はなまる
45歳、独身、家族なし、資格なし。
わたしは日雇いの警備員として、小学校の近くにある現場で車両の誘導をしている。
毎朝、始業のチャイムより少し早く、ランドセルを揺らした子どもたちがわたしの前を通りすぎていく。
視線は合わない。
わたしが挨拶をしても、返ってくることはない。
わたしの存在を確認するようにちらりと見てから、視線を逸らす。
怪しく見えるのだろう。正気のない人間にはそういう目を向けるものだ。
「見てはいけない人」と思われているようで、わたしは常にうつむいている。
その日の朝は風が強かった。
小さな紙切れがふわりと足元に舞い込んできた。
拾ってみると、そこには「四年生 一学期 漢字テスト」と書かれていた。
右下には100点の上に、赤ペンで描かれた“はなまる”。
ぐるぐると渦を巻いた赤い円の中には「よくできました」と書かれていた。
ひどく眩しかった。
唐突に、目の奥がじんじんと熱くなり、喉の奥がひゅっと狭くなるのを感じた。
花びらのようなその丸が、やけに温かくて、やさしくて、恥ずかしくて、悔しかった。
まるで、見てはいけないものを覗いてしまったようだった。
「わたしは、もらえなかったな」
声に出すと、急に情けなさが押し寄せてきて、指先が震えた。
子どもの頃の記憶が頭に浮かんだ。
赤ペンで書かれたバツ印、直される字。
「がんばりましょう」としか書かれていなかった。
あの頃のわたしは、頑張っているつもりだった。
だけど先生は、わたしを「よくできました」とは言ってくれなかった。
その夜、文房具屋で赤ペンと小さなノートを買った。
理由はない。ただ、なんとなくそうした。
帰宅して机の上でページをひらき、今日のことを書いてみた。
•ゴミを出した
•遅刻をしなかった
•コンビニで店員に「ありがとうございました」と言えた
その横に、ぐるぐると赤いはなまるを描いた。
なんとも言えない感情が胸をかすめた。
報われるというのは、こういう気持ちだったかもしれない。
翌日も、わたしはノートをひらいた。
そのまた次の日も。
何を書けば「よくできた」と思えるかを、考えるようになった。
•子どもの笑い声をうるさいと思わなかった
•親にじろじろ見られても怒らなかった
•生き延びた
だんだんと、内容は歪んでいった。
はなまるを描くために、何かを我慢するようになった。
わたしは先生であり、わたしは生徒だった。
自作自演の教育ごっこ。
でも、誰にも迷惑はかけていなかった。
それどころか、少しだけ心地良かった。
壁に貼るようになったのは、6月のことだった。
ノートを切り抜き、赤い丸をひとつずつ並べていく。
部屋の白い壁が、花畑のようになっていった。
まるで、賞賛の嵐の中に住んでいるような気分だ。
今まで褒められなかった人生の、埋め合わせだった。
そのうち、部屋の中央だけは空けておこうと思った。
最後の一枚を貼る場所。
他人には見せることのない、卒業証書のようなもの。
わたしは今夜、それを描くことにした。
赤ペンのインクは、まだ残っていた。
静かな部屋の中、机に向かって、ぐるぐると、ゆっくり、丸を描く。
慎重すぎて少しだけ線が歪んだ。
でもそれもまた、わたしらしいと思えた。
そして真ん中に書いた。
「よくできました」
それからしばらく考えて、その下にもっと小さな字で書き加えた。
「おしまい」
壁の中央に、それを丁寧に貼った。
赤い花の渦の中に、それは静かに収まった。
ふと気づけば、泣いていた。
別に悲しくもなかったけれど、涙が出ていた。
頬を流れて、襟を濡らした。
そして、わたしは椅子を中央に持ってきて、その上に立った。
首にかけたロープの感触は、思ったより冷たくて痒かった。
でも、それもすぐになくなるのだと思った。
もう、なにもしなくていい。
もう、なにかになろうとしなくていい。
もう、だれかになろうとしなくていい。
わたしは、わたしに、はなまるをあげた。
それで充分だった。
部屋は静かだった。