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母は、異世界で天下を取る   作者: 松本 蛇
二章 エマ 「魔術学院と黒い指輪」編

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7日 騎士の忠義


 円卓を囲む空気は、張り詰めた弓の弦のように硬直していた。

 『黒い指輪対策委員会』の緊急招集。

 中央に座らされたのは、巨漢の生活指導教員、ゾーグだ。彼の鞄からは大量の『黒い指輪』が発見されている。状況証拠は真っ黒だった。


「違う! 俺じゃない! これは何かの罠だ!」


 ゾーグが机を叩いて立ち上がる。その額には脂汗が滲み、目は血走っていた。

 委員長であるラノック先生が、悲しげに眼鏡の位置を直す。


「往生際が悪いですよ、ゾーグ先生。鞄からあれだけの量が出てきたのです。言い逃れはできません」


「嵌められたんだ! 俺は……俺はあいつが怪しいと睨んで調査をしていただけだ!」


「あいつ?」

 ラノックが小首を傾げる。


「お前だ! ラノック!」


 ゾーグの太い指が、ラノックの鼻先に突きつけられた。

 会議室がざわめく。

 しかし、ラノックは困ったように微笑むだけだった。


「私? そんな訳ないでしょう。錯乱しているのですか?」


「し、証拠はある! 俺は見たんだ! お前が夜、生徒に指輪を渡しているところを! 同室の子に指示しているところもな!」


 ゾーグの必死の訴えに、ラノックはふう、と溜息をついた。

 まるで出来の悪い生徒を諭すような、優しく、慈悲深い声色で言う。


「勘違いでしょう? 暗い夜道です。誰かと見間違えたのですよ」


 その声には、不思議な説得力があった。周囲の教師たちも「やはりゾーグが苦し紛れに……」という空気になる。

 だが、その流れを断ち切る声があった。


「待ちたまえ」

 フランだ。彼は指先で資料を叩きながら、冷ややかな視線をラノックに向けた。


「ラノック先生。貴方の報告書には『匿名の通報により発覚』とあるね」

「ええ、そうです。生徒が怯えていてね。私が守ってやらねばと」

「おかしいな。僕が確認したところ、昨夜の寮の結界記録には、ゾーグ先生以外の出入りは記録されていない。もし生徒が目撃したのなら、その生徒も結界を破って外に出ていたことになる。なのに、何故その『目撃者』の処分についての記載がないんだい?」


 会議室の空気が変わる。

 教師たちが顔を見合わせる。確かに、生活指導に厳しいラノックにしては不自然な見落としだ。

 しかし、ラノックは動じない。


「……緊急事態でしたからね。まずは指輪の確保を優先したまでです。些細な手続きの不備を責められるとは、心外ですね」


 完璧な切り返し。

 「手続きミス」という小さな瑕疵かしに問題をすり替え、本質をぼやかした。

 だが、これでゾーグに少しだけ理性が戻ったようだ。彼は震える声で、決定的な違和感を口にした。


「じ、じゃあ……どうして……お前から血の匂いがするんだ?」


 その言葉に、ピクリとラノックの眉が動いた。

 私は鼻を動かす。

 ……確かに。

 会議室に入った時から感じていた微かな違和感。鉄錆のような臭気。それは昨日より更に濃くラノックの方から漂っていた。


「ラノックは……そんな目で俺を見ない……」

 ゾーグの声が震えだす。

「その目は蔑んでいる目だ……魔力の無い人を、ゴミの様に見る目だ……!」


 ラノックは表情を崩さない。

 聖職者のような仮面を被ったまま、哀れむように言った。


「ゾーグ先生。そんな寂しいことを言わないで欲しいな……。君を疑うのは私も辛いんだ」

「嘘だ! お前は……誰だ!?」


 ゾーグが掴みかかろうとするのを、警備員が取り押さえる。

 フランがスッと立ち上がり、二人の間に割って入った。


「エマ。距離を取ろう」

「……ああ」


 私は無言で頷き、椅子を引いて臨戦態勢をとる。

 ラノックが、呆れたように肩をすくめた。


「おや、フランまで。生徒代表として、公平な判断をお願いしたいものですね」

「公平に見ているよ。だからこそ聞くんだ。……何故貴方は、黒の指輪をしているの?」


 フランの視線は、ラノックの両手に向けられていた。

 右手と左手、それぞれの指にシンプルな指輪が嵌められている。


「……は?」

 ラノックが眉をひそめた。

「何を言っているのです? これは市場で買ったただの安物ですよ。右手のはね」

「じゃあ、左手の指輪は?」

「これは妻から貰った結婚指輪ですよ。大事なものでね」


 ラノックは愛おしそうに左手の銀色の指輪を撫でた。

 その仕草には、微塵の隙もない。

 フランは冷ややかに笑う。


「違うね。……右手の指輪は、僕が作った指輪だよ」

「……」

「『色を誤魔化す指輪』だ。見たら分かるよ、僕の術式だからね」


 その瞬間。

 ラノックの顔から、穏やかな教師の仮面が剥がれ落ちた――わけではなかった。

 彼は逆に、激昂した。


「失礼な! 言いがかりも甚だしい!」


 ラノックは机をバンと叩き、立ち上がった。

「私が犯人だと? 証拠はあるのですか! ただの安物を、さも自分が作った魔道具だなどと……フラン、いくら貴方が『虹』でも、教師への侮辱は許されませんよ!」


 その剣幕に、周囲の教師たちが動揺する。

 場がラノックに傾く。彼は被害者を演じきっている。

 だが、フランは一歩も引かなかった。


「証拠なら、そこにある」

 フランはラノックの右手を指差した。

「外して見てよ、右手の指輪。僕の術式なら、持ち主から離れれば機能停止するはずだ」


「断る! なぜ私がそんな屈辱を受けねばならない!」

「やましいことがないなら、外せるはずだ」

「ふざけるな! これは私の私物だ! 貴方達のような子供に、これ以上指図されてたまるか!」


 ラノックは激しく抵抗し、警備員すら遠ざけようとした。

 その必死さは、逆に「何かある」と雄弁に語っていた。

 私は千尋の感覚で、彼の重心を見極める。

 隙だらけだ。


(……フラン、やるぞ)

 私は目配せと共に、床に落ちていたペンを蹴り上げた。

 ペンは矢のように飛び、ラノックの手首をかすめる。


「痛っ!?」


 一瞬の弛緩。

 その隙を逃さず、フランの風魔法がラノックの右手を打った。

 指輪が弾き飛ばされる。

 カラン、コロコロ……。

 乾いた音が響き、指輪が床を転がり、止まった。


 全員の視線が一点に集中する。

 銀色だった指輪は、主を失った瞬間、どす黒く変色した。

 隠蔽が解けたのだ。

 それは、紛れもない『黒い指輪』だった。


「あ……」

 教師たちの顔から血の気が引く。

 ゾーグが、信じられないものを見る目でラノックを見た。


「まさか……本当に……」


 静寂。

 ラノックは、床の指輪を見つめていた。

 そして、ゆっくりと顔を上げた。

 そこにはもう、激昂も、困惑も、教師としての威厳もなかった。

 あるのは、底知れない「無」と、冷酷な嘲笑だけ。


「……まさか、君が作った指輪だったなんてね。術式は変えたのに、分かるなんて凄いねえ」


 声が変わった。

 粘着質で、濡れた蛇が這うような声。

 彼は左手の結婚指輪を外し、ゴミのように投げ捨てた。


「君は誰かな?」

 フランが問う。


「お初にお目にかかります、フラン・オルディス・ヴァルト様。そしてエマ様」

 男は優雅に一礼した。その所作は洗練されていた。


「私はユノリア王国諜報部所属、『グリム』と申します。以後お見知りおきを」


「……無理だね」

 フランの周囲に、爆発的な魔力が渦巻いた。

「だって君、今から死ぬから」


 フランが指を弾く。

 目にも止まらぬ氷のつぶてが、ミストの眉間を目掛けて射出された。

 直撃――。

 誰もがそう思った瞬間、ミストの体がぶわりと揺らいだ。


「おっと」


 氷の礫は、男の頭部をすり抜けた。

 いや、彼の体そのものが、白い霧へと変化していた。

 部屋中に濃密な水蒸気が溢れ出す。視界が真っ白に染まる。


「流石は『速度』の虹色魔法使い。危ないところでした」

 霧の中から、嘲笑うような声が響く。


「逃がすか!」

 私が短剣を抜き、音を頼りに切りかかる。

 だが、刃は空を切る感触しかなかった。


「さようなら、虹のお二人。また会いましょう……その時は、もっと面白いショーをお見せしますよ」


 霧が窓の隙間から屋外へと流れ出ていく。

 フランが舌打ちをして追撃の魔法を放つが、霧は風に乗って拡散し、完全に気配を消した。


「……逃げられたか」


 残されたのは、呆然とする教師たちと、腰を抜かしたゾーグ。

 そして、床に転がる二つの指輪だけだった。


 翌日、衝撃的な事実が判明した。

 ラノック先生の本宅で、彼と家族全員の惨殺遺体が発見されたのだ。

 死後数週間が経過しており、顔の皮が剥がされるなど、その手口は残虐を極めていたという。


 あの男――『グリム』は、水魔法による『変化』の能力でラノックになりすまし、少しずつ学院を蝕んでいたのだ。

 親友だと信じていたゾーグの心も、生徒たちの未来も、全てを踏みにじって。


 これが、ユノリア国からの宣戦布告だった。

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