3日 銀星祭と黒い指輪
魔術学院ルミナリアは今、年に一度のビッグイベントの話題で持ちきりだ。
『銀星祭』。
魔術学院の生徒が、一対一で魔術の技と美しさを競う年に一度の祭典だ。
ルールは三分。
魔法で相手を場外へ落とせば勝ち。決着がつかなければ、術の精度と美しさ――技術点で裁かれる。
「去年は僕が優勝したんだ。相手を一瞬で氷の彫刻に変えてね」
「……容赦ないね、フラン」
隣を歩くフランが、まるで昨日の夕飯の話でもするかのように涼しい顔で言う。
アスガルド王国唯一の『虹色魔法使い』である彼は、その規格外の実力ゆえに今年は出場停止……ではなく、特別審査員として参加することになったらしい。
「で、なんでわたしが出場することになってるの?」
「だって、面白いじゃないか」
フランが悪びれもせずに笑う。
銀星祭に出場するには教師の推薦が必要だが、昨年優勝者であるフランにも一人分の推薦枠があるらしい。
私は基礎魔法(火や水など)が一切使えない。使えるのは身体強化の『無垢(白)』だけ。魔法戦なんて、どう考えても不利だ。
「無理だよ。わたし、魔法飛ばせないし」
「大丈夫さ。白も立派な魔法の一つだよ。それに、エマならきっとなんとかする」
「買いかぶりすぎだよ……」
私がため息をついた、その時だった。
「おい! そこにいるのは落ちこぼれのエマだな!」
前方から、やけに装飾過多な制服を着た男子生徒が、取り巻きを連れて現れた。
見覚えがある。以前、食堂で絡んできたモブ貴族だ。
「わたしだけど。何か用?」
「用ならあるさ! 俺様、ナルシス・ド・カマセーヌ様が貴様に果たし状を突きつけに来たのだ!」
……すごい名前だ。どこからどう突っ込めばいいのかわからない。
彼は私の鼻先に羊皮紙を突きつけた。
「銀星祭の一回戦、対戦相手は俺様だ! そこで決着をつけてやる! もし貴様が負けたら、即刻この学院から出ていけ!」
「それに――“白”なんて魔法じゃない。お前はただの“無色”だろ?」
その言葉を聞いた瞬間。
私の中で、カチリとスイッチが切り替わる音がした。
十一歳の少女エマの意識が奥へ引っ込み、滋賀県最強の主婦、千尋が表に出る。
スゥッと息を吸い込む。
自然と目つきが鋭くなり、全身から放つ空気がピリリと変わる。
それに気圧されたのか、ナルシスが一歩後ずさった。
「……何故そんなリスクを背負って戦う必要がある?」
私は低い声で問い返した。
「わたしになんのメリットがあるんだ? 時間の無駄だろう」
「なっ、なんだと!? この名門カマセーヌ家の嫡男と戦えるだけで十分なメリットだろうが!」
「興味ないな」
「ぬぐぐ……!」
顔を真っ赤にする彼を見て、私はあることを思いついた。
ルナフィールの復興には、莫大なお金がかかる。
「そうだ。もしわたしが勝ったら、ルナフィールの復興資金を出してもらおうか。――金貨三十枚。学院の前で、家名で誓約書を書け」
「ふ、復興資金だと?」
「ああ。君の家はお金持ちなんだろう? 負けたら潔く寄付してもらおう。できないとは言わせないぞ」
「……いいだろう! その代わり、負けたら絶対に退学だぞ!」
ナルシスはニヤリと笑い、右手を掲げた。
その指には、禍々しい輝きを放つ『黒い指輪』が嵌められていた。
指輪の表面が、心臓みたいに一度だけ脈打った。
――黒い靄が、彼の指の皮膚へ染み込むように消える。
「この前と同じだと思うなよ! 今の俺様は、既に赤色相当の魔力があるんだからな! はーっはっはっ!」
高笑いと共に去っていくナルシス。
私はその後ろ姿を見送りながら呟いた。
「……あいつ、名前あったんだな」
「そこ?」
フランが呆れたように言いかけて――途中で言葉を切った。
その視線が、ナルシスの指に吸い寄せられている。
笑みが消えた。
あの指輪……最近、貴族の生徒たちの間で流行しているらしい。
なんでも、着けるだけで魔力量の底上げができるとか。そんな便利な道具がある事すら信じ難いが、どうやら事実らしい。
その後、私とフランは『魔法史』の講義に出席した。
担当教官は、ラノック先生。
優男でいつも笑顔を絶やさない、生徒に大人気の先生だ。
「――はい、では今日の授業はここまで。銀星祭も近いですが、怪我のないように準備してくださいね」
授業が終わり、私たちが教室を出ようとすると、ラノック先生が声をかけてきた。
「やあ、エマ君にフラン君。調子はどうだい?」
「ラノック先生、こんにちは」
「聞いたよ。フラン君の推薦枠でエマ君が出場するそうだね。楽しみにしているよ」
ラノック先生はにこやかに笑うと、ふと思い出したように言った。
「僕も一人、推薦を出したんだ。ニエル君だよ」
その瞬間だけ、ラノック先生の笑顔が“止まった”ように見えた。
――気のせいだろうか。
「……ニエル?」
フランが首を傾げる。
「ニエルって誰だい? 聞いたことがない名前だね」
「わたしの女子寮のルームメイトだよ」
私が答えると、フランは少し驚いた顔をした。
それも無理はない。ニエルは極度の人見知りで、いつも部屋の隅で本ばかり読んでいる大人しい子だ。目立つことが嫌いで、フランのような有名人とは接点がない。
「へえ、あの子が……。でも、どうしてラノック先生は彼女を推薦したんですか?」
私が尋ねると、ラノック先生は眼鏡の奥の目を細めて答えた。
「彼女は優秀だよ。普段は目立たないが、彼女の使う『風魔法』は……そう、芸術だ」
「芸術……?」
「ああ。銀星祭は美しさを競う場でもあるからね。彼女の才能は、きっと会場を驚かせるはずさ」
そう言って、ラノック先生は爽やかに去っていった。
あの大人しいニエルが、芸術的な魔法を使う?
私には少し想像がつかなかったが、ラノック先生がそこまで言うなら、何か秘めた才能があるのかもしれない。
教室を出たあとも、私の頭から“黒い指輪”が離れなかった。
ナルシスが指輪を見せた瞬間‥嫌な感じがした‥
あれは、ただの「嫌な感じ」じゃない。
鼻の奥に、焦げた肉の臭いが蘇るような錯覚。
古傷――オルバに焼かれ、千切られ、再生された右腕と左足‥幻痛のようにズキズキと疼いている。
(……似ている)
あの指輪から漂うのは、オルバが纏っていたのと同質の、粘着質で底知れない闇の気配。
あれは便利な道具なんかじゃない。持ち主の精神を食い荒らす、呪いの類だ。
そしてその夜。
女子寮の窓辺で、ニエルが一人きりで風を撫でているのを見た。
月明かりの下、彼女の指には黒い指輪が嵌められている。
彼女が操る風は、息を呑むほど美しく、複雑な軌道を描いていた。
その風が作る絵は私の知っている薔薇の花に似ていた‥色は真っ赤な赤い色では無く‥黄色い‥美しい黄色の色をしていた。
けれど、それを見た瞬間。
私の身体は、本能的な拒絶反応で震えた。
美しい風の中に、あのヘドロのような悪意が混じっているのが、私には見えてしまったからだ。
次回「柔よく剛を制す」




