「ただいま」
学校から帰ると、知らない女の子がリビングに立っていた。
ここ…私の家だよね?
私は部屋を見渡した。朝食後の洗い残した食器類、ソファーに脱ぎ散らかした父の服。玄関に目をやると、母と撮った思い出の写真が置いてある。
それらはすべて、この家が私の家だと告げていた。
「あの…どちら様ですか?」
私は恐る恐る、リビングに立っている女の子に聞いた。
「⋯⋯」
女の子は何も答えない。改めて私は女の子をよく見た。肩までの栗色の髪。宝石のような瞳に、異国めいた顔立ち。背丈は十歳くらいに見えるのに、人形のように整った容姿をしていた。
外国の人だろうか⋯。だったら日本語通じないか…英語ならどうかな⋯。えーと…。
“What's your name?”
女の子は何も答えず、不思議そうな顔をしていた。
ちょっと待って…落ち着け私! なんで、どっかの映画のタイトルみたいになってんの?
何も言わなかった女の子が、すっと右手を上げて私を指さし、こう言った。
「その制服…そうか…ほのかは膳所高に行ったのか…」
「ご…ごめんなさい! ……え? 膳所高?」
知らない子に指さされて、私は驚いてとりあえず謝る。そして急に出てきた「膳所高」のワードにさらに驚いた。
「膳所高‥知ってるの? てか日本人じゃん!」
膳所高のワードに、流暢な日本語。私はすかさずツッコミを入れた。
バタバタと慌てふためく私を無視して、女の子は朝食後の食器や散らかった衣類を片付け始める。
「ちょっと待って!」
私は慌てて女の子を制止する。
「お客さんにそんな事させれないよ」
そう言うと、女の子は驚いた表情をしていた。
きっとお父さんの会社の人の子供かなんかだよね…きっと。
「ごめんね…もうすぐお父さん帰ってくるから…待ってね」
私は父の衣服をとりあえず洗濯機に突っ込んだ
見栄えは悪いが今は仕方ない
女の子は時計を見て、ポツリと呟く
「大輔か…確かにもう帰って来る時間だな」
まだ小さいのに、しっかり時計も読めるんだな――ん? 今? 大輔って言った?
「お父さんの名前知ってるの?」
「ん? 大輔はお父さんじゃないのか?」
不思議そうな表情をしながら、私に聞き返した。
――よめた‥
私は、まるで頭に電球が灯るみたいに…
ピンと閃いた。
この子は父…大輔の隠し子だ!
「なんか飲む?」
隠し子…そう確信した私は、急に態度が冷たくなる。
「ここ…座って」
そう言ってテーブルの椅子を引いて、座るように隠し子に指示する。
――あの腐れ外道…
外で女作って浮気してやがった! さらに子供まで作りやがって。
ふつふつと父・大輔に対して怒りがこみ上げてくる。
母親は何…アメリカの人? フランス? そりゃ母さんより美人でしょーよ!
私は怒りが収まらず、冷蔵庫からペットボトルの水を出してラッパ飲みをはじめた。ずっと‥その光景を見ている女の子。
ダン! と勢いよくペットボトルをシンクに叩きつける。
――それでこの子は何?
アメリカかフランスの浮気女と一緒に来て、お金目当て?
残念でしたぁ、万年平社員のあの男には貯金なんてないですぅー。
――はっ!
もしかして…知らない外国不倫女と
この家に住む気?
新しく女と住むから…お前は出ていけ…と。
そうですか、あ~そうですか。出ていってやりますとも
あ~出ていってやりますとも。
「なぁ?」
「何!?」
気がつくと、女の子はキッチンで洗い物をしていた。
どこから出したか、私が小さい時に使っていた踏み台を使って‥
「ほのかはコーヒーでいいな…」
洗い物が終わり、テキパキとコーヒーを作り始める。
「ちょっと!」
私が制止する間もなくコーヒーを作り終わり、テーブルに置いた。
それは私が好きなアイスコーヒーだった…。
インスタントコーヒーの粉にお湯を少し。
氷とミルク多めの分量…母がよく作ってくれたカフェオレだった。
コーヒーを私の方へ置くと、自分は対面の席に腰掛けてお茶を飲み始める。
それは…梅のやさしい酸味と昆布の塩気…
祖母の台所みたいに時間が丸くなる匂い…。
母がよく飲んでいた梅昆布茶だった。
「ねぇ…」
私は落ち着きを取り戻していた。
今は現実を受け入れて…
この子(隠し子)と向き合わないと…。
「貴方のお母さんってどんな人なの?」
女の子(隠し子)はしばらく考え、
「お祖母ちゃんの事か?」
と聞き返してきた。
「いやいや、貴方のお母さん」
「だからお祖母ちゃん、梅 ばあちゃんだろう…?」
「それは私のお祖母ちゃんの名前!」
すかさずツッコミを入れる。
キョトンとする女の子(隠し子)。話がかみ合ってない…。
「貴方、私の親戚かなにか?」
私の問いに、女の子は目を丸くして言った。
「私は、松本 千尋‥ほのかの母親だ」
あり得ない事を言う
私はため息をついた。嘘ならもう少し…現実味のある嘘をつけばいいのに…。
「はいはい…死んだお母さんが若くなって帰ってきたのね…今までなにしてたの? 異世界でも行ってたのかしら?」
私は鼻で笑いながら、女の子(隠し子)に皮肉交じりで言ってやった。
「よく分かったな」
女の子(隠し子)はそう言った。
「んなわけあるかい!」
すかさずツッコミを入れる。女の子(隠し子)は不思議そうな顔をする。
「じゃー何? 死んだ母が"たまたま"異世界に転生して、"たまたま"前世の記憶が蘇って、さらに"たまたま"地球に帰る事ができたわけ?」
私は興奮し、荒い鼻息まじりで女の子(隠し子)に言った。
いや、言ってやった。そんな現実離れした事、あり得ないのだから。
「凄いじゃないか」
女の子はそう言って、感心した様に私を見た。
も~~意味わからないんですけど! なに? この子は…メンヘラか何かなの?
「よーく分かりました! あくまで貴方は私の母・千尋だと言うのを変えないのね」
「はじめから言ってるだろう…私は千尋だ」
「黙りなさい!」
私が両手でテーブルを叩くと、女の子(隠し子)が少しビクッとした。
「なら質問です。母の年齢と好きな食べ物は」
両手を組みながら言った。
「40だな…食べ物か、納豆とオクラが好きだな」
考えず、女の子(隠し子)は答えた。なるほど…簡単すぎたか。
「じ、じゃあ母が好きな歌、そして私の好きな芸能人は?」
「レミオロメン‥3月9日だな。ほのかの好きな芸能人は…お笑いだったな、ノンスタイルが好きだったか」
間髪入れず、女の子(隠し子)は答えた。
何? この子怖い。どこから情報が漏れてるの? インターネット? SNS? こわー。ネットこわーー!
「終わりか?」
女の子(隠し子)はニヤニヤ笑いながら言った。
む・か・つ・くぅー。
「じゃあ! 私の初恋の人は?」
これなら母以外誰にも言ってないし誰も知らない!
お父さんにも言ってないし大丈夫。
「たしか…」
女の子(隠し子)は腕を組み、考え始める。
分かるわけ無い…誰にも言って無いんだから。
「ほのかが…小学生の時だったか」
ドキン。私の心臓が激しく鳴った。
「確か…4年だった。クラスメイトの男子で…」
ドキンドキン。激しく心臓が鳴り始める。
まさか…え? まさか…あり得ないよね?
「好きな子に牛乳を掛けられて喧嘩になったな…」
え? ええ? ええええー。
「学校に呼び出されて親子面談になったな⋯その子の母も変わった人だったな⋯」
私の…頭の毛からつま先、産毛にいたるまで真っ赤になり…
全ての細胞が「今すぐコイツを黙らせろ」と言っていた。
「名前は確か…」
「ストーープ! もういいから!」
慌てて話を制止した。
あり得ない。あり得ない!あり得ない!!あり得ない!!!
なんなん? この子なんなん? まさか…ほんとに?
「ただいま」
という声と共に、玄関のドアを開ける音がした。少し間を空け、リビングの扉を開ける音。父・大輔が帰ってきた。
父が入って来ると同時に、私は父に駆け寄り胸ぐらを掴みながら、
「お父さん聞いて! その女の子は始め、お父さんの隠し子だと思ってたんだけど、実は違って、死んだお母さんが生まれ変わって異世界から来たって言うの!」
私は父をブンブン揺らしながら、早口で父に説明する。
「落ち着け、ほのか…何を言ってるのか…全くわからん」
私に激しく揺さぶられながら、父は苦しそうに言った。
「いや…だから、あの子が自分を千尋だって言うの!」
混乱している私達をよそに、何くわぬ顔でお茶をすすっている女の子を指差して、父に言う。
「ハハ…そんな訳ないだろう。可愛らしい子だね、ほのかの友達かい?」
と言いながら女の子の方へ行き、隣に座る。
「大輔、ほのかが言っている事は正しい。私は千尋だ」
「へぇ…日本語が上手だねぇ…いくつかな?」
父は女の子の頭を撫でながら、笑顔で言った。
この人の頭は万年お花畑だ。
そんなんだから頭の毛も薄くなって、万年平社員なんだろな…
などと思っていると、女の子(千尋?)は鬱陶しそうに手を払いのけ、父の顔を見ながら‥
「大輔…髪の毛…薄くなったな」
と地雷を言った。
「く…口調まで千尋にそっくりだねぇ」
そう言った父の顔は、引きつった笑顔だった。
あ…ちょっと怒ってる。
はぁ…と私はため息をついて、
「お父さん…何かこの子に質問してよ…」
「ん? 質問?」
「お母さんとの思い出とかあるでしょう?」
「んー、思い出かぁ」
少し父は考え、
「千尋の年齢と好きな食べ物は?」
得意げにそう言う父に、
「それはさっき私が聞いた」
と女の子より早く私が答えた。
「え? そうか…それなら…結婚記念日は?」
「11月11日。ポッキーの日だ」
「え?」
父はどうせ無理だろうと思っていたのか、少し驚く。
「ちなみに、なぜポッキーの日にしたのかは、大輔がポッキーが好きで、余興でポッキーを景品にしたいからだったか」
「す…凄いじゃないか…理由まで」
「お父さん! そんな質問は簡単だよ。そんなんだったら、この子はすぐに答えるよ? もっとなんかないの?」
「けっこう難しかったと思うけどな…それなら……」
「新婚旅行は沖縄だ」
「あ…今言おうと…」
「美ら海水族館がみたいと大輔が言ってたからな…その後、石垣島に行って水牛車に乗ったな」
淡々と女の子は答える。
「や…やるじゃないか…」
「終わりか?」
呆気にとられる父に、女の子は勝ち誇った笑みを浮かべる。
「もっとなんか無いの? とっておきみたいなやつ」
「ちょ…ちょっと待て…うーん」
「付き合うきっかけは、大輔からの告白だったな⋯放課後の教室だった」
畳み掛ける様に、女の子が聞かれてもいない父とのエピソードを話し出す。
「その話! 詳しく!」
私がその話に食い付く。
「誰もいない教室で、急に『好きだ!』と言われたな」
「お父さん頑張ったんだね」
「待て待て待て…そうだ…プロポーズの言葉だ。なんて言った?」
盛り上がる女子2人の話を慌てて制止し、次の質問に話題を変えた。
「プロポーズ‥」
今まで凄い速度で答えていた女の子も、今回は悩みだす。
「これなら…千尋と2人しか知らないはずだ!」
勝ったとばかりに笑い出す父。
確かにこれなら父と母、2人しか知らないはず。
女の子も流石に悩みだす。
「どうだ? ちなみにプロポーズはちゃんとしたぞ」
勝ち誇る父。悩む女の子。
父よ…少し大人げない…。
「いや…」
女の子は父を見上げ、口を開く。
「大輔…本当にいいのか?」
少し恥ずかしそうに父に言った。
「え?」と聞き返す父。女の子は父を手招きし…耳元で話し出す。私には聞こえない様に⋯。
見る見る顔が赤くなる父。髪の毛からつま先、産毛にいたるまで真っ赤になる…。
「もういい…もういいから…ほんとに…やめて…」
と小走りで洗面所へ向かった。
「なにを話したの?」
と私が言うと⋯
「言えないな…」
と、少し恥ずかしそうに女の子は言った。
しばらくして、洗面所で顔を洗った父が戻ってきた。
父がリビングのテーブルに座ると、私たちも無言で座る。
女の子は何も言わず、父の前に新しい湯呑みを置いた。
ふわりと、湯気と共に香りが立つ。
梅の酸味と、昆布の出汁の匂い。
「ありがとう」
父は湯呑みを手に取り、一口すすった。
その瞬間、父の手がピクリと止まる。
「……熱いな」
「大輔は猫舌のくせに、熱いお茶をフーフーして飲むのが好きだろう?」
少女は困ったように眉を下げ、急須をトン、と置いた。
その仕草。
置く時に、小指だけが少し立つ独特の癖。
父の視線が、湯呑みの中の茶柱と、少女の指先に釘付けになる。
理屈じゃない。
ネットで調べた情報でも、偶然の一致でもない。
この温度、この濃さ、そして何気ない手つき。
世界でたった一人、妻だけが持っていた空気感が、そこにはあった。
父は、ゆっくりと湯呑みを置いた。
その目から、疑いの色は消えていた。
「それで…この子はなんなんだ?」
と私に言った。
「私もずっとそれは思っているよ! 貴方は何者?」
「何度も言っている…私は千尋だ」
「信じられるか!」
私と父の声がかぶる。
「しかし、事実だ」
私と父は何も言えない。
今さっき、この子は本人達しか知り得ない情報を言い当て、自分が千尋だと証明して見せた。
確かに…口調や仕草、たたずまい、すべてがこの子が千尋だと告げている。
だけど…あり得るの? ほんとに?
「もうやめよう」
父が言う。
「この子も自分が千尋だと言って譲らないなら、受け入れよう」
「え? …でも…」
「あり得ない事は分かってる…けど」
「けど…?」
「そのコーヒーは、その子が入れたんだろ?」
「うん」
「そして…千尋が好きな梅昆布茶、俺が好きな緑茶。それぞれの好みは、家族でしかわからない…」
「……」
そんな事は言われなくても分かっている。でも‥
「それで…この家に来る前は何をしていたんだ?」
「異世界にいた」
「よし…分かった、受け入れる!」
お父さん…無理してない?
「私はそこではエマと言う名前で…」
自分を母の千尋だと言う女の子は、ここに来る前の事を話し出す。
「でかいクリスタルを触ったら、地球に転送されたか…」
「そうだ」
一通り、異世界の事、エマの事、魔法の事…を話し終え、女の子は席を立ちお茶を入れ直す。
「いつ…お母さんの記憶が戻ったの?」
「この場所に来る前だ…クリスタルを触ったら記憶が戻った」
「クリスタルに触る前は? 両親はいるの?」
「普通の田舎の子だったな…父はアラン、母はナミと言う名前だ」
「向こうの両親は心配してるんじゃないか? 急にいなくなったから」
「いや…両親は、私が首都に行って暮らしてると思ってるから大丈夫だ」
「そうか…」
「……自分が死んだ時の事は覚えてる?」
「……そうだな…記憶が戻る時に…交通事故だったな…」
「そう…」
しばらく沈黙が流れる。
「…お腹空いたな」
父がお腹をさすりながら言う。
時刻は午後8時を過ぎていた。
ほんとに…空気が読めない人…。でも、今回はいいか。皆一緒に笑った。ほんわかした空気が家に流れる。母がいた時とよく似た、優しい感じだった。
食事を終え、私たちは一緒にキッチンで洗い物をする。
「そろそろ帰るかな…」
と食器を洗いながら女の子が言う。
「え? 帰るの…」
「ああ…一度帰らないとな…向こうの両親や…魔法を学ぶ途中だからな」
「そっか…」
私は勝手に、ずっといるものだと勘違いしていた…。そりゃ帰るよね…そうだよね…。食器を洗う音だけが、リビングに響く。
洗い物を終え、母は…玄関に向かって歩き出す。私と父は…後ろを付いていく。
父は「向こうの両親によろしくな…」と母に言う。
もっと言う事あるだろ…本当に…。私は父の足をつねる。「あいた」と父は少し跳びはねる。
私は小さい母に「また…来てね。絶対来てね」と言った。小さい母は、
「また来るも何も…ここは私の家だからな」
そう言って笑った。
玄関に着くと小さい母は、急に立ち止まる。
「?」
私も父も首をかしげる。立ち止まったまま動かない母。
「どうしたの?」
たまらず私は母に聞いた。母は振り向き
「帰り方がわからない」
と可愛らしい声で言った。
「ええええー!」
私と父の声が、虚しく玄関に響いた。
次回:第9話「ただいまのその先」/更新:金曜20:30




