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母は、異世界で天下を取る   作者: 松本 蛇
二章 ほのか地球編

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16日 植物園の再会と薔薇の味

 京都府立植物園は、深い緑の匂いに包まれていた。

 樹齢を重ねたクスノキの並木道。木漏れ日が地面にまだら模様を描いている。

 平日の昼間だからか、人影はまばらだ。


「……ほんで? なんで植物園なんや?」


 隣を歩く新道ヒカルが、あくびを噛み殺しながら言った。

 ボサボサの黒髪に、無精髭。着古したヨレヨレのシャツ。

 およそ待ち合わせには相応しくない格好だが、この脱力感が今の私には逆にありがたかった。


「お母さんと……よく来ていた場所だから」

「なるほどな」


 彼はそれ以上深く聞かず、ポケットに手を突っ込んだまま歩く。

 私の足取りが重いのを察してか、彼は園内の奥にあるログハウス風の建物――『森のカフェ』へと私を誘導した。


 カフェの周りは背の高い木々に囲まれていて、まるで森の中に迷い込んだような隠れ家的な雰囲気がある。

 入り口には昔ながらの券売機。

 私たちは食券を買い、テラス席に腰を下ろした。


 目の前には、アイスコーヒーとカフェオレ。

 氷がカラン、と音を立てる。

 沈黙が落ちる。

 風が木の葉を揺らす音だけが響く。


 しばらく間をあけて、ヒカルが口を開いた。


「ほんで? 何があったんや?」


 核心を突く問い。

 私はカップを握りしめたまま、うつむいた。

 言えない。

 異世界に行ったなんて。そこで大失敗して、逃げてきたなんて。


「……」

「黙っとったら分からんやんか」

「……」


 私が唇を噛んでいると、ヒカルはバツが悪そうに頭をかいた。

 ガシガシ、と激しい音がする。


「……俺もな、小さい時よー来てん、ここ」

「え?」

「じいさんがな、花好きでな。休みのたびに連れてこられとったわ。子供の俺は花とかよーわからんし、虫は多いし、ほんま迷惑やった」


 彼は遠い目をして、コーヒーを啜る。


「けどな、ここに座ってじいさんと飲むコーラが、ほんま好きやったんは覚えてる」


 彼はそこで言葉を切り、ボソッと言った。


「また会いたいな……」


 そう言った彼の横顔は、いつものだらしない大人の顔ではなく、寂しげな子供のように幼く見えた。

 会いたい。

 その言葉が、私の胸を刺激する。


「……私のせいなの」

「ん?」

「私のせいで、皆捕まった。友達のフランも、お母さんも」


 せきを切ったように、言葉が溢れ出した。


「私が弱かったから。私が人質になったから……お母さんは私を逃がすために……!」


 視界が涙で歪む。

 過呼吸になりかけたその時、ドン、とテーブルに何かが置かれた。


「ほら、食え」


 見ると、ピンク色の鮮やかなジェラートだった。

 いつの間に買ってきたのか。


「落ち着け。とりあえず糖分や」

「……なにこれ」

「『森のジェラート』の、バラ&ラズベリー味や。ここの名物やぞ」


 私は涙目で抗議する。

「……バニラが良かった」

「贅沢言うな。ほな、俺のブルーベリーヨーグルト味と交換するか? 食いかけやけど」

「……もっといらない」


 私はスプーンを手に取り、ピンク色の塊を一口すくった。

 口に入れた瞬間、華やかな薔薇の香りと、ラズベリーの甘酸っぱさが広がる。

 冷たさが、熱くなった頭を冷やしていく。

 甘い。

 その甘さが、張り詰めていた神経を少しだけ緩めてくれた。


「……ふぅ」

「落ち着いたか?」

「うん。……ありがとう」

「どういたしまして。……で、少しずつでええから教えてくれ」


 ヒカルの落ち着いた低い声。

 私はゆっくりと、これまでの経緯を話した。

 母が死んで異世界で蘇ったこと。

 フランという少年との出会い。

 ジュリアンという敵の存在。

 そして、私が洗脳され、母が身代わりになって私が強制送還されたこと。


 荒唐無稽な話だ。

 でも、ヒカルは一度も茶化さず、真剣な顔で聞いてくれた。


「なるほどな……」


 全てを聞き終えたヒカルは、腕を組んで唸った。


「それにしても『花が教えてくれる』か……抽象的やな」

「うん……」

「サネカズラに導かれてここに来たんか。花言葉は『再会』か……」


 彼はテーブルを指先でトントンと叩く。


「ほんでもう一つは、『作戦』やったか? アルクが知ってるんか?」

「そう書いてある」

「どこにおんねん? そのアルクってのは」

「わからない……」


 私は胸元のネックレスを取り出し、テーブルの上に置いた。

 銀色の、不思議な紋章が刻まれたペンダント。


「お母さんはこれを『アルクのネックレス』と言っていた。でも、この金属の塊が喋るわけがないし……」


「……あ」


 ヒカルの目が、ネックレスに釘付けになった。

 当然だ。だってこれは――。


「それ……俺が前に、お前らにやったやつやな」

「うん。ヒカルさんのおじいさんの形見だって……」


 ヒカルはネックレスを手に取り、懐かしそうに親指で紋章を撫でた。


「じいさんの遺言やったんや。『いつかアルクが現れるから、その時にネックレスを渡せ』ってな」

「……」

「俺はずっと、なんの御伽噺おとぎばなしやと思ってた。適当なこと言うて、ボケてたんかと」


 彼は自嘲気味に笑い、それから真剣な眼差しで私を見た。


「けど、ほんまやったんやな。お前のお母さんが『アルク』を知ってた。ほんで、このネックレスを鍵やと言うてる」


 ヒカルの中で、バラバラだったピースが嵌まっていくのが分かった。


「なぁ?」

「はい」

「じいさんが『ネックレスを渡せ』って言った意味、今なら分かる気がするわ」


 彼はスマホを取り出し、どこかへ電話をかけようとして――やめた。

 そして立ち上がる。


「これから時間あるか?」

「え? あるけど……なんで?」


 彼はニヤリと笑った。小説家としての好奇心と、孫としての使命感が混ざったような顔で。


「ほな、俺の実家に行くか? じいさんの書斎、まだそのまま残ってるんや」

「おじいさんの書斎?」

「ああ。もしこのネックレスが『鍵』なんやとしたら……それに対応するヒントがあるかもしれんしな」


 彼の直感が、何かを捉えたようだった。

 私も立ち上がる。

 花が導いた場所。

 そして、亡き祖父が託したネックレス。

 偶然とは思えない糸が、絡み合っている気がした。


「行きます」

「よし、決まりや。……ほな行こか、京都の奥座敷へ」


 私たちは森のカフェを後にした。

 出口へ向かう足取りは、来た時よりも少しだけ軽くなっていた。


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