第22話:停止する時間
ゼクス魔導工房の最深部、黄金色の光を放つ受像水晶が、北方の小さな村の様子を鮮明に映し出していた。
ゼクスは椅子に深く腰掛け、手元の卓上に置かれた冷えた茶を喉に流し込んだ。モニターの向こうでは、雪に埋もれた広場で一人の老人が腰を抜かしている。かつて大商会に販路を奪われ、商売の表舞台から消えたはずの零細商人だ。
老人の目の前には、白銀の装甲に包まれた重厚な車両が鎮念していた。特等、時なしの魔導四輪。馬車十台分を飲み込む空間を持ち、その内部の時を止める術式が刻まれた、この世に数台とない代物だ。
老人が震える手で車体に触れる。ゼクスは、その指先から伝わる魔力が車両を起動させる様子を、数値の揺らぎとして眺めていた。
「……ようやく、これに触れる人間が現れましたか。それも、最も執念の深そうな御仁が」
ゼクスは独りごち、視点を王都の貴族街へと切り替えた。
数日後。そこでは、一年に一度の収穫を祝う晩餐会のために、北方の秘境でしか採れない幻の果実を待ち構える者たちが集まっていた。
この果実は、収穫から三日で質が落ち、王都に届く頃には香りが抜けてしまうのが当たり前だった。それを防ぐため、大商会は莫大な資金を投じて、最高の魔導師に氷の術式を維持させ、早馬を走らせて輸送の質を競っていた。
物流を独占する商会長が、自慢げに氷の魔石を敷き詰めた特製の木箱を披露する。
「見てください。この冷気。王都の最高級品の名に恥じぬ、獲れたての果実だ。これ以上の状態を保つのは、人の業では不可能ですよ」
周囲の貴族たちが賞賛の声を上げる。商会長が掲げた果実は、確かに魔法の力で瑞々しさを保っていた。だが、その背後から、低く力強い駆動音が近づいてきた。
白銀の車両が静かに停車し、重厚な荷台から蒸気が吐き出される。操縦席から降りてきたのは、あの北方の老人だった。
老人が荷台の奥から取り出したのは、氷一つ使っていない、常温のままの籠だった。
「……何だ、その骨董品のような乗り物は。北からここまで、氷も使わずに何日かかった。そんなもので運んだ果実が、まともな姿で残っているはずがない」
商会長が鼻で笑う。だが、老人が籠の布を剥いだ瞬間、周囲の空気が一変した。
籠の中にあったのは、たった今、北の木から毟り取られたばかりのような、鮮烈な香りを放つ果実だった。表面には朝露の余韻さえ残り、魔法で冷やされて眠っていた果実とは明らかに違う、生きた輝きがある。
「な……馬鹿な。皮の張りも、香りも……魔法で冷やして眠らせたものとは、格が違う」
美食に耳の肥えた貴族たちが、騒ぎ始める。
商会長の果実も、確かに一級品だ。だが、目の前にあるのは、時間が止まっていたかのような、収穫した瞬間のままの姿だった。魔法で無理やり劣化を遅らせてきた商会長の品が、途端に、古びた努力の産物に見えてくる。
ゼクスは、モニターの向こうで商会長が絶句する様を、じっくりと観察していた。
「最高級を自負していた品が、たった一台の出現で二番手に甘んじる。……いい表情をしますね」
老人の持ち込んだ果実が、今夜の最高値を塗り替えていく。
大商会の物流網が壊れたわけではない。だが、彼らがこれまで誇ってきた保冷輸送の技術と、それにかかる莫大な維持費が、一つの例外によってその絶対的な正当性を失った。
「魔法で冷やし、必死に急ぐ。その尊い努力が、ただの箱の前で少しだけ滑稽に見えてしまう。……この一握りの不条理が、彼らの築いた理を内側から食い破るんですよ」
ゼクスは満足げに背もたれに体を預けた。
市場全体がひっくり返るには、まだ台数が足りない。だが、王都の頂点に座る者たちが、本物の最高を知ってしまった。その事実は、大商会にとって毒のように回り始めるだろう。
「さて、次は誰がこの不条理を奪いに来るのか。楽しみですね」
ゼクスは新たな景品案を空中に描き始めた。
王都の空には、鋼の車輪が刻んだ新しい轍が、既存の格付けを切り裂くように伸びていた。
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