表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
母は、異世界で天下を取る   作者: 松本 蛇
二章 ほのか地球編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

53/60

20日 運命の再会と白い魔力

日記の文字が、震えるような筆跡に変わっていく。

 それは、晩年の祖父が最後の力を振り絞って記した、魂の記録だった。


 

『運命』という言葉が、この日本にはある。

 ワシの知るルナフィールには無かった概念だ。

 人は運命で繋がり、運命に導かれる。

 もしそうならば……ワシが生き延びた理由も、一つの運命だったのかもしれない。


 ワシが目覚めたのは、昭和21年。

 敗戦の傷跡がまだ生々しく残る、焼け野原の日本だった。


 記憶がない。

 自分が誰かも、言葉すらも分からない。

 ボロボロの奇妙な服を纏い、空腹で泥水をすすって生きていたワシは、不審者として捕らえられた。

 言葉が通じないワシに、周囲は冷たかった。「敵国のスパイか」「狂人か」と石を投げられた。


 そんなワシを、人間として扱ってくれた唯一の男がいた。

 元憲兵の男――新道勝道しんどう かつみちだった。


「腹が減ってるんだろう。食え」


 彼が差し出したのは、すすけた手で握られた、たった一つの塩むすびだった。

 その温かさを、ワシは一生忘れないだろう。

 彼は厳格だが情に厚く、身元不明のワシを「戦争で記憶を失った復員兵だろう」と庇い、新道家に迎え入れてくれた。


 そこで出会ったのが、勝道の妹――後のワシの妻だ。

 彼女は、汚れたワシの体を拭き、笑顔で着物を縫ってくれた。

 焼け跡に咲く野花のような、慎ましくも強い女性だった。


 ある夜、縁側で二人並んで月を見た。

 記憶のないワシには過去がない。

 けれど、彼女の手の温もりを感じた時、空っぽだった胸の中に「生きたい」という灯火が灯った。

 言葉はつたなくとも、心は通じた。

 ワシたちは瓦礫の中で愛を育み、家族になった。


 時は流れ――ワシはすっかり年老いた。

 過去の記憶は一向に戻らなかったが、愛する妻と、息子、そして孫に囲まれた生活は、十分に幸せだった。

 自分が何者かなんて、もうどうでもいいと思っていた。


 あの日までは。


 季節は初夏。

 高校生になった孫、ヒカルの弓道の試合を見に行った時のことだ。

 場所は、京都市武道センター。

 平安神宮のすぐそばにある、静謐な空気が漂う武道場だ。


 カアン、という乾いた弦音つるねが響く道場内。

 張り詰めた空気の中、ワシの視線は一人の少女に釘付けになった。


(……なんだ、あの子は)


 ヒカルと同じチームではない。女子の部の選手だ。

 長い黒髪を後ろで束ね、はかま姿で凛と立つ少女。

 その佇まいは、周囲の高校生とは一線を画していた。

 静寂。美しさ。

 そして何より、その瞳。

 的を見据えるその瞳に、吸い込まれそうな感覚を覚えた。


 ゾクリ。

 背筋が凍る。

 この感覚……知っている。

 遥か昔、どこかで感じた、魂を揺さぶるような戦慄。


 ワシは居ても立っても居られず、試合を終えて控え場所に戻るその少女に駆け寄った。


「あの……すまん、お嬢ちゃん」


 少女が振り返る。

 近くで見ると、その瞳の深さに息を呑んだ。

 全てを見透かすような、それでいて深い悲しみを湛えたような瞳。

 懐かしい……あまりにも懐かしい光。


 ワシは震える右手を差し出した。

「握手を……してくれんか」


 不審者だ。

 見知らぬジジイにいきなり握手を求められれば、普通なら逃げるか、気味悪がるだろう。

 だが、彼女は違った。

 不思議そうな顔を少しだけ見せた後、何かを感じ取ったのか、慣れた手つきでワシの右手に自分の『左手』を重ねた。


 その瞬間。


 バチッ!!


 脳内で火花が弾けた。

 雪崩なだれのように溢れ出す記憶。

 ルナフィールの美しい空。

 弟のアルク。

 花の絵。

 ジュリアンの狂気。

 両親の肉塊。

 そして――ワシを逃がすために刺された、弟の最期の笑顔。


(あ……あぁ……ッ!)


 ワシは固まったまま、立ち尽くしていた。

 少女は静かに手を離し、軽く会釈をして去っていった。

 その胸元のゼッケンには、こう書かれていた。


 『松本 千尋』


 去りゆく彼女の背中を見て、ワシは確信した。

 彼女の体から、微量だが揺らめくように立ち上る『白い蒸気』のようなものが見えたからだ。


 それは、他の人間には見えない。

 ワシにしか見えない光。

 ――魔力だ。


 ワシにも、魔力があったのだ。

 あの時、地球へ飛ばされた時に、アルクがワシに分け与えてくれた力が。

 それが今、共鳴している。


「そこにいたのか……アルク」


 ワシは震える声で呟いた。


 ポタリ。

 頬を伝って地面に落ちた雫は、汗なのか、涙なのか……それとも血の涙なのか、自分でも分からなかった。


 雫が落ちた場所。

 そして、彼女が歩いた足跡。

 そこから、ふわりと幻の花が咲き乱れた。


 薄紫色の、釣鐘のような形をした愛らしい花。

 風もないのに、チリンと悲しげに揺れている。


「……風鈴草カンパニュラ


 ワシの脳裏に、その花言葉が鮮烈に浮かび上がった。


 『感謝』。

 そして――『守れなかった命』。


 その花が咲いたという意味。

 それは、弟アルクがもうこの世にはおらず、彼女がその生まれ変わりであることを残酷なまでに告げていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ