7日 騎士の忠義
円卓を囲む空気は、張り詰めた弓の弦のように硬直していた。
『黒い指輪対策委員会』の緊急招集。
中央に座らされたのは、巨漢の生活指導教員、ゾーグだ。彼の鞄からは大量の『黒い指輪』が発見されている。状況証拠は真っ黒だった。
「違う! 俺じゃない! これは何かの罠だ!」
ゾーグが机を叩いて立ち上がる。その額には脂汗が滲み、目は血走っていた。
委員長であるラノック先生が、悲しげに眼鏡の位置を直す。
「往生際が悪いですよ、ゾーグ先生。鞄からあれだけの量が出てきたのです。言い逃れはできません」
「嵌められたんだ! 俺は……俺はあいつが怪しいと睨んで調査をしていただけだ!」
「あいつ?」
ラノックが小首を傾げる。
「お前だ! ラノック!」
ゾーグの太い指が、ラノックの鼻先に突きつけられた。
会議室がざわめく。
しかし、ラノックは困ったように微笑むだけだった。
「私? そんな訳ないでしょう。錯乱しているのですか?」
「し、証拠はある! 俺は見たんだ! お前が夜、生徒に指輪を渡しているところを! 同室の子に指示しているところもな!」
ゾーグの必死の訴えに、ラノックはふう、と溜息をついた。
まるで出来の悪い生徒を諭すような、優しく、慈悲深い声色で言う。
「勘違いでしょう? 暗い夜道です。誰かと見間違えたのですよ」
その声には、不思議な説得力があった。周囲の教師たちも「やはりゾーグが苦し紛れに……」という空気になる。
だが、その流れを断ち切る声があった。
「待ちたまえ」
フランだ。彼は指先で資料を叩きながら、冷ややかな視線をラノックに向けた。
「ラノック先生。貴方の報告書には『匿名の通報により発覚』とあるね」
「ええ、そうです。生徒が怯えていてね。私が守ってやらねばと」
「おかしいな。僕が確認したところ、昨夜の寮の結界記録には、ゾーグ先生以外の出入りは記録されていない。もし生徒が目撃したのなら、その生徒も結界を破って外に出ていたことになる。なのに、何故その『目撃者』の処分についての記載がないんだい?」
会議室の空気が変わる。
教師たちが顔を見合わせる。確かに、生活指導に厳しいラノックにしては不自然な見落としだ。
しかし、ラノックは動じない。
「……緊急事態でしたからね。まずは指輪の確保を優先したまでです。些細な手続きの不備を責められるとは、心外ですね」
完璧な切り返し。
「手続きミス」という小さな瑕疵に問題をすり替え、本質をぼやかした。
だが、これでゾーグに少しだけ理性が戻ったようだ。彼は震える声で、決定的な違和感を口にした。
「じ、じゃあ……どうして……お前から血の匂いがするんだ?」
その言葉に、ピクリとラノックの眉が動いた。
私は鼻を動かす。
……確かに。
会議室に入った時から感じていた微かな違和感。鉄錆のような臭気。それは昨日より更に濃くラノックの方から漂っていた。
「ラノックは……そんな目で俺を見ない……」
ゾーグの声が震えだす。
「その目は蔑んでいる目だ……魔力の無い人を、ゴミの様に見る目だ……!」
ラノックは表情を崩さない。
聖職者のような仮面を被ったまま、哀れむように言った。
「ゾーグ先生。そんな寂しいことを言わないで欲しいな……。君を疑うのは私も辛いんだ」
「嘘だ! お前は……誰だ!?」
ゾーグが掴みかかろうとするのを、警備員が取り押さえる。
フランがスッと立ち上がり、二人の間に割って入った。
「エマ。距離を取ろう」
「……ああ」
私は無言で頷き、椅子を引いて臨戦態勢をとる。
ラノックが、呆れたように肩をすくめた。
「おや、フランまで。生徒代表として、公平な判断をお願いしたいものですね」
「公平に見ているよ。だからこそ聞くんだ。……何故貴方は、黒の指輪をしているの?」
フランの視線は、ラノックの両手に向けられていた。
右手と左手、それぞれの指にシンプルな指輪が嵌められている。
「……は?」
ラノックが眉をひそめた。
「何を言っているのです? これは市場で買ったただの安物ですよ。右手のはね」
「じゃあ、左手の指輪は?」
「これは妻から貰った結婚指輪ですよ。大事なものでね」
ラノックは愛おしそうに左手の銀色の指輪を撫でた。
その仕草には、微塵の隙もない。
フランは冷ややかに笑う。
「違うね。……右手の指輪は、僕が作った指輪だよ」
「……」
「『色を誤魔化す指輪』だ。見たら分かるよ、僕の術式だからね」
その瞬間。
ラノックの顔から、穏やかな教師の仮面が剥がれ落ちた――わけではなかった。
彼は逆に、激昂した。
「失礼な! 言いがかりも甚だしい!」
ラノックは机をバンと叩き、立ち上がった。
「私が犯人だと? 証拠はあるのですか! ただの安物を、さも自分が作った魔道具だなどと……フラン、いくら貴方が『虹』でも、教師への侮辱は許されませんよ!」
その剣幕に、周囲の教師たちが動揺する。
場がラノックに傾く。彼は被害者を演じきっている。
だが、フランは一歩も引かなかった。
「証拠なら、そこにある」
フランはラノックの右手を指差した。
「外して見てよ、右手の指輪。僕の術式なら、持ち主から離れれば機能停止するはずだ」
「断る! なぜ私がそんな屈辱を受けねばならない!」
「やましいことがないなら、外せるはずだ」
「ふざけるな! これは私の私物だ! 貴方達のような子供に、これ以上指図されてたまるか!」
ラノックは激しく抵抗し、警備員すら遠ざけようとした。
その必死さは、逆に「何かある」と雄弁に語っていた。
私は千尋の感覚で、彼の重心を見極める。
隙だらけだ。
(……フラン、やるぞ)
私は目配せと共に、床に落ちていたペンを蹴り上げた。
ペンは矢のように飛び、ラノックの手首をかすめる。
「痛っ!?」
一瞬の弛緩。
その隙を逃さず、フランの風魔法がラノックの右手を打った。
指輪が弾き飛ばされる。
カラン、コロコロ……。
乾いた音が響き、指輪が床を転がり、止まった。
全員の視線が一点に集中する。
銀色だった指輪は、主を失った瞬間、どす黒く変色した。
隠蔽が解けたのだ。
それは、紛れもない『黒い指輪』だった。
「あ……」
教師たちの顔から血の気が引く。
ゾーグが、信じられないものを見る目でラノックを見た。
「まさか……本当に……」
静寂。
ラノックは、床の指輪を見つめていた。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
そこにはもう、激昂も、困惑も、教師としての威厳もなかった。
あるのは、底知れない「無」と、冷酷な嘲笑だけ。
「……まさか、君が作った指輪だったなんてね。術式は変えたのに、分かるなんて凄いねえ」
声が変わった。
粘着質で、濡れた蛇が這うような声。
彼は左手の結婚指輪を外し、ゴミのように投げ捨てた。
「君は誰かな?」
フランが問う。
「お初にお目にかかります、フラン・オルディス・ヴァルト様。そしてエマ様」
男は優雅に一礼した。その所作は洗練されていた。
「私はユノリア王国諜報部所属、『グリム』と申します。以後お見知りおきを」
「……無理だね」
フランの周囲に、爆発的な魔力が渦巻いた。
「だって君、今から死ぬから」
フランが指を弾く。
目にも止まらぬ氷の礫が、ミストの眉間を目掛けて射出された。
直撃――。
誰もがそう思った瞬間、ミストの体がぶわりと揺らいだ。
「おっと」
氷の礫は、男の頭部をすり抜けた。
いや、彼の体そのものが、白い霧へと変化していた。
部屋中に濃密な水蒸気が溢れ出す。視界が真っ白に染まる。
「流石は『速度』の虹色魔法使い。危ないところでした」
霧の中から、嘲笑うような声が響く。
「逃がすか!」
私が短剣を抜き、音を頼りに切りかかる。
だが、刃は空を切る感触しかなかった。
「さようなら、虹のお二人。また会いましょう……その時は、もっと面白いショーをお見せしますよ」
霧が窓の隙間から屋外へと流れ出ていく。
フランが舌打ちをして追撃の魔法を放つが、霧は風に乗って拡散し、完全に気配を消した。
「……逃げられたか」
残されたのは、呆然とする教師たちと、腰を抜かしたゾーグ。
そして、床に転がる二つの指輪だけだった。
翌日、衝撃的な事実が判明した。
ラノック先生の本宅で、彼と家族全員の惨殺遺体が発見されたのだ。
死後数週間が経過しており、顔の皮が剥がされるなど、その手口は残虐を極めていたという。
あの男――『グリム』は、水魔法による『変化』の能力でラノックになりすまし、少しずつ学院を蝕んでいたのだ。
親友だと信じていたゾーグの心も、生徒たちの未来も、全てを踏みにじって。
これが、ユノリア国からの宣戦布告だった。




