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 次の日。

 赤い夕陽が空を染め始め、下校する生徒もまばらになり始めた頃、香月は校門の前で生徒を捕まえては写真を見せていた。

「ねぇ、この子について何か知らない?」

 ブレザーとチェックのスカートの制服を着た、女子高生の二人が香月の持つ写真を覗きこむ。写真には女子高生と同じ制服を着た、茶髪の少女が写っていた。

「この頃、失踪した子なんだけど、何で失踪したか心当たりとか……」

 女子高生の二人が顔を見合わせ首を振る。

「知りません、私たち同じクラスじゃないし」

「そう……引き留めてごめんね。気を付けて帰ってね」

 ぺこりと頭を下げて去って行く女子高生の二人が少し離れた所で、今の人かっこよかったというようなテンションの高い話声が聞こえてきた。

「人間ってのは、周りの人間に随分無関心なんだな……」

 ぼそりと呟き、写真を懐に直す。

(さて、どうしようかな。今日一日いろんな所で聞きまわったけど何の成果もなしか)

 香月は、この校門の前で生徒から話を聞く前に、駅や写真の少女の自宅周辺で行きかう人間に話を聞いていた。不審人物として警察を呼ばれそうになり、慌てて逃げたりもしたが、何の手がかりも得られていなかった。

 ふぅっと深いため息を吐き、空を見上げる。

「どうしたもんかねぇ……」

 ひとりごちる香月の背を誰かが指で突いた。香月が振り返るよりも早く、その指がスーッと下に移動し香月の背骨をなでる。

「ヒィ……」

 妙な気持悪さで全身に鳥肌が立つ。慌てて香月が振り返ると、そこには昨夜の黒い髪と目の男が立っていた。

「お前は、昨日の陰陽師!」

「よう妖し。お前にはいろいろと聞きたいことがある」

「俺にはなーい」

 脱兎のごとく逃げ出そうとした香月の体が、自分の意思とは無関係に止まる。走り始めの体勢のまま指一本動かなくなった体に、香月は歯ぎしりしながら、近づいてくる男を睨みつけた。

「何……した、お前」

「呪符で動きを制約させてもらった」

「呪符だぁ」

 叫んだ香月は先ほどの背中を走った気持ち悪さを思い出した。あの時、呪符を貼られたんだと悟った香月は、背中には呪符が貼りついている姿を想像して戦慄した。

(何、そのみっともない姿)

 呪符を剥がしたいが、体が動かなくて背に手が回らない。香月が動かない体を動かそうともがいていると、神竜が近くに止まっている黒塗りのBMWを指差し、不敵に笑う。

「ここじゃなんだ、乗れよ」

「嫌だ」

 声に出して言ってみても、体は強制的に車に向かう。車の運転手らしき男が開けてくれたドアから後部座席に乗り込み、そこでやっと呪が解かれる。体を縛るものがなくなり、急に体が軽くなった香月は再び脱兎のごとく逃げ出そうとした。

「貴様、往生際が悪いぞ」

 ドアの取手を掴んだ所で、襟首を捕まれ引き戻される。そのまま後部座席に仰向けに倒され、その上に覆いかぶさった神竜が香月の首を腕で押さえつける。首を圧迫され、息苦しさに香月がもがく。

「ぐ……苦し……」

 首に押し当てられた腕を剥がそうとするが外れない。いつもなら妖しである彼が人間の力に押し負けることはないのだが、なぜだか思うように力が入らず神竜の腕を振り払うことが出来ないでいた。

「無駄だ。お前にかけた呪は解いたが、ここには別に、妖しの力を弱める呪がかけてある。この中では俺の腕を振り解くことも無理だろうよ」

「……くそ」

 毒づき、香月は掴んでいた神竜の腕を放す。神竜が大人しくなった香月の首から腕を離し、冷たい視線で見下ろす。

「言っただろう、俺はお前に聞きたいことがあるだけだ。暴れないようなら、手荒な真似はしない」

「暴れないようならね……」

 神竜が体をずらすと、香月は首を摩りながら身を起こした。離れた神竜が座席に座り、足を組む。どこまでも澄ました男に香月は険のある目を向けた。答えないだろうと思いつつ聞いてみる。

「…………お前……名前はなんて言うんだ」

「神竜だ、神の竜と書いて神竜。お前の名前は?」

 香月は少し目を見開いた。こんなにも簡単に名前を教えるとは思わなかった。香月が黙っていると、神竜の目に苛立ちの色が滲む。

「人に名前を聞いておいて、お前は名乗らないつもりか」

「……ぅ」

 香月は迷うように視線を彷徨わせた後、もごもごと呟いた。

「…………香月……。香るに月と書いて香月。狐だ」

「ふん、狐の妖しか」

 香月は神竜の方に視線を向けないで済むように、窓の外に目をやる。車のエンジン音と共に、窓の外の風景がゆっくりと動き始めた。次第にスピードが速くなり、景色が後方へと流れていく。それを見るともなしに眺めながら、ぼそりと香月は呟いた。

「……あいつを、殺しに来たのか?」

「あいつと言うのは、昨夜の木の妖しのことか。お前とあいつはどういう関係だ」

「……友達なんだ、だから」

「殺しはしない」

 神竜のあっさりしたその言葉に、香月がハッとしたように振り返る。

「殺しに来たんじゃない? 本当に?」

「あぁ、だから」

 神竜が口の端を少し上げ、妖艶に笑う。

「情報交換と行かないか? お前の知っていることを全て教えてほしい。そのかわり、こちらも知っていることは話そう」

 香月が息を飲む。陰陽師を信用するのはどうかと思うが情報が欲しい。しばらくの間、相手の真意を量ろうとするかのように神竜の目を見つめていたが、小さな溜息と共に視線を自分の手元に落とす。

 両手を握りしめ、香月は静かに話し始めた。

「……あいつは……真樹。北東に位置する神社の御神木の樹霊で、この町をずっと昔から守っているんだ」

「ふん、とんだ守り神だな。ならその神社に本体があるんだな」

「ううん。もう何十年も前の戦争で、この町を守るために焼けてなくなった」

 首を振る香月に、神竜が軽く目を見開く。

「本体がないのに、樹霊だけが残っているのか……」

「うん。真樹は妖力が強いから本体がなくなっても消えずにすんだ。だから今は神社の裏手にある森の奥で暮らしている」

「……」

「昔は、人を襲うことなんてしなかったんだ。人間が好きで、ずっと見守ってきた」

 握りしめた手に力がこもる。

「俺が、異変に気がついたのが二週間前。隣町に来た時に、嫌な気配がしてこの町に来たんだ」

 二週間前か…時期的に合うなと、顎に手を当てた神竜が口の中で呟く。

「俺が真樹に会いに行ったら、この子が……」

 懐から一枚の写真を取り出し、写真を神竜に渡す。神竜が写真に目を落とすと、そこにはどこにでもいるような茶髪の女子高生が写っていた。神竜が目を細め、抑揚のない声で呟く。

「死んでいたか……」

「うん。真樹に何を聞いても答えてくれなくて、その写真の子の死体と一緒に、どこかに消えてしまった」

「行き先は分かるか?」

「分からない」

「そうか」

 首を振る香月に、神竜が小さく溜息を吐いた。

「死体も一緒に……か…………それは、食べるためか?」

「真樹はそんなことしない。確かに人を襲って食べる奴もいるけど、真樹は違う」

「どうだかな」

 食べるという言葉に憤慨する香月に、神竜は鼻で笑うと視線を向けることなく、写真を香月に返す。

「お前が知っているのは、それだけか?」

「……う……うん」

 写真を受け取り、懐に直しながら香月が頷く。ちらりと神竜の様子を伺うと、いつの間にかこちらを見ていた神竜と目があった。冷たい黒い瞳が香月を見つめる。

「その写真の女について教えてやろう」

 神竜が視線を外し、再び前を向く。

「名前は大崎美穂、十六歳。大崎議員の娘だ」

「政治家……」

「そうだ、だから俺たちの所に依頼が来たんだ。どんな手を使ってでも娘を見つけたいらしい」

 ふん、と神竜が鼻で笑う。

(見つかったとしても死んでいては、意味はないだろうが……いや、そうでもないか)思い当った考えに皮肉めいた笑みが口元に浮かぶ。

「娘さんが大切なんだね」

 香月の切なげな呟きに、顔を向けることなく神竜が冷ややかに目を細めた。

「さて、それはどうかな」

「どういう意味?」

「あまりこの娘は素行が良くなかったようだな。政治家ともなれば世間の目が気になるから、いろいろと握りつぶした事件もあったらしい」

「……」

「今回、依頼してきた理由は娘が心配だからというだけではなく、知らない間に善からぬことをされては堪らないという思いが少なからず根底にあっただろうよ。スキャンダルになるようなことに関わっているよりも、娘が死んでいた方がよかったんじゃないか?」

 神竜の目の奥に宿った冷たい光が妖しげに揺れる。己のことしか考えない醜い人間の心と友を心配して危険を顧みず探す妖しの心、どちらの方が美しいと言えるだろうか。そんなこと考えていた神竜がそこでふと、些細な疑問が浮かび目を瞬かせた。香月に顔を向ける。

「ところでお前、あの写真どこで手に入れた?」

「えっ」

 香月が顔を仰け反らせて目を泳がせる。そのあからさまな動揺の仕方に神竜の片眉が跳ね上がった。

「…………そう言えば聞きこみに当たっていた警察の一人が写真を紛失したと……」

 冷や汗を流しながら誤魔化すようにニヘッと笑う香月の反応に、神竜が顔をしかめる。

「お前、化かしたな」

「だって、写真なんてそうそう手に入れられるものじゃないから、仕方ないだろ」

「まったく……」

 神竜が深い溜息を吐き、座席に深く沈み込む。

「まぁいい、大崎美穂にはよくつるんでいた友達が二人いる。葛城ヒナと森田葵だ」

「へぇ……」

「昨夜、お前に会う二時間ほど前だが、葛城ヒナが何者かに襲われたて行方が分からなくなっている」

 香月が息を飲む。神竜が座席に深く座り込んだまま、目を閉じる。

「次に狙われるのは、森田葵だろう……。森田葵には、こっそり護衛を付けているが、狙われる理由がはっきりしなければ、今回の妖しを退けても別の妖しが狙うとも限らない。お前がこの三人が狙われる理由を知っているのではと思っていたが……とんだ無駄足だったな」

 神竜がこれからどう動こうかと思案に暮れていると、香月の不安げな声が聞こえた。

「なぁ、洸ちゃんは大丈夫なのか?」

 神竜が目を開け、香月の方へと気だるげに首を巡らせる。

「洸? 誰だそれは」

 眉間にしわを寄せる神竜に、香月が首を傾げた。

「昨日の夜……は、会ってないか。昨日の夜お前が現れる前に、真樹が捕まえようとしていた女子高生だよ」

「何だ、それは」

 神竜が寄りかかっていた座席から身を起こし、顔をしかめた。

「そんな話聞いていないぞ」

「あたりまえだろ、今初めて話したんだから」

 香月が昨夜の出来事を神竜に話して聞かせる。それを聞いた神竜は腕を組み、深く考え込んでしまった。

「わかった。その小泉洸については、こちらで護衛を付けておこう」

「本当か! ありがとう」

 屈託なく笑い、礼を言う香月に神竜が冷たい視線を向ける。

「随分とお人好しな妖怪だな。人間の心配をするのか」

「それの何が悪い」

 ふんっと神竜が小馬鹿にしたように笑う。

「バカな奴だ、人間に肩入れしてもろくな事にはならないぞ」

「何だよそれ、お前も人間だろ」

「だから言っている。人間というものは、浅ましく醜いものだ」

 どこまでも冷たい物言いに、香月が首を傾げる。

「そんなことないだろ。現に、お前だって真樹を殺さないと言ってくれたじゃないか」

 神竜が押し黙る。数泊の後、神竜は口の端を歪めて壮絶なまでに妖艶な笑みを浮かべた。香月の背にゾクッと冷たいものが這う。

「本当にお人好しな妖しだ」

「な……に……」

「確かに俺は殺さないと言ったが、逃がすとは一言も言っていない」

 香月が青ざめた顔で腰を浮かす。

「随分と力の強い妖しのようだからな、俺の式神にしようと考えている」

 冷笑を含んだその言葉に、香月の頭にカッと血がのぼる。

「ふざけるなよ、てめぇ」

 掴みかかろうと香月の手が伸びる。神竜に届くと思われた瞬間、

「香月」

 たった一言、神竜に名を呼ばれただけでその動きが止まる。何かに縛られ、ピクリとも動かなくなった体。神竜に掴みかかろうと手を伸ばした体勢のまま、ぎりぎりと奥歯を噛みしめる。

「また、呪をかけたのか?」

 唇に軽く指を当て、くすりと神竜が笑う。

「まだ、呪符がお前の背に貼りついているからな、呪をかけ直すのは簡単なことだよ」

「俺を式に使うつもりか」

「いいや」

 神竜の顔から笑みが消え、感情の見えない暗く冷たい瞳で香月を見返す。

「狐の妖しなどいらない。俺が欲しいのはもっと力の強い妖しだけだ」

「お前……」

 ギラリと香月の目に怒りの色が宿る。動かない体をギリギリと無理矢理動かし、神竜に手を伸ばしていく。呪に縛られた体が、悲鳴を上げるように激しい痛みを伴ったが、伸ばす手を止めはしなかった。

「真樹に手を出すな」

 冷たい目の神竜に手が届くと思われた瞬間、がくりと膝が折れる。全身に走る痛みで、浮かんだ額の汗が目にしみ、目を開けることさえままならない状態になる。次第に霞んでくる視界に、香月は悔しさで唇を噛みしめた。

「く……そ……」

「眠れ、香月。もうこれ以上お前みたいな妖しが関わるな」

 神竜が香月の目の前に手をかざした瞬間、全身から力が抜け、強い眠気に襲われる。

「神……竜……」

 目を閉じる刹那、神竜の顔が視界の端に写りこんだが、黒い闇のような髪が顔を隠し、表情を見ることは出来なかった。

 力なく座席に倒れこんだ香月を見下ろし、神竜が小さく嘆息を漏らす。

「バカな妖しだ」


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