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ロケットの赤い糸

……ない。

 ない。

 昨日までここにあったはずの、ロケットのペンダント。それがどこにも見あたらない。

 藤川由美はすぐ目の前の棚の上を、何度も何度も目で追った。そしてそれでも無いと分かると、周囲を見回し、『それ』がありそうな場所を探す。

 アクセサリーの売り場は、小さな店の中程にあった。白い木枠にガラスが嵌め込まれた、大きなガラスのショーケース。その中には、銀やビーズ、ガラス玉や天然石などで出来た、手づくりの素朴なペンダントや指輪たち。棚の上に、同じ間隔を空けて、きれいに並べられている。

 由美は上の段から順に、目を皿のようにして、お目当ての品を探した。

 2段目、3段目、4段目……。

 由美の視線は、徐々に下の段へと降りていく。

「何かお探しですか?」

 突然声をかけられ、由美はびくっと振り返る。

 そこには、この店の店員らしき女性が1人、立っていた。

 女性店員は由美の顔を見るなり、

「ああ、もしかして、昨日の……」

 と言った。

「あのペンダントを探しているんですね」

 よく見ると、女性店員の顔には見覚えがあった。左目の泣きぼくろが印象的な、ウェーブのかかった長い髪の女性。白い服が良く似合う。この店にいて、店の風景に溶け込んでしまいそうな、そんな人だ。

 由美は少し安心して、そして女性店員に向かって、小さくうなずいた。


 昨日の昼すぎ頃、町には雨が降っていた。 バス停の前でバスを待っていた由美は、急に降り出した雨に驚き、カバンの中を見た。しかしその日に限って傘はない。仕方なく雨宿りの出来そうな場所を探して周囲を見回し、道路の向こう側に緑色の木の立て看板を見つけた。

 看板の向こうは美容院。その2階部分に、雑貨屋らしき店構え。

 あれ? こんなところに雑貨屋なんか、あったかな?

 由美は首をかしげつつも、好奇心に駆られてその店に入ることにした。

 外付けの階段をのぼってすぐのところ。そこは、ナチュラル雑貨の店だった。

 木の扉を開けて中に入ると、ブリキでできたバケツやジョウロ、観葉植物、サボテンの鉢植えなどが並ぶ。そのすぐそばの棚には、石鹸やタオル、お香、アロマキャンドルなどが並び、なんとも言えない甘い香りがたちこめる。

 店は居心地の良い、揺りかごのようだ。

 由美はぶらぶらと店内を歩いた。時々品物を手にとって眺めたり、値札を見たりした。どれもこれも、由美の好みの雑貨たちだ。

 そして店の中ほどにやって来る。

 そこには大きなガラスのショーケースと、白くて丸い木のテーブルが並んでいた。アクセサリー売り場のコーナーのようだ。

 目についたベネチアンビーズのペンダントに、由美は目を輝かせる。吸い寄せられるように、他の品々にも目を移す。銀製品、ビーズの指輪、さまざまなアクセサリーたちは、ガラスケースの中で等間隔に置かれ、「私を買って」と由美に訴えかけてくる。

 そんな中、ひときわ目立つ品物があった。

 銀のロケット。

 今まさに、由美が探している最中の品物。

 由美はすぐに、コレだ! と思った。

 まさに、探していたものは、コレだ。

 直感で感じた。

 どこが? と聞かれると、どこが良いのか良く分からなかった。銀のロケットは、外側に花の模様があしらわれ、小さな青い宝石が嵌め込まれていた。

 一目惚れ。そんな言葉が頭をよぎる。

 由美はすぐさまその品物に手を伸ばし、値札を見た。そして、思考は止まる。

 高い。思っていたより、値が張る。そして今、由美の財布の中には、それを買うだけのお金はない。

 由美は考えた。

 そしてもう一度、ロケットを見た。

 そして、また考える。

 そしてもう一度、ロケットを見た。

 ……明日、買おう。

 明日、この銀のロケットを買えるだけのお金を持って、またこの店に来て、そしてこのペンダントを手に入れる。そうしよう。

 由美は決めた。

 明日になれば、これは私のもの。

 まさか、そんなにすぐに、売り切れてしまうなんてことはないはずだ……。


 ある時友達が、学校にロケットのペンダントを持ってきた。

 そして、恋人の写真を自慢げに見せびらかした。由美はそれを、うらやましげに見ていた。

 ロケットがうらやましいのか、恋人がうらやましいのか。いや、その両方かもしれない。由美は、すぐにロケットのペンダントを手に入れることに決めた。

 だが、由美には恋人はいない。

 ロケットのペンダントを買ったところで、入れる写真は無いのだ。しかし、由美はそれを、こう解釈した。

 誰か、大事な人を作りたいという思いこそが、もしかしたら恋人を引き寄せるかもしれない。

 だから由美は、友達との一件があったあと、度々アクセサリーショップなどを訪れ、気に入ったロケットを探し続けた。

 しかしこれまで見たものは、どれもピンと来なかった。

 それで由美は思った。

 人と同じように、ものにも縁のようなものがあって、持ち主となるべき人と物とは、赤い糸でつながっているに違いない。

 だから、由美はその赤い糸を探すように、慎重にお気に入りのロケットを探したのだった。

 しかし。

 出会いは、一期一会だな、と由美は思う。

 昨日出会い、そして今日にはなくなっているなんて。

 雨に降られて偶然入った雑貨屋。そこで出会った銀のロケット。出会いはまさに、運命的。ところが、女性店員は非情にもこう告げる。

「あのペンダントは、先ほど別のお客さんが買っていかれました」

 由美はがっくり肩を落とし、他の品物には目もくれず、すぐに雑貨屋を飛び出した。

 帰りのバスは、今しがた去っていったばかり。

 仕方なく、由美はバスに乗らず、徒歩で帰ることにした。そしてバス通りの並木道を歩いて10分ほど経った頃、大きな公園の前に出た。

 何やら、公園の中が騒がしい。

 ふと見ると、公園の入り口付近の広場では、フリーマーケットをやっている。

 由美は公園内に入り、フリーマーケットの店が点々と並ぶほうへと足を向けた。

 骨董品、古着、おもちゃ、靴、カバン、時計……。いろんなものが、雑多に並べられた小さな店々。敷物の上に並んだ商品を眺めつつ、由美はフリーマーケットの会場を一周した。

 小さな会場だ。あっという間に、全て見終わってしまい、一周してまた入り口近くへ戻って来た。

 いや、もう一つ、店が残っている。

 由美は最後に、フリーマーケット会場の入り口近くにあった店を覗くことにした。

 そこは、銀細工のアクセサリーが並ぶ店だった。

 由美はふと、先程の雑貨屋のことを思い出し、そしてまた、あの売り切れてしまった銀のロケットのことを思い出した。急に胸が切なくなった。

 敷物の上に並べられた銀のアクセサリーを一つ一つ見ていく。その中に一つ、きれいな銀のロケットがあった。

 それは、バス通りの雑貨屋で見たロケットにとても良く似ていた。

 表面に四つ葉のクローバーの細工がほどこされた、楕円型のロケット。緑色の宝石が嵌め込まれている。

「これ……」

 由美が売り子をしている男の子に声をかけると、男の子が顔をあげた。

 そして、由美の指さしたペンダントを見てこう言った。

「ああ、これね。売り物じゃないんだ」

 由美は驚いて訊ねた。

「えっ、売り物じゃないのに、何で置いているの?」

 すると、由美と同じ年頃の売り子の男の子は、こう答えた。

「これはね、前に来たお客さんから、取り置きをして欲しいと頼まれたものなんだ。だけど、その人、いくら待っても来ないんだ」

 そして今度は、男の子が由美に聞いた。

「どうしてこれが欲しいの?」

 いきなりそんなことを聞かれるとは思っていなかった由美は、

「あ、そ、それは……ロケットに大事な人の写真を入れてみたくなったから」と答えた。

「大事な人? 恋人か何か?」

 由美は顔を赤らめた。まだいない。そんな人が出てくることを願ってロケットを買う、なんて、そんなことは恥ずかしくて言えない、と、由美は思って黙った。

 すると男の子は、こんなことを言い出した。

「そうだ。もしもさっき取り置きをして欲しいと言った人が、今日中に現れなかったら、このペンダントはキミに譲ってあげるよ」

「え? どうして?」

 由美が聞く。男の子は言う。

「この店は、今日限りだから」

 そして男の子は、こう付け加えた。

「モノにはさ、運命の赤い糸があると思わない? 一目惚れして買うと、そのものはとても大事な宝物になるんだよ」

 由美はドキッとした。

 ああ、この人も、私と同じことを考えているんだ……。

 由美は男の子の顔を見た。整った顔つきで、笑顔のきれいな男の子だ。

 由美はお礼を言って別れ、そしてまたフリーマーケットの会場を一周することにした。

 だが、銀のロケットのことで頭が一杯で、他の品物は、まともに見ることが出来ない。

 由美は近くの自動販売機でミルクティーを買い、そして缶のふたをあけた。

 一息ついた。

 そして、フリーマーケット会場を後にし、公園を一周することにした。緑の中で心を落ち着かせ、そしてまたロケットのことを考えた。

 今度こそ。

 今度こそ、あのロケットは自分のものになるかもしれない。いや、でも、もしかしたら、取り置きをした人が、取りに来るかもしれない……。そしたらまた、新しいロケットを探すことになるのかな。運命の赤い糸、本当にあるのかな……。

 一時間後。時間をつぶし、由美は再びフリーマーケットの会場へと戻って来た。

 あの男の子のいる、銀のアクセサリー屋が近づくにつれ、由美の胸は高鳴った。

 ああ、運命かもしれないモノとの出会いって、何かドキドキするな。今度のはどうだろう? 本当に、運命のロケットなのかな……。

 そして、由美は、売り子の男の子に声をかけた。

「あのう……」

「やあ」

 男の子は由美を見て、ちょっとすまなそうな顔をした。

「ごめん。やっぱりあのペンダントはね、最初に取り置きをしていた人が、持っていっちゃったよ」

 そして男の子は言った。

「だけどかわりに、コレをキミにあげることにした」

 男の子は、自分の首にさげていたペンダントを外し、ロケットのふたを開けた。中に入っていた写真を取り出し、またパチリとふたを閉めた。

 由美は驚いた。

 そのペンダントは、あのバス通りの雑貨屋で見たのと同じペンダントだった。

 いや、だけどちょっとだけ違うところがある。

 宝石の色は、オレンジだった。

「私、これと同じものが欲しかったの!」

 由美がそう言うと、男の子は聞いた。

「もしかして、バス通りの雑貨屋で見たの?」

 由美はうなずいた。

「一目惚れしたの。このペンダントに。でも、買いに行こうと思った時にはもう……」

「姉貴が喜ぶよ」

 男の子は笑った。

「この店の大半のアクセサリーは、僕と姉貴が作ったんだ。もちろん、このペンダントもね」

 男の子はペンダントを、由美の手の上に置いた。

「でも、これはあなたのでしょ? いいの?貰っても」

 男の子は言った。

「また、作ってもらうよ。いや、今度は自分で作ってみようかな」

 そう言うと、店を片付けはじめた。

 由美は男の子が片付けをしている傍らで、声をかけようと思った。

 また、会える?

 しかしその一言は、結局言い出すことが出来なかった。

 由美は銀のロケットをカバンにしまい、そしてフリーマーケットを後にした。

 大半の店はすでに引き上げており、フリーマーケット会場は、閑散とした雰囲気になっている。

 空は、赤と青がいい具合に混ざり合い、いい具合に溶け合っている。赤い雲が風にながされ、宵闇へ向かって進んでいる。

 由美が振り返ると、もう、男の子の姿はなかった。


 次のフリーマーケットの開催日、由美は再び公園にやって来た。もしかしたら、またあの男の子に会えるかもしれないという、淡い期待を抱いて。

 だが、男の子本人が言っていたように、あの日一日限りの店だったようだ。

 銀細工を売る店は、どこを探してもなかった。

 由美は思う。

 ロケットのペンダントには、赤い糸はあったけど、男の子との間には、運命の赤い糸はなかったんだと。

 ロケットの中には、まだ、誰の写真も入っていなかった。

だが由美は信じていた。運命の銀のロケットは、いつか素敵な彼氏を導いてくれると。

 胸元のロケットを握りしめ、由美は公園を後にした。公園は、フリーマーケットに来た客たちで、にぎわっていた。

 まだ、空は青い。

 もうじきあの日のような、夕焼けが来るかもしれない……由美はそう思いながら、また歩き出した。


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― 新着の感想 ―
[一言] とても好きな作品です。読んでいると内容が頭の中で絵になって浮かんでふわりふわり心地よかったですo(^-^)o これからも小出さんの作品を楽しみにしていますのでがんばってください。応援していま…
[一言] お邪魔します。 最後がいい裏切り方でいいと思います。そのせいで、赤い糸もしくは縁というものに深みが増したような(たぶんですけど;)。最後がこれから――主人公の今後の彼(誰か)との出会い、を期…
[一言] 読ませていただきました。 物との赤い糸、誰かとの赤い糸の存在を穏やかに伝えてくれる作品でした。読んでから、出会いには必然性があると思いました。袖振り合うも多少の縁(間違ってたら恥ずかしい………
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