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もう一人の"虹"

朝の講義前、中庭はまだ芝の匂いが新しい。

白い塔の先っちょが、雲に刺さっているみたいだ。


(――団長の「完敗だ」。)


昨夜の稽古場。

扉をほとんど蹴破る勢いで現れたカインが、当たり前のことみたいに笑って言った。


「フラン・オルディス・ヴァルト? 知ってるぜ。手合わせしたが――俺の完敗だ」


帰り道、隣を歩くコールは珍しく口数が少なかった。

肩のあたりに、見えない重り。


「団長でも及ばないか……さすがは“虹”だな」


声は平静を装っているけど、瞳の奥が揺れる。

憧れの背中が少し遠のいた――そんな色。



教室。窓際二列目に腰を下ろした瞬間、視線に引っ張られた。

ふり返る。最後列。フランが、ひらひら手を振っている。

子どもが飴を見つけたときみたいに無邪気な笑顔で――。


「……フラン」


「いいね、その呼び方。気楽で」


(場の温度を一段下げる喋り方。油断させる天性、かもしれない)


属性論、魔力史。昼休みの回廊。

気づけば、フランはすっと隣に立っている。

距離は近いのに、核心からは半歩だけ遠い。

そんな日が二日、三日。


「エマは、お昼はパン派?」


「近くの店の“ナッツ蜂蜜パン”が好き」


「人の好みに蜂蜜を垂らすの、素敵だね。今度ごちそうしようか?」


(言葉選びは軽いのに、ときどき“温度ゼロ”が混ざる。境界の切り替えが異様に滑らか)


授業が終わって、天文塔の影が中庭へ伸びるころ。

白い石段に並んで腰かける。風が制服の裾をなでた。


「ねえ、フラン。こんなに遅くまで外にいて……家族は心配しない?」


フランは空を見た。雲を数えるみたいに目を細め――いつもの調子で笑う。


「家族? ……家族ね。大丈夫」


「大丈夫なの? 心配とかしないの?」


「もう皆、死んでるから」


石段の下で鳥が一羽、短く鳴いた。

私は何も言わないことを選び、フランもそれ以上は何も足さない。

風だけが往復する。



数日後。実技訓練場の片隅。

私は相変わらず火も水も風も出せず、魔光石の前で腕を組む。


(理屈は飲み込めてる。体も動く。なのに――核心への道が一本、つながらない)


「エマ」


背後から落ちてくる声は、陽だまりみたいに柔らかい。

振り向くと、フランが立っていた。片手をひらひら。


「君、魔光石の“色”、嘘ついてるよね?」


胸が、一拍だけ強く跳ねる。私は笑って、とぼけた。


「その目の泳ぎ方、可愛いけど――嘘は通らないよ」


フランの顔は相変わらず笑顔なのに、目が笑っていない。

エマは嘘が上手ではない……代わりに千尋が前に出る。


「何の話?」


可愛らしかったエマの目つきが、急に鋭くなる。

それに気付いたのか、笑顔だったフランの表情も険しくなった。


「嘘なんてついた覚えはないけどな」


私の声に場の空気が揺らぐ。

小さい頃から私は、年上に気を遣わせてしまう“特殊スキル”があった。

年上の先輩や先生、職場の上司――私が話すと皆敬語になり、何もしていないのにたいてい先に謝り出す。

でも……フランは違った。


「わぁ! それだよ! その表情!」


私を見つめる目が急に大きくなり、手を叩いて喜び出すフラン。


「あの緑級の生徒を投げたときと同じ表情……それが見たかったんだよ」


「ずっと同じ表情だけど?」


「えー、全然違うよ? 気づいてない?」


「何が違うか教えてほしいくらいだ」


私は胸を張って答えた。


「やっぱり君、面白いね」


「褒め言葉として受け取る」


そう告げてフランから離れようとしたとき、私の手をフランが掴む。


「この指輪さ……」


フランが私の腕を掴んで言った。


「それ、石の色を青にする指輪だよね?」


「違うな……これは知り合いから貰った安物の指輪だ」


「嘘をついてもダメだよ。……それ、僕が作ったやつだから」


「……え?」


「昔にね。刻印の癖、見ればわかるよ」


私は言葉に詰まる。

振り返ると、フランがこちらを真剣な眼差しで見ている。


「で?」


掴んでいる私の腕を引き、顔を近付け、囁くように言った。


「実際は何色なのかな?」


「――“青”だ」


「へぇー」


フランの身体から、凄まじい魔力が溢れ出す。


「強い魔力同士は引き寄せられるんだよ……こんなふうに」


ふと自分の身体を見ると、少しずつ魔力が溢れ出しているのがわかった。


「このままエマと僕が力をすべて解放したら……この学院、壊れるけど。いいかな?」


フランから更に魔力があふれる。

地鳴りのように大地が揺れ、周りの石が宙に浮く。

フランの魔力に引き寄せられるように、自分の身体からも凄まじい魔力が溢れ出す。

止められない――。


「わかったから……」


私はフランの手を振りほどき、指輪を外してフランに投げた。

それを見るや、フランがポケットから魔光石を取り出し、私に投げる。

無言で受け取り、魔力を石に込めた。

握っていた手を開き、私はフランに言う。


「私は――“虹”だ」


フランの瞳が、ふっと熱を帯びる。

笑顔は無邪気なまま、底だけが深い。


「やっぱり! うれしいな。王都に来てから、ずっと退屈してたんだよ。上澄みを眺めるの、飽きちゃって」


「でも、一つだけ言っとく」


私は、まっすぐ言う。


「私は“出せない”。理屈はわかるし、体も動く。

でも、火も水も風も、形にならない」


フランは首をかしげた。春の子みたいな仕草。


「へえ。――じゃあ、教えるよ」


「……え?」


「力の使い方を。

虹はね、持ってるだけだとただの重りです。

背負い方を最初に間違えると、ずっと歪む。

最初に、まっすぐ持てるようにすればいい」


(発想が直線的。合理的で容赦がない。――でも今の私には、必要な“突破口”。この少年は、きっと鍵を持ってる)


「……お願いしてもいいの?」


「もちろん。君は面白いから。ね?」


フランは目尻で笑い、指先で私の指輪を軽く弾いた。

金属がかすかに鳴り、魔光石が微かに色を拾う。


「それは魔光石だけを騙す。

エマの中の“虹”は本物のまま。

覆ってる布を、正しく剥がす練習をすればいいよ」


私は息を吸い、頷いた。

気づけばエマが前に出ていた。


「教えて。フラン!」


鐘が一度、学院全体を揺らす。

明日、世界は少し“手触り”を変える。




次回:第13話「迷宮ダンジョン」/更新:金曜20:30

最後まで読んでいただき有難うございます。

今回は、朝のやわらかい光から始めて、会話の温度が少しずつ下がっていくように設計しました。フランは無邪気に見える瞬間ほど、目の奥が静かになる――その“温度差”を感じてもらえたら嬉しいです。


感想・レビュー、いつも励みになっています。

一言でもすごく嬉しいです。次話も全力で書きます。では、また!

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