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ゼクス魔導工房の異世界ギャンブル配信 ―異世界をギャンブル漬けにする救済の物語―  作者: ituswa


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第13話目:本物の証明(※とある貴族視点)

ヴェルトマン男爵は、自室の机に置かれた一冊の家計簿を前に、ようやく安堵の吐息を漏らした。


窓の外では、いまだに中央広場の方角から微かな喧騒が響いてくる。銀の箱がもたらした狂熱は、特等のレシピが排出されたことで一区切りを迎えたはずだった。だが、王都の空気にはまだ、焼き付くような熱狂の残滓が漂っている。


「……これで、我が家も平穏に戻れるだろう」


男爵は手元の小さな木箱を撫でた。中には、王都最大の商会が満を持して発売した公式の美容液が収められている。価格は銀貨5枚。かつてのような異常な高騰に比べれば、中堅貴族である男爵にとっても、妻への贈り物として十分に理性的で妥当な金額だった。


彼は広場の熱狂を冷ややかに眺めていた傍観者の一人だ。なけなしの銀貨を博打に投じる平民や、一時の美貌のために家宝を売り払う同胞たちを、彼は心底から軽蔑していた。レシピが公開されれば、価値は平準化され、適切な価格で供給が安定する。それが彼の信じる経済の理だった。


だが、そんな彼もまた、家庭という戦場からは逃れられなかった。一度だけ、知人から譲り受けたゼクス製の三等品を手にしてしまった妻の変貌は、あまりにも劇的だったのだ。くすんでいた肌は真珠のような光沢を放ち、髪は夜の闇を溶かしたような艶を纏った。一度その奇跡を味わった彼女は、もはや従来の香油を石鹸以下の泥水と切り捨て、ゼクスの製品を執拗に求め続けた。


「さあ、受け取ってくれ。これでもう、裏市場の怪しげな出品を追いかける必要はない」


男爵は、寝室で鏡を睨みつけていた妻に、商会製の美容液を差し出した。妻は期待に目を輝かせ、瓶の封を切った。レシピはあの魔導具師が公開したものと同じ。理屈の上では、広場で人々が奪い合ったあの奇跡と同じものが、この瓶には詰まっているはずだった。


夫人が液体を手に取り、入念に肌へと馴染ませる。

香りは良い。純度も高い。これまでに男爵家が購入してきたあらゆる高級化粧品を遥かに凌駕する品質であることは、傍で見ている男爵にも分かった。数分後、妻の肌には確かな潤いが戻り、健康的な血色が浮かび上がる。


だが。


「……何かしら。これではないわ」


妻の声は、喜びではなく、深い困惑に沈んでいた。鏡に映る自分を見つめる彼女の瞳には、かつてないほどの落胆が滲んでいる。


「何が不満なんだ。レシピは本物。商会が威信をかけて調合した、最高級の公式品だぞ」


「分かっているわ。確かに、これは素晴らしい品よ。これまでのものとは比べ物にならない。でも……あの時の、あの広場の箱から出た一瓶のような、世界そのものが書き換わったかのような輝きがないの」


男爵は妻の言葉を、贅沢な我儘だと切り捨てようとした。しかし、自らも妻の肌を凝視して、気づかざるを得なかった。

綺麗だ。確かに綺麗にはなっている。だが、あの日、王都中を震撼させたパン屋の娘のような、理を無視した発光はない。それはあくまで、人間の努力と金の力で到達できる最高点に過ぎず、ゼクスが提供したような、神の指先が触れたかのような超越的な美ではなかった。


男爵は背筋が冷たくなるのを感じた。


同じレシピ。同じ成分。

だが、そこには決定的なバリエーションが存在していた。

大量生産のために効率化され、魔力の流動を平均化した商会の工程。一方で、あの狂った魔導具師が自らの工房で、異常なまでの精度と魔力密度で練り上げた原液。レシピという文字情報だけでは決して盗めない、作り手による品質の絶対的な差が、完成品に埋めようのない溝を作っていた。


翌日、男爵はさらなる衝撃を味わうことになる。

公式品が発売されれば暴落するはずだった、市場に残るゼクス製のオリジナル品の価格が、下落するどころか、以前の数倍に跳ね上がったのだ。


公式品は、しょせん日常使いの代用品に過ぎない。

本物の奇跡を纏いたければ、ゼクスの刻印があるオリジナルを探せ。


そんな噂が、社交界を猛毒のように駆け巡っていた。

公式品という比較対象が現れたことで、人々は逆説的に、ゼクスが放った初期製品がいかに異常な品質であったかを再認識してしまった。商会の参入はバブルを鎮めるどころか、ゼクス製の品を希少な芸術品へと押し上げ、その神格化を決定づけてしまったのだ。


ヴェルトマン男爵は、書斎で再び家計簿を開いた。

公式品の銀貨5枚。そして、妻が今、裏市場で見つけ出してきたゼクス製オリジナル品の提示額。

銀貨50枚。

その桁の違いを見て、彼はペンを握る手を震わせた。


「レシピを渡せば、価値が平文化されると……。誰もが手に入れられるようになると、私は信じていたのに」


男爵の呟きに応える者はいない。

彼は傍観者の椅子から引きずり下ろされ、より残酷な、本物と偽物の序列が支配する世界へと放り込まれたことを悟った。


その頃、ゼクス魔導工房の最深部では、受像水晶が映し出す男爵の絶望的な横顔を、一人の男が静かに観賞していた。


「同じレシピで、同じ結果が出ると考える。その傲慢さが、私は大好きですよ」


ゼクスは椅子をゆっくりと回転させ、手元のコンソールに表示された、高止まりを続けるオリジナル品の取引価格を眺めた。


「情報の共有は、必ずしも価値の均一化を招かない。むしろ、本質を知る者にとっては、差異を際立たせるための残酷な物差しになる。商会の方々には感謝しなければなりませんね。彼らが平均的な正解を出してくれたおかげで、私の作品の異常さが、より鮮明に証明された」


ゼクスは不敵に微笑み、空中を舞う青白い魔力の残滓を指先で弄んだ。

彼にとって、商会に渡したレシピは嘘偽りのない真実だ。だが、その真実を形にするための熱量までは共有していない。


「さあ、公爵様。見てください。人々は安定した安らぎよりも、手が届かないほどの極致を求めて、再び泥沼へと足を踏み入れました」


工房の入り口に立つシルヴェルド公爵は、もはや怒鳴りつける気力も失せたのか、重い沈黙を保っている。その視線の先では、美という名の底なしの渇きに呑み込まれた王都の住民たちが、偽物の安らぎを捨て、本物の劇薬を求めて再び銀の箱の残響を追い回していた。


ゼクスの瞳には、崩れゆく理の向こう側に、さらなる歪みと、そこから溢れ出す爆発的な熱狂の予兆が映し出されていた。

ここまで読んでいただきありがとうございます!

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