適当な短篇
今日もリハーサルを終えて駐車場に向かう。
もうすっかり日は落ちて夜の静けさが俺を包み込む。
自慢の隼に跨がりエンジンを掛ける。
買ったばかりの頃に比べて感動はないものの相変わらずの感触に心が踊る。
アクセルを開きゆっくりと駐車場を後にした。
大通りに出て更にスピードを出すと自分がまるで進化した人間だと錯覚してしまいそうになる。
視界の横を等間隔に横切る街灯。
若干赤みをおびたそれは幻想的で目をやられそうになる。
更に助長するようにバイクの音、車の音が鳴り響く。
遠くに見える夜の街のネオンライト。
都会の夜は人を狂わせる。
その中の一人が俺なのだと苦笑して俺は前を走るトラックを追い抜く。
遮られていた前方には他の車はない。
初夏の生暖かい夜の風を全身に浴びて更にスロットルを開ける。
このまま何処までも自由に走り続けられればどんなに良いことだろうか。
何にも縛られずただやりたいことができればどんなに良い事だろうか。
脳裏に浮かんだ下らないものを溜息と共に吐き出してスピードを緩め右折する。
大通りから一車線の道に入り街灯の間隔が狭くなる。
この道は路駐が多く事故も多いので多少気をつけて通らなくてはいけない。
時間も遅いので大丈夫と想っていると思わぬ出来事で事故になりかねない。
特に俺は今大事な時期だ。
こんな事で台無しにするなんてことはできない。
俺は慎重に進みながら群れた首もとを親指でかく。
ヘルメットのせいで掻きづらいが慣れてしまえばどうということはない。
そうしている内にようやくアパートに着いたのでバイクを止めて錆まみれのボロボロの階段を上がる。
共用通路も鉄筋でやはり錆が酷い。
ポケットから鍵を取り出して明かり一つ無い廊下を歩く。
隣の住人は先月蒸発したのだがいらない荷物をそのまま廊下に置いて逃げたのでゴミが散乱している。
今だに廊下に置いていった理由が分からない。
丁度足元に転がる鏡を蹴飛ばして部屋の鍵を差し込む。
鏡が割れた音がしたが知ったことではない。
俺の部屋の前までゴミが来ているので困ったものだ。
管理人に言ったはずだが無視されているらしい。
そのくせ家賃だけはキッチリと取り立てるのだから良い性格をしている。
ドアを開けて靴を脱ぎたった二畳の部屋に転がり込む。
熱い中着ていたジャケットを隅に放り投げて倒れこむ。
昔、ロックで成功すると言ってこの部屋に訪れた時希望に満ちていた。
ここから全てが始まる。
そう期待して止まなかった。
しかし社会はそんなに甘くはなかった。
受けたオーディションは全て落ち、駅前で路上ライブをすれば警察に注意された。
貯めていた貯金も底をつき残ったのはこの何もない部屋と一本のフォークギター。
そして今みたいに床にへばりついて眠った。
幸いバイトがすぐに見つかったため細々と暮らしていくには上等な生活は出来たが代わりにギターに触れる時間は圧倒的に減った。
それでも俺はギターにしがみついた。
学校も友達も恋人も家族すら捨てた俺に残されたのはこれだけだったというのもある。
いつしか俺は苛立ちと焦りで精神が侵されていった。
食べ物も喉を通らずオーディションも何度も見逃した。
そんな暮らしが続くとやがて俺はロックが何たるかを肌で心で理解出来るようになっていた。
その翌日にあったオーディション。
俺はようやく社会に認められた。
デビューから好調のまま今まで常にトップに君臨し続けファンレターの数ももはや数えきれない。
だが俺の心は何故か納得しない。
夢が叶ったはずなのに満たされなかった。
大金を手にして毎日遊びまわってもこみ上げてこない情熱。
俺はその時にはこのアパートから高級マンションへ居を移していたので慌ててこの部屋を再び借りた。
初心に戻りたかった。
夢の為にがむしゃらになっていたあの頃に。
再契約したこの部屋に戻った俺はギターを一本部屋に置いて一夜を過ごした。
眠ることなど出来はしなかったので自問自答を繰り返した。
産声を上げてからここまでの俺の人生を振り返ってそして気づいた。
手段と目的が変わってしまったことに。
自分の音楽を認めてもらいたいが為に金を集めていたはずなのに金の為に音楽をやっていたのだ。
これを笑わずにいられるだろうか。
俺はその日叫び続け泣き続けた。
結局俺は呑まれていたのだ。
この複雑な社会の波に。
俺の音楽は理解などされていない。
時代に沿った歌を歌わされていただけだった。
結果、俺は引退ライブを開くことにした。
日時は5月9日。
俺の30歳の誕生日ーーつまり明日だ。
その為のリハーサルをしてきた。
明日全力を出して終わりにする。
終わったら孤児院などを回って音楽を聞かせて行くつもりだ。
金が絡めば必ず歪んで行ってしまうのだから・・・。月明かりに照らされ鈍い光を放つ俺の相棒はただただ俺を優しく見守る。
俺は微笑んで目を閉じた。
明日から始まる新たな人生が間違っていないと唯信じてーー。
翌日。
気だるさの残る体を喝を入れるために隣で眠るギターに優しく手を当てる。
貼り直したばかりの弦を労るように優しく触り、ネックを掴んでギターを構える。
寝たままの体勢なのでお腹にボディを乗せる形になっているが相棒は嫌な顔一つせず俺の我儘に付き合ってくれる。
6弦から1弦まで一本づつ丁寧に親指で弾くと段々と目が覚醒していく。
これはライブ前によくやる儀式のようなものだ。
対価は俺の魂。
自己暗示とよく言われるが俺はそうは思わない。
俺はこいつと会話をして互いに納得して魂を分け与えていたのだ。
それを一人よがりな自己暗示と一緒にされては困る。
この事を言うとこいつ可笑しいと笑われるのだが俺を昔から見てきたマネージャーだけは笑わない。
俺と相棒の関係を理解しているのかとも思ったがマネージャーは何も言わないので俺も聞かない。
だからこそ何年も関係が続いてきたとも言える。
まぁ必要最低限の話しかしないので性分なのかもしれないが・・・。
1弦まで3回弾いた所でようやく目が完全に覚めてきたので体を起こして隅に脱ぎ捨てたジャケットを羽織る。
床に置かれたギターケースを開いて相棒を丁寧に入れ肩に掛けて部屋を出る。
鍵を閉めて階段を降りると待ってましたとばかりにマネージャーがこちらに歩み寄ってきた。
俺は黙ってギターを渡すとマネージャーは深妙な顔で受け取ってトランクではなく助席に乗せた。
俺は後部座席に乗り込む。エンジンを掛けて走りだすとよく分かるのだが国産の高級車なだけあって車内の揺れも少なく安定している。
俺のマンションに着くとシャワーを浴びて再び車に乗り込む。
向かう先はもちろんライブ会場。
車の窓から見える空は雲が掛かって暗い。
今日のライブは野外。
雨天決行なので雨でも大勢の観客が訪れるだろう。
野外にした理由は簡単。
俺の音楽を見たい人全てに見せるためだ。
故にチケットに枚数制限は無く料金も一律千円。
席など存在しないため場所も早い者勝ち。
昨日の話ではもう半分以上の場所が人で埋まっていたらしい。
ミュージシャンとしてこれほど嬉しいことはない。
軽く喉を鳴らしてみるがすこぶる好調。
これなら絶対に成功する。
ギュッと拳を握りしめて目線を上げる。
最後のライブはもう目の前だ。
自分でも驚いてしまうほど高鳴る胸の鼓動。
震える体。なるほど武者震いとはこれか。
ルームミラーに写る俺の顔はにやけていた。
始めようか初めで最後のラストライブをーー。
「今日は来てくれて本当にありがとう」
俺の声に呼応して観客たちがあらんばかりの叫びを俺に返してくる。
声とは振動なのだが何万人もの人々の声となると大地すら揺るがす。
俺の歌に合わせて声を張り上げ俺の歌に合わせて手を鳴らす。
雨天決行と決めたこのライブは曇天から完全な土砂降りへと変化した。
顔は濡れ、声は嗄れ、それでも雨の音に負けない俺たちは自然をも超えた存在に思えてくる。
見渡すかぎりの観客たちは合羽も傘すらも使用しない。
俺たちにとって今必要なのは歌だけだ。
不遜かもしれないが何万もの人の心が繋がっていると感じる。
今こそが人生の頂点。
どんな娯楽にも負けない完全にして原初の感情。
つまり愛だ。
「皆は知ってるかもしれないけど言わなくちゃいけないんだ」
恨まれ、蔑まれ、貶められ、這いずり、のた打ち回り、転がり続け、感じ続け、信じ、演じ、愛し続けた。
この30年間は苦しいだけだったかもしれない。
けれど間違ってなどいなかった。
俺の見るこの光景がそれを証明している。
ギターをかき鳴らし続けた十数年。
俺はようやく到達した。
「俺は今日で三十歳。気づけばおっさんになってたけど・・・不思議と後悔だけはないんだ」
ライトに照らされてマイクを離すまいと握りしめる。背に回したエレキギターが俺を後ろから押している。ああ分かっているさ。この曲が最後になる。終わらせよう、俺の歌を。
「何でかって言うと・・・俺みたいな馬鹿を応援してくれる愛すべき大馬鹿(お前達)がいたからなんだ。この曲で俺の歌は一旦終わって皆が俺を忘れていくかもしれないけど、これだけは言わせて欲しい。俺を信じてくれる奴らがいる限り歌い続けるって事をーー」
エレキギターを降ろして足元に置かれたギターケースを開ける。
長いこと待たせちまった。
これからはお前と一緒に歩んでいくよ。
だから俺の最初で最後のライブに付き合ってくれ。
「曲名はーーライト」
ドラムもベースもないこの曲。
楽しかった時も辛い時もギター一本で歌い続けたこの曲。
俺は自然と動き出した手に導かれるままピックで弦を弾いた。
ーーー
なあ俺の歌を聴いてくれ
たった少しだけで良いんだ
求める愛情の日々
気付かれぬまま消えていく声
街の街灯にもたれ掛かって独り倒れこんだ俺は降りだした雨に晒され孤独の意味を知った
慣れた道を慣れた足取りで歩くそうさ俺には何もなかったんだ OH~
親友に馬鹿にされ恋人に見放され親に恨まれ意地を張り続けた OH~
これで良かったのかな
逃げるように縋りつくギターだけが
俺に優しくしてくれるのに気づかないまま
ーー眠りについた
探しているんだ本当の愛のカタチを
壁に阻まれて見えない
真実の光を
言い訳を繰り返して
都合の良い事ばかり信じ
疑心暗鬼になった俺は
部屋に転がる唯のガラクタ
意味もなく公園でブランコに乗って過ごす日々俺は降りだした雨に晒され自由の意味を知った
慣れない道を慣れない足取りで歩くそうさ俺には何もなかったんだ OH~
夢を失いかけ愛を失いかけ自分を失いかけ意地を張り続けた OH~
これでよかったのかな
逃げるように縋り付いたギターだけが
俺に優しくしてくれるのに気づかないまま
ーーかき鳴らした
探しているんだ本当の愛のカタチを
壁に阻まれて見えない
真実の光を
もう駄目だって諦めろって俺に囁く甘い言葉
その度俺はこう言うんだ
金の為じゃない
俺が俺であるために歌ってるんだって
逃げるように縋り付いたギターだけが
俺に優しくしてくれるのに気づかないまま
ーー歌い続けた
探してるんだ本当の愛のカタチを
壁に阻まれて見えない
真実の光を
いつか必ず見つけるんだ
ーーー
静まり返った会場。
俺は歌いきった余韻に酔いしれて俺を照らすライトを呆然と見つめた。
燃え尽きた。
もう動けない。
倒れてしまいたい。
けれどここで倒れるわけにはいけない。
観客がーー応援してくれた奴らが帰って行くまで見届けなければ。
視線を空に向けて両腕を広げる。
すると小さかった拍手の音が大合唱となり俺を包み込んだ。
ああ・・・満足だ。
俺の脳内を駆け巡る記憶。
これは・・・走馬灯と言うやつだろうか。
大半は馬鹿をやっていた頃の記憶。
金や地位なんてなくても笑っていられた眩しすぎる記憶。
あいつらはまだ頑張っているのだろうか。
連絡を取っていないから俺の活躍を見てくれているかは分からない。
別れた彼女は元気にやっているのだろうか。
反対した義父は今も俺を恨んでいるだろうか。
浮かんでくる言葉を心に刻む。
そして俺は鳴いた空から生まれた雷に意識を奪われーー眠りについた。