現れる『センパイ』と退治するマモル、それと怪異『天井下がり』
黒い空間に戻った『センパイ』に、ユキはすぐさま詰めかけた。
「『センパイ』は、七不思議じゃなくて、幽霊だったんですか? この世に未練が残ってて、それで、こんなことを?」
「半分正解で、半分はずれかな。私は確かに『新荷冬芽』だけど、だが、『新荷冬芽』本人ではないし、その魂――幽霊でもない。幽霊みたいなものにすぎない。私の性格が『新荷冬芽』をコピーしたものにすぎないのであって、存在としては別物だよ」
「え、えと……」
答えというより謎かけのような言い回しに戸惑って、ユキは首を傾げる。
「例えるなら、そうだね。本物を写した写真があったとして、それは本物じゃなくてあくまでコピーだ。それと同じだよ」
「……じゃあ、『センパイ』は、いったい何者なんですか」
問われた『新荷冬芽』は、にやり、と愉快そうに笑った。
「それを解くのは、王子様の役目だよ、お姫様」
いつのまにかすぐそばに立っていた耳元でそう囁くと、『新荷冬芽』は、ユキに腕を伸ばした。
(あ、これ、前にも――)
ユキが気がついた時にはもう遅かった。『新荷冬芽』はユキを抱きしめるようにして腕を回し、その腕の中で、ユキは再度意識を失った。
「くふふ、最後の七不思議だよ、王子様。6番目は――『天井下がり』だ」
宣言した『新荷冬芽』はその姿をかき消した。後には力なく黒い空間に浮遊するユキが残された。
※
マモルが階段を上っていると、その一番上に奇妙なものが出現していた。
扉だ。ごく一般的な学校の引き戸。その標識には『図書室』とそっけない筆記で書いてある。マモルは迷いなくその戸を開いた。
本のにおい、本棚の生み出す威圧感と暗闇が、辺りを支配していた。マモルは細雨を握り直し、辺りを見回した。慎重に部屋の中へと歩を進めていく。
(これまでで5つの七不思議が出たから、次は6つ目、名前が分かっている最後の七不思議。名前は、確か……)
マモルがそう考えたまさにその時、
「フ、フ フフ フ、フ フ、……」
背後から――先ほどの背後霊とは違い、少し距離を置いたどこかから――笑い声が聞こえてきた。
振り返ったマモルの視線の先――図書館の天井の真ん中に、じわり、と闇色の染みが浮かび、拡がっていく。そしてその穴から、ずるり、と真っ白い肌の片腕が出てきた。そしてさらにもう片腕も、ずるり、と現れると、その手を虚空に伸ばす様にして、徐々にその全身が抜け出てくる。
血の気の抜けた肌の色、少し古い型の制服。今の制服より長い襟飾りが滴るように顔を覆った。強い巻き癖の付いた黒髪がのたうつように穴から染み出し、床に向かってゆるく垂れる。細く骨ばった指はこちらを恨むように曲げられ、暗がりに埋もれた顔からは表情を読むことはできないが、裂けたように拡がった口元から、それが強い感情に歪んだ『笑顔』であることだけは分かった。
天井からさかさまにぶら下がった、少女。現れたのは、『天井下がり』だった。
――殺され、天井に隠された死体が、自分を見つけてほしくて、化けて出てくる。天井に縛り付けられていて、さかさまに階下を覗いては通る人に、家人に訴える。――私を、見つけて。私 は 、こ こ に い る ! ――
「あ は ハ ハはは ハ はハ は は ハ ハ!!!
狂ったように哄笑を上げ、天井下がりは両手を頭上に――床に広げた。
途端、ぶわり、と強い風が巻き起こり、図書館中の本と言う本、そして椅子と言う椅子、机と言う机が、すべて、ふわり、と浮かび上がった。
のみならず、浮かんだ大きな机から、棚のあちこちから、鋭い切っ先をもったハサミやコンパス、ペンに定規に分度器、彫刻刀までが出てきて、空中はあっという間に冗談じみた悪夢でいっぱいになった。
「え、ちょっと……」
マモルは思わず声を上げた。目の前を、机が、椅子が、本が、本棚が、そして刃物が、切っ先がこちらを向いた文具たちが、埋め尽くしている。ふわふわ浮かぶそれら全てが、悪夢のようにマモルを狙っているのが、いやでもわかった。そして――
ゴオォオッ ビュオッ
「――くっっ!!」
当然のように一斉に飛来してくるそれらを、マモルは身を伏せてかわした。
背後の壁に次々と本や文具、椅子が激突し、あるいは刺さり、あるいは地に落ち、あるいは砕けた。
「ポルターガイスト(騒霊)ですか」
背後で無残にへこむ壁面を横目に、ぞっとした顔でつぶやくマモル。
――誰も触れない家具が動く、誰もいない部屋で食器が突然棚から落ちる、といった怪奇現象。大きな音を立てるものもあり、騒々しい霊、と称される。思春期の子供の無意識の超能力とか、家に憑いた霊の訴えとか、さまざまに言われるが、いまだにその謎は解かれない――
「あは は はは は は ! どうした、王子様! 逃げてばかりじゃ、お姫様は助けられないよ!」
『天井下がり』否、『新荷冬芽』は高らかに哄笑しながら再度、備品を浮かび上がらせる。
「僕は、こんな、戦闘向きじゃあ、ないんですけどね」
愚痴のように呟きながら、右に左にと椅子や本を避けるマモル。が、数度目の回避を成功させた後、マモルの表情が突然変わる。
「く、」
避けたはずの本棚の、その軌道上に、脅威的な瞬発力でもって身投げのように身体ごと割り込んだ。
ゴッ
鈍い音がして、本棚はマモルに激突した。マモルは大きくのけぞりながらもその場に踏みとどまり、片膝をつく。
「つ、痛ぅ……」
激突した肩口を押さえるマモル。
「……『新荷』さん」
かなりの衝撃を受けたが、ふらふらとしながらも、マモルは立ち上がって言った。
「貴女に会わせなければならない人が、います」
「うん? なんだい王子様。また選手交代かな」
にやにやと、さかさまに笑う『新荷冬芽』。空中に漂うように広がる巻き毛が不吉に揺れた。マモルはその正面に立ったまま、応えるように小さく笑った。痛みにか、幾分血の気の引いた顔色ではあったが。
「選手ではありませんよ。選手はこの僕です。ああ、まだ名乗っていませんでしたね。僕の名前はツヅキマモル――都築護です。聞き覚えはありませんか」
「ツヅキマモル……? 知らない名前――いや、そうか、ツヅキ……都築か! あはっ! これはこれは、ずいぶん懐かしい名前を聞いたな。王子様、君、仙君の孫かい?」
「血は、つながってません。僕は都築の家に養子に入ったんです。仙人師範は僕の師匠にあたりますね」
「師匠か。セン君らしいや。あはは。じゃあ君はセン君の弟子ってわけか。なんだい、会わせたいというのは、セン君の事かな」
「まさか」
マモルは肩を押さえたまま苦笑気味に首を振り、
「選手でも、その師匠でもなく、まあ、セコンドと言ったところです。それも、『新荷』さん、あなたの側のセコンドだ」
「うん? せこんど?」
さかさまのまま首をかしげる『新荷冬芽』。
「この試合を見守っていただいているんですよ。今、ここでね。――どうぞ、穂高さん。その球を、ぼくに渡してください」
マモルは何もない空間――自身が先ほどかばった背後――に声をかけた。すると、その何もない空間からマモルに緑色のボールのようなものが手渡され、そして同時に、唐突と言ってもいいくらいあっさりと、そこに一人の男性が姿を現した。男性は、今の今まで隠身の球のもう片割れの力でもって隠されながら、初めはツクヨに守られ、途中からはマモルとツクヨが交代で、ここまで連れてこられたのだ。
「……新荷」
現れた男性は、開口一番、『新荷冬芽』の名を呼んだ。奇妙な親しさと懐かしみのこもった声だった。
『新荷』は眉をひそめる。男性の正体を測りかねている様子だ。男性はそこに言葉を重ねる。
「ずいぶん久しぶりだな。高3の時計棟以来か」
その言葉に、『新荷』は目を見開いた。
この男性の正体は、誰でしょう?




