第5話:持たざる者の奇跡
王都中央広場の石畳を焦がすような熱狂は、もはや理性の箍を外れ、物理的な圧迫感すら伴って群衆を呑み込んでいた。広場を見下ろす数カ所の壁面に埋め込まれた巨大な水晶板には、たった今発動した一人あたりの試行回数制限が、冷徹な光を放ちながら繰り返し表示されている。
『個人の運命選別は一日につき100回までを上限とする』
その一文が、傲慢な魔導師たちの喉元に突き立てられた不可視の刃として機能していた。分配機の正面で膝をつき、脂汗を流している若手の魔導師は、震える手で何度も石畳を叩いた。彼の足元には、二十数本もの高品質マナポーションの瓶が、無機質に転がっている。
「嘘だ……。なぜ二等の装備すら一本も出ない! 俺は既に、銀貨百枚を注ぎ込んだんだぞ!」
男の叫びは、周囲の喧騒にかき消されていく。
彼が費やした百枚の銀貨は、結局のところ、市場で買えば銀貨五十枚程度にしかならないポーションの山へと姿を変えた。そのあまりにも現実的で、かつ投資の半分しか返ってこなかったという事実は、彼から魔導師としての尊厳を奪い去るには十分すぎるほどの毒だった。
一方で、その隣の列では、別の魔導師が低い唸り声を上げていた。取り出し口から転がり出たのは、微かに発光する銀の指輪。
『2等排出:魔導増幅の指輪。推定価値、銀貨50枚』
水晶板に無機質な告知が踊る。
それは、銀貨百枚を注ぎ込んだ者にとっては、投資の半分を強引に回収させる「救済措置」としての当たりだった。一生の食い扶持どころか、次のガチャを回すための軍資金にすら満たない、極めて事務的で現実的な対価。
「救済、か。随分と舐めた真似をしてくれるじゃないか」
その魔導師は、手に入れた指輪を忌々しそうに睨みつけ、百一枚目の銀貨を投入しようとした。だが、投入口をロックする物理的な衝撃が彼の手を激しく弾き飛ばす。
「なんだ、故障か!? 金ならまだあるぞ!」
警告音が鳴り響き、彼の絶望が確定する。
ゼクスは工房の特注椅子に深く沈み込み、青白い光を放つ水晶板の群れを、渇いた瞳で見つめていた。自らが組んだ確率の波が、王都の住民たちをいかに翻弄し、その本性を剥き出しにさせていくかを、一秒たりとも見逃さないように注視している。
「いい。実にいい。百回回してポーションしか出ない者と、二等を引き当てながらもその価値の低さに愕然とする者。この不条理こそが、僕の作った世界の真実だ」
ゼクスの声は、微かに震えていた。そこにあるのは、自ら解き放った混沌が形を成していく様を心待ちにする、純粋な熱量だ。
配信画面のコメント欄には、匿名たちの言葉の奔流が溢れていた。
『百枚入れて半分回収か。まさしく救済だな、魔導師先生』
『二等でこれかよ。結局、特等を引かなきゃ人生は変わらないってことだろ』
『あんなに金を持ってる奴らでも、一日百回じゃどうにもならないのか』
そんな罵声と欲望が渦巻く中、一人の青年が分配機の前に立った。
ボロボロの魔導衣を纏い、手にはなけなしの銀貨を数枚だけ握りしめている。平民や下級の魔導師が夢を見て数回だけ回すのは、この広場ではありふれた光景だ。周囲の者たちも、特に彼を気にかける様子もなく、己の順番や他人の爆死に気を取られている。
青年は深呼吸を一度し、祈るように両手を合わせると、持っていた最後の銀貨をスロットへ滑り込ませた。
カラン、という軽い音が鳴る。
そして、彼が細い腕でレバーをゆっくりと引き下げた瞬間。
それまでの重い駆動音とは明らかに質の異なる、澄んだ高周波の共鳴音が広場全体に鳴り響いた。機械の隙間から溢れ出す黄金色の光が、夕暮れ時の広場を昼間のように照らし出す。
「……っ!」
ゼクスは椅子を蹴り飛ばすようにして立ち上がり、水晶板に顔を押し当てた。
取り出し口から転がり出たのは、一振りの杖だった。既存の木製杖とは一線を画す、未知の合金と複雑な幾何学模様が刻まれた、無機質で機能的な美しさを持つ長杖。
『特等排出:理外の魔杖。推定価値、金貨10,000枚』
全水晶板が黄金色に染まり、王都中にその事実が宣告される。広場が、一瞬にして静まり返った。二等が出た時の視線とは比較にならない、恐怖に近い沈黙。金貨一万枚という、一介の貴族の家柄ですら買い取れるほどの天文学的な数字が、名もなき少年の手に落ちたのだ。
その直後だった。
分配機の上部から、轟音と共に重厚な鉄のシャッターが降りてきた。投入口も、取り出し口も、すべてが頑強な装甲板によって遮断される。
唖然とする群衆の前に、最後の一撃が叩きつけられた。
『本日の分配は終了しました』
「はは……、ははははは! 出た! 本当に出ちゃったよ!」
ゼクスは工房で狂ったように笑い声を上げ、机を激しく叩いた。
万に一つという絶望的な確率を、なけなしの銀貨を握りしめた少年が、百枚を溶かしたエリートたちの頭上を飛び越えて掴み取ったのだ。そして、特等が出た瞬間に店を畳む。これこそが、ゼクスがこのシステムに込めた最大の毒であり、ルールの醍醐味だった。
配信画面は、もはや判読不可能なほどのコメントで埋め尽くされている。
『嘘だろ!? なけなしの数枚で特等かよ!?』
『理外の魔杖って……あの伝説のロストテクノロジーを再現したやつか!?』
『金貨一万枚!? 嘘だ、あんなガキが運命を独り占めするのか!?』
『ふざけるな! 閉店ってなんだよ! 俺は朝から並んでたんだぞ!』
『あの少年を捕まえろ! 杖を奪え! 金貨一万枚を逃がすな!』
ゼクスは、モニターの中で杖を抱えて立ち尽くしている少年を見つめた。
周囲には、嫉妬に狂った魔導師たちの呪詛と、欲に目が眩んだ男たちの手が、今にも飛びかからんばかりの距離まで伸びている。
「さあ、少年。君の幸運は、君を救う翼になるか、それとも君を地獄へ引きずり込む重りになるか。試させてもらうよ」
ゼクスの瞳は、少年の手にある杖と同じように、冷徹な光を放ち続けていた。
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