爆発に咲く花
目の前の女は、確かに私たちのことを「同族」と呼んだ。
金色の三つ編みツインテール。
白い肌に、ほんのり紅を差したような頬。
けれど一番目を引くのは、その瞳だった。
底抜けに明るい笑みと、そこにまったく釣り合わない、底なしの狂気。
「ほんと、バカじゃないの?」
女――オルバは、くすくす笑いながら言った。
「そんなに大きな魔力、ドカドカ使ったら、私たちが気づかないわけないじゃない。出る杭は、早めに打ちに来るに決まってるでしょ?」
私はまだ立ち上がれずにいた。
耳鳴りはようやくおさまり、視界も戻ってきたけれど、全身が重い。
皮膚の下で、さっきの爆発の熱がまだくすぶっている。
「それで、君は何者かな。遊びに来たってわけじゃないだろう?」
フランがオルバの正面に立つ。
口元は笑っている。けれど、いつもの余裕の色はなかった。
「そうねえ」
オルバは頬に人差し指を当て、わざとらしく考えるふりをする。
「出る杭は早めに打ちに来ましたー、って感じかしら。同族だからこそ、ね」
「……虹二人を相手にして、勝てるつもりかい?」
フランが軽く笑う。
表面だけの、乾いた笑いだ。
「勝てないのに挑むバカがどこにいるの?」
オルバは肩をすくめ、楽しそうに続ける。
「さっきの相手に大技連発して、魔力ほとんど空っぽの虹が一人。もう一人は、まだまともにコントロールもできてない“赤ちゃん虹”。これを好機と言わずに何て言うの?」
けたけたと笑う声が耳に刺さる。
「……」
(フラン……やめろ。今の状態でまともに戦えば、確実に殺される)
千尋の声が胸の奥で焦りを増幅させる。
それでもフランは一歩、前に出た。
「ま、やってみないことには分からないよね」
指先に、氷の矢がいくつも形を取る。
鋭く尖った透明の矢が空中に浮かび、オルバへと射出された――その瞬間。
「ふうん」
オルバが眼を細める。
次の瞬間、氷の矢は彼女に当たる前に、ふっと蒸発して消えた。
「なっ――」
フランの表情が揺らぐ。
「危ないわねえ。年上を労るってこと、知らないの? 最近のガキは。」
オルバは肩をすくめると、今度はこちらよりも多くの氷の矢を空間に生み出した。
形も、質量も、さっきフランが出したものと酷似している。
「たとえば、こんなふうに」
ぱん、と手を鳴らす。
先ほどとまったく同じ数の氷矢が、一斉にこちらへ向かってくる。
フランは即座に氷の壁を出現させ、全弾を受け止めた。
壁に突き刺さる音が、耳に痛いくらい響く。
「……」
オルバは私たちの顔を見比べ、嬉しそうに口角を上げた。
「いい顔するじゃない、種明かし、してあげよっか?」
胸に手を当てて、楽しそうに名乗る。
「あなたの氷の矢の“レシピ”は、もう知ってるの。その分量と同じだけ、逆属性をぶつければ、ほらこの通り、消える。簡単でしょ?」
そう言って、また氷の矢を展開して見せる。
数は先ほどよりもさらに多い。
「まさか、自分だけの魔法だなんて思ってた? 系統と配分――レシピが分かれば、誰でも使えるのよ。こんなふうに」
だが、オルバはすぐに氷の矢をふっと消した。
代わりに、赤い光が粒子となって空間に灯る。
「でもね、私は凍らせるより燃やす方が好きなの」
赤い粒子が伸び、鋭い火の矢へと変わる。
「さあ、どう?」
一斉に火の矢が放たれる。
フランは即座に氷の壁を重ねて展開し、矢は壁に突き刺さりながら炎を散らした。
「へえ、器用ね。氷をそこまで形にできるなんて、初めて見たわ」
オルバは心底楽しそうだ。
「じゃあ、これも防げる?」
今度は頭上。
フランの真上に、先ほどよりもさらに多くの火の矢が現れる。
「上はお留守だもんね?」
フランは瞬時に判断し、頭上に厚い氷の天井を展開した。
火の矢がそこに叩きつけられ、爆ぜる。
熱風が肌を刺した。
「さすがアスガルドの“虹”ね」
オルバは軽く手を叩いた。
「あり得ない……」
フランが小さく呟く。
「ん? 何が?」
「逆属性の魔法は……使えないはずだろう」
「ああ、そのこと?」
オルバは思い出したように笑う。
「説明、まだだったわね。私の固有魔法――“ヘリオグラフ”はね、
全ての基本魔法を、100%の効率で再現できるの。
火も、水も、風も、ぜんぶ」
「固有……魔法……」
「そう。私はあなたたちと同じ“虹”。よろしくね、同族さん?」
ぺこりとお辞儀をして見せる。
「そんなことを、ペラペラ喋ってもいいのか?」
フランの声が低くなる。
「いいのよ。だって――」
オルバの瞳に、明確な悪意が灯る。
「あなたたち、今日ここで死ぬんだもの」
ぞくり、と背筋が凍った。
(エマ……聞こえる?)
フランの声が、かすかに私の耳に届く。
あえて私にだけ届く小さな声量だ。
(状況は、あまり良くないどころじゃない。多分、僕の固有の情報も、かなり漏れてる。でも――)
(私のことは、知られてない……)
千尋が、すぐに理解する。
私は、静かに頷いた。
(そう。だから――)
「僕が合図を出したら――」
言い切る前に、世界が爆ぜた。
視界が白くはじけ、鼓膜を内側から殴られるような衝撃。
大地が跳ね、身体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「私ね」
オルバは、つややかに唇を開く。
「内緒話って嫌いなの。聞こえない場所でコソコソ話すの、イライラする」
フランは地面に転がりながらも、必死に氷の壁を展開していた。
さっきの爆発で、右腕からは血が垂れている。
氷の刀もところどころ欠けていた。
「さっきの、何……?」
かすれた声で問うと、オルバは嬉しそうにこちらを見る。
「素敵でしょ? 爆発の華って書いて“爆華”私の一番のお気に入り」
その名を口にするとき、オルバは本当に幸せそうに目を細めた。
「この魔法ね、とある貴族家が代々“神聖な家宝”として抱え込んでたの。
『使うな、守れ、次代に継げ』って」
オルバは肩をすくめる。
「バカみたいでしょ? 使いもせず、眺めてるだけ。だから、私が有意義に使ってあげるって言ったの」
「……」
「怒っちゃってさあ、みんなで私を殺そうとしたの。だから――」
頬をうっとりと染め、口角を上げる。
「ぜんぶ、殺してあげたの最後の一人が、泣きながら教えてくれたよ、『レシピ』を」
吐き気がした。
その記憶を語る声が、幸福そうだからこそ。
「貴族って、面白いのよ。どの家もね、基本魔法の“配合”に命を懸けてる。どれくらい火を、どれくらい風を、水を混ぜるか――私はそれを“レシピ”って呼んでる」
オルバは、ふっと指先に光を灯す。
「で、この爆華のレシピはね、ちょっと独特」
指先に、小さな火の粉――いや、極限まで圧縮された火の粒子が生まれる。
今日はわざと、見えるサイズまで落としているのが分かる。
「本当は目に見えないくらいまで凝縮するんだけど、今日は特別に見せてあげる」
その火の粉が、私の周りをゆっくりと旋回した。
触れても熱はほとんど感じない。
「これが“種”。凝縮した火の粉を、空気中や人や物に――こうやって、撒くの」
オルバの指先がひらりと翻る。
「そしてね。そして――」
空気が、ひゅう、と乾いた音を立てた。
さっきまで静かだった風が、突然、その火の粉へ向かって吸い込まれていく。
「そこに、一気に風を送ると――」
「――っ!」
世界が裂けた。
花が咲くように、爆発が広がる。
衝撃波が肌を打ち、石が割れ、地面がえぐれる。
フランの氷の壁が、私と爆心地の間に咄嗟に張り出された。
壁越しにも、熱と圧の暴力が伝わる。
「またその壁? 芸がないわねえ」
オルバが笑う。
フランは片手で胸元を押さえながら、よろよろとこちらへ戻ってきた。
氷の刀を支える右手が震えている。
「満身創痍って感じね。苦しいでしょ? 痛いでしょ? ――楽にしてあげよっか?」
オルバの声は、心底楽しそうだった。
フランは、血のにじむ口元で、それでも笑う。
「皮肉にもならない冗談だねえ……」
その目だけが、静かに私の方を見た。
(エマ)
視線の先、足元の草むらに、銀の光が落ちている。
アルクのネックレスだ。
私は小さく頷く。
その瞬間、私とフランの目の前――そして周囲一面に、無数の小さな火の粉が生まれた。
空気が、じわりと歪む。
「さあ、どうする?」
オルバは両手を広げ、舞台の真ん中の役者みたいに首をかしげる。
「一斉に“咲かせたら”綺麗だと思わない?」
(……アルク)
私は目を閉じた。
胸の奥が、ぎゅう、と痛む。
失敗すれば、私もフランも――ここで燃え尽きて終わりだ。
(できる、飛ぶんだ)
声に出さずに心で叫ぶ。
(出来るの⋯私に?)
震えたその声は、エマの声だった。
私ではない、“エマ”は震えていた。すぐそこにある「死」を前にして。
――任せろ。
あの少年の笑顔が、脳裏に広がる。
夕焼けの川べり、泥だらけになって笑っていた横顔。
拳をぶつけ合った時の、あの感触。
『お前なら出来る⋯なるんだろ? 魔法使いに』
優しいアルクの声と私の肩に置かれた手がはっきりと聞こえた気がした。
エマの恐怖が、一瞬で消える。
エマはアルクの手に触れ笑顔で言う
もうそこに恐怖も恐れも無い
あるのは大切な友達への感謝の思い⋯
ちがうよ⋯アルク、もう私は⋯なってるよ――
――魔法使いに!
アルクの笑顔が弾ける。
(行ける)
千尋が静かに結論を出す。
私は目を開け、立ち上がりざまにフランの服を掴んだ。
「バイバイ」
オルバの合図と同時に、世界中の火の粉が一斉に膨張を始める。
私は――ネックレスがある“位置”だけを、強く思い描いた。
視界が、弾けるように反転する。
地面が霧になり、空気が裏返り、世界の輪郭がほどけて――
次の瞬間。
「……え?」
オルバの瞳が初めて揺れた。
彼女の目の前から、フランの姿が消えたのだ。
「消え――」
言い切る前に、オルバの腹部に氷の刃が突き立っていた。
「……がっ」
鈍い音。
オルバの唇から血があふれ、赤い滴が顎を伝って落ちる。
さっきまで誰もいなかったオルバの背後――そこにいつの間にかフランがいた。
氷の刀を深々と突き立て、その柄を握りしめている。
「……なんで?」
オルバの声が震える。
フランは、短く息を吐いた。
「形勢逆転だね……エマを甘く見たのが君の敗因だよ」
オルバはその場に膝をつき、血を吐きながら笑う。
「は? 逆転? 寝ぼけてるの?」
「いや。無理だよ、もうすぐ――凍るから」
氷の刃を中心に、オルバの身体が徐々に凍り始める。
肌の上を、透明な結晶が静かに這い上がっていく。
「これで動けないはずだ。君の負けだよ」
「……これで、勝ったつもり?」
氷に覆われつつある顔で、それでもオルバは笑った。
「だから、無理だって言ってるだろう。もう直に――」
「ふふ……教えてあげましょうか?」
オルバの目が細くなる。
「授業では絶対に教えてくれない、とっておき」
氷の結晶が軋む。
それでも、オルバは両手を、ぎりぎり持ち上げた。
「基本魔法って、三系統でしょ?」
「そんなこと、皆知ってるよ。気でもふれたのかい?」
フランが眉をひそめる。
「面白いのは、ここからよ。三つを全部、混ぜるとどうなると思う?」
「そんなこと、できるはずが――」
「できるのよ。全部使える“私”だからね」
オルバの掌の上に、小さな火の粉。
その隣に、小さな渦巻き――風。
そして、滴り落ちる水の粒。
「火と、風と、水。ぜんぶ――」
両手を合わせ、祈るように指を組む。
三つの属性がひとつに溶け、まばゆい光へと変わった。
「全部合わせるとね。聖の魔法になるの」
その光を、オルバは自分の身体に押し当てた。
次の瞬間。
凍りついていた氷が、音もなく溶けていく。
傷口が閉じ、血が止まり、肌が元の白さを取り戻す。
「聖なる魔法は、癒しを生む。どんな傷も、どんな呪いも、こうして――」
オルバはゆっくりと立ち上がった。
「分かった? 私は神に選ばれた存在なの」
フランが目を見開く。
「これで、勝ち目がないって、分かってくれたかしら?」
オルバが指を鳴らす。
風が巻き、フランの身体が弾かれたように吹き飛ぶ。
人形のように宙を舞い、地面で何度もバウンドする。
骨がきしむ音が、こちらまで伝わってきそうだった。
「フラン!」
声が裏返る。
ぽつ、ぽつ、と頬に冷たいものが落ちた。
雨だ。
「はあ……しらけるわね」
オルバが不機嫌そうに空を仰ぐ。
「雨、嫌いなのよ。爆華、使いづらくなるし」
火の粉に水が触れれば、不安定になる。
さっきのような一斉爆発は、確かに難しくなるだろう。
「じゃあ、しょうがないか」
オルバは片手を前に出した。
ぞわり、と寒気が走る。
空間に、とてつもなく巨大な氷の矢が形を取っていく。
さっきまでフランが出していたそれとは、比べ物にならない質量。
「自分の氷で死ねるなら、本望でしょ?」
よろめきながら、フランが立ち上がる。
息は荒く、足取りもふらついている。
「最後に、あなたの固有魔法、使ってもいいのよ?」
オルバが笑う。
「ああ――無理か。触らないと発動できない、“欠陥魔法”だったっけ?」
フランは何も言わなかった。
いや⋯言えない
すぐそこにある死を前に…何も言えなかった
氷の矢の先端が、フランへと向けられる。
「じゃあね、“最弱”の同胞さん。名前は――なんだっけ?」
オルバが氷の矢を放とうとする。
(ダメだ。このままだと、フランが――)
私は目を閉じた。
伸ばした手のひらを、フランのいる方向へ向ける。
(ほのか)
真っ暗な視界の中で、あの子の顔が浮かぶ。
笑って、泣いて、怒って、私を見上げていた、あの瞳。
私を呼ぶ声がする。
可愛らしく――愛しい声が。
『――お母さん』
記憶の中の声がよみがえる。
――おかえり、ほのか。
私は唇を動かした。
その瞬間、掌の奥で何かが“掴めた”。
フランの“位置”。
世界の“縫い目”。
私は、それを思いきり引き寄せる。
氷の矢が放たれる。
凄まじい速度でフランへと殺到する――が。
矢は、空を切った。
フランの姿が、その場から消えていた。
「……また、消えた」
オルバが静かに呟く。
「ねえ、あなた――いったい、何をしたのかな?」
問いかけに答える前に、足から力が抜けた。
世界が傾く。
空と地面がぐるりと入れ替わる。
遥か遠くで声が聞こえた。
ほのかと大輔が驚く声が――。
(届いた……)
そこまで考えて、意識が闇に飲み込まれた。
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