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母は、異世界で天下を取る   作者: 松本 蛇
二章 ほのか地球編

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19日 傀儡の刃

 ジュリアンが優雅に指を鳴らした。

 その乾いた音を合図に、部屋の床、壁、天井――あらゆる「影」が沸騰したように泡立った。


 ズズズズズ……。


 無数の影が立ち上がる。

 兵士の形をした影、異形の獣の形をした影。

 その数は百や二百ではない。

 広い王族の私室を埋め尽くし、さらには崩れた壁の向こうからも湧き出してくる。


「キシャァァァ……」


 生気のない虚ろな呻き声。

 奇妙にカクカクとした動きで、影の軍勢が一斉にこちらへ向かってくる。


「兄さん、下がっていて」


 アルクが静かに前に出た。

 その背中は、ついさっきまで無邪気に笑っていた弟のものとは思えないほど、大きく見えた。


 アルクが右手を軽く上げる。


 ヒュンッ。


 何もない空間に、無数の「銀色の波紋」が生まれた。

 次の瞬間。

 波紋から、数え切れないほどの光の剣が射出された。


 ドカカカカカカッ!!


 豪雨のような剣の雨。

 迫りくる影の兵士たちが、次々と串刺しにされ、霧散していく。

 圧倒的だ。

 指一本触れさせない。


(凄い……これが……あの泣き虫だったアルクか……)


 ワシはただ、その光景を震えながら見ていることしかできなかった。

 弟は、ワシの知らない間に、手の届かない高みへ行っていたのだ。


「あはははは! 素晴らしい! なんて美しい力だ!」


 部下が消滅していくのを目の当たりにしても、ジュリアンは狂ったように笑っていた。

 彼自身の体から、どす黒い瘴気のようなものが溢れ出す。


 消えたはずの影たちが、再び集まり始めた。

 今度は個体ではない。

 互いに融合し、積み重なり、天井を突き破るほどの「巨人の影」へと変貌する。


「グオォォォォォォッ!!」


 鼓膜が破れそうな雄叫び。

 その巨大な拳が、アルクめがけて振り下ろされる。

 あんなもの、受け止められるわけがない。


(逃げろ! アルク!)


 叫ぼうとしたワシの目の前で、アルクは一歩も引かず、ゆっくりと巨人に向かって歩き出した。

 その瞳に恐怖はない。

 ただ、悲しみだけがあった。


 ドォォォォン!!


 巨人の拳がアルクを直撃した――かに見えた。

 だが。


 シュゥゥゥ……。


 アルクに触れた瞬間、巨人の腕が「存在しなかった」かのように消滅した。

 腕だけではない。

 胴体も、足も。

 アルクが歩を進めるたび、影は光に焼かれる雪のように溶けていく。


 まるで、世界が「アルクを害するものは不要だ」と判断したかのように。


「終わりだ、ジュリアン」


 アルクは影を消し去り、ジュリアンの目前に立った。

 勝負あった。

 誰もがそう思った瞬間。


 ジュリアンの紫色の瞳が、スッとワシに向けられた。


 ドクン。


 心臓が、早鐘を打った。


(なんだ……これは……)


 視線が絡み合う。

 脳髄が痺れるような甘美な感覚。

 さっきまでの恐怖が嘘のように消え失せ、代わりに胸を満たすのは、目の前の金髪の少年への、抗いようのない崇拝。


 あぁ……なんて美しいんだ。

 彼は、ワシに「永遠の家族」をくれようとした。

 それなのに、弟はそれを拒んだ。

 せっかくの好意を、無下にした。


 ――許せない。


 このお方は……神だ。

 神に逆らう者は、誰であろうと排除しなければならない。


「……死ね」


 気付けば、ワシの手には剣が握られていた。

 ワシは迷いなく、無防備なアルクの背中に駆け寄った。


 ザシュッ。


 肉を切り裂く感触。

 赤い血が飛沫を上げる。


「がっ……!?」


 アルクが驚愕の表情で振り返る。

 背中に走る深手。

 信じられないものを見る目で、ワシを見つめる。


「兄……さん……? やめて……!」


「黙れ! この裏切り者が!」


 ワシの口から、自分の意思とは違う言葉が飛び出す。

 アルクが痛みに顔を歪め、ワシから距離を取る。


「兄さん!戻って!弟のアルクだよ!」


「アルク?…違う、お前は誰だ?私は……ジュリアン様の忠実な使徒だ」


「……ッ! ジュリアン!?」


 アルクがジュリアンを睨む。

 ジュリアンは口元を三日月のように歪め、指を鳴らした。


 ズズズッ。

 床から新たな影が生まれ、ワシの体にまとわりついた。

 影が皮膚に染み込んでいく。

 不思議と体が軽い。

 力が溢れてくる。

 ワシの中に、知らない剣技の知識が次々と浮かび上がってくる。


「殺せ。僕の邪魔をする者を」


 ジュリアンの甘い命令。

 至上の喜び。


「おおおおおっ!」


 ワシは獣のように吠え、再びアルクに襲いかかった。

 速い。

 今のワシは、歴戦の騎士よりも速い。


 アルクは防御に徹していた。

 魔法を使えば、ワシを消し去ることなど容易いはずだ。

 なのに、彼は攻撃してこない。

 ただ、泣いていた。


「どうして……兄さんまで……」


 父と母を殺され。

 唯一の兄まで、敵の手駒にされた。

 その絶望が、アルクの動きを鈍らせる。


 好機。


 ワシの剣が、アルクの腹部を深々と貫いた。


 ドスッ。


「あ……」


 動きが止まる。

 アルクの口から、ゴボリと血が溢れた。


(やった……殺した……)


 歓喜に震えるワシの思考。

 だが、次の瞬間。

 刺されたはずのアルクが、剣を握りしめ、ワシの体に倒れ込んできた。


 至近距離。

 弟の瞳が、ワシを見ている。

 そこにあったのは、憎しみではなかった。


 深い、深い愛情と、悲痛な決意。


「ごめんね、兄さん……。今の僕じゃ、その呪いは完全には解けない……」


 アルクの手が、そっとワシの胸に触れる。

 温かい光が、ワシの体を包み込む。


「ここから逃げて。遠い、遠い場所へ」


 視界が歪む。

 ジュリアンの支配が、光によって和らぐ。

 意識が薄れる中で、最後に弟の声が聞こえた。


「必ず……迎えに行くから」


弟は震える手でワシの首にネックレスをかける。

それは‥ワシが11歳のアルクの誕生日に贈ったなんの変哲もない、安物のネックレスだった。


 ⋯ワシの視界は、完全な闇に落ちた。


 †==================†


 焦げ臭い匂いがする。

 遠くで、誰かの話し声が聞こえる。知らない言葉だ。


「……う……」


 目を開ける。

 そこは、灰色の空が広がる瓦礫の山だった。

 焼け焦げた木材、すすけた地面。

 どこまでも続く、破壊の跡。


 ここは、どこだ?


 体を起こそうとして、激しい頭痛に襲われる。

 思い出せない。

 自分が誰なのか。

 どこから来たのか。

 なぜ、こんな所に倒れているのか。


「……レイ……」


 口をついて出たのは、自分の名前らしき単語だけ。

 そして、首には硬く冷たい感触があった。


 銀色のネックレス。


 なぜか、これだけは絶対に手放してはいけない気がした。

 命よりも大切な、約束の証。

 ドクン。


 手の中の石が脈打ち、頭の中に声が響いた。


『生きて』


 それは、誰かの祈りのような声。


「必ず……迎えに行くから」


 ワシ――レイは、何もない焼け野原(昭和の日本)で、たった一人、空を見上げた。

 頬を、理由の分からない涙が伝う。


 こうして、ワシの、記憶のないもう一つの世界⋯地球での人生が始まった。


 †==================†


 パタン。

 日記が閉じる音が、静まり返った書斎に響いた。


 光が消え、私たちは現代の京都に戻っていた。

 金木犀の香りは消え、古い紙の匂いだけが残る。


「……嘘やろ……」


 隣で、ヒカルが震えていた。

 顔面は蒼白で、唇からは血の気が引いている。

 彼はガタガタと震える手で、自分の口元を覆った。


「爺さんが……殺した……?」


 大好きだった祖父。

 優しかった祖父。

 その手が、実の弟を刺し、その命を奪っていた。


ヒカルがその場に崩れ落ち、嘔吐えずく。


 かける言葉が見つからない。

 あまりにも残酷な真実。


 だが、その時。

 閉じられたはずの日記帳が、ひとりでにパラリとめくれた。

 白紙だったはずの最後のページ。

 そこに、赤い文字がじわりと浮き上がってくる。


 それは、過去のレイからの――いいえ。

 今の私たちに向けた、最後の遺言だった。


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