もう一人の"虹"
朝の講義前、中庭はまだ芝の匂いが新しい。
白い塔の先っちょが、雲に刺さっているみたいだ。
(――団長の「完敗だ」。)
昨夜の稽古場。
扉をほとんど蹴破る勢いで現れたカインが、当たり前のことみたいに笑って言った。
「フラン・オルディス・ヴァルト? 知ってるぜ。手合わせしたが――俺の完敗だ」
帰り道、隣を歩くコールは珍しく口数が少なかった。
肩のあたりに、見えない重り。
「団長でも及ばないか……さすがは“虹”だな」
声は平静を装っているけど、瞳の奥が揺れる。
憧れの背中が少し遠のいた――そんな色。
◇
教室。窓際二列目に腰を下ろした瞬間、視線に引っ張られた。
ふり返る。最後列。フランが、ひらひら手を振っている。
子どもが飴を見つけたときみたいに無邪気な笑顔で――。
「……フラン」
「いいね、その呼び方。気楽で」
(場の温度を一段下げる喋り方。油断させる天性、かもしれない)
属性論、魔力史。昼休みの回廊。
気づけば、フランはすっと隣に立っている。
距離は近いのに、核心からは半歩だけ遠い。
そんな日が二日、三日。
「エマは、お昼はパン派?」
「近くの店の“ナッツ蜂蜜パン”が好き」
「人の好みに蜂蜜を垂らすの、素敵だね。今度ごちそうしようか?」
(言葉選びは軽いのに、ときどき“温度ゼロ”が混ざる。境界の切り替えが異様に滑らか)
授業が終わって、天文塔の影が中庭へ伸びるころ。
白い石段に並んで腰かける。風が制服の裾をなでた。
「ねえ、フラン。こんなに遅くまで外にいて……家族は心配しない?」
フランは空を見た。雲を数えるみたいに目を細め――いつもの調子で笑う。
「家族? ……家族ね。大丈夫」
「大丈夫なの? 心配とかしないの?」
「もう皆、死んでるから」
石段の下で鳥が一羽、短く鳴いた。
私は何も言わないことを選び、フランもそれ以上は何も足さない。
風だけが往復する。
◇
数日後。実技訓練場の片隅。
私は相変わらず火も水も風も出せず、魔光石の前で腕を組む。
(理屈は飲み込めてる。体も動く。なのに――核心への道が一本、つながらない)
「エマ」
背後から落ちてくる声は、陽だまりみたいに柔らかい。
振り向くと、フランが立っていた。片手をひらひら。
「君、魔光石の“色”、嘘ついてるよね?」
胸が、一拍だけ強く跳ねる。私は笑って、とぼけた。
「その目の泳ぎ方、可愛いけど――嘘は通らないよ」
フランの顔は相変わらず笑顔なのに、目が笑っていない。
エマは嘘が上手ではない……代わりに千尋が前に出る。
「何の話?」
可愛らしかったエマの目つきが、急に鋭くなる。
それに気付いたのか、笑顔だったフランの表情も険しくなった。
「嘘なんてついた覚えはないけどな」
私の声に場の空気が揺らぐ。
小さい頃から私は、年上に気を遣わせてしまう“特殊スキル”があった。
年上の先輩や先生、職場の上司――私が話すと皆敬語になり、何もしていないのにたいてい先に謝り出す。
でも……フランは違った。
「わぁ! それだよ! その表情!」
私を見つめる目が急に大きくなり、手を叩いて喜び出すフラン。
「あの緑級の生徒を投げたときと同じ表情……それが見たかったんだよ」
「ずっと同じ表情だけど?」
「えー、全然違うよ? 気づいてない?」
「何が違うか教えてほしいくらいだ」
私は胸を張って答えた。
「やっぱり君、面白いね」
「褒め言葉として受け取る」
そう告げてフランから離れようとしたとき、私の手をフランが掴む。
「この指輪さ……」
フランが私の腕を掴んで言った。
「それ、石の色を青にする指輪だよね?」
「違うな……これは知り合いから貰った安物の指輪だ」
「嘘をついてもダメだよ。……それ、僕が作ったやつだから」
「……え?」
「昔にね。刻印の癖、見ればわかるよ」
私は言葉に詰まる。
振り返ると、フランがこちらを真剣な眼差しで見ている。
「で?」
掴んでいる私の腕を引き、顔を近付け、囁くように言った。
「実際は何色なのかな?」
「――“青”だ」
「へぇー」
フランの身体から、凄まじい魔力が溢れ出す。
「強い魔力同士は引き寄せられるんだよ……こんなふうに」
ふと自分の身体を見ると、少しずつ魔力が溢れ出しているのがわかった。
「このままエマと僕が力をすべて解放したら……この学院、壊れるけど。いいかな?」
フランから更に魔力があふれる。
地鳴りのように大地が揺れ、周りの石が宙に浮く。
フランの魔力に引き寄せられるように、自分の身体からも凄まじい魔力が溢れ出す。
止められない――。
「わかったから……」
私はフランの手を振りほどき、指輪を外してフランに投げた。
それを見るや、フランがポケットから魔光石を取り出し、私に投げる。
無言で受け取り、魔力を石に込めた。
握っていた手を開き、私はフランに言う。
「私は――“虹”だ」
フランの瞳が、ふっと熱を帯びる。
笑顔は無邪気なまま、底だけが深い。
「やっぱり! うれしいな。王都に来てから、ずっと退屈してたんだよ。上澄みを眺めるの、飽きちゃって」
「でも、一つだけ言っとく」
私は、まっすぐ言う。
「私は“出せない”。理屈はわかるし、体も動く。
でも、火も水も風も、形にならない」
フランは首をかしげた。春の子みたいな仕草。
「へえ。――じゃあ、教えるよ」
「……え?」
「力の使い方を。
虹はね、持ってるだけだとただの重りです。
背負い方を最初に間違えると、ずっと歪む。
最初に、まっすぐ持てるようにすればいい」
(発想が直線的。合理的で容赦がない。――でも今の私には、必要な“突破口”。この少年は、きっと鍵を持ってる)
「……お願いしてもいいの?」
「もちろん。君は面白いから。ね?」
フランは目尻で笑い、指先で私の指輪を軽く弾いた。
金属がかすかに鳴り、魔光石が微かに色を拾う。
「それは魔光石だけを騙す。
エマの中の“虹”は本物のまま。
覆ってる布を、正しく剥がす練習をすればいいよ」
私は息を吸い、頷いた。
気づけばエマが前に出ていた。
「教えて。フラン!」
鐘が一度、学院全体を揺らす。
明日、世界は少し“手触り”を変える。
次回:第13話「迷宮ダンジョン」/更新:金曜20:30
最後まで読んでいただき有難うございます。
今回は、朝のやわらかい光から始めて、会話の温度が少しずつ下がっていくように設計しました。フランは無邪気に見える瞬間ほど、目の奥が静かになる――その“温度差”を感じてもらえたら嬉しいです。
感想・レビュー、いつも励みになっています。
一言でもすごく嬉しいです。次話も全力で書きます。では、また!




