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母は、異世界で天下を取る   作者: 松本 蛇
二章 ほのか地球編

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22日 紫の勿忘草


 ドクン。

 私の胸元で、アルクのネックレスが強く脈打った。

 日記から生え出た白色の勿忘草。

 その二つが呼応するように共鳴し、目に見えない「白い線」で繋がっているのが見えた。


「これって……」

 私はヒカルを見る。

 彼は真剣な眼差しで、幻想的に揺れる花を見つめていた。


「役目を終えてもまだ枯れずに咲き続けとるって事は……まだこの花には意味があると考えてええと思うわ」

「でも……どうしたらいいの?」


 ヒカルは顎に手を当ててしばらく考え、やがて決断したように言った。


「とりあえず、見てても始まらん。摘んでみよか」

「……分かった」


 私は日記に手を伸ばす。

 勿忘草に近づくにつれて、ネックレスの震えが強くなる。

 心臓の鼓動とシンクロするような感覚。

 茎に指が触れた瞬間。


 スッ。

 力を入れなくても、花は日記の紙面から音もなく抜けた。

 私の手に移った瞬間、青かった花弁が、鮮やかな『紫色』へと変色した。


「色が……変わった」

「ちょい待ち!」

 ヒカルが慌ててスマホを操作する。「紫の勿忘草……紫の勿忘草……」

 しかし、彼の指が止まった。


「無いな……」


「どういう事?」


「勿忘草は色によって花言葉が変わるんや。白は『尊敬』、青は『真実の愛』……けど、紫は無い。花言葉が存在せえへんのや」


「花言葉が無い……?」


 祖父が最期に残したメッセージに、言葉が無い?

 一体どういう意味なのだろう。

 戸惑う私たちの目の前で、紫色の花は粒子となって崩れ、紫の光の帯となってネックレスへと吸い込まれていった。


「よう分からんけど……なんか意味があるんやろな……」


 ヒカルが苦笑いする。「終わりか……もう少し分かりやすいヒントくれてもええのにな」


「うん……」


 過去の話は分かった。

 レイおじいさんとアルクの悲しい過去も、このネックレスの秘密も。

 だけど。


「肝心の『勝ち方』が分からんな……」


「そう……どうしたらいいの? アルク……聞こえてるなら教えて」


 私はネックレスを握りしめて語りかけるが、石は沈黙したままだ。

 紫の光を取り込んだのに、何も起きない。


「自分らで考えろって事やな……きっと」


「そんな……」


 私は途方に暮れた。

 あのジュリアンという怪物に、どうやって勝てというの?

 相手は魔法の天才で、不死身に近い存在なのに。


 ヒカルは腕を組んで天井を見上げていたが、ふと視線を落とした。


「なぁ……お前のお母さんが書いた紙、見せてくれるか?」


「お母さんのメモ?」


「そや! なんか見落としとるヒントがあるかもしれん」


 私はポケットから、くしゃくしゃになった母のメモ用紙を取り出し、ヒカルに渡した。

 彼は丁寧にシワを伸ばし、その走り書きを読み上げていく。


『行き先は花が教えてくれる』

『作戦はアルクが知っている』

『自分のかたきは、自分で討て』


「……全部終わってるな」


 ヒカルがポツリと言った。


「どういう事?」


「よー考えや。『花が教えてくれる』……これは京都への導きと、今の勿忘草でコンプリートや。多分これで終いや」


「……そうなの?」


「たぶんやで。そして『作戦はアルクが知っている』。これは、お前には教えられない理由があるから、この書き方になったんやと思う」


 ヒカルの推理は鋭かった。

 もし具体的な作戦があるなら、最初から書いておくはずだ。

 書けない理由。それは、ネックレスそのものが作戦の鍵だからか、あるいは――。


「でも……知らないと私、どうしたらいいの?」


 不安で声が震える。

 すると、ヒカルがバンッ! と机を叩いた。


「どしっと構えとき!」


「え?」


 彼はメモ用紙を私の目の前に突きつけ、厳しい口調で言った。


「自分に自信がなさ過ぎや! お前は」


「……」


「最後に書いてあるやろ? 『自分の仇は自分で討て』。そして『自分を愛せ』ってな」


「う、うん」


「なら、お前がする事は! 自信を持って相手に向かうって事やな」


 私は首を振った。


「……無理だよ」


「何がや? 何が無理や?」


「魔法も使えないし……見たでしょ? レイおじいさんの記憶の中のジュリアンの強さを。私なんか勝てる相手じゃないよ」


「なら負けるだけやな」


 突き放すような言葉。

 私は唇を噛む。


「……」


「勝てもしないのに……お前のお母さんが、わざわざ命懸けで作戦なんて残すか? 勝てる見込みがあるさかい、わざわざお前に託したんとちゃうんか?」


 理屈は分かる。

 お母さんは無駄なことはしない。勝算があるから私を逃した。

 だけど……。

 また私が……私のせいで誰かが傷ついたら?

 フランやお母さんのように、誰かが死んだら……?


「ウジウジ考えんな! もぅ全部やる事はした! 最後にお前がやる事は一つや! 教えたろか?」


「う、うん」


 ヒカルはニヤリと悪戯小僧のように笑い、右手を突き出した。

 中指を立てて。


「あのクソ野郎に、中指立てる事や!」


「……は?」


「ほんで言うんや!『誰に喧嘩売ったんか教えたるわ!』てな」


 あまりのくだらなさに、私は吹き出してしまった。


「ふっ、あははは! なにそれ……」


「笑うな! これくらい気合入れんと勝てへんで!」


 笑ったら、少しだけ肩の力が抜けた気がした。

 そうだ。ウジウジしてても始まらない。

 相手が怪物なら、こっちは悪態ついてやるくらいの根性見せないと。


「分かった……やってみる!」


 私の言葉がスイッチになったのか、ネックレスがカッと輝き出した。

 紫の光が混じった、虹色の光。


「時間みたいやな……」


 ヒカルが静かに言う。

 私は母のメモを強く握りしめた。


「うん!」


「しかし……どうやって異世界に行くんや? タクシー呼ぶわけにもいかんし」


「……あ」


 そう言えば、私は異世界への行き方を知らない。

 帰りは強制送還だったけど、行きは?


「え? どうしよう?」


「ミステリー作家の勘が言うねん。トリガーが必要やって」


「トリガー……」


 私たちは顔を見合わせ、同時に言葉を発した。


『血』


 レイおじいさんの日記で見た。魔法の触媒は血だ。


「私の血じゃ反応しない……前も試したけどダメだった」


「なら……俺の血やったらいけるか?」


「えっ?」


「ワシと爺さんは血はつながっとるからな、まぁ大分薄まってるかもやけど」


 ヒカルは迷わず、書斎の机にあったカッターナイフを手に取った。

 チキ、と刃を出す。


「忘れん時や……。お前の気持ちが弱った時点で負けや」


「うん」


「勝ちや! 土産話、楽しみにしとるで」


「分かった……でも」


「うん?」


「どうして?」


「何がや?」


 私はヒカルをまっすぐ見た。


「どうして? 最初からヒカルは私たちに親切にしてくれるの? 何の利益にもならないのに。危険な目に遭うかもしれないのに」


「あー、それな」


 ヒカルはカッターを構えたまま、少し照れくさそうに笑った。


「一つは爺さんの遺言やな。爺さんの為にな、世話になったさかいな」


「うん」


「もう一つは……自分の為や」


「自分の?」


「せや……お前らの話……おもろいからな。全部聞いて本にすんねん」


 彼は作家の顔をして言った。


「こんな話……誰も興味が無いと思うけど」


「万人受けの話なんて興味が無いわ」


 鼻で笑いながらヒカルは言う。

「刺さる人には刺さる……そんな話をワシは書きたいと思ってる! タイトルも決めてんねん」


「……タイトル? 小説の?」


「せや! ええタイトル考えたで。今閃いた」


「どんなタイトル?」


 ヒカルはビシッと指を立てて宣言した。


「『母は、異世界で天下をとる。』や」


 あまりにストレートすぎるタイトルに、私はお腹を抱えて笑った。

「あはは! そのまんまじゃん!」


「分かりやすくてええやろ!」


 ひとしきり笑った後、ヒカルの表情が真剣なものに変わった。

 ふざけた態度は消え、私を心底心配する大人の顔になる。


「やから……負けんなや! 続き書かせろよ!」


 その言葉は、何よりも力強いエールだった。


 スパッ。

 ヒカルが自分の指先を切った。

 赤い血が、ネックレスの石にポタリと落ちる。


 カッッッ!!


 ヒカルの血(レイの血を引く者の血)を得て、ネックレスは爆発的な光を放った。

 部屋全体が光に包まれる。

 世界が白く塗り替えられていく。


「行ってくる!」


 私は光の中へ足を踏み出した。


 背後から、声が聞こえた。


「『行ってこい』」


 その声は、ヒカルの声と――もう一つ、懐かしい老人の声が重なって聞こえた気がした。


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