8日 仕組まれたダンジョン
『グリム』と名乗った男が霧となって消えてから、数週間が経過した。
魔術学院ルミナリアは、表面上は平静を取り戻していたが、水面下では恐怖と疑心暗鬼が渦巻いていた。
信頼していた教師が、顔を剥がされ、成り代わられていたのだ。生徒たちの動揺は計り知れない。
そんなある日の昼下がり。
ズズズズズ……ッ!
地鳴りと共に、学院の中央広場のアスファルトがひび割れ、隆起した。
悲鳴を上げて逃げ惑う生徒たち。
土煙が晴れた後に現れたのは、巨大な「穴」だった。
口を開けた闇の奥から、冷たく淀んだ魔力が噴き出している。
ダンジョンだ。
あろうことか、神聖な魔術学院のど真ん中に、迷宮が出現したのだ。
事態は急転する。
その日の夕方、私――エマと、フランの元に、王宮からの使者が訪れた。
「……単刀直入に言う。魔術学院の敷地内に、新たなダンジョンが出現した」
「学院の中に、ですか?」
私が問うと、隊長は重々しく頷いた。
「ああ。中庭の噴水が崩壊し、地下への入口が現れた。放置すれば溢れ出した魔素で王都が汚染される危険がある」
通常、ダンジョンの攻略は冒険者ギルドに依頼される。だが、現場は閉鎖中の魔術学院だ。外部の人間、特に素性の知れない冒険者をむやみに入れたくないという政治的な判断が働いたのだろう。
そこで白羽の矢が立ったのが、騎士団所属であり、学院の生徒でもある私――そして、フランだった。
「迅速に最下層へ到達し、ダンジョンを閉鎖せよ。……頼んだぞ」
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学院の中庭は、無残な姿に変わっていた。
美しかった噴水は砕け散り、そこにはぽっかりと大地の口が開いている。奈落へと続く階段からは、肌を刺すような冷気が吹き上げていた。
「行くよ、エマ」
「ああ」
フランの短い合図と共に、私たちは闇の中へと足を踏み入れた。
石造りの通路は、不気味なほど静まり返っていた。
通常、ダンジョンの浅層には魔物が徘徊しているはずだ。
だが、ここには何もいない。
ただ、私たちの足音だけがカツン、カツンと虚しく反響する。
「……変だね」
フランが杖を構え、周囲を警戒する。
「魔物の気配が全くしない。まるで、意図的に排除された後のようだ」
「排除? 誰に?」
「さあね。でも、普通じゃない」
警戒レベルを上げながら進む。
しばらく歩くと、奇妙な感覚に襲われた。
風だ。
密閉された地下空間のはずなのに、微かな風が吹いている。
それも、前方からではない。背後から、私たちを奥へ奥へと押し出すように。
「……まるで、招かれているみたい」
私が呟くと、フランが同意するように頷いた。
「ああ。風が……道を教えてくれている?」
迷路のような分岐点に差し掛かっても、風の吹く方向へ進めば、必ず道が拓けた。
誘導されている。
罠かもしれない。だが、進むしかない。
道中、沈黙を埋めるようにフランが口を開いた。
「例の同室の子、無事に家へ帰されたそうだね」
先日の事件で、グリムに操られ、強制的に指輪を使わされていた女子生徒のことだ。
「意識は戻ったけど……魔力が無くなったみたい」
「貴族の世界は厳しいからね。魔力の無い彼女には、今後の人生、不幸しかないと思う」
フランの声は淡々としていた。
冷たいようだが、それが現実だ。魔力が全てのこの国では、魔力を失うことは死と同義に近い。
「それが、この世界の理だよ」
やりきれない思いを抱えながら、私たちはさらに奥へと進む。
やがて、ひと際大きな鉄の扉の前にたどり着いた。
隙間から、凍てつくような冷気が漏れ出している。
ここが最深部だ。
「恐らく、ヌシの部屋だ」
フランが表情を引き締める。
「気を引き締めよう、エマ。ここまでは散歩だったけど、ここからは地獄かもしれない」
「うん。……行こう」
私は短剣を構え、魔力強化の準備をする。
扉を押し開ける。
ギギギ……と錆びついた音が響き、視界が開けた。
そこは、広大なドーム状の空間だった。
だが、私たちの予想はまたしても裏切られた。
戦闘は始まらなかった。
なぜなら――。
「……凍っている?」
部屋の中央。
そこに鎮座していた巨大な何かが、完全に氷漬けにされていたのだ。
ヌシだ。
ドラゴンのような、あるいは巨獣のようなシルエット。
それが、一瞬の動作のまま、分厚い氷の中に封じ込められている。
静寂。
まるで時が止まったかのような光景。
「誰かが……先に戦ったのか?」
私は周囲を見渡した。
部屋の至る所に、激しい戦闘の痕跡がある。壁は削れ、地面は焦げている。
そして、私の足元に、キラリと光る物が無数に転がっていた。
私はその一つを拾い上げる。
小さな、真鍮色の金属片。
筒状の形。底には小さな窪み。火薬の匂いはもうしないが、その形状を私は知っている。
「……これは」
私の心臓が、早鐘を打った。
見間違うはずがない。
映画で何度も見た。
ーーまだ私が『千尋』として生きていた頃、旅行で行ったハワイで、実物を手にしたことがある。
夫の大輔は怖がって撃てなかったが、私は興味本位で挑戦し、現地のインストラクターを驚かせるほどの高得点を出した、あの時の記憶。
「薬莢……?」
なぜ、こんな物が異世界に。
それも、魔術学院の地下に出現したダンジョンの最深部に。
誰かが銃で攻撃したのだろうか‥
いや‥ここは異世界だ
地球の銃がここにある訳はない
私が混乱していると、隣でフランが不快そうに顔を歪めて呟いた。
「……気持ち悪い」
「フラン?」
「あの氷……見てよ。僕の魔法に似ている……というより、そのものだ」
フランは自分の腕を抱くようにして、氷漬けのヌシを睨みつけていた。
「血を混ぜる魔法には、術者特有の『クセ』が出る。魔力の波長、凍らせる時の結晶の形……それが、この氷にはあるんだ」
以前、オルバという敵がフランの『氷の矢』を模倣したことがあった。
だが、あれはあくまで模倣。若干のズレがあった。
しかし、目の前の氷は違う。
まるで、フラン自身が魔法を放ったかのような、完璧な同一性。
「このダンジョンに入った瞬間から感じていた違和感の正体は、これだったのか……」
フランの声が震える。
「まるで『自分自身』に、ここまで誘導されていたみたいだ」
薬莢。
そして、フランの魔法と瓜二つの氷。
謎が深まる中、私は部屋のさらに奥に、小さな祭壇のような部屋があるのを発見した。
「フラン。奥にも部屋がある」
「……行こう。そこに答えがあるかもしれない」
私たちは警戒を最大レベルに引き上げ、凍りついたヌシの横を通り抜け、奥の部屋へと足を進めた。
そこで私たちが目にしたものは、財宝でも、宝石でもなかった。
部屋の中央。
ぽつんと置かれた台座の上に、一通の手紙があった。
そしてその手紙もまた、分厚い氷に閉ざされていた。
「これも……僕の魔力か」
フランが呟き、手をかざす。
彼が氷を解こうと魔力を送ると、氷は抵抗することなく、すうっと水蒸気となって消えた。
中から現れたのは、和紙のような質感の封筒。
風魔法によるコーティングが施されていたのか、濡れてはいなかった。
私はその表書きを見て、息を呑んだ。
見覚えのある文字。
少し丸くて、癖のある筆跡。
『拝啓 お母さん様』
その瞬間だった。
ズズズ……ッ!
背後で、巨大な音が響いた。
振り返ると、氷漬けだったヌシが結晶となって砕け散り、同時にダンジョンの壁や天井に亀裂が走り始めた。
「崩れる……!?」
「まずい、脱出するよエマ!」
フランが叫ぶ。
私たちは手紙を掴み、全速力で来た道を駆け戻った。
背後から崩落音が迫る。
風が、今度は「早く行け」と背中を押す突風に変わっていた。
命からがら、私たちは地上の光の中へと飛び出した。
背後で轟音が響き、大穴が塞がっていく。
ダンジョンが、消滅したのだ。
後に残ったのは、私の手の中にある一通の手紙のみ。
普通では封を解くことができない、強固な魔力で封印されている。
フランが解析した結果、これもまた彼自身の魔力波長でないと開かない仕組みになっているらしい。
つまり、これは「フランと私」に宛てられたものだ。
「開けてみるよ」
フランが魔力を込め、封を解こうとしたその時。
バンッ!
乱暴に扉が開き、一人の騎士が転がり込んできた。
彼の顔色は、紙のように白かった。
「報告します! 緊急事態です!」
「どうしたの、騒々しいよ」
フランが手を止める。
騎士は息を切らし、絶望的な声で告げた。
「ほ、ほのか様が……攫われました!」
「――は?」
私の思考が停止した。
攫われた? 誰が? ほのかが?
つい数日前まで、のんきに「異世界グルメ」なんて言っていたあの子が?
「護衛は何をしていた! ほのかには騎士団から護衛を付けてたはずだよ」
私が叫ぶより早く、フランが詰問した。
「そ、それが……護衛の姿は全て消え……現場には、争った跡と、大量の水が……」
水。
その単語で、私の脳裏にあの男の顔が浮かんだ。
ーーグリムだ。
私は拳を握りしめた。爪が皮膚に食い込む。
盲点だった。
奴は学院から逃亡し、身を隠したと思っていた。
だが、奴の狙いは最初から
――ほのかだったんだ
でも⋯一体なぜ魔力も持たない一般人のほのか が⋯
「助けに行かないと……!」
私は即座に踵を返そうとした。
助ける? どこへ? 分からない。でも、じっとしてはいられない。
「待ってエマ! 場所が分からないのに飛び出したらダメだよ!」
フランが私の肩を掴む。
「エマ、ほのかの居場所を特定でしたて飛べる?」
「やってみる!」
私は目を閉じ、ほのかの気配を探る。
あの子には魔力がない。でも、親子だ。何か、繋がりがあるはず……。
……ダメだ。何も感じない
そして、何重もの霧に阻まれているように、感覚が遮断されている。
「……くそっ! 無理だ!」
焦りが理性を焼き尽くしそうになる。
「問題ないよ」
不意に、部屋の奥から聞き覚えのある声がした。
驚いて振り返ると、そこには松葉杖をつき、全身を包帯で巻かれた男が立っていた。
騎士団副団長、コールだ。
「コール!? 怪我は……」
「まだ痛むがね。じっとしていられるか」
彼は包帯だらけの顔を歪めて笑った。
「それで? 問題ないと言う根拠は何だい?」
フランが訝しげに問う。
コールは窓の外、遥か彼方の空を見つめて言った。
「大丈夫だ。うちの騎士団の『最高戦力』が、もう現地に向かっている」
その言葉には、絶対的な信頼が込められていた。
最強の剣士であり、魔力を持たぬ怪物。
騎士団長カインが、動いたのだ。




