていた。

 見ないようにすればするほど、時計が気になる。


 18時15分。

 もうすぐ彼女が通りかかる時間だ。


 18時18分。

 まだ通りかかってないはずだ。


 18時21分。

 もう交差点にいるかもしれない。


 18時23分。

 まだいないかもしれない。


 18時26分。

 もうきっと交差点を過ぎたはずだ。

 そう思って交差点を見る。

 遠ざかる鮮やかな傘の花を見て、ホッとするような、悔しいような気分になる。


 それを繰り返した後で、俺はどこか諦めた気持ちになった。


 どうせ、傘が通り過ぎるだけだ。


 気にしないと決めてからは、雨の日には傘の花を確認してから帰るようになった。




 昨日に引き続いて今日も朝から雨だった。

 今日は傘の花は休みなのか。

 雨なのに、いつもの時間を大分過ぎても傘の花は交差点に現れなかった。

 しばらく待った後、俺は諦めてオフィスを出ることにした。


 やはり雨の日には靴に雨が染み込む。

 グチャグチャとする左足の感触に、溜め息をついてから俺は駅に向かうために交差点を渡ろうとした。

 渡ろうとした所で、歩行者信号が点滅を始める。


(ああ、くそっ)

 内心で点滅を繰り返す信号を罵った。

 事故に遭う前なら、簡単に渡れた交差点だったろうが、今の俺は交差点の半ばに行く前に赤になってしまうだろう。

 イライラしながら信号が変わるのを待つ。


 雨の日に歩いていると、左脚を引き摺る俺の傘を後ろの奴はグイっと押してくることがある。

 交差点の先頭で信号待ちした後なんかには、確実に俺の傘は押されるだろう。

(こっちだって好きで遅いわけじゃないんだ)

 傘のせいですり抜けもできない後続は、さぞやイライラしているんだろう。

 だが、一番イライラしているのは俺だろう。


 信号が青に変わり、一斉に歩行者が歩き出す。


 脚を引き摺りながら、俺は交差点を渡り始めた。



 交差点の半ばを過ぎても、今日は誰も傘を押してこない。

 こんなことがあるのかと、交差点を渡り終えてから俺は振り返った。


 鮮やかな赤い地に、青いストライプ。

 傘の花がそこにいた。

「あ、すみません」

 思わず俺は謝っていた。

「え?」

 傘の花が、キョトンとした顔で聞き返してきた。

「俺、歩くの遅いから迷惑をかけたでしょう?」

 傘の花は、くしゃりと笑った。

「いえ、大丈夫ですよ」

「ええと、俺が遅いから後ろの人に傘で押されませんでしたか?」

 傘の花はフフッと笑った。

「私、そういうのよけるの得意なんですよ。

 では、これで」

 そう言って傘の花は軽やかに雨の中を去って行った。


 傘の花の笑顔が、やけに心に残った。

 次の雨の日に、交差点で挨拶でもしてみようか。

 ああ、そうだ。

 別に雨の日じゃなくてもいいのか。


 俺は傘を持ち直してから、歩き出した。

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― 新着の感想 ―
[一言]  葵枝燕と申します。  『傘の花、咲いた』、拝読しました。  個人的に雨の日は嫌いなのですが、こんな気持ちになれるなら雨も悪くはないかもしれないと思いました。
[良い点] こういう、さりげない優しさに気がつく話は素敵ですね。 少し可能智子っぽいっと思いました。
[良い点]  高齢者になったらわかる(足が不自由なこと)かもしれません。 [一言]  当たり前にあると思っていたものを、失うことは非常に辛いです。
2016/03/28 14:28 退会済み
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