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討つマモルとユキの救出、そしてゲームクリア

「ここは……」


 穂高がうめくように呟いた。


「あは。トワ君、懐かしいだろう? ふっふっふ、王子様、ようこそわが城へ。やはりラスボスは塔のてっぺんに居なくちゃな」


金属プレートを背に、踊り場の中空に浮かんだ新荷は、にやにやと笑った。刀を抜かれた身体に、傷痕はない。焦げたにおいの煙を纏いながら、両手を広げ、ゆっくりとそこに降り立った。


「決戦にこれほどふさわしい場所はないだろう!」



「ですが、それを魔女は読んでいたようですよ」


マモルは小さくつぶやいた。



「――えっ?」


 マモルの呟きは、新荷の着地と同時だった。そして、時計棟の最上階の床に降り立った新荷は、奇妙な違和感を感じた。常には無い重苦しさ。その違和感に、新荷は周囲を見回す。


「これは……」


 新荷が見回すとそこには、広範囲に無秩序に焼け焦げた床があった。――否。


 無秩序に見えるその焼跡は、彼女の足元で明らかな法則性を以ってある模様を描いていた。魔法陣だ。緻密で繊細で、それでいて何よりも大胆に描かれたその複雑な幾何学模様は、当然ながら、魔女によって描かれたものだった。魔女が立ち去る時にマモルの左手首に残した火傷が示すのは腕『時計』。魔女は、全てを読み切って、この時計棟の最上階に新荷冬芽が現れることを予知し、そしてまさに彼女が降り立つこの場所にあらかじめこれを描いたのだった。当世随一の、最古にして最高の魔女。炎の魔女エイシェルクレアレイモンドが描いた、魔法陣。その効果は、ただ一つ。


「神は、見えず、聞こえず、触れられず。だから見て聴いて触れるための――神を“喚ぶ”ための、『魔法陣』を願ったのですが」

 

――魔法陣とは、本来、悪魔を呼び出すための結界である。此岸と彼岸を明確に分かち、悪魔が現世へ干渉しないための安全装置だ。しかし同時に結界の中は、現世の中に彼岸を生み出す装置にもなりうる。そして魔法陣を最も理解している存在は魔女を置いてほかにない。悪魔と契約し、使役し、服従させることが魔女の力なのだから――


 だがその魔女への願いを、曲解されたことをむしろ面白がるように言葉を一度止めてから、マモルは呟いた。


「まさか、神を、『縛る』とは」


 陣の中心に立ってしまった新荷は、もはや一歩として動けない。だが、その状況で平然と、愉快そうに笑った。


「全部これが狙いだったわけだ。くっくっく、豪放と言うべきか磊落と言うべきか、この陣を目立たなくするためだけに、校舎を全部焼くとはね、恐れ入るよ」


 動けなくなった新荷に、マモルは素早く一歩、踏み込んだ。腰を落とした低い姿勢。腰には何も帯びていないが、抜刀のように、片腕を引き、もう片腕を腰に添えている。いつでも飛びだせるような構えだ。


 そして、そんな臨戦の構えのまま、マモルは新荷に答える。


「――僕としては、ここまでおおごとになるとは思っていませんでしたが、ライカも鬱憤がたまっていたのでしょうかね。とまれ、貴方への目くらましとしては、十分機能しましたから、結果オーライと言ったところです」


「おおげさだなあ。って、君にとって、私は、カミサマ、なんだっけ? えらい、言われようだね。私はいつだって、ただの私、新荷冬芽という、しがない幽霊にすぎない、つもり、なんだけど?」


「――それが問題なんですよ、新荷冬芽さん。本来現象であるはずの妖怪、“学校の守り神”という力場が、学校それ自体のエネルギーではなく、人を――幽霊である貴方を核に選んだ。それは、偶然か必然か、はたまた故意か事故かは知り得ないことですが、結果、非常に不安定な状況を招きました。ごく単純な理由です。人格ヒトは神の立場コドクには耐えられません。……それでも、あなたは持った方じゃないですかね」


 マモルの口から言葉が流れ出る。その表情とは裏腹の、あくまでも冷静な口調だった。


「アハ。おほめにあずかり、光栄、だよ……」


 対する新荷は唇の端を引き上げ、いつも通りに、にやにやと笑って答えた。


「そうだね、確かに……ずいぶん長かったな。誰にも見えず、聞こえず、私の声は届かないし、誰の祈りも意味はない。一度手に入れた安息は、ほんのひと時で消えたよ。私は、学校ここでは神のような存在だけど、同時に、神のごとく無力だった。――こうして、“殺される”ことすら、願うほどに、ね……」


 続けた言葉は独白のようだった。彼女が目線を下ろした先には銀に光る金属があった。その平らな胸の中央付近、まさに心臓の位置に、銀の小刀が武骨に突き立っていた。先ほどの一歩で――目にもとまらぬような素早い抜刀で――マモルが打ち込んだものだ。


「しかし、銀で心臓に杭打ちか。私は吸血鬼かい?」


 からかうような軽口に、マモルはいつもの茶化す表情を収め、冷徹に観察する表情で答えた。


「清浄の象徴の銀は退魔の武器です。幸い、日本では神は清浄とは限りませんから、あるいは、と。そもそも、あなたは正確には神ではなく、その零落した存在ですから」


「なるほど、ね……」


 新荷は、納得いった、と口の端を歪め、そして、そのまま、後ろの壁にもたれかかるように崩れ落ちた。距離を詰めたマモルはその瞬間を追うように、今までずっと構えていた居合抜きの姿勢を解き放った。


 衝撃は無音だった。倒れかけていた新荷の身体はそれで一度大きく跳ね、改めて床に落ちた。


 長くつややかな黒髪。強い巻毛で床に広がるそれは荒れた海を連想させた。


 体を半分以上床に横たえ、肩だけを壁にもたれるような姿勢のまま、新荷冬芽はその動きを止めた。


「あ、あらたに……!?」


 穂高の動揺した声が空しく響く。もちろん、それに反応するものはいない。


 マモルの抜いた『魂刀』は正確に彼女の胸の中心を貫いて壁に突き立っていた。ぞっとするほど凄惨なその場面で、しかしあるべき流血はなく、ただマネキンにでも立てられた飾りのように虚しく見える。けれどその威力は確かなようで、彼女はぐったりとして指一本動かせない様子だった。一層白く、青ざめた顔色で、力なく横目に穂高を見遣り、そのあとゆっくりと、マモルを見上げた。マモルは彼女に覆いかぶさるような形で、刀を渾身の力で突き立て続けているようだった。まるでそうしなければ、恐ろしい反発で自分は吹き飛ばされてしまうのだというような、そんな切羽詰まった目つきだった。新荷冬芽は口の端を小さく歪ませる。


「ねえ王子様。そんな怯えなくたって、もう私はなにもしやしない。何もできない。君の勝ちだ、おめでとう」


 新荷がそう言い終えたとき、ジワリ、と刀の突きたった場所から極少量の赤い液体がにじみ出てきた。


 その赤色に、マモルは直観する。魂刃は魂を切るものであり、体に傷をつけるものではなく、流血は起きない。したがってこれは、刀傷ではなく、彼女の記憶が漏れ出しているのだ、と。事故の記憶。新荷冬芽という名前の一人の高校生が、その身を死に委ね、そして魂ごと消えて行くときの、記憶。それがこうして表象されているということは、学校の神のような存在の新荷に、人としての新荷が上書きされていっているという、その表れだ。マモルはそこに糸口を見た気がした。神から幽霊へと零落すれば、それはマモルたちの専門分野だ。そこまで堕とすことが唯一の勝機だと見て取って、マモルは一層その腕に、そして霊刀に力を込めた。ひときわ刀身が輝き、そして新荷の胸の中に音も無くゆっくりと沈んでいく。


 新荷の顔がゆがむ。それは、痛みか、恐怖か、それ以外の何かなのか。胸だけではなく、体中から血が滲み、床に広がり始める。


 新荷は自分の胸元に視線を向ける。マモルの突き立てた魂刃を中心に、その体がぼやけるように薄くなってきている。


 新荷は、口の端を歪めた。それはひどく力無いものではあったが、笑みだった。


「ついにゲームクリアだ、おめでとう……。王子様には商品として、お姫様を返してあげよう」


 新荷が目を閉じながらそう囁くと、マモルの後ろの空間から、じわりとにじみ出るように黒いもやのような人影が現れた。そのぼやけた人影は焦点が合うように唐突に、少女の――敷島由紀の姿になった。


「!! ユキ!」


 マモルは即座に立ちあがった。魂刃も薄い氷が割れるような音を立てて粉々になって消えた。しかしマモルはそれにはかかわらずに、ユキの元に駆け寄る。ぐらりと傾いたユキの体の下に滑り込むようにして、抱きとめた。ユキの身体は驚くほど冷え切っていた。


「ユキくん……ユキ! しっかりしろ」


「……マモル……」


 ユキが薄く眼を開け、マモルを見て呟いた。


「ユキ、良かった……本当に」


 マモルはユキの身体を抱きしめた。冷えた体を温めようとするように。


「マモル……ありがとう」


 ユキはマモルの体温を感じながら、安心して、また眠りに落ちた。


もうちょっとだけ続くんじゃ(フラグ)

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