「ただいま」のその先
拝啓 お母さん様。
そちらでは、元気にしていますか?
こちらは相変わらず、洗濯物が山盛りで、父はネクタイを見つけられずに毎朝大騒ぎです。
……あの人、たぶん一生あのままだと思います。
さて――今日は、少し不思議な報告があります。
先日、自分を「千尋」だと言う女の子が、突然うちに現れました。
異世界から来たとか言ってて、最初は頭がおかしいのかと思いました。
でもその子、日本語ペラペラだし、口調もお母さんそのもの。
気づいたら勝手に洗い物までしてるし、断捨離まで始めるし……。
――ねえ、お母さん。
この空気の読めない感じ、完全にお母さんです。
しかも、私の好きなカフェオレを作ってくれたんです。
氷の数も、ミルクの量も、あの頃のまま。
一口飲んだ瞬間、胸がきゅっとなって、思わず「おかえり」って言いそうになりました。
まだ信じられないし、正直いろいろ混乱してるけど……
不思議と、家の中が少しだけ明るくなった気がします。
それではまた、手紙を書きますね。
追伸:
いろいろありますが――その子は現在、我が家の環境に……
すっかり馴染んでます。
我が家の朝は今日も忙しい。
「大輔! ネクタイ曲がってるぞ!」
「……あ、うん」
「大輔! 弁当だ!」
「ありがと……じゃあ、行ってきます……」
「気をつけてな」
そう父を見送り、
「ほのかも早く食べないと遅刻するぞ」
「……あ、うん」
私にそう言いながら、洗い物や洗濯物を片付け始める。
――いや、馴染みすぎでしょ!?
私は早々にハムエッグトーストを食べ終え、
小さい母が作ったカフェオレを飲み干した。
「行ってきます」
鞄を持って玄関へ向かうと、もう母が後ろにいた。
……いつの間に!? てか行動早すぎ!
小さい母は私に笑顔で「いってらっしゃい」と言った。
その顔に、生前の母の面影が重なり、少し目頭が熱くなる。
---
あの日――。
「帰れなくなったんだから、悩んでも仕方がない! 私は地球で生きようと思う!」
異世界から来て「帰り方がわからない」と言ったあの日、
リビングで小さい母は堂々とそう宣言した。
潔いというか……何というか……
切り替え早すぎでしょ!?
「帰る」って言ったから、ちょっと悲しくなった私の気持ち返して!
それからというもの、小さい母の適応力は異常だった。
いや……馴染んだというより、戻ったに近い。
まるで、生前の母がいた頃の我が家そのままに。
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「これなんか、どうだろうか?」
父が、昔母がつけていた冠婚葬祭用の真珠のネックレスを手渡す。
「駄目だな……何も感じない」
「そうか……」
地球で生きると宣言した母だけど、
何もしてなかったわけではない。
家事の合間、休日には異世界への“帰り方”をずっと模索していた。
「宝石とかじゃダメなんじゃないかな?」
「そうか……」
「その……お母さんが触ったっていうクリスタルって、大きかったんだよね?」
「ああ、大人二人分くらいはあったな……」
「もっと思い出せない?」
小さい母は腕を組み、「うーん」と唸る。
子供の見た目で、エプロン姿で真剣に考え込むその姿……
慣れたけど、やっぱり違和感すごい。
「もっとこう……神聖な感じがしたな」
思い出したように、ポンと手を叩く小さい母。
そのリアクション、昭和じゃない?
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そして翌日――。
私たちは奈良・東大寺にいた。
……なんでこうなった?
「大仏は大きすぎた」
いや、そういう問題じゃないから!?
「ご利益の方に寄せよう。もっと“触ると幸運がある”ものに」
そう言い出す父。
次の週末、私たちは大阪・通天閣へ。
「ビリケンさんを触りに行くぞ!」
だから違うって!!
「ビリケンさんは……小さすぎたのか?」
「大きさ関係ないから!!」
「もういっそ海外に行ってみるか。“マチュピチュ”なんてどうだ?」
「駄目だ、大輔。パスポートがない」
「そうだった!!」
……旅行行きたいだけだよね!?
だけど、不思議とそのやりとりが懐かしかった。
笑いながらツッコむ私も、確かにそこにいた。
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しかし――事件は起こった。
小さい母が異世界から来て、早二ヶ月。
その日は、ごく普通の平日だった。
父は有給を取り、母と京都の建仁寺へ行く予定だった。
「“風神雷神図”は国宝だから、もしかして」と言い出したらしい。
いや、違うから! あれレプリカだから!!
私は学校で授業を終え、いつも通り帰宅すると――
「ほのか! どうしよう!!」
リビングで父が取り乱していた。
「落ち着いてお父さん! 一体どうしたの!?」
コップに水を入れて手渡すと、父は一気に飲み干してから言った。
「千尋がいなくなったんだ……」
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京都に行く前に「買い物に行ってくる」と言って家を出たらしい。
だけど昼を過ぎても帰ってこない。
心配になって探しに行っても、どこにもいない。
もしかして先に帰ってるかも、と家に戻ったが――誰もいなかった。
「捜索願い出した方がいいかな……?」
「何て言うの?“異世界から来た死んだ母”って……信じてもらえないよ!」
「はっ! ひょっとして……誘拐!?」
「こんな真っ昼間に!? ここ日本だよ! ないない!」
私も父も腕を組んで考えるけど、答えは出ないまま時間だけが過ぎていった。
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拝啓 お母さん様。
以前話した、貴方そっくりの女の子ですが――
急にいなくなりました。
辺りを探しても見つからず、警察に話そうにも言葉が見つかりません。
もう二ヶ月が過ぎました。
私も父も、最初こそ心配していましたが……
そのうち、いない生活にも慣れ、
「あれは夢だったのかも」と思うようになりました。
父と私、大変なことも多いですが、なんとか元気に過ごしています。
それではまた、手紙を書きますね。
お母さんも天国で風邪など引かぬよう、ご自愛ください。
---
追伸。
そうそう、その女の子ですが――
ドカシャーーーーン!!
雷が落ちたかと思うほどの衝撃が我が家を襲った。
普通の休日の昼下がり。
私は勉強、父はリビングでテレビ。
凄まじい音とともに家が揺れる。
「地震か!? 天変地異か!?」
父が取り乱す。
ガラスが割れ、本棚が倒れる。
音のする方――父の寝室へ向かうと。
そこには――
血だらけでボロボロになった小さい母が立っていた。
「え……嘘……」
私と父は、息を呑んで立ち尽くした。思考が真っ白に染まる。
次回「玄関開けたら2分で異世界」
異世界千尋編に突入です。
読んでくださってありがとうございます。
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