第6話:賢明なる勝者
王都の朝は、昨晩の狂乱から一夜明けてもなお、冷めやらぬ興奮と異様な緊張感に包まれていた。
ゼクスの工房は、広場の各所に配置された視覚素子から送られてくる高精細な映像によって、青白い光に満たされている。彼は特注の椅子に深く腰を沈め、口元に穏やかな笑みを浮かべていた。
「さあ、見せておくれよ。君がなけなしの銀貨で掴み取ったものが、単なる幸運の記念碑なのか、それとも王都の魔導師たちが喉から手が出るほど欲しがる本物なのか」
ゼクスの視線の先、特別に設営された検証用の演習場には、昨日の主役である青年の姿があった。彼の周囲は完全武装した王都の近衛騎士団によって厳重に警護されており、その外側には、嫉妬と好奇心に目を血走らせた魔導師や貴族たちが幾重にも人垣を作っている。
広場の上空に浮かぶ巨大な水晶板には、比較検証のための画面が二分割で映し出されていた。左側には王立魔導学院で標準的に使われる一級品の魔木杖。右側には、青年が両手で震えながら握りしめている鈍色の金属杖、理外の魔杖が映っている。
『これより、特等排出物の性能検証を開始します』
無機質なシステム音声が広場に響き渡ると、配信を見守る数万の視聴者たちが一斉に息を呑んだ。
まずは左側、一般的な一級杖を持った魔導師が進み出る。彼が詠唱したのは、魔導師であれば誰もが初めに習得する基礎中の基礎、ファイアボールだ。杖の先端に集束したマナが熱を持ち、直径三十センチメートルほどの火球となって射出される。それは放物線を描き、三十メートル先の石壁に着弾して黒い焦げ跡を残した。王都における、ごく標準的で正解とされる威力だ。
「さあ、少年。次は君の番だ。上級魔法なんて使えなくていい。ただ魔力を流し込めば、あとはその杖が全部やってくれる」
ゼクスの呟きと同時に、画面の中の青年が一歩前に出た。
彼は深く息を吸い込み、理外の魔杖の冷たいグリップを握り直す。そして、先ほどの魔導師と全く同じ、最も基礎的な火球の魔法を構築しようとマナを練り上げた。
その瞬間だった。
杖の表面に刻まれた複雑な幾何学模様が脈打つように発光し、青年の未熟なマナを強引に吸い上げた。杖の内部機構がマナを最適化し、無駄なく圧縮していく鋭い共鳴音が演習場に響き渡る。
放たれた火球は、先ほどの魔導師が放ったものより一回り大きく、そして明らかに速度が違っていた。一直線に空気を切り裂き、標的の石壁に着弾すると、重い爆音と共に壁の一部を大きく抉り取った。
水晶板に、即座に算出された検証データが映し出される。
『検証結果:弾速、威力、及びマナ効率において、従来品の二倍を計測』
配信画面のコメント欄が、一気に文字で埋め尽くされていく。
『二倍か。あの学生の未熟な魔法が、中級魔導師並みの威力になってるぞ』
『恐ろしいのはそこじゃない。素人が使ってあれなら、高位魔導師が使ったらどうなる?』
『だから金貨一万枚なんだ。あれは個人が持つ装備じゃない。家門や軍隊の切り札になる代物だ』
「ははは、見事な増幅率だ。マナのロスが一切ない。設計図通りの完璧な効率だよ」
ゼクスは椅子から立ち上がり、満足げに頷いた。
素人を一騎当千の化け物に変えるような魔法のアイテムではない。だが、掛け合わせる基礎値が高ければ高いほど、その恩恵は計り知れないものになる。圧倒的なポテンシャルを秘めた技術の結晶。だからこそ、貴族や軍の上層部はあれほど血眼になって特等を狙っていたのだ。
青年の前に、一団の騎士を連れた初老の男が歩み出た。王都の軍権の一部を握る大貴族、バルカス伯爵だった。彼は豪奢な毛皮の外套を翻し、威圧感のある声で青年に語りかける。
「少年、見事な一撃だった。だが、お前も気づいているだろう。お前自身の魔力が二倍になったところで、熟練の魔導師には勝てん。その杖は、お前には過ぎた代物だ。我が家で引き取ろう」
バルカス伯爵の言葉は、冷徹な事実だった。金貨一万枚という価値を持つ杖を平民が持ち歩けば、明日には裏路地で死体になっているのが関の山だ。
ゼクスはモニターに顔を近づけた。
「さあ、どうする? 身の丈に合わない武器にしがみつくか、それとも金貨の重みに押し潰されるか」
だが、青年の瞳には、恐怖も、大金に目が眩んだような狂気も浮かんでいなかった。彼は自分の未熟さを誰よりも理解していた。理外の魔杖を見つめ、そしてバルカス伯爵の目を真っ直ぐに見返した。
「伯爵様。この杖はお譲りします。ですが、金貨一万枚を僕が持ち歩けば命がありません」
青年の静かな声は、配信の集音器を通じて王都中に響いた。
「ですから、金貨はすべて伯爵様の金庫に預かっていただきたいのです。僕はそこから、必要な時に、必要な額だけを引き出せる権利を頂きたい」
伯爵の目が僅かに見開かれた。それは、無知な平民が、自己の安全を担保するための貴族の庇護を明確に要求してきたことに対する驚きであり、そして感心だった。
「ほう……。面白い。全額を預けるというなら、我が家の名にかけてお前の安全は保証しよう。それで、お前はまず何を買うつもりだ?」
青年は一つ頷き、力強い声で答えた。
「頑丈な防具と、良質な旅の外套。そして、王立魔導学院への入学金です。僕が欲しかったのは、強い武器ではなく、本当の魔法を学ぶ場所なんです」
配信のコメント欄が、一瞬の空白ののち、再び感嘆の声で流れ始めた。
『あいつ、あの杖を売って学校に行くのか』
『賢いな。武器はいつか盗まれるか壊れるが、知識は誰にも奪われない』
『伯爵に金を預けたってことは、事実上バルカス家の庇護下に入ったってことだ。これで誰も手出しできない』
『運で得たものを、一生消えない自分の実力に変えたのか』
ゼクスは、その一連のやり取りを聞き終えると、深い感息の溜息を吐いた。
「……やられたな。圧倒的な力を前にして自分を見失うかと思えば、一番手堅くて賢い選択をしやがった。運命を換金して、未来の保証と一生消えない知識を買ったわけだ」
ゼクスの顔には、計算外の出来事に対する苛立ちなど欠片もなく、人間という生物のしぶとさに対する深い感心が浮かんでいた。青年は、ガチャという不条理なシステムが与えた劇薬を、見事に自分の人生の特効薬として飲み下してみせたのだ。
「素晴らしいよ、少年。君のその選択は、とても理性的で美しい」
広場では、バルカス伯爵が満足げに頷き、青年と固い握手を交わしていた。
特等の排出と、その劇的な結末を見届けた群衆の熱は冷めるどころか、むしろ「彼のように賢く立ち回れば、自分も人生を逆転できるのだ」という新たな希望となり、さらなる欲望の炎となって燃え上がろうとしていた。
ゼクスは椅子に座り直し、広場の分配機の再起動プロセスをシステムに任せた。
特等が排出されて停止していた機械が、定時に従って再びゆっくりと稼働音を上げ始める。
「さて、一人目の勝者は見事に手に入れた運命を乗りこなした。次の当選者は、この幸運をどう使うのかな。賢く生きるか、欲に溺れるか。人間の選択は本当に面白い」
ゼクスは手元の端末を操作することなく、ただ静かに、次に投下される景品が王都の欲望をどう掻き立てるかを想像し、青白い光の中で静かに微笑んでいた。
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