4日 柔よく剛を制す
私は控室へ続く薄暗い通路で、深く息を吐いた。
歓声が、石壁を震わせている。
あの熱気の中心に、十一歳の身体ひとつで放り込まれる――それだけで胃が重い。
できるなら出たくない。目立ちたくない。だけど‥出場する。
理由はひとつ。
お金だ。
ルナフィール領の復興には、莫大な資金が必要になる。
父も母も復興の為に昼夜惜しんで働いている。
そしてここは地球ではない。
日本の行政のような手厚い支援があるわけでもない。
自分の事は自分たちでするしかないのだ。
今の私に出来る事は、この力を使って
する金銭的な援助ぐらいだ
だったら、あのふざけた貴族――確か、ナルシスとかいう名前だったか――から賭けの対象として金を巻き上げ、さらに優勝賞金をいただくのが最も効率的な資金調達手段だ。
問題は、今の私にはまともな攻撃魔法が使えないことだ。
自身の固有魔法も、あのオルバ戦以降、コントロールが不安定になっている。
そんな中でどう戦うか。それが最大の課題だ。
「やるからには全力でやりなよ。僕が推薦した意味がないからね」
通路の壁に寄りかかっていたフランが、呆れ半分に声をかけてきた。
「わかってるよ。勝算はあるから‥」
私は短く答え、気怠げに階段を上がった。
ゲートをくぐり、会場へと足を踏み入れる。
その瞬間、鼓膜を震わせるほどの轟音が降り注いだ。
闘技場は、凄まじい熱気に満ちていた。
石造りの円形対戦場を、五階層はあるであろうすり鉢状の観客席が取り囲んでいる。
まるで古代ローマのコロシアムだ。
全校生徒と教員、さらには王都の招待客たちが、野次と歓声を入り混じらせて叫んでいる。
貴賓席には、先ほどまで通路にいたはずのフランがもう座っていて、優雅にこちらへ手を振っていた。
「ふん……田舎者が。足が震えているんじゃないか?」
正面には、対戦相手であるナルシスが、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて立っていた。
キザな髪型に、過剰な装飾のついたローブ。いかにも「私はモブです」と言わんばかりの風貌だ。
「貴様のような下級種族上がりの田舎者には、場違いな場所だ。精々、この景色を目に焼き付けておくんだな」
「お互いにね」
私は涼しい顔で言い返す。
「なんだと! その減らず口、後悔しても遅いぞ!」
ナルシスの言葉を遮るように、猫耳の司会者が高らかに選手紹介を行い、最後にルールを読み上げた。
殺傷行為の禁止。降参か、場外へ落ちるか、戦闘不能で決着。単純明快だ。
『始め!!』
鐘の合図が鳴り響いた。
その瞬間、ナルシスが右手を突き出した。
「燃え尽きろ!」
彼の手のひらから、ボッと赤い火の玉が生み出される。
……小さい。
あのオルバが放った、空を焼き尽くすような業火と比べれば、マッチの火とキャンプファイヤーほどの差がある。
「ふん! 今日の私はこれだけじゃないぞ!」
ナルシスはさらに左手を掲げ、火の玉に向けて風を送った。
酸素供給による燃焼促進。理屈は合っている。
風を受けた火の玉は、ボウッと膨れ上がり、大人の拳二つ分ほどの大きさになった。
「おおおっ!!」
会場がざわめく。
「あいつ、火属性のみじゃなかったか?」「なぜ風を……しかも火との複合魔法だと!?」
――そのざわめきの中で。
ナルシスの指、黒い指輪が、また脈打った。
一瞬だけ、赤い火の中に“黒”が混じる。
熱ではない。ぞわり、と皮膚の内側を撫でるような嫌な感触が、こちらに届いた。
(……あれは、道具じゃない)
周囲は驚いているようだが、私には滑稽にしか見えなかった。
魔力効率が悪すぎる。あんな不安定な火遊びで、人を倒せると思っているのか。
私が一向に動揺せず、棒立ちで眺めているのを見て、得意げだったナルシスの顔が怒りに歪んだ。
「何をしている! 恐怖で動けないのか! この落ちこぼれがぁぁ!!」
――その一言で、奥が冷えた。
ナルシスが火の玉を放つと同時に、叫びながら突っ込んでくる。
魔法使いのくせに、随分と不用心な接近だ。
――交代だ。
私は意識のスイッチを切り替える。ここからは、千尋の領域(柔道)だ。
迫りくる火の玉。
熱くもない。軌道も直線的だ。
私は最小限の動きで首を傾け、それを避ける。
ナルシスの顔が、もう目の前にある。
彼は勢いに乗ったまま、魔法を外した体勢で私に掴みかかろうとしていた。
「捕まえたぞ!」
愚かな。
重心が浮いている。足元がお留守だ。
私は逃げない。
彼の懐へ一歩、深く踏み込む。
腕を取る。
背中を入れる。
膝を沈める。
「――終わりだ」
次の瞬間、ナルシスの視界が天地をひっくり返した。
ズドォォォォォン!!!
ナルシスの身体が場外の石畳に叩きつけられ、空気が震えた。
ナルシスは白目を剥き、口から泡を吹いてピクリとも動かない。
完璧な一本だ。
会場が、静まり返った。
誰もが、何が起きたのか理解できていない。
魔法戦を見に来たはずが、少女が男を「投げ飛ばす」という、未知の体術を見せつけられたのだから。
「……勝負あり、だろう?」
私は乱れた制服の襟を正し、呆然としている司会者に告げた。
一拍置いて、割れんばかりの大歓声が闘技場を揺らした。
「しょ、勝者! エマ!」
私は気絶しているナルシスに言う
(さて、約束通り復興資金はきっちり頂くぞ)
私は涼しい顔で、熱狂の渦中にあるリングを後にした。
後日。
あれは(柔道)は魔法なのか?と真偽されたが‥
「風魔法の一種だろう」
誰かが、そう言い出したのだ。
魔法で負けたと思いたくない連中が、都合のいい名札を貼っただけ。
私はどうでもよかった。
問題は、そこじゃない。
気絶したナルシスが運び出されたあと。
担架の上で、あの黒い指輪だけが――外れずに、まだ脈打っていたこと。
まるで、次の持ち主を探しているみたいに。
次回「黒い嫉妬」




