16日 植物園の再会と薔薇の味
京都府立植物園は、深い緑の匂いに包まれていた。
樹齢を重ねたクスノキの並木道。木漏れ日が地面にまだら模様を描いている。
平日の昼間だからか、人影はまばらだ。
「……ほんで? なんで植物園なんや?」
隣を歩く新道ヒカルが、あくびを噛み殺しながら言った。
ボサボサの黒髪に、無精髭。着古したヨレヨレのシャツ。
およそ待ち合わせには相応しくない格好だが、この脱力感が今の私には逆にありがたかった。
「お母さんと……よく来ていた場所だから」
「なるほどな」
彼はそれ以上深く聞かず、ポケットに手を突っ込んだまま歩く。
私の足取りが重いのを察してか、彼は園内の奥にあるログハウス風の建物――『森のカフェ』へと私を誘導した。
カフェの周りは背の高い木々に囲まれていて、まるで森の中に迷い込んだような隠れ家的な雰囲気がある。
入り口には昔ながらの券売機。
私たちは食券を買い、テラス席に腰を下ろした。
目の前には、アイスコーヒーとカフェオレ。
氷がカラン、と音を立てる。
沈黙が落ちる。
風が木の葉を揺らす音だけが響く。
しばらく間をあけて、ヒカルが口を開いた。
「ほんで? 何があったんや?」
核心を突く問い。
私はカップを握りしめたまま、うつむいた。
言えない。
異世界に行ったなんて。そこで大失敗して、逃げてきたなんて。
「……」
「黙っとったら分からんやんか」
「……」
私が唇を噛んでいると、ヒカルはバツが悪そうに頭をかいた。
ガシガシ、と激しい音がする。
「……俺もな、小さい時よー来てん、ここ」
「え?」
「じいさんがな、花好きでな。休みのたびに連れてこられとったわ。子供の俺は花とかよーわからんし、虫は多いし、ほんま迷惑やった」
彼は遠い目をして、コーヒーを啜る。
「けどな、ここに座ってじいさんと飲むコーラが、ほんま好きやったんは覚えてる」
彼はそこで言葉を切り、ボソッと言った。
「また会いたいな……」
そう言った彼の横顔は、いつものだらしない大人の顔ではなく、寂しげな子供のように幼く見えた。
会いたい。
その言葉が、私の胸を刺激する。
「……私のせいなの」
「ん?」
「私のせいで、皆捕まった。友達のフランも、お母さんも」
堰を切ったように、言葉が溢れ出した。
「私が弱かったから。私が人質になったから……お母さんは私を逃がすために……!」
視界が涙で歪む。
過呼吸になりかけたその時、ドン、とテーブルに何かが置かれた。
「ほら、食え」
見ると、ピンク色の鮮やかなジェラートだった。
いつの間に買ってきたのか。
「落ち着け。とりあえず糖分や」
「……なにこれ」
「『森のジェラート』の、バラ&ラズベリー味や。ここの名物やぞ」
私は涙目で抗議する。
「……バニラが良かった」
「贅沢言うな。ほな、俺のブルーベリーヨーグルト味と交換するか? 食いかけやけど」
「……もっといらない」
私はスプーンを手に取り、ピンク色の塊を一口すくった。
口に入れた瞬間、華やかな薔薇の香りと、ラズベリーの甘酸っぱさが広がる。
冷たさが、熱くなった頭を冷やしていく。
甘い。
その甘さが、張り詰めていた神経を少しだけ緩めてくれた。
「……ふぅ」
「落ち着いたか?」
「うん。……ありがとう」
「どういたしまして。……で、少しずつでええから教えてくれ」
ヒカルの落ち着いた低い声。
私はゆっくりと、これまでの経緯を話した。
母が死んで異世界で蘇ったこと。
フランという少年との出会い。
ジュリアンという敵の存在。
そして、私が洗脳され、母が身代わりになって私が強制送還されたこと。
荒唐無稽な話だ。
でも、ヒカルは一度も茶化さず、真剣な顔で聞いてくれた。
「なるほどな……」
全てを聞き終えたヒカルは、腕を組んで唸った。
「それにしても『花が教えてくれる』か……抽象的やな」
「うん……」
「サネカズラに導かれてここに来たんか。花言葉は『再会』か……」
彼はテーブルを指先でトントンと叩く。
「ほんでもう一つは、『作戦』やったか? アルクが知ってるんか?」
「そう書いてある」
「どこにおんねん? そのアルクってのは」
「わからない……」
私は胸元のネックレスを取り出し、テーブルの上に置いた。
銀色の、不思議な紋章が刻まれたペンダント。
「お母さんはこれを『アルクのネックレス』と言っていた。でも、この金属の塊が喋るわけがないし……」
「……あ」
ヒカルの目が、ネックレスに釘付けになった。
当然だ。だってこれは――。
「それ……俺が前に、お前らにやったやつやな」
「うん。ヒカルさんのおじいさんの形見だって……」
ヒカルはネックレスを手に取り、懐かしそうに親指で紋章を撫でた。
「じいさんの遺言やったんや。『いつかアルクが現れるから、その時にネックレスを渡せ』ってな」
「……」
「俺はずっと、なんの御伽噺やと思ってた。適当なこと言うて、ボケてたんかと」
彼は自嘲気味に笑い、それから真剣な眼差しで私を見た。
「けど、ほんまやったんやな。お前のお母さんが『アルク』を知ってた。ほんで、このネックレスを鍵やと言うてる」
ヒカルの中で、バラバラだったピースが嵌まっていくのが分かった。
「なぁ?」
「はい」
「じいさんが『ネックレスを渡せ』って言った意味、今なら分かる気がするわ」
彼はスマホを取り出し、どこかへ電話をかけようとして――やめた。
そして立ち上がる。
「これから時間あるか?」
「え? あるけど……なんで?」
彼はニヤリと笑った。小説家としての好奇心と、孫としての使命感が混ざったような顔で。
「ほな、俺の実家に行くか? じいさんの書斎、まだそのまま残ってるんや」
「おじいさんの書斎?」
「ああ。もしこのネックレスが『鍵』なんやとしたら……それに対応するヒントがあるかもしれんしな」
彼の直感が、何かを捉えたようだった。
私も立ち上がる。
花が導いた場所。
そして、亡き祖父が託したネックレス。
偶然とは思えない糸が、絡み合っている気がした。
「行きます」
「よし、決まりや。……ほな行こか、京都の奥座敷へ」
私たちは森のカフェを後にした。
出口へ向かう足取りは、来た時よりも少しだけ軽くなっていた。
【作者からのお願い】
『面白い』『長く続いてほしい』と思っていただけたら、是非ブックマーク登録をお願いします。
また、↓に☆がありますのでこれをタップ、クリックしていただけると評価ポイントが入ります。
評価していただけることはモチベーションに繋がるので、応援していただけると嬉しいです
↓↓↓ 応援、ここでお待ちしています ↓↓↓




