1話
1936年12月
俺、川南雄一少佐は海大を甲種成績で卒業、翌年、年が明けると同時に米国への出張を命じられた。すぐさま俺は帝国汽船の移民船に乗り、米国サンフランシスコへ向かった。もっとも目的地は米国の首都、ワシントンDCなので米国についてから鉄路ないし空路で移動することとなっていた。何故、ワシントンに行くかといえば大使館付武官補に指名されたからだ。
閑話休題。俺は4か月の船旅を終えるとサンフランシスコからダラス経由でセントルイスまで空路で向い、そこから鉄路でDCまで移動した。ついたのは4月28日であった
1937年5月12日
俺は米海軍ノーフォーク基地を見学する機会を得た
ノーフォーク。米国海軍の大西洋における一大拠点で、太平洋のサンディエゴ及び真珠湾に並ぶ大軍港だ。まぁ、首都から近い事を考えれば横須賀のような感じか…………俺はそう思いつつ案内の士官を正門で待っていた。しばらくして案内担当(という名の監視を兼ねた)若い士官がやってきた。俺と同じくらいの年の感じの良い感じのヤツだ………俺はそう思った。そして彼の案内の元、ノーフォーク軍港を見学する事になった。
その中でも俺の目に留まった船はコロラド級戦艦メリーランドとコンスティテューション級巡洋戦艦ユナイテッド・ステーツ。米国が保有する40㎝搭載戦艦は大西洋には1クラス各1隻しか配備されていないが、我が国の長門・鞍馬級に対抗して建造されたコンスティテューション級は非常に有力な艦であり、すごい迫力と威圧感を持つ船だと思った。ただ、それは攻撃面と速度面での話であり、防御面については巡洋戦艦と称していても事実上の高速戦艦とも言え、長門型をも凌駕するのではないかと言われる高いレベルの防御力を持つ鞍馬級と比べ劣る面も多く、特に水中防御に関しては速度を優先した結果、米戦艦の中でも最悪だと囁かれている。もっともこれは噂のレベルであり、軍事機密ゆえ真相は知らないのではあるが。
俺が2隻の巨大戦艦を見つめていると案内の士官、ジャック・ウォーレン少佐が「私も君の国のナガト級及びクラマ級戦艦を見た事があるが、すごい迫力だったよ。だから君の気持はわかるよ」と言って来たのである。すると俺は「そうですよね…………仮想敵になりうる軍艦を見て、威圧感や迫力を感じない軍人はいませんからね」と続く。するとウォーレンは「あぁ、その通りですよ。ミスター・カワミナミ」と続く。そう言われた俺は反応に困ったが、すぐに「ですけどそれは最悪の話です。国は違えど私も、貴官もその様な事態は望んでいないのは同じでしょう」と返す
するとウォーレンは「ですね。ですがお偉いさん方の考えていることに従うのが軍人である以上、戦うことになったら戦う。それは国に尽くす者の務めでしょうそう」と続き、俺はそれに頷く
そのような会話をし終えると彼は俺に対して彼の乗艦である重巡洋艦インディアナポリスの士官食堂に俺を案内してくれ、昼食をごちそうしてくれたのである
ちなみにその日の昼食とは豪華なステーキ(とフレンチポテト)であった。
その後、俺は帰国してもウォーレンと私人として家族についてをメインとした手紙の遣り取りを続け、それは1942年4月にマニラ沖で発生した帝国汽船、第一奉天丸誤射撃沈事件で日米関係が悪化するまで続いた。
1942年4月、呉軍港の桟橋に停泊する第2艦隊旗艦・戦艦陸奥
「第一奉天丸が撃沈されました!!」
連絡士官がそう叫ぶと副長兼砲術長である俺は「わかった。すぐに艦長を始めとした上陸中の乗員を呼び戻せ!!」と命じる。するとその連絡士官は俺に敬礼しながら「了解」と続く。
暫くすると大勢の乗員が陸奥に乗り込む。隣の扶桑、そして対岸の桟橋に停泊していた伊勢でも同じ光景が見られる。
(俺もウォーレンも互いに戦うことは望んでいないだが、ヤツが言っていた最悪の事態になったか…………)
俺はそう思いつつも自分の持ち場たる砲術指揮所へ向かった…………
出航を知らすラッパが鳴り響き、戦艦扶桑、伊勢、比叡、そして連合艦隊旗艦で山本五十六大将が乗艦する伊吹のそれに空母、重巡洋艦や駆逐艦が錨を上げるのが見えた。
横須賀の長門、山城、霧島、鞍馬、佐世保の金剛、榛名、日向、六甲などの戦艦、そして空母、巡洋艦群でも同じ光景が見られているであろう。
オリジナル兵器
13号型相当の巡洋戦艦
鞍馬型高速(巡洋)戦艦
全長275m、全幅35m、満載排水量5万2475t(推測値)、乗員1547名、偵察機3機
41㎝連装砲×5、89式12.7㎝高角砲×6(鞍馬。六甲は改装前に戦没しているので4基+14㎝単装砲×12)
装甲 舷側325㎜(傾斜17度)+76㎜、甲板24㎜+127㎜+35㎜、砲塔457㎜、艦橋354㎜
同型艦 六甲(1隻)、15号(予定艦名 大雪)、16号(同 愛鷹)、なお15、16号はロンドン軍縮条約で解体
六甲は1943年6月8日のソロモン海戦に戦艦長門、霧島、山城、重巡6隻からなる第2艦隊及び軽巡神通と駆逐艦7隻からなる二水戦と共にに参加し、長門の協力でなんとか霧島がサウスダコタとワシントンを撃沈するも対地砲撃を断念した第1夜戦には参加しなかったものの、第2夜戦時の総旗艦(司令 鈴木義一中将)として山城と共にインディアナを撃沈するも、ノースカロライナとアラバマ、マサチューセッツによる砲撃を受け撃沈(鈴木中将は被弾時に戦死)された。なおこの際に炎上する六甲の陰に隠れて戦艦山城と重巡衣笠、加古が対地射撃に成功、離脱するも翌朝、サラトガ搭載機の爆撃により加古が撃沈、山城が艦橋被弾による艦の一部幹部の死亡と衣笠が射出機と第3砲塔損壊する被害を受けたが、この際に山城では艦長であり、この作戦を提案した神重徳少将が戦死している
参考までに鞍馬型は日米英の14隻40㎝搭載艦、グレート14(フォーティーン、日長門及び鞍馬×各2、米コロラド及びコンスティテューション×各3、英フッド及びネルソン×各2)の中で最も強力と言われる。