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Re:迷宮ダンジョン

ダンジョンは、前に来たときと同じ冷たい空気に包まれていた。


けれど今日は、その冷たさの底に、何かべっとりとしたものが張りついている気がした。


入口の前で立ち止まり、フランがくるりとこちらを振り向く。


「確認だけど、エマは“基本魔法”本当に使えないんだよね?」


「……うん」


「そっか。じゃあ今日は“やり方”を変えよう」


「やり方?」


「今までは固有魔法ばっかり鍛えてたけど、それじゃ効率悪い。はっきり言うと――」


フランの笑顔の温度が、ほんの少しだけ下がる。


「エマの固有魔法って、戦闘には不向きだから」


「私は別に、戦いたいわけじゃない」


「それ、無理だから」


軽く言うのに、その一言は石みたいに重かった。


「……なんで?」


「エマが“虹”だからだよ。

遅かれ早かれ、各国は君の存在に気づく。そうなったら、命を狙われる可能性は高い」


「そんな……」


「それが“虹”の宿命だよ。

それに――大きすぎる力は、周りの人も巻き込む。エマの大事な家族も」


そこで初めて、フランはヘラヘラした笑みを完全に消した。


「だからこそ、守るために力が必要なんだよ。一人になる前に、ね」


胸の奥がきゅっと締めつけられる。


私は小さく頷く。


「……分かった」


フランはいつもの調子を取り戻したように笑い、ダンジョンの中へと歩き出した。




中に足を踏み入れると、冷気はさらに濃くなった。


フランが壁に手を当て、魔力を流し込む。

すると、壁の石が淡い光を放ち、通路がぼうっと照らされる。


「これ、魔法だと思う?」


「……違う。白(無垢)の魔力」


「正解!」


学院の先生みたいに、フランが満足そうにうなずく。


「じゃあ、ここから“基本魔法”にするには何が必要?」


「あれ……だよね。血」


「そうそう。少量、血を混ぜる」


フランは軽く爪で指先を傷つけ、白い魔力に血を一滴落とす。

その瞬間、透明だった魔力が、ふわっと水の塊へと姿を変えた。


「これが“水”で。

血の量は少しでいい。ぼくの場合、風と水の二系統。出したい属性は――前にやった通り、“イメージ”」


ここまでは、学院の授業で習った内容と同じだ。


でも、私は――。


「私は……血を混ぜても、何も起きない」


「そうだね。それは学院でも実証済み。

でもね、ここからが授業では教えてくれない部分」


フランは指を一本立てる。


「白い魔力は、“身体強化”に使える。

それも、かなり高い精度で」


「身体……強化」


「肉体だけじゃない。武器や道具にも魔力を流せば、強化できる。

でも貴族たちは“変化する魔力”にしか興味がない。どの系統に変えられるか、どれだけ派手な魔法が撃てるか。

それ以外は全部“グズ”」


口調は軽いのに、言葉は冷たい。


「だから、彼らは一生“白”の使い方に気づかない。魔力変化ができない君だからこそ――」


フランは私の胸を軽く小突く。


「この“無垢の魔法”を、誰より上手に使えばいい。エマの修行メニューは、身体強化と武器強化。それから、固有と同時使用。この三本」


(理にかなってるな)


千尋が静かにうなずいた。


私は改めて、自分の両手を見つめる。


「……やってみる」


フランは楽しそうに微笑んだ。




一階にも、魔物は出る。


天井に張りつく巨大な蜘蛛。

床を走る太いムカデみたいなもの。

動きは速いが、パターンは単純だ。


白の魔力で身体を強化すると、視界の中で世界がわずかにスローモーションになる。

脚が軽い。

跳躍が伸びる。

回避が、ぎりぎり間に合う。


(右足に重心。蜘蛛の落下――二歩先)


千尋の経験が、頭の中で線を引いていく。

エマの身体が、その線をなぞる。


「――っ!」


地面を蹴り、滑り込むように懐へ。

強化した木の棒で、ムカデの節目を打ち抜いた。


「少し戦えるようになってきたね」


フランが笑う。


「無垢の魔法も上手。飲み込みが早いよ、エマ」


「……他の貴族は、どうしてこれを使えないの?」


「使えないんじゃなくて、使わないんだよ。『変化しない魔力なんて、価値がない』って思い込んでるから」


フランは、どこか意地悪そうに肩をすくめた。


「不要な血統と、いらないプライドで頭がいっぱい。不器用な生き物だよね、貴族って」


「フランも、貴族なんじゃ……?」


「生まれは、ね」


あっさり認めて、フランは氷でドームのような小部屋を作り出した。

中は外気よりずっと暖かい。


「今日はここで休もう」


「フランの氷の魔法、本当に何でも作れるんだね」


「便利だよね?」


胸を張る姿は、年相応の少年そのものだった。




シチューを食べながら、私はずっと気になっていたことを口にした。


「ねえ、フラン」


「どうしたの?」


「ここにいる“友達”のこと……聞いてもいい?」


フランの手が、わずかに止まる。


「……あんまり、話したくはないんだけどね」


それでも、彼はゆっくりと語り始めた。


家族を失い、心ごと凍っていたフランを拾ってくれた冒険者パーティ。

パーティ名は《アスガルの光》。


五人。

仲が良くて、家族みたいで。

フランはその中で、少しずつ、凍った心を溶かされていった。


「このまま冒険者でもいいかなって、思い始めた頃にね――

このダンジョンに挑戦したんだよね」


声が、少し低くなる。


「ボスとの戦闘で、みんな死んだよ。

ぼくだけ、生かされて逃がされた」


「……生かされて?」


「弱かったから。力を上手く使えなかった自分が、悔しかった」


ギリ、とスプーンが皿の縁を擦る。


「だから戻ってきた。嫌だけど貴族の名前を使って、ルミナリアに通って。力をコントロールできるようになって。何度も、何度も挑戦して――全部、惨敗」


「フランでも……無理なの?」


「ボスには魔法が効かないんだよ。

無効化される。だからこそ、“虹”が二人いれば、って思ったんだけどね」


フランは天井を見上げた。


「でも約束は約束。一階まで。……それでも、一緒に来てくれてありがとう」


弱い笑みは、ひどく悲しかった。


私は何も言えずに、シチューを一口すすった。

少ししょっぱいのは、気のせいじゃない。


翌朝。


フランと私は、あの部屋の前に立っていた。

フランが私を閉じ込めた場所。

そして地球に帰れた場所。


「最後の仕上げだね」


フランが扉に手をかける。


「大丈夫。今度は最初から一緒に入るから」


私は小さく息を吸い、頷いた。


中に入った瞬間、扉が重い音を立てて閉じる。


闇が、落ちる。


冷たい。さっきまでの冷たさとは質が違う。

皮膚の上を刃物の背でなぞられているみたいな、いやな感覚。


心臓の鼓動が、いやでも早くなる。


(息が浅い。落ち着け)


千尋の声で、なんとか呼吸を整えようとしたとき――

両端のたいまつに、自然と火がともった。


黄色い光が、ゆっくりと部屋の奥を照らしていく。


「……ここ、前と違う」


隣を見ると、フランは目を大きく見開いていた。


「そんな……なんで……ぼく、この部屋は知らない……」


たいまつの灯りが奥へ広がり、闇の中の“それ”を浮かび上がらせる。


息が、止まった。


四階建ての建物くらいある巨体。

禍々しい獣の顔。

背中から無数に伸びる尻尾が、うねりながら空気をざわつかせている。


立ち上がっただけで、地面がわずかに震えた。


「ごめん……エマ。こんなはずじゃ、なかったんだけどね……」


いつも余裕そうなフランの声が、かすかに震えている。

額から、汗が一筋、冷たい床へ落ちた。


「あれは……?」


声が自分のものじゃないみたいに細い。


「このダンジョンの“ヌシ(主)”ですよ。

ぼくの友達を殺した敵」


獣はゆっくりと口を開き――


咆哮が、世界を揺らした。


空気が裂ける。

胸の奥がぎゅっとつかまれたように痛くなる。


「――来る!」


フランの声が、かろうじて耳に届く。


逃げ道なんてどこにもない。

背中には冷たい扉。

目の前には、這い寄る影。


(怖い。でも――)


千尋が、静かに言った。


(ここで逃げたら、一生“届かない”)


私は震える膝に力を込め、ヌシの瞳を見返した。


巨大な影が、ゆっくりとこちらへ動き出す。


冷たい空気が、さらに一段深く沈んだ。


――世界が崩れ出す、その一歩手前で、静けさだけがまだそこにあった。


次回「ダンジョンのヌシ」

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