28
どれ程の時間がたっただろう、この家の家人と思われる者が夕食を持ってきたが、手を付けず、膝を抱えたままうずくまるようにしていた香月がゆっくりと膝の間から顔を上げる。
辺りは暗く、庭に目を向けると雲の合間から覗く下弦の月が黒々とした庭に淡い光の筋を降りそそいでいた。
静かに降り注ぐ光に引き寄せられるように香月は立ち上がると、庭の方へと歩みよっていく。
障子に手をかけ、庭へ伸ばした香月の手が、静電気の時のような鋭い痛みと共に弾かれた。
「……っ……本当に結界が張ってあるよ」
弾かれた手を眺め、情けなさそうに項垂れる。
ほんのりと赤みを帯びた指先から視線を月へと向ける。
白々とした月の淡い光が、開かれた障子の形のまま室内を四角く照らし、たたずむ香月の影を黒く染めていた。
数分間、身動きすることなく月を見上げていた香月が何かを決意したように口を引き結び、赤くなった指先を握りしめる。
「こんな所で、悩んでいたって何の解決にもならないよな」
自分に言い聞かせるように呟くと、目を閉じ静かに息を吸い込む。
ゆっくりと開いた瞳は黄金色に輝き、何の変哲もなかった茶色の髪は月の光を帯びて銀色に揺らめく。
握りしめていた手を開き、手を打ち合わせると、静寂に包まれた空間が震えるように音が響き渡る。
引き結ばれた唇が緩く開かれ、言葉が紡がれ始めた。
「掛けまくも畏き伊邪那岐大神筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓え給いし時に生りませるはらえどの大神等諸の禍事、罪けがれ有らむをば祓え給い清め給えともうす事を聞食せと恐み恐みもうす」
淀みなく紡がれた祝詞に呼応するように、ふわりと白いベール状の物が香月の手を包みこむ。
手を何の迷いもなく結界へ向ける。押し当てた瞬間、何もない空間が奇妙に歪み火花が散った。
バチバチッと触れた指先から稲妻が走り、闇を払うように強い光が幾度も閃く。
「……っ」
香月の口から苦痛に歪む声が漏れ、額に汗が滲んできたが、結界から手を放すことはなく、さらに力を込めていく。結界の歪みが限界まで来た瞬間、小さなヒビが入りそれは一気に広がっていく。
視界いっぱいにヒビが広がった瞬間、パンっと結界が弾け飛んだ。
ガラス片が舞うように空気中にキラキラとしたものが舞い、光の粒となって消えていく。
香月が肩で荒い息を繰り返し、顎に伝い落ちてきた汗を手の甲で拭うと、何の抵抗も無くなった場所から一歩前へ出た。
縁側のひんやりとした冷たさが足の裏に伝わってくる。
暗い闇に包まれた縁側は静かで、何の音もしない。まだ、騒がれてはいないが結界が解けたことに気づかないはずがなかった。
香月は油断なく視線を母屋に続くと思われる通路の先に向け、唇を引き結ぶ。
「さよなら、神竜」
そう呟くと硬い表情を庭へと向ける。
白い石が敷き詰められた庭へと飛び降り、地面を軽く蹴って冷たい月が浮かぶ夜空へ跳躍する。人ではありえない高さまで跳躍した香月のシルエットが月の光に照らされ、淡い光を放ちながら塀の上に降り立つ。
ゆっくりと香月が暗く闇の中に沈み込んだ屋敷を振り返った。
屋敷の奥で光が灯り、次第に騒がしくなっていくのが香月の耳に届く。
再び塀の外へ視線を戻し、跳躍しようと身を沈めた香月の耳に、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
文中の祝詞は、神官や巫女が、自分の穢れを払い、悪いものを近づけないようにする為のものです。
狐は、神様の使いとして使われることもあるので、妖怪だけど狐だし香月にも、使わせてもいっかー・・・と、軽い気持ちで使わせてます*・゜゜・*:.。..。.:*・'(*゜▽゜*)'・*:.。. .。.:*・゜゜・*




