決闘
「なるほど、そんな方法があったのか……」
私は昨日の出来事を、コールに報告した。
昼の光が差し込む執務室の机の上には、地図と報告書が乱雑に広がっている。
コールは腕を組み、顎に指を当ててうなずいた。
「なにか、掴めそうな気がするの」
「そうか……なら、その方法でしばらく訓練を続けてみるといい。ただし――」
「ただし?」
コールは低く息を吐き、真剣な目で私を見た。
「フランの目的が、“友達になるだけ”とは到底思えない。油断するな。目的をそれとなく聞き出せ。何かあれば、すぐ報告するんだ」
「わかった」
私は小さく頷いた。
---
それからの日々は、まるで修行僧のようだった。
授業が終われば中庭で、食後は寮の部屋で、寝る前までも――私はひたすら小石とにらめっこしていた。
“変な子”と囁かれるようになってからは、誰も近寄らなくなった。
苦笑いしながらも、手のひらの小石を見つめ続けた。
一週間が過ぎたころだった。
ある瞬間、手の中の小石が――ふっと消えた。
「……やった」
息が漏れる。
もう一度、新しい小石を拾い、そっと握る。
頭の中でイメージした。
故郷ルナフィール。父の麦畑。母の笑顔。そして、あの声。
「――エマ」
次の瞬間、小石の重さが、手のひらからすっと消えた。
「できたね。おめでとう」
ぱちぱちと拍手が響く。
振り向くと、そこに――フランがいた。
(いつから見てたの……)
「フラン……私……!」
「はい、次の課題ね」
彼はにっこり笑って、拳ほどの大きな石を私の手に乗せた。
(……悪魔だ)
私は笑顔で手を振るフランを見ながら、心の中でそうつぶやいた。
---
一ヶ月後、私は拳大の石までなら自在に飛ばせるようになっていた。
「石はクリアだね」
「うん……次は?」
「自分を飛ばす番だね」
「どうやって?」
「簡単だよ。今まで石に向けてた集中を、自分自身にすればいい」
「簡単に言う……」
「地球に行けたんだから、不可能じゃないでしょ?」
彼はさらりと言って、笑う。
「じゃあ、先に行って待ってるから」
「え、どこに――」
「ルナフィール。そんなに遠くないしね。じゃあねー」
言い終えるより早く、フランの姿は消えていた。
私はその場にへたりこんだ。
(言ってること、めちゃくちゃ……)
でも――
“魔法使いになるためにやるんだろう?”
千尋の声が、胸の奥に響いた。
私は首から下げたネックレスを握り、息を吸った。
「……わかった」
---
目を閉じ、意識を集中させる。
石ではなく、自分自身に焦点を合わせる。
――ルナフィール。
アルクと遊んだ川。森を抜ける風。鳥の声。
そのすべてを“描くように”イメージした。
白黒の風景が、少しずつ色を取り戻す。
水彩絵の具のように滲み、混ざり、形を作る。
「――エマ」
肩に、誰かの手が触れた。
アルクだ。
目を開けた瞬間、視界が光に包まれ、
――冷たい水が頬を打った。
「……!」
バシャッ。
気づけば、私は川の中に座っていた。
水の流れ、風の匂い、そして青い空。
(……できた)
私は小さく息を吐いた。
---
翌日、ルナフィールにフランが現れた。
「もうできたの? びっくりしたよ。もっと時間かかると思って、のんびり来たのに」
笑いながら肩をすくめる。
「フランは、どうやって来たの?」
「ひみつ」
口元に人差し指を当てる。
それは悪戯っぽくも、どこか誇らしげな仕草だった。
---
その夜、焚き火の前でフランは静かに言った。
「ねえ、お願いがあるんだ」
「お願い?」
「ダンジョンを攻略したいんだ。そこに……友達が眠ってる」
火の明かりに照らされたフランの瞳は、氷みたいに透き通っていて、でもその奥に、確かに“悲しみ”があった。
「……分かった。一緒に行く」
---
「無茶だ。危険すぎる」
アスガルドの騎士団本部で、コールは声を荒げた。
「僕も行くんだから問題ないでしょ?」
フランはいつもの調子で笑う。
「以前、貴方はエマを閉じ込めた。その件は――」
「近道だったんだよ。結果、彼女の扉は開いた。違う?」
「だとしても!」
「ねえ、副団長。魔力のことは、同じ“持つ者”にしか分からない」
静寂。
「せめて私も⋯」
「足手まとい」
コールは唇を噛み、剣の柄を握った。
「なら……私が勝てば、同行する。負けたら、私を置いていけ」
「いいね。それで決まり」
フランの目が、細く笑う。
それは――遊びではない本気の眼差しだった。
---
決闘が始まった。
氷が床を覆い、空気がひび割れるような冷気が走る。
フランの掌から生まれた氷剣が、淡い光を放った。
「さあ、来てください。副団長」
コールが地を蹴る。
金属音が鋭く響く。
刃と刃がぶつかるたび、氷の粉が舞った。
速い。
互いの剣が閃光のように走る。
けれど――押しているのはコールだった。
「どうした。受け身ばかりじゃないか!」
「へえ……さすがだねぇ」
フランは軽く笑って剣を滑らせ、後退。
だが、コールの足が――滑った。
(床が……凍ってる!?)
フランの策略に気づいたときにはもう遅い。
バランスを崩し、剣筋がぶれる。
「無理だよ。このまま朝まで続けるつもり?」
軽やかな声と共に、氷の破片が宙に舞った。
「まだだ!」
コールは剣を鞘に納めた。
その構えに、私は息をのむ。
(居合……!)
一瞬の静寂。
「え? なに、諦めたの?」
フランが笑った次の瞬間、
氷の床が爆ぜた。
閃光のような踏み込み。
抜刀と同時に――剣閃が走る。
だがその刃は、
フランの前に立ち上がった分厚い氷の壁に阻まれて止まった。
氷がひび割れ、冷気が舞い上がる。
フランの口元がわずかに笑った。
「危ない危ない。今のは速かったね。見えなかったよ」
氷壁が透き通り、陽光を反射する。
その光景は、美しくも恐ろしかった。
「この壁ね、僕が“危ない”と思った瞬間に自動で出るんだ。助かったよ。で、僕の勝ちでいい?」
「これなどうだッ!」
コールが剣を掲げる。
光が集まり、刃を包み――爆ぜる寸前。
「コール!!」
轟く声。
視線を向けると、そこには団長がいた。
いつもの軽口は消え、ただ鋭い眼差しだけがあった。
「その技は……仲間に向けるものか?」
その一言で、空気が凍る。
我に返ったコールは、剣を下ろした。
「……すみません」
悔しそうに呟くコールに、団長は言った。
「お前の負けだ、コール」
フランは静かに剣を氷に戻し、目を伏せる。
「ダンジョンに行くのは構わん。ただし、1階までだ。エマを巻き込むな。それ以上は……許さん」
フランは黙って頷いた。
風が吹いた。
床の氷が溶け、陽光が差し込む。
――氷と剣のあいだに、確かに信頼の温度があった。
次回「Re:迷宮ダンジョン」




