表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゼクス魔導工房の異世界ギャンブル配信 ―異世界をギャンブル漬けにする救済の物語―  作者: ituswa


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/39

第23話:地平線の傑作と、銀貨の受け皿

風が、乾いた草の匂いを運んでくる。視界を遮る壁も、足裏に伝わる石畳の感触もない。アステリア王国の機能的な喧騒から数百キロメートル。ゼクスが辿り着いたのは、ただ地平線だけが支配するアグライア合衆国の辺境だった。


「……信じられません。本当に、何も、何一つないじゃないですか。師匠、ここで何を売るつもりなんですか? 街灯を立てる支柱すら見当たりませんよ」


背後で、巨大な銀の円筒を背負わされた弟子が、膝を震わせながら声を絞り出した。王都の分配機を管理し、清潔な工房で働いていた彼女にとって、この剥き出しの自然は暴力に近い。遮るもののない太陽が容赦なく体力を奪い、踏みしめる土の柔らかさは、確かな足場を奪われるようで不安を増幅させた。


「おや、何もありませんか? 私はむしろ、これほど贅沢な余白はないと思いますがね。街灯が必要なら、後でいくらでも生やしてあげますよ」


ゼクスは手にした杖を軽く突き、立ち止まった。視線の先では、陽炎が揺れている。その揺らぎの向こうから、低い、それでいて腹の底に響くような振動が伝わってきた。


地響き。それは次第に規則正しい鼓動へと変わり、砂塵と共にその姿を現した。


10数頭の群れ。野生の馬たちが、風を切り裂きながら草原を駆けていく。一切の馬具を排し、純粋に速さのみを追求するために鍛え上げられたその肢体は、陽光を浴びて濡れたように光っている。


ゼクスの瞳が、かつて魔導回路の難解な術式を解き明かした時よりも鋭く、そして熱く輝いた。


「見てください。あの後肢の蹴り、爆発的な推進力を生み出す大腿の筋肉。呼吸のたびに膨らむ胸郭。生命という仕組みが、1000年以上の時間をかけて磨き上げた、究極の最適化だ。素晴らしい。実に見事な設計だ……」


ゼクスは歩みを進めた。逃げ出すどころか、その躍動の真っ只中に飛び込もうとするかのように、彼は無意識に指を動かした。目の前の生き物が持つ、骨格の連動と魔力の流れを、脳内の基盤に直接記録していく。


「師匠、危ないですよ! 踏み潰されますって!」


「大丈夫ですよ。彼らは、自分の行く手を阻むゴミと、自分を愛でる観客を見分けるだけの知性を持っていますから」


馬の群れが、ゼクスの数歩手前で鮮やかに進路を変えた。円を描くように走り去っていくその軌跡に、ゼクスは深く感銘を受けたように吐息を漏らした。普段の、他人を煙に巻くような不遜な笑みは影を潜めている。そこにあるのは、純粋に優れた生き物を前にした、一人の愛好家としての敬意だった。


「この傑作たちが、ただ食べて、走って、死んでいくだけなんて、あまりにも惜しい。世界中がこの美しさに熱狂し、その運命に身を焦がすべきだと思いませんか?」


ゼクスが再び歩き出した時、草原の向こうから、もう一つの地響きが迫ってきた。今度は野生ではない。巧みに操られた騎兵の集団だ。


アグライアの部族民。日焼けした肌に革の鎧を纏った彼らは、未知の魔導具を抱えたゼクスたちを包囲し、槍の先を向けた。


「止まれ、異邦の魔導師。この地は我ら部族の誇り、風の通り道だ。王国の鉄の臭いを持ち込むことは許さん」


先頭に立つ筋骨隆々の男が、鋭い声で威嚇した。彼は部族の長だろう。跨っているのは、先ほどの野生馬よりも一回り大きく、より深い知性を宿した瞳を持つ名馬だった。


ゼクスは槍の穂先を全く意に介さず、男が乗る馬の首筋に視線を固定した。


「……ああ、素晴らしい。血統の管理が見事ですね。この力強い蹄、そして気性の激しさを抑え込むしなやかな首のライン。あなたの部族は、これほどの宝石を飼い慣らしているのですか」


「……何だと?」


威圧に対して、期待に満ちた賛辞を返された長は、一瞬だけ面食らったように槍を下げた。ゼクスの視線は、人間に向けられるそれよりも遥かに温かく、そして執拗だった。


「ですが、長。あなたたちのこの宝石は、今、この草原の草を食むだけの存在だ。あまりに貧しい。これほどの逸材なら、最高級の飼料を与え、世界一の魔導獣医に体調を管理させ、海の向こうの強健な血を混ぜて、さらに高みを目指すべきだとは思いませんか?」


「我らの馬を侮辱するな。我らは先祖代々、この風の中で馬と共に生きてきた。他国の血など不要だ」


「侮辱ではありません。提案です。この広大な草原を、世界中の欲望が集まる舞台に変える。あなたたちの馬が勝利するたびに、大陸中から莫大な銀貨がこの地に流れ込む。その金を使えば、冬に馬を飢えさせることも、病で名馬を失うこともなくなる。それどころか、海の向こうの伝説的な名馬の血を買い、さらに強い1頭を産み出すことも可能になる。誇りを守るために、馬を死なせるのがあなたたちの流儀ですか?」


ゼクスの言葉に、騎兵たちの間にざわめきが広がった。彼らにとって、馬は家族であり、財産そのものだ。その質を向上させ、より長く、より強く生きさせるための富という手段は、彼らが最も切実に求めているものだった。


「我らの走りを、見世物にするというのか。我らの魂を売れと言うのか」


「いいえ。神聖なる競争に、熱狂を上乗せするだけです。あなたたちは、ただ最速を目指して走ればいい。その結果、世界中があなたたちの名を知り、あなたたちの馬を崇め、そして……豊かな暮らしがここへ集まる」


ゼクスは弟子の背負う円筒、魔導杭を指差した。


「さあ、始めましょうか。まずはこの大地に、王都と繋がる血管を通さねばなりません」


ゼクスは弟子から杭を受け取ると、草原の中央、最も風が強く吹く場所にそれを突き立てた。


杭の先端が土を噛み、鈍い振動が地面を伝わっていく。ゼクスが杖で杭の表面に触れると、透明な青い光が草原の地下深くへと潜り込んでいった。地脈を介した広域通信網の構築。それは、草原の速度を、数百キロ離れた王都へ届けるための第一歩だった。


一方その頃、王都アステリアの中央広場。


1週間の沈黙に耐えかねた群衆の前に、奇妙な光景が広がっていた。


既存の分配機の傍らに、これまで見たこともない、重厚な鉄の筐体が整然と並べられ始めたのだ。10台、20台と増えていくその装置には、分配機のような景品出口がない。あるのは、銀貨の投入口と、詳細な文字を映し出すための小型の受像水晶だけだ。


「なんだ、あれは? 新しい道具が出るんじゃないのか?」


「画面に映ってるのは……ただの草原か? 馬が走ってるだけじゃないか。ゼクスの野郎、1週間も待たせておいて、これかよ」


集まった野次馬たちの反応は、冷ややかなものだった。


彼らが求めていたのは、空を飛ぶマントや、水を清める石といった、生活を一変させる魔法の道具だ。受像水晶の向こうで砂埃を上げて走る馬の姿など、王都の住人にとっては珍しくも何ともない。


「馬の競走なんて、わざわざ金払って見るもんじゃねえだろう。それも、こんな遠い国の映像なんて」


「次はもっと面白いものが出ると思ってたのにな。……おい、あの機械、銀貨1枚で馬の名前を選べるみたいだぞ。当たったら何がもらえるんだ? 景品のリストすらねえぞ」


群衆は、まだ事態の重大さに気づいていない。


彼らが今見ているのは、単なる馬の映像ではない。


草原に突き立てられた1本の杭が、地平線の向こうの速度を、王都の欲望に直結させようとしている。


配信プラットフォームを通じて草原の情景が流れ始めると、それまで道具を求めていた人々の一部が、困惑しながらも足を止めた。馬に造詣の深い騎士や、一攫千金を夢見る一部の商人たちが、品定めをするように画面を覗き込み始める。


「ふむ、あの青い毛並みの馬……足運びが悪くない。試しに銀貨1枚、投じてみるか」


ゼクスは草原の風に吹かれながら、空へと放流した受像水晶を見上げた。それらは草原を俯瞰し、地脈を通じて王都へと信号を送っている。


「今は冷めていても構いませんよ。人は、自分の銀貨が他人の運命に重なった瞬間、どんな理屈も忘れて叫び出すものですから」


ゼクスは不敵に笑い、再び馬たちの美しい走りに視線を戻した。彼の目には、すでに狂乱する王都の未来が見えていた。

ここまで読んでいただきありがとうございます!

もし「続きが気になる」「面白い」と思っていただけたら、下の評価欄から★★★★★(星)で応援していただけると、執筆の大きな励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ