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母は、異世界で天下を取る   作者: 松本 蛇
二章 ほのか地球編

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18日 塗り潰されたキャンバス

  私たちの目の前に、一人の青年が立っていた。


 白衣を纏い、片眼鏡をかけた知的な青年。


 彼が、若き日の新道ヒカルのおじいさん――レイなのだろうか。




 彼は遠くを見つめ、寂しげに呟いた。




『ワシには、歳の離れた弟がいた……。


 名前を、アルクと言う。


視界を覆っていた白い光が、徐々に形を成していく。

 アルクのネックレスと、祖父の日記が共鳴し、私とヒカルに見せているのは――若き日の祖父、レイの記憶そのものだった。


 

 

 ワシは、神童だった。

 田舎町の中では、だが。勉強も、運動も、何でも一番だった。

 両親の自慢の息子。それがワシ、レイだった。


 あの日までは。


 弟、アルクが産まれた日。

 ワシは10歳だった。

 揺りかごの中を覗き込み、その赤ん坊と目が合った瞬間、背筋が凍りつくのを感じた。


(……なんだ、こいつは)


 まだ言葉も話せない、ふにゃふにゃの赤ん坊だ。

 手足は折れそうなほど細く、吹けば飛ぶような小さな命。

 なのに。

 その瞳の奥には、ワシには一生かかっても届かないような“深淵”があった。


 本能が告げていた。

 『こいつは特別だ』と。

 そして、『お前はただの凡人だ』と。


 初めて芽生えた感情は、愛情ではなく、ドス黒い嫉妬と恐怖だった。


 それでも、アルクは良い奴だった。

 成長するにつれ、その才能は隠しきれないものになったが、彼はいつもワシの後ろをついて回った。


「兄さんは凄いよ! 僕、将来は兄さんみたいになりたい!」


 屈託のない笑顔。

 それがワシの劣等感をさらにえグった。


 唯一、ワシがアルクより優れていたのは『絵』だった。

 植物や花を描くのが好きだった。

 貧乏な我が家には高価な絵の具なんてない。燃え残りの炭で、紙切れに描くだけの白黒の絵。

 それでも、アルクの誕生日には毎年、花の絵を描いてプレゼントした。


「わぁ! ありがとう兄さん! 宝物にするね!」


 何の変哲もない、色もない絵。

 それでも弟は、目を輝かせて喜んでくれた。


 †==================†


 16歳で、ワシは家を出た。

 アルクという眩しすぎる光のそばにいるのが、耐えられなかったからだ。


 けれど、外の世界は冷たかった。

「俺には才能がある」。そう信じて飛び込んだ街で、ワシは何度も挫折した。

 職人の弟子になれば「不器用だ」と罵られ、商人の手伝いをすれば計算を間違えてクビになった。

 何をやっても中途半端。

 長続きしない。

 すぐに「環境が悪い」「運が悪い」と他人のせいにして、職場を転々とした。


 気がつけば、隣国ユノリアの吹き溜まりに流れ着いていた。


 ……結局、ワシは"特別"ではなくただのクズだった。


 薄汚れた安宿の天井を見上げる。

 特別だと思っていた自分は、ただのプライドが高いだけのクズだった。

 酒を飲んで、博打に負けて、泥酔して眠る。

 そんな掃き溜めのような生活。


 そんなある日。

 ワシを訪ねて、アルクがやって来た。


「兄さん!」


 11歳になったアルクは、見違えるほど立派な服を着ていた。

 その身に宿した強大な魔力を見出され、ユノリア王国の貴族見習いとして招かれたのだという。


 惨めだった。

 光り輝く弟と、薄汚れたクズの兄。

 会いたくなかった。


「帰ってくれ! 俺は忙しいんだ!」


 けれど、アルクは諦めなかった。

  何日も何日もワシを尋ねてきた。

  ある日、彼は扉越しに叫んだ。

 ワシが昔あげた、あの『花の絵』を、ユノリアの第2王子ジュリアン様が見て、ひどく気に入ったのだと。

 宮廷画家として、ワシを迎え入れたいと言っているのだと。


「兄さん、また一緒に暮らそうよ。父さんと母さんも呼んでさ!」


 ワシは泣いた。

 こんなクズを見捨てず、家族の絆を取り戻そうとしてくれる弟の優しさに。

 そして、自分の絵が――唯一の取り柄が、認められたという事実に。


 ワシはアルクの手を取った。

 ここからやり直すんだ。

 もう嫉妬なんてしない。最高の兄貴になって、家族を守るんだ。


 †==================†


 案内されたのは、ユノリア城の奥深く。

 父と母は先に到着しているはずだった。


「こっちだよ、兄さん」


 アルクが嬉しそうに扉を開ける。

 部屋の中には、甘ったるい鉄の臭いが充満していた。


「――――」


 ワシの足が止まる。

 思考が白く飛び、呼吸が止まった。


 目の前に広がる光景。

 床一面に広がる、赤黒い血の海。

 そこに、見覚えのある二つの影が沈んでいた。


 父さんと、母さんだったモノ。

 動かない。

 ピクリとも動かない。

 ただ、虚ろな瞳で天井を見上げている。


 その血溜まりの中に、一人の少年が立っていた。

 金色の髪。美しい顔立ち。

 返り血一つ浴びていないその男――ジュリアン王子は、入ってきたワシたちを見て、残念そうに、けれどどこか楽しげに笑った。


『遅かったね』


 鈴を転がすような、無邪気な声。


 隣で、アルクが膝から崩れ落ちる気配がした。

 アルクの口が、パクパクと動く。

 怒りと、信じられないという戸惑いの感情で、声が震えている。


『どうして……あなたが、父さんと母さんを……』


 アルクの悲痛な問いかけに、ジュリアンは小首をかしげた。


『彼らは君を……目覚めさせる為に必要な餌だよ』


「エサ……? 何を……ジュリアン……何を言ってるんだよ」


 パチン。

 ジュリアンは乾いた音で指を鳴らした。


 ズズズ……。

 ワシたちの周りの床から、黒い影が広がった。

 影は盛り上がり、人の形――人形を作り出す。


「そ……んな……」

 アルクがその人形を見て、息を呑んだ。

「クリケット……様……?」


 影が身につけている装飾や、破れた服の仕立てから、それが貴族であることは分かった。

 だが、その体は傷だらけで、もはや人間ではなかった。

 行方不明になっていたユノリアの貴族。

 ジュリアンは、両親だけじゃなく、他の人間も……?


「ジュリアン……ッ!」

 アルクは悔しそうに唇を噛み締め、ジュリアンを睨む。


 パチン。

 ジュリアンが更に指を鳴らす。


 今度は、あの『肉の塊』から、どろりとした影が産まれた。

 二つの影。

 それがなんなのか……ワシは分かってしまった。


 母と、父だ。


「オヤジ……オフクロ……何で……何でこんな事をする!」

 俺は叫んだ。

 答えを求めて叫んだ。


 ジュリアンは、壁に掛けられたワシの絵――炭で描かれた白い花の絵を指差した。


『色が無かったね……』


「え? 色だと……」


『君の絵さ……。とても綺麗な花の絵だったよ……でも、未完成だね』


 ジュリアンは、父と母の遺体から流れるあかい血を指ですくい取った。

 そして、ワシの描いた大切な絵に、べたりと塗りつけた。


『これで完全だ……。綺麗な、真っ赤な花……何の花かな?』


 白かった花が、鮮血で汚される。

 ワシの思い出が、愛情が、両親の血で上書きされていく。


「狂ってやがる……」


 恐怖よりも先に、怒りが沸点を超えた。

 ワシは近くの壁に飾ってあった装飾用の剣をむしり取り、切っ先をジュリアンに向けた。

 弟は動かない……いや、動けない。

 悔しそうにジュリアンを見据えたまま、震えている。


 ジュリアンは、剣を向けられても眉一つ動かさず、今度はワシを指差して静かに言った。


『君の弟も未完成さ……。でも、今日で完成する』


 そして、ニッコリと笑う。


『君の死でね』


 ドォォォォン!!


 それを聞いた瞬間。

 アルクから、凄まじい暴風が吹き荒れた。

 魔力のないワシでも分かる。

 どす黒い、圧縮された魔力の塊が、アルクの体から溢れ出していた。

 城の窓ガラスが全て割れ、天井に亀裂が走る。


「信用していた……友達だと思っていたのに……!」


 アルクの絶叫が響く。


 壁の絵が、ガタンと落ちた。

 血で赤く染まった、あの絵が。


(ああ……そうか)


 ワシは理解してしまった。

 この悪魔が気に入ったのは、ワシの絵じゃない。

 そこから想像できる、この地獄絵図(赤色)だったのだ。


 ワシのせいで。

 ワシが絵なんて描いたせいで。

 ワシが……才能があるなんて自惚れたせいで!


 視界が黒く染まるほどの魔力の奔流の中で、ワシの世界は音を立てて崩れ去っていった。




挿絵(By みてみん)



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