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「……かなり湿っぽいな。早いとこ塞がないと、ここに置いてある物がぜんぶ駄目になるぞ」

 そう言って、床に開いた穴を覗き込んだ時だった。背後から刺すような殺気を感じて、アルシスは考えるより先に身を翻した。

 その直後に飛び込んでくるものがある。

 腰だめに短剣を構えたベティだった。

 鋭い一撃を危ういところで避けたアルシスは、薄ら笑いを浮かべて言った。

「おいおい、正気か? いくらなんでも、この状況でそれはないだろ」

「いいえ、この状況だからこそです。カールさまの失踪について、私の関与を疑い、真実を知っているのはあなただけです。今ここであなたを始末すれば、私はエリックさまにお仕えし続けることができる」

「そう簡単にはいかないだろ。騎士団の調査は進んでいる。連中がこの下に到達すれば、先代領主はすぐに見つかるだろう。その横に刺し傷のある俺の死体が転がってたら、言い逃れなんてできなくなるぞ」

「問題ありません。その穴から死体を落としてしまえば、落下の衝撃で刺し傷の見分けなどつかなくなります」

 物騒なことをさらりと言う。

 アルシスは苦笑しつつ腰に手をやって、まいったな、と胸中で呟いた。

 この状況を予測しなかったわけではないが、ベティの主に対する狂信ぶりと、思い切りの良さはちょっと予想外だった。

 話をしてどうにかできる相手ではない。だが武力でどうにかしようにも、愛剣のノールは部屋に置いてきてしまっている。今アルシスが持っているのはナイフ一本きりだった。

 破落戸相手ならまだしも、今の強烈な一撃を見る限り、ベティは侮れない腕を持っている。相手を殺さずに倒すのは難しいだろう。

 命のやりとりに抵抗はないが、雇い主の忠臣を殺してしまうのは、あまり気の進むものごとではなかった。

「なあ、ベティ。あんたの腕なら、俺との力量差くらいは測れるだろ? できれば思い留まってくれるとありがたいんだがね」

「お断りします。あなたこそ私を侮ると、痛い目を見ることになりますよ」

 言ってベティは手にしていた短剣を翻した。

 半月状の刃が、高窓から差し込む光を反射する。

 やれやれ、と首を振ったアルシスは、ナイフを鞘から引き抜いた。

 逆手に構えると、ベティの表情が一瞬で引き締まった。

 睨み合いは数秒にも満たなかった。

 ベティは体格の利を活かして、素早く切り込んでくる。それをナイフの刃でいなしたアルシスは、振り上げた脚で容赦なく蹴り抜いた。

 ベティは危なげなくそれを躱し、勢いのまま飛び退る。短剣を構え直した彼女は、息吐く間もなくふたたびの突撃を繰り出した。

 彼女の攻撃自体は、直線的で動きも読みやすい。だが速度と勢いがなかなかに厄介だった。

 ナイフ一本では、いなし続けるのにも限度がある。潮時だろう。

 アルシスは軽く息を吐くと、彼女を仕留めるべく足を踏み出した。次撃へと移ろうとしていたベティの顔色が変わる。

 アルシスは一気に距離を詰めると、構えることのない動作でナイフを突き出した。

 その鋭い刃先がベティの鼻先を捉える寸前、不意に足元が揺らぐのを感じた。

 しまった、と思う間もなく、辺りの荷を巻き込みながら石床が崩れていく。

 崩落は一瞬だった。

 アルシスは辛うじてのところで踏み止まり、目の前にいたベティはバランスを崩してたたらを踏んだ。彼女の足元が消失したのは、その次の瞬間のことだった。

 彼女に向かって手を伸ばしてしまったのは、ほとんど反射だった。

 誰かを助けることを躊躇ってはならない。冒険者ギルドで刷り込まれたそれは、引退したからといって抜けきれるものではなかったらしい。

 アルシスはベティをすんでのところで引き上げて、だがそこで左手がまともに動かないことに思い出した。

 ベティを荷の上に放り投げられたのは、ほとんど奇跡に近かった。それでも幸運はそこまでだったらしい。

 ベティを助けた代わりに足を踏み外したアルシスは、暗い穴の底へと為す術もなく落ちていったのだった。

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