第2話 ーー観測
その言葉は、唐突だった。
「この世界の人間じゃないわね」
金色の髪の少女の視線が、俺を正確に射貫く。
逃げ場はどこにもなかった。
否定しようとしても、言葉が出ない。
肯定する理由もないのに、胸の奥で何かが静かに崩れ落ちていく。
「どうして、そう思ったんだ?」
ようやく絞り出した声は、思っていたよりも落ち着いていた。
それが逆に怖かった。
「理由は、いくつかあるわ」
少女は、淡々と続ける。
「あなたは、“ここに適応していない”
「適応・・・?」
「この王都ノルンヴィルの空気に。人の距離感に。それからーー恐怖の向きに。」
恐怖の向き?
「普通、こんな場所で目を覚まして、この状況に晒されたら人はまず周囲を警戒する。」
「でも、あなたは違った。」
「あなたは、この“状況そのもの”を疑っている。」
完全に図星だった。
この場所が危険かどうかなんかよりも先に俺は、ここが“現実”なのかを先に疑っていたからだ。
「・・・だから」
少女は何かを含むように俺に言った。
「だから、あなたはこの世界の人間じゃない」
断定だった。
周囲の人々が、ヒソヒソと声を潜める。
理解できない言葉を、理解できない距離で投げ合っている。
――違う!
理解できていないのは、俺の方だ。
「・・・じゃあ、君はその事実を俺に突き付けてどうするつもりなんだ?」
自分でも驚くほどに、冷静な声だった。
「私があなたをどうにかしようかなんて考えていないわ。」
「ただ、このノルンヴィル直属の衛兵が聞きつけたら、保護をされるか、監視対象となるか・・・」
少女は、一瞬だけ言葉を切った。
「“問題が起こる前に処理”される」
空気がはっきりと変わった。
冗談じゃない。
俺は自分の部屋でただゲームをして楽しんでいただけだ。
それに、ここは確実にゲームの世界ではなく、現実だ。
リスポーンも、リトライもない。
一度失敗したら、元の世界と同じようにそこで“終わり”だ。
そう思った瞬間。――音がした。
耳鳴りとは違う。初めての感覚だった。
頭の内側に、直接声を叩きこまれる感覚だ。
『認証――。』
声がした。
男でも、女でもない。
感情の起伏が一切ない。まるで機械的な声だった。
『観測対象へ正常に接続。』
俺は、無意識に息が止まり、動くこともできなくなった。
視線だけは動かすことができ、周囲を見渡した。
誰も動いてはいない。まるで、時が止まったかのように。
動いてはいないはずなのに、心臓の音だけが、やけに大きく聞こえた。
『目的を提示する。』
無意識に拒絶をしたくなった。――でも、いくら拒否をしたくても、その機械的な声は、一方的に話し続けてくる。
『王都ノルンヴィルは、近い未来、崩壊します。』
・・・は? 崩壊!?
『是。』
俺の思考は、謎の声に筒抜けのようだった。
『正確には、三度目の未来で確実に崩壊を迎えます。』
懇切丁寧に、情報だけが一方的に投げ込まれ、自分の今の状況を含め、受け入れることができない。
それでも、伝えられた言葉の意味を考える時間も与えてはくれず、一方的に話を進める。
『我は、観測者』
『神原凌央の介入により、結果は変動可能。』
説明はそれだけだった。
“変動可能”という言葉を境に、時間が急に動き出す。
「自分の今の状況を受け入れることができないのは、分かるけれど・・・?」
「急に、狐にでも化かされたような間抜けな顔をして、どうしたの?」
俺は、思考が纏まらずに、一瞬惚けていたが、少女の声によって我に返った。
少女は、俺の顔をうかがっている。
――彼女や周りの人間には、今の声が聞こえていない?
やはり、あの謎の声が聞こえていた瞬間、周りの時間は、俺を含めて止まっていた?
というか、“観測者”って何なんだ??
「・・・い、いや・・・あの・・・・」
言おうとした瞬間、言葉が崩れた。
説明をしようとした瞬間、「“何を説明するのか”が分からなくなり、思考がまとまらなくなった。
口を開けば、意味のない音だけが漏れそうだった。
そして、またーー時が止まった。
『警告。』
『観測情報の共有は禁止されています。』
『今後、仮に観測対象である神原凌央が他者へ情報を共有した場合、あなたは言い表せないほどの悲惨な目にあいます。』
『観測の歪曲を防ぐために。』
言い表せないほど悲惨なことって何なんだ?
というか、こいつは本当に何なんだ?
理解が追い付かない中、観測者と名乗る声は、淡々と説明を続ける。
『是。』
『今後の忠告はありません。』
『後悔の無い選択をすることをお勧めします。』
・・・クソ仕様にも程があるだろ。
少女は不満そうにまた俺を見つめてくる。
どうやらまた時間が動き出したようだ。
「また黙り込んで、何か言いたいことがあるの?」
そう、少女に聞かれる。
「いや、ちょっと考え事をしていただけだ。」
説明することができないので、そう答えるので“精一杯”だった。
彼女はいぶかしげに眉を寄せたが、何かを察してくれたのか、それ以上追及はしてこなかった。
「まあ、そんなことより私と今すぐここを離れましょう」
「え?なんでだ?」
我ながら後々考えると馬鹿な質問をしていたと思う。
「何故って・・・あなた、今の周りの状況を分かっていないの?」
彼女の言う通りだった。
俺は、“観測者”の声や今“この世界”に来たことで頭がいっぱいで忘れていた。
俺が今目覚め、話をしている状況は、あまりにも注目を浴びすぎている。
そんなことを考え、思考が纏まらない中、少女は俺の腕を引っ張り、立ち上がらせた。
「皆さん。安心してください」
「この男は、私が責任をもって預かります。移動しますので、道を開けてください」
彼女は淡々と俺の周りを囲む群衆に声をかけ、移動の準備を整え、俺を連れて歩き出した。
「まってくれよ!どこに俺をつれていくんだ!?」
俺の不安や焦りの声は、まるで彼女に届いてはいないかのように、彼女は俺の腕をつかみ、歩いていく。
しばらくして、路地裏に入ったときに、今まで反応を示さなかった少女が俺の顔をあきれたように見つめてきた。
「あなたの世界では、あんな路上の真ん中で目を覚まして、群衆に囲まれても何も気にしないんですか?」
完全にあきれられていた。
俺が逆の立場でも、同じように思う。
というより、むしろ彼女は優しい。
あの状況で見知らぬ俺なんかに声をかけ、あの状況から俺を連れ出してくれた。
「まあ、いいわ」
「あなたのことを詳しく聞く前に、まずはあなたの名前を教えてくれるかしら?」
「・・・神原・・・凌央・・・」
そう名乗った瞬間、頭の中で何かが記録されたような不思議な感覚が一瞬あった。
『識別完了。』
『これより、神原凌央の観測を開始します。』
また急に時間が止まり、“観測者”の声が聞こえ、訳も分からず登録され、“観測?”が開始された。
そして、その言葉だけを言い残し、また時間が動き出し、少女が俺に話しかける。
「神原凌央って名前なのね?」
「少なくとも、この王都ノルンヴィルにはいない名前ね。」
「改めまして、私の名前は、エルナ・ヴァル=ノイルよ。一応、今のところは、あなたの命の恩人ってとこかしら。」
「・・・ありがとう。」
俺は、困惑しながらも、何とかお礼を言うことができた。
そういえば、人との会話なんて久々だと、しみじみ感じた。
そんなしみじみとした俺の感傷は、エルナは知る由もなく、話しを続けた。
「命の恩人ついでに、あなたに一つ忠告をしておくわ。」
「忠告?いったいなんだ?俺の状況からさらに忠告がプラスされるのか?」
俺は、少し余裕ができて、エルナに問いかけた。
「ええ。忠告よ。」
「よく聞きなさい。あなたの身のためになることだから。」
「私が、あなたの今後について話したことは覚えている?」
「ああ。なんとなく。」
観測者によって、それどころではなかったから忘れていた。
「王都ノルンヴィルは今、均衡の上にあるの。」
「あなたのような“異物”が今この状況で現れて、大事にでもなるものなら、王都の衛兵や国王たちは、あなたのことを放っておかないでしょうね。」
異物・・・。
確かにそうだ。そうなんだけれども、俺なんかのために国がわざわざ動くのか?
いや、彼女の言うことは正しいのだろうと、俺はすぐに理解した。
先の“観測者”の言うことが本当であれば、俺は確かに“異物”だ。
普通なら、すぐに投獄されるか、その場で殺されても不思議ではない。
でもーーなんで、彼女は俺を救ってくれたんだ?
俺は純粋にそのことが疑問に思い、エルナに問いかけた。
「なあ、エルナ。あんたはこの国の人間なんだよな?」
「なんで俺をあの場所から連れ出して、そんなに丁寧に説明してくれるんだ?」
「俺がその“異物”だとは思わなかったのか?」
そう、エルナに一方的に問いかけると、エルナは、“何を言っているんだ?”といった様子で俺の顔を見ていた。
「そんなの決まっているじゃない。あなたのどこをどう見たらその“異物”に見えるの?」
「あんな道端で倒れている人間を疑うはずがないじゃない!」
・・・あれぇぇ!? さっきと言っていることが違う!?!?
俺は、一呼吸置いてから、彼女に聞いた。
「あのーー、もしかして、エルナって、ものすごいお人よしなのでは?」
我ながら、人生最大の疑問をエルナにぶつけてしまった。
俺は、一呼吸置いてから、彼女に聞いた。
「あのーー、もしかして、エルナって、ものすごいお人よしなのでは?」
我ながら、人生最大の疑問をエルナにぶつけてしまった。
一瞬。
本当に一瞬だけ、エルナはきょとんとした顔をした。
次の瞬間、
彼女は呆れたように、深くため息をつく。
「……はあ」
「あなた、命の恩人に対して、最初に出てくる言葉がそれ?」
「いや、だってさ……」
俺は言い淀む。
「普通、見知らぬ男が道端で倒れてて、しかも訳の分からないこと言ってたら、関わらないだろ?」
「ましてや、“この世界の人間じゃない”なんて言われたらさ……」
エルナは歩みを止め、俺の方を振り返った。
その表情は、さっきまでの冷静さとも、呆れとも違っていた。
どこか――少しだけ、真剣だった。
「勘違いしないで」
「私は“お人よし”だから助けたわけじゃない」
「じゃあ、なんなんだよ」
そう聞くと、彼女は少しだけ視線を逸らした。
路地裏の奥、人通りのない影の方へ。
「……見過ごせなかっただけ」
「見過ごせなかった?」
「ええ」
エルナは、淡々と、でもどこか言い聞かせるように続ける。
「あなたの目がね」
「目?」
「必死に周りを見ているのに、どこにも“帰る場所”がない目をしてた」
胸の奥が、わずかに軋んだ。
そんな風に見られていたなんて、思いもしなかった。
「それに――」
エルナは俺を見て、はっきりと言った。
「あなたは、危険な人間には見えなかった」
「だから、手を伸ばした。それだけよ」
それだけ。
あまりにも単純で、あまりにも重い理由だった。
「……そっか」
俺はそれ以上、何も言えなかった。
エルナは再び歩き出す。
今度は、さっきよりも少しだけ、ゆっくりと。
「とりあえず、今日は私の知り合いのところに行くわ」
「知り合い?」
「ええ。あなたみたいな“厄介事”を、多少は黙って受け入れてくれる人」
嫌な予感しかしない。
「なあ、それって安全なのか?」
「保証はしないわ」
即答だった。
「ただし――」
エルナは振り返らずに言った。
「今のあなたが、一人でこの王都を歩き回るよりは、ずっとマシ」
……反論できない。
俺は観念して、彼女の後を追った。
この時の俺は、まだ知らなかった。
この“お人よし”な選択が、
俺の運命を、取り返しのつかない方向へ動かし始めていたことを。
――第2話・了




