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6

 夕闇が近づき、真っ赤に染まった空が東の方から黒い色に塗りつぶされて行く。

 眠る香月を林の中へそっと寝かせた神竜は、エンジン音と共に心地よく揺れる車内で、同じような木々が後方に流れていくのを窓のヘリに肘をついて眺めていた。

「小泉洸……か」

 ぼそりと神竜が心ここにあらずと言った感じで呟く。

 どこかで聞いた名だ。どこでだっただろうと、ぼんやりと考えていた時だった。車のハンドルを勢いよく右に切られ、反動で座席に背中から叩きつけられる。

「どうした!」

 肘をついて身を起こした神竜が運転席に座る男に怒鳴る。

「申し訳ございません。今、枝が……うわぁ……!」

 男は最後まで言えずに恐怖に引きつった悲鳴を上げた。

 車がまるで巨大な手によって引きずられるように林の方へと引っ張られ、車のひしゃげる音が耳触りに響く。ギシギシと車体が軋む音が鳴り響く中、窓の外に目をやれば暗く日の落ちた林から行く筋もの枝が伸び、車に絡みついているのが見えた。

「くそ」

 舌打ちし、不規則に揺れる車内で印を結ぼうと手をかざした瞬間、今までと比べものにならない力で強く引きずられ、車が横転する。

「うわ」

 受け身が取れずにドアに容赦なく叩きつけられ、後頭部を強打した神竜は一瞬意識が飛びそうになった。

「……っう」

 朦朧とする意識下で目を薄らと開ける。車にまとわりついていた枝が、スルスルと解け、暗い林の中へと吸い込まれるように消えていくのが目の端に映った。

「……やってくれるじゃないか」

 闇を切り抜いたかのような黒い瞳に冷たい光が宿る。壮絶なほど凄味のある笑みが口元に浮かんだ。前座席の背もたれに手をかけ、身を起こすと、横転した為に真上にあるヒビの入った窓を力任せに叩き割る。

その音を聞いた運転席の男が青い顔で制止の声を上げる。

「神竜様、何をなさるおつもりですか!」

「お前も術者の端くれなら自分の身は自分で守れ。俺はあいつを追う」

「なりません危険です。神竜様」

 尚も言い募ろうとした男の言葉をきっぱりと無視し、窓のヘリに手をかけるとそこからするりと外へ出る。窓の縁に足を掛け、車の上から飛び降りると暗く静かな闇が広がる林の中へと分け入った。

 湿気のこもった林の中を踏みしめるたび、草と水の臭いが強くなる。辺りを見渡せば、木々の合間から名残惜しむように血のように赤い夕陽が垣間見えた。

 神竜が懐から呪符を取り出す。油断なく身構えていると、ずるっと何かが這う音が聞こえてきた。

「そこか!」

 呪符に霊力をまとわせ音のした方へ放つと、呪符が淡い光を放ちながら暗い林の中を一直線に飛んでいく。呪符が飛んでいった方向に、神竜が真言を唱える。

「急急如律令」

 稲妻のような閃光が林の中を駆け抜けた。

 光が林を照らし出した瞬間、周りの景色が一変した。いつの間にか周りを囲っていた枝が一気に枝を伸ばし、神竜を捕えようと迫る。神竜は一枚の呪符に息を吹きかけ、前方へ投げる。呪符を放つと同時に伸びてくる枝から逃れる為に神竜は駆け出した。

「朱雀」

 呪符が炎に包まれ鳥の姿へと変化した。甲高い鳴き声と共に枝が幾重にも折り重なり、うねっている林の中へと飛翔する。

 朱雀の炎が木に燃え移り、辺りは炎に包まれた。

 火の粉を()きながら林の中を一周し、枝から逃れた神竜がかざした腕に止まろうと、朱雀が大きく翼を羽ばたかせ、スピードを落とした。次の瞬間、神竜の後方の炎を掻きわけ木の枝が朱雀の体を貫く。

 朱雀の甲高い悲鳴が上がった。

「朱雀」

 神竜が手を伸ばすが、炎の鳥はボロリとその姿を崩し、火の粉を撒き散らしながら(ただ)の紙へと変わる。

「くそ」

 毒づく神竜に木の枝が後方から襲ってきた。その枝を前方に転がることで避け、片膝をついたまま振り返ると、先ほどまで立っていた場所に神竜を串刺しにしようとした枝が地面にいくつも突き刺さっていた。

 すぐさま立ち上がり走り出す。辺りを赤々と燃えていた炎は次第に勢いを失い、くすぶる灰の中から新たな枝が伸びる。

 走る神竜の前方から木の根が地面から這い出す。神竜の足に絡みつこうとする根を横に跳躍することで避け、新たに懐から取り出した呪符を放つ。辺りに飛び散った呪符が根に貼りつき、白い閃光と共に木の根が霧散する。

 身をひねり、後ろから追ってくる枝の方に体を向ける形に着地した神竜が、人差し指と中指を立てた刀印を結ぶ。

「臨兵闘者階陣列在前」

 横縦と早九字を切る。神竜に向かって伸びていた枝すべてが一気に消し飛んだ。

 ひとまず動くものがなくなった林の中で神竜が深い息を吐く。走ったことと霊力を使ったことで、どっと汗が溢れ出てきた。

 頬を伝う汗を手の甲で拭いながら、油断なく辺りを伺う。

「陰陽師……」

 火がくすぶる林の中から低く暗い声が響いて来た。

「香月に手を出すな。これ以上あいつに手を出すようなら、命はないと思え」

「真樹か」

 神竜が不敵に笑う。

「姿を現せ、お前が大人しく投降するようなら、香月には手を出さない」

 ざわりと林の中に潜む闇が動く。

 どれ程の時がたっただろう。くすぶる火も完全に消え、ほんの少し差し込む赤黒い夕陽が濃い影を落とす。

 サク……唐突に草を踏みしめる微かな音と共に、木の影から髪の長い男が現れた。

 ほぼ闇に沈みかけた林の中で、男の周りだけ空間が違うように白髪が緩やかに波打つ。

 神竜が息を飲む。

 本当に姿を現すとは思っていなかった。

「……お前……」

 一歩神竜が足を踏み出したとたん、肩に鋭い痛みが走る。

「な……」

 見れば地面から生えた木の根が肩を貫いている。真樹がふらりと動いた。顔を上げ、ゆるりと笑みを浮かべる。最後の悪あがきのように差し込んだ赤黒い夕陽に染められ、その顔はまるで血を(すす)った悪鬼のようだった。

 ぞくりと神竜の背に冷たいものが這う。

「香月に手を出すな、次はない」

 そう言うと闇の中へ木の葉となって霧散していく。神竜を貫いていた木の根も消え失せ、糸の切れた人形のように神竜が膝をつく。

「はぁ……」

 震える手で痛む肩を押さえ、詰めていた息を吐く。

「あれが、ご神木……冗談じゃない。あぁいうのはバケモノと言うんだ」


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