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母は、異世界で天下を取る   作者: 松本 蛇
二章 ほのかリベンジ編

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25日 堕ちた剣聖と奪われた光


 ジュリアンが、また指を鳴らした。

 乾いた音が響いた瞬間。


 ズドォォォォン!!


 私の目の前で、空間が爆ぜた。

 凄まじい爆音と衝撃波。砂埃と煙が視界を奪う。


「きゃあぁッ!?」

「チッ、派手な野郎だ」


 私が悲鳴を上げる中、カインが私の前に飛び出した。

 彼は身の丈ほどある大剣を横薙ぎに振るうと、迫りくる爆風をまるで巨大な竜巻のように刀身へと吸い込んでしまった。

 風が凪ぐ。

 傷一つないカインが、不敵に笑って立っていた。


『……へぇ。やるね、アスガルドのカイン』


 煙の向こうで、ジュリアンが初めて眉をひそめた。

 その顔には、苛立ちと明確な怒りが浮かんでいる。


『俺の名前を知っているのかい?』

『ああ、知っているとも。君のそのウザい顔は、もう何千回と見たからね……』


 ジュリアンは忌々しそうに吐き捨てる。


『それも、今日で終わる』

『初対面のはずだが? お偉いさんは妄想癖があるらしいな』

『君は知らなくてもいい……。どうせ、今日で死ぬのだから』


 ジュリアンから、肌が粟立つような殺気が膨れ上がる。

 カインは「やれやれ」と肩をすくめると、次の瞬間、弾丸のように地面を蹴った。


「先手必勝だ!」


 速い。

 カインの大剣が、ジュリアンの首を狙って叩きつけられる。

 勝負あった、そう思った瞬間。


 ガギィィィンッ!!


 凄まじい金属音が鳴り響き、火花が散った。

 何者かが二人の間に割って入り、カインの重い一撃を長剣で受け止めていた。

 石畳の地面が、衝撃でクレーターのように陥没する。


「……ッ!?」


 その騎士を見て、私は息を呑んだ。

 知っている顔だ。フランの傍にいつも控えていた、あの生真面目な騎士。


『コール!』


 カインが驚愕の声を上げる。

 しかし、コールは何も答えない。

 その瞳には光がなく、まるでガラス玉のように虚ろだった。表情筋は死滅したように動き一つなく、ただ機械的にカインを排除しようとする殺意だけが、その剣から伝わってくる。

 完全に『魅了』の支配下に置かれているのだ。


 カインが舌打ちをして、力任せに大剣を弾き返し、距離を取った。

 だが、コールは間髪入れずに踏み込んでくる。

 無言のまま、音もなく忍び寄るような不気味な足運び。そして、一切の無駄を削ぎ落とした鋭い刺突がカインの喉元を狙う。


 キンッ! ガガガガッ!

 火花が弾け飛び、二人の姿がブレて見えるほどの猛攻。


『クソッ! 目を覚ませコール! 俺だ!』


 カインの叫びにも、コールは瞬き一つしない。

 ただ無機質に首を僅かに傾げると、さらに踏み込みを深くし、カインの胴を薙ぎ払おうとした。


『しょうがない……腕の一本や二本、勘弁しろよ!』


 カインが覚悟を決め、大剣を上段に構え直した。

 実力なら、「剣聖」と呼ばれるカインの方が上のはずだ。

 しかし。


『それはどうかな?』


 背後で見ていたジュリアンが、嫌らしく笑った。

 彼が指先を動かすと、コールの足元の影がヘドロのように不気味にうごメき、立体化してコールの背中に覆いかぶさった。

 影が、コールの肉体に染み込んでいく。


 スッ……。


 無言のまま、コールの構えが変わった。

 重心を極端に低くし、長剣の切っ先を天に向ける、異様で隙のない構え。


『……なっ!?』


 カインの動きがピタリと止まった。

 その構えは、カイン自身のものと酷似していた。

 いいえ、違う。カインが幼い頃から背中を追い続け、どうしても越えられなかった『師』の構えだ。


『驚いたかい? その影を見つけるのに、随分と骨が折れたがね……』


 ジュリアンがクスクスと笑う。

 再び激突する二人。

 だが、今度は戦況が完全に逆転した。

 無言のコールが放つ剣撃は、カインの剣の軌道をことごとく先読みしていた。


 ギリッ!

 カインの大剣が空を切り、その隙を縫うようにコールの刃がカインの肩を浅く切り裂く。

 血が舞う。


『ぐっ……!』


 カインが顔をしかめる。

 反撃に出ようとフェイントをかけるが、コールは微動だにせず、まるでカインの思考を読んでいるかのように最小限の動きで躱し、再びカインの太腿を掠めた。


『さぁ……君は勝てるかな? かつての部下コールの肉体と、君に剣を教えた“親父殿”の技……二人を相手にして』


 カインの顔に、苦渋と絶望の色が浮かぶ。

 息が上がり、全身に無数の切り傷が増えていく。

 勝てない。

 自分のすべてを知り尽くした剣技を、躊躇い(ためらい)という感情を完全に排除した肉体が振るっているのだから。


 カインは肩で大きく息をしながら、決意のこもった瞳で大剣を握り直した。

 刀身に、眩い光が収束していく。

 渾身の一撃に賭けるしかない。


『……親父。勘弁しろな』


 カインが雄叫びを上げ、光の刃を全力で振り下ろした。

 大地を割るような、必殺の一撃。

 だが、無表情のコールもまた、同じように剣に光を纏わせ、全く同じ軌道で、しかしカインよりもほんの僅かだけ速く、迎え撃った。


 ズバァァァッ!!


 光と光が交差する。

 凄まじい衝撃波が周囲の白百合を吹き飛ばし、一瞬の静寂が訪れた。


 ゴフッ……。

 血飛沫を上げて、膝から崩れ落ちたのは――カインだった。

 胸を深く斬られ、大剣が手から滑り落ちる。


「カインさん!!」


 私は叫び、倒れ伏したカインに駆け寄ろうとした。

 ピクリとも動かない。

 嘘でしょ。あの最強のカインさんが……負けた?


 ドクン。


 その時、心臓が破裂しそうなほど高鳴った。

 足が動かない。金縛りにあったように体が鉛のように重くなる。


 視線を上げると、ジュリアンが私をじっと見つめていた。

 その紫色の瞳。

 吸い込まれるような、底なしの深淵。


「あ……あ……」


 視線が外せない。

 本能が『逃げろ』と激しく警鐘を鳴らしているのに、思考がドロドロに溶かされていく。

 恐怖が、甘美な安らぎへとすり替わっていく。


(動け……私……ッ!)


 必死に右手に力を込める。

 指先が微かに震え、ほんの数ミリだけ持ち上がった。

 だが、それだけだった。

 まるで太い鎖で全身を縛り付けられているように、それ以上はピクリとも動かない。


 彼の瞳を見ていると、どうでもよくなってくる。


 ジュリアンが、優しく微笑み、神様のように手を差し出した。


『おいで……ほのか』


 抗えない命令。

 絶対的な「運命」の引力。


 私の唇が、私の意思とは無関係に、勝手に動いた。


「……はい」


 世界から、全ての色が消えていく。

 私の瞳からも、最後の光が完全に消え失せた。


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