コントロール2
昼休みの鐘が、魔術学院の中庭にほどよくゆるい影を落とした。
長机に腰をおろした私の前で、薄いスープの表面に緑色のキノコがぷかぷか浮いている。
「彼らには無理だと思うよ」
隣にストンと腰を下ろしたフランが、スプーンでそのキノコを器の端へ寄せながら言った。声は軽いのに、温度は一定だ。憎しみも軽蔑も、何も混ざっていない。
「なぜ?」私はスプーンを止める。
「彼らには魔力がないから⋯かな。魔法の事は“ある側”の手触りでしか分からない。虹ならなおさらだよ」
私は「でも」と反論を探して――見つからない。
フランは、カラン、とスプーンを無造作に投げて、私の顔を覗き込んだ。
「じゃあ、どうして君は《ルミナリア》に通ってるの? “分かる側”に教わればいいじゃない? ちがう?」
「……」
言葉が出なかった。
彼の言っていることは、悔しいほど正しい。
「報告書、読んだよ」
「え、読んだの?」
「一応、ぼくは騎士団“総長”だからね」
イタズラを打ち明ける子どもみたいに、フランはにっこり笑った。
「君の固有魔法と、ぼくの固有魔法――共通点が多いと思うんだよね」
「本当に?」
こくりとうなずくと、彼は立ち上がった。
「授業が終わったら、見せてあげる。ぼくの固有。今日のスープは好きじゃないので、もういいや」
結局、緑のキノコは一口も減らなかった。
午後の授業が終わると、私は約束どおりフランの後をついて中庭を抜けた。
(接触には注意を)
コールの声が脳裏をかすめる。
「そう警戒しなくてもいいよ」
振り返りもせずにフランが言った。いつ拾ったのか、小石を手のひらでポンポンと弾ませている。
「なぜ、急に自分の魔法を見せる気になった?」
「ん?」
「理由だ。あなたがそういうタイプに見えない」
「あ、久々ですねえ。もう一人の人格。名前は……」
「千尋だ」
「チヒロ。呼びにくいね」
「ならエマで構わない」
「うん、じゃあエマ。――理由は簡単。友達になりたいんだよ、君と」
「友達……?」
「意外に見える? ぼくらは同じ“虹”で、同じアスガルドの“味方”だから。敵になるより、友達の方がいいに決まってるでしょ? おかしいかなあ?」
「いや……」
「“裏がある”って思ってる顔だね」
笑顔のまま刺さることを言う。たしかに私は疑っている。
でも、その笑みの奥に、取ってつけた計算の匂いはない。
「そもそも固有を人に見せるなんて、普通はしない。だから今日は特別」
フランは小石を高く投げた。空の途中で小石は――止まった。
いや、完全に静止しているわけじゃない。目を凝らせば、ゆっくり、ほんの紙一枚分ずつ地面へ近づいていく。
「この石の“速度”を遅くした。少しだけ。止まって見えるけど、落ちてる」
パン、と彼が手を打つと、石は速度を取り戻し、からんと地面で跳ねた。
「もう一回」
今度は小石を木の幹めがけて投げる。幹の手前で“ピタ”と止まり、次の瞬間、銃弾みたいに加速して幹を貫いた。
「ぼくは、いろんなものの『速度』を好きに変えられる。遅く、速く。――それが、ぼくの固有『速度領域』」
(本当に、国一つ傾ける火力だ)
千尋の声が低くなる。氷の魔法だけでも厄介だったのに、これもある。やっぱり彼は、笑っているけど“怪物”だ。
フランは手を叩いて木屑を払うと、目だけで私を指した。
「さあ。次は君の番、エマ」
「報告書、読んだんだろう?」
「直接聞きたい。紙は匂いが消えるからね。君の声で欲しい。――何か、秘密にしてる部分があるからね?」
(嘘は通じないか……)
私は頷いて、話した。千尋の過去。“地球”という世界。家族のこと。合言葉。匂い。家の音。
「へえ。向こうの家族、ホノカとダイスケって、君のなに? 兄妹?」
「旦那と娘だ」
「君、いくつ?」
「四十歳」
一瞬の間のあと、フランは腹を抱えて笑い出した。
「やっぱり君、おもしろいや。普通じゃない。固有も、君も」
「普通だろう」
「絶対ちがうって」
笑いすぎて目尻に涙をにじませた彼は、ひと呼吸おいて真顔に戻る。
「じゃあ、本題。――君の固有は特殊。他の“虹”は基本魔法も併用できるけど、君はできない。つまり、固有一極集中。しかも“大技”一発で魔力が空。今のままだと“使えない魔法”だね」
胸の奥がひゅっと冷える。図星だ。
「まあまあ。落ち込まない。要は“使い方”だよ」
「使い方?」
「うん。そこで、さっき言った“共通点”」
フランは自分の胸を小突く。
「ぼくのも、最初は全然コントロールできなかった。勝手に速くなる、勝手に遅くなる。――訓練で、掴んだ」
「どうやって?」
彼はいたずらっぽく口角を上げ、私の手のひらにそっと何かを置いた。
親指の腹ほどしかない、小さな小石。
「いきなり大技じゃなくて“小技”から。速度をゼロから学ぶように、君も“距離”をゼロから学ぶ」
「距離?」
「そう。君の固有もぼくの固有も、基本は“イメージ”から」
「イメージ」
「ぼくもイメージしたよ。遅く、速く。――君の場合は“家族”。まずは家族をイメージして、一ミリだけ、帰ってみたら?」
(一ミリだけ、帰る?)
フランは続けた。
「アンカーは“家族”でしょ。君の話がほんとなら、トリガーはいつも“家”。言葉でも匂いでも音でも、帰還の式は“家族”に結び目がある」
私は静かに頷く。掌の小石に視線を落とした。
冷たさ、重さ、ざらつき。何の変哲もないただの石。
「やり方は三つ」
フランが指を一本ずつ折る。
「“空気”、 “人”、 “言葉”をイメージ」
「空気、人、言葉」
「空気でその場を感じる。言葉で縫い目に指をかける。人で引く」
(目を閉じてイメージする――麦畑。近くに流れる川の音)
指先の小石の重さが、すこしだけ軽くなる気がした。
「“人”」
フランの声に合わせる。
父アランの顔。優しく、そして力強い。私をそっと抱きしめる。
世界のどこかが、紙一枚分、波打った。
「“言葉”」
合図のように、胸の奥で声が灯る。
――無事で―良かった。
私は、小石を“こちらから半歩だけずらす”つもりで、親指と人差し指の間をほんのわずか開いた。
――ちり、と掌がしびれた。
小石の冷たさが、一瞬だけ消えて、また戻ってくる。
「今の。分かった?」
フランが目を細める。私は頷いた。
確かに、何かが“ずれた”。落ち葉の上の薄い霜だけを爪で剥いだみたいに、世界の表皮が一枚浮いた。
「いいね。今日はそれで終わり。毎日やる。“一ミリ”が“一歩”になる日が来る」
フランはくるりと踵を返し、歩き出す。
ふと思い出したように振り向いて、いつもの無邪気な笑みを浮かべた。
「ね、エマ。ぼくら、友達でしょ?」
「……考えておく」
「ですよねえ」
彼は笑って、木漏れ日の方へ消えた。
(油断はしない。でも、学べるなら学ぶ)
千尋が整理する。私は小石を握り、胸の奥でゆっくりと息を整えた。
――その日の放課後。私は小石を相手に、ひたすら“一ミリ”を繰り返した。
空気。人。言葉。
掌の中の重さが、ほんの少しだけ、私に寄ってくる。
遠い場所の音が、薄く重なる。
(行く/帰る、は魔法じゃない。選ぶことだ)
私は小石を見つめ、もう一度だけ囁いた。
「――ただいま」
小さな石の重さが、答えた気がした。
次回「決闘」
3連休なんで11月22日土曜日 20時更新
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