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母は、異世界で天下を取る   作者: 松本 蛇
二章 ほのか「ダンジョンと手紙」編

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46/50

13日 堕ちていく断罪の王女

 

 私は馬車に揺られていた。

 いったいこの馬車はどこへ向かっているのだろう……。


 隣に座るジュリアンの肩に頭を預けながら、私は昨日の出来事を思い出していた。

 思い出してはいけないと、本能が警告しているのに。

 だって、それを考えるとジュリアンが悲しそうな顔をするから。


 でも、心の何処にある違和感が拭えない。

 頭に浮かぶのは――昨日の、あの少年のこと。


†==================†



 美しい庭園だった。

 色とりどりの花が咲き乱れ、甘い香りが風に乗って漂ってくる。

 私は、ジュリアンの隣に座り、優雅なティータイムを楽しんでいた。


 彼は今日も素敵だった。

 黄金の髪が陽の光を浴びて輝いている。

 言葉は通じないけれど、彼が私に向ける眼差しの優しさだけで、胸がいっぱいになる。


 ここには怖いものなんて何もない。

 あの恐ろしい偽教師も、言葉が通じない不安も、全て彼が消してくれた。


 ……はずだった。


 ガシャーン!!


 突然、庭園の鉄柵が弾け飛び、静寂が破られた。

 土煙とともに現れたのは、二人の侵入者。


 一人は、赤毛の美少年。まだあどけなさが残るけれど、その目は燃えるように怒っている。

 もう一人は、優しそうな男性。腕や足に包帯を巻いている、よく見ると顔にも無数の傷があった。


(……誰?)


 私はジュリアンの腕にしがみついた。

 見覚えがあるような気がする。

 胸の奥がチクリと痛む。

 でも、思い出せない。頭の中に白い霧がかかっているみたいに、彼らの顔と名前が結びつかない。


 赤毛の少年が、ジュリアンに向かって何かを叫んだ。

 激しい口調。糾弾しているようだ。

 ジュリアンは、私の肩を抱いたまま、困ったように微笑んで何かを返した。

 まるで、聞き分けのない子供を諭すような、穏やかな声で。


 すると、少年が私を見た。

 その瞳が揺れている。


「ホノカ!!」


 え?

 日本語?

 片言の、でも力強い叫び。


「ホノカ! コッチ!」


 ドクン。

 心臓が跳ねた。

 その声を聞いた瞬間、霧が一瞬だけ晴れた。


 私の中から記憶が溢れ出る。

 一緒に食べたパンケーキ。

 私が不安で泣いている時、優しく「ダイジョウブ」と言って励ましてくれた笑顔……。


 ――フラン?

 そうだ、フランだ。私の友達。私を助けに来てくれたの?


「フラ……ン……?」


 私がふらりと立ち上がりかけた、その時。

 肩を抱いていたジュリアンの手が、少しだけ強まった。

 彼が私を見下ろす。

 その紫水晶のような瞳が、私の視線を絡め取る。


『大丈夫だよ』


 言葉は分からないはずなのに、意味が脳に直接溶け込んでくる。

 甘い、甘い毒のように。


(……あ、れ?)


 そうだ。何をしているんだろう、私。

 ジュリアンから離れちゃダメだ。

 あそこにいるのは、武器を持った野蛮な人たち。

 私を連れ去ろうとする悪い人たち。


 私は怯えて、ジュリアンの背中に隠れた。


「チガウ! ホノカ!」


 フラ――少年が悲痛な声を上げて駆け出そうとする。

 その瞬間、彼の前に立ちはだかったのは――一緒に来た包帯の男性。


 男性はジュリアンを見据え、何かを言っている。その口調は冷静で落ち着いていた。

 ジュリアンも優しい口調で彼に話す。

 優しく……とろけるように甘い声で。


 突然、男性が少年に剣を向けた。


(え……?)

 仲間割れ?


 少年が驚愕して足を止める。

 男性は無表情だ。

 ジュリアンが、クスクスと楽しそうに笑いながら、歌うように何かを呟いている。


 男性の剣先が、ガチガチと小刻みに震えていた。

 まるで、見えない鎖に縛られている自分自身と戦っているかのように。

 額から脂汗が流れ落ち、苦悶の表情を浮かべている。


 でも。

 ジュリアンがもう一言、何かを囁くと。

 ピタリ。

 剣の震えが止まった。

 男性の瞳から迷いが消え、ただの精巧な人形のように静止した。


 少年が孤立した。

 信じていた仲間に刃を向けられ、彼は唇を噛み締めた。

 赤い血が滲む。


「……ッ!!」


 少年が静かに目を閉じた。

 次の瞬間、彼の全身から爆発的な光が溢れ出した。

 虹色の光。

 風が荒れ狂い、庭園の花々が散る。

 空気がビリビリと震え、肌が痛いほどの魔力の奔流。

 凄い。今まで見たこともないような、圧倒的な力。


 でも、その魔力は悲鳴を上げていた。

 悲しい……まるで子供が泣き叫んでいるかのように感じた。


 その圧倒的な魔力を前にしても、ジュリアンは動じなかった。

 台風の中にいるのに、彼の髪一本乱れない。

 彼は退屈そうに指を鳴らした。


 ズズズ……。

 少年の足元の地面から、黒い染みが広がった。

 インクのような闇が盛り上がり、人の形を作る。


 それは、酷くいびつな人形だった。

 体中が傷だらけで、継ぎ接ぎだらけ。

 影のような、亡霊のような。

 でも、少年にはそれが「誰」だか分かったようだった。


「……ニ……ラニ……」


 さっきまでの怒気が、一瞬で消し飛んだ。

 少年の顔が、恐怖で白く染まる。

 ガタガタと膝が震え、杖を取り落とした。


 黒い影が、よろよろと少年に近づく。

 壊れたおもちゃのような歩き方。

 影がゆっくり口を開き、一言だけ……でもしっかりと少年の名前を呼んだ。


「……フラン……」


 フランは「ヒッ」と息を呑み、ズリズリと後退あとずさりしながら影に何かを叫んでいる。

 その声は、助けを求めるような、許しを請うような、絶望的な恐怖に満ちていた。


 ズズズ……。

 少年の足元の地面から、更に大きな黒い染みが広がった。

 インクのような闇が盛り上がり、無数の人の形を作る。


 その影は、綺麗なドレスを着た女性と、威厳のありそうな男性。

 更にはメイド服の女性や、鎧を纏っている男性など……様々だ。

 その全てが、赤黒い傷を負い、少年を見下ろしている。


 かつて少年が愛し、そして失った人々が、泥人形となって蘇る。


 少年が頭を抱え、耳を塞いだ。


「アァァァァァッ!!」


 絶叫。

 言葉にならない悲鳴。

 子供が、一番恐ろしいお化けに出会った時のような、原初的な恐怖の声。


 私は見ていられなくて目を背けた。

 何が起きているのか分からない。

 でも、あんなに強かった少年が、今はただ泣き叫び、許しを請うように地面に頭を擦り付けている。

 壊れていく。心が、音を立てて。


 ジュリアンが、優雅に少年へ歩み寄った。

 影に怯え、震える少年の頬に、優しく手を添える。

 まるで慈愛に満ちた聖人のように。


 次の瞬間。

 シュゥゥゥ……。

 少年の体から、虹色の光が抜けていく。

 綺麗な光が、ジュリアンの手のひらへと吸い込まれていく。


 少年の瞳から色が失われ、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。


 終わった。

 静寂が戻る。


 ジュリアンがパンパン、と手を叩くと、どこからともなく兵士たちが現れた。

 倒れている少年と、棒立ちになっている男性に、重そうな手錠をかけていく。


 その光景を見ても、私の心は不思議と凪いでいた。

 悲しいはずなのに。

 大切な誰かが捕まったのに。

 涙が出ない。


 馬車に乗る際、ふと庭園の隅に目が留まった。

 戦いの余波で荒れた地面。

 そこに、いつの間にか無数の花が咲いていた。


 真黒な百合。


 まるで酸化した血を吸って咲いたかのようなその漆黒が、私の視界いっぱいに焼き付いた。


†==================†



 馬車が速度を緩める。

 目的地に着いたようだ。


 ジュリアンが先に降り、優しく私をエスコートしてくれる。

 馬車を降りると、その場所には見覚えがあった。


 古びた屋敷……まるでお化け屋敷のような洋館。

 私の、仮の家だった場所。


 その入り口に、一人の少女が立っていた。

 こちらを静かに見つめている。


 ズキン。

 頭が痛い。

 私は知っている……その少女を。


 少女は、とても美しく、そしてどこか悲しげだった。


「おかえり」


――"いつもと変わらない"優しい笑みで私に言った。


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