第7話:極論と恩義
受像水晶の群れが、工房の暗がりに冷たい青白さを投げかけている。
映し出されているのは、王都の広場を埋め尽くす群衆が放つ、爆発寸前の熱気だ。特等の魔杖を引き当てた少年がバルカス伯爵の馬車に招かれ、自身の財産を預けるという知的な交渉を公に結んだ。その事実が、古い常識を物理的に削り取るかのように人々の意識へと浸透していく。
ゼクスは椅子に深く腰掛け、空中に静止する一対の魔導レンズを軽く横に払った。焦点が切り替わり、流れる術式の文字列が網膜の上で高速に再構成されていく。
この世界のものではない、別の場所の記憶。
かつて彼がスラムの泥濘の中で、硬いパンの端切れを奪い合っていた頃、彼を突き動かしていたのは生存への渇望ではなく、この世界の魔法という不確定要素に対する苛立ちだった。なぜ、数式で割り切れない現象が許容されているのか。論理を無視した事象が、なぜ罷り通るのか。
その違和感を解き明かすために、彼はこの世界の理を、異界の知性をもって解体し続けてきたのだ。
不意に、工房の防壁が重厚な振動を立てた。この深度まで許可なく立ち入ることを許されているのは、この国でもごく僅かだ。
「……ゼクス。また、面倒な種を撒いてくれたな」
低く、押し殺したような声。
現れたのはシルヴェルド公爵だった。かつて泥の中に埋もれていたゼクスの異才を見出し、衣食住とこの黄金律魔導研究所を与えた、彼がこの世界で唯一負債を感じている男である。
「おや、公爵様。こんな夜更けに。王宮の階段を上り下りするより、ここへ来る方がよほど骨が折れるでしょうに」
ゼクスは振り返らず、空中に浮かぶ魔石の配置を微調整した。公爵は重い溜息をつき、近くの壁に背を預けた。
「王宮の連中が騒いでいる。平民の少年が、あろうことか伯爵家を資産の預け先として利用したのだ。陛下も、この状況をどう説明すべきか苦慮しておられるぞ」
「説明、ですか。そんな必要はありませんよ、公爵様」
ゼクスは砕けた丁寧語のまま、静かに言葉を継いだ。
「あの少年は、自身の身を守るために最も合理的な選択をし、伯爵はそれに応じた。何ら法に触れることのない、純粋な価値の交換です。それに、陛下が気に病む必要もない。あの箱からは、いかなる重傷も癒やすエリクサーに、軍事的な均衡を左右しうる魔杖が出ているのですよ。たった数枚の銀貨という、国防予算としては冗談のような低コストで、この国には伝説級の遺物が次々と供給されている。……これを、損失と呼ぶ人間がいるのですか?」
「……お前の理屈は、常に極論だ。だが、その結果として得られる利が大きすぎるせいで、誰も面と向かって文句を言えん」
公爵は眉間を指で押さえ、再び深い溜息を吐いた。王宮側からの突き上げと、目の前の男がもたらす圧倒的な実利。その板挟みで、彼の心労が絶えることはない。
「私はただ、効率を求めているだけですよ。愛国心なんて面倒なものはありませんが、純粋な利益の総量こそが国を強くする。保守派の老人たちが守りたがっている形式だけの秩序に、歴史的な遺物一つ分の上乗せができる。それこそが、本来あるべき健全な姿でしょう」
ぬらりくらりと、公爵の追及を言葉の壁で受け流す。ゼクスにとって、このやり取り自体が既に計算済みの定例行事に過ぎない。
「……あの少年が選んだ道も、お前の計算通りか」
「いいえ。あれは彼自身の演算結果ですよ。私はただ、きっかけを置いただけです。……ああ、それから公爵様」
ゼクスは初めて、空中の術式から目を離し、恩人に視線を向けた。
「孤児院への寄付の件、今回も匿名で手配しておきました。あそこの食事が改善されないのは、私の計算外ですからね。……私の催しを支える未来の観客たちが、飢えていては興ざめでしょう?」
公爵は鼻で笑い、それ以上は何も言わずに工房を去った。ゼクスが毒づきながらも、自身を拾い、知恵を与えてくれたあのお節介な孤児院や、公爵個人に対して彼なりの流儀で報いようとしていることを、公爵だけは理解していた。
一人になった工房で、ゼクスは受像水晶の向こう側に映る、新たな挑戦者たちの姿を見つめる。
彼らが銀貨を投じるたびに、既存の身分制度や常識という名の古い回路が、火花を散らして焼き切れていく。
「さて、次はどの理を書き換えましょうか」
ゼクスは満足げに目を細め、さらなる熱狂を演算し始めた。
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