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白のアザレア  作者: HK
7/9

燃える方舟

 まだ明るい空。太陽に灼かれながら謳う虫。茜い空と人の海の中、彼はいた。

 彼の横には──。


 厚い曇天。大粒の雨と風に揺れる木々。ねずみ色に染まる世界に、彼女はいた。

 たった一人で。


「久しぶり……ですね。深山さん」

「妹さん、よね」


 彼女はこくりと頷き、黙った。少し震えている。


「あっ……あの……」

「ねぇ」

「はひ!」


 ぴくりと彼女が跳ねた。なにかに怯える小動物のようだ。私、そんなに怖いのかしら……と傷ついてみる。


「ちょっと、どこか入らない?」

「…………」

「積もる話……あるだろうし。それに冷えるでしょ」


 僅かに首を震わせ、彼女は頷いた。

─────────────────────────

 私達は、私がいたときには無かったカフェのチェーンに入っていった。もういい時間だ。ガラガラの店内には何処かで聴いたことのあるBGMが虚しく流れている。

 席に通されてすぐに店員がやってきた。お冷を机に添え、どこの街でも変わらないような、ごく一般的な笑顔で「御注文はお決まりですか?」と訪ねてくる。

 私は彼女に奢るよ、と耳打ちして、一番安いのを名前も見ずに指さした。向かいの席の彼女も、「じゃあ、同じので……」と控えめに言っていた。

 かしこまりました、とか、承りました、とか、なにかそんなことを言って店員は下がっていった。


「結構メニュー変わってるのね。びっくりしちゃった」

「…………」


 美笠はずっと黙りこくったままだ。そんなに嫌われていたんだろうか。


「メニューだけじゃなくて……色々ね」

「お兄ちゃんもですよね」


 いきなり踏み込んで来た。良かったと言えばよかったのかなぁ、と思うことにする。


「ね、妹さん。アヤトがね、女連れてたんだけど──」

「…………」

「──誰?あいつ」

─────────────────────────

「やぁ。彩雲宗也君」

「…………誰?」


 自室。窓は雨粒を入れぬように閉め、玄関には鍵。異物など入って来ようのない、俺の部屋。


「む……これは失敬。だが私の名前にさして意味はない。どうでもいいことだ。」

「はぁ」


 しかし、どうにも警戒心がわかない。どう表したものか、この男──女?その概念があるのかさえも怪しい人型だ──は、なんとも気の抜ける造形をしていた。


「付いて来てくれ、君に財布を返そうじゃないか──そして愛しの君の写真も」

「なんでそれを……」

「知っている。私は君のことなら何でも知っている」

「付いて来てくれ、は誤りだったな」


 人型はじぃ、っと俺を見た。


君は私に付いて来る(・・・・・・・・・)……」

─────────────────────────

 小綺麗で、ほんの少しチープな全国チェーン店。何度か部活の仲間と寄って見知った店内。恐らく学校に言わずにバイトをしている生徒もいることだろう。

 そんな学生密着型な店内に俺は拉致──連行?いや、俺が付いて行ったのか……?

 全く記憶がないのだ。いつも通る大通り、裏路地、少し外れたあまり馴染みのない道。そんないくつかを超えて行くはずの場所。

 兎も角、俺はそこにいた。そして俺とぶつかった少女も。あの人型の方をみると、さっさと行け、とでも言いたげに顎であちらを指した。全く持って嫌な態度だ。

 そもそも顔が気に入らない。背格好も気に入らない。全てにおいて平均値のような見てくれである。どうにもパッとしない、のっぺりとした虚無──真っ黒のギラつきさえ感じなかった──を身体から溜らせる亡霊。無の擬人化みたいな奴だ。どこにも力が入っておらず、こちらの力までずるずると抜けていく。


 容姿評論会は一旦切り上げて。


 さて、困った。返してもらおうにも、どう話しかければいいか分かった物じゃない。ほぼ初対面のようなもの、という事実はがっしりと俺に絡んでいる。

 元来、自分は誰かに積極的に絡みに行けるような奴じゃあない。


 唐突な、骨と肉の塊が木の天板に打ち付けられる音。罵声。胸ぐらから釣り上げられる、俺とぶつかった少女。その一連はほんのひと時の間に起きた。遠くに覗いた店員が固まる。


「私は……認めないから!私が、この私が!先に!」

「……ごめ……な……い」


「ずっと、一緒にいた癖に」

「や……離……してッ」


 小さい方が、大きい方のの腕を掴み、ぱた、ぱた、と足を動かす。大きい方が、膨れた感情を背負ってのしかかっているように見えた。


「え…………は?お、おい、どうなって……」

「行くんだよ。君がやるんだ」


 そう言われた後の、『俺の』身体は言うことを聞かなかった。


 何も考えずとも身体は動いた。何かを考えてもその通りには動かなかった。空気からヒリつくような電流を受け取って、俺を構成する細胞の一つ一つさえが意識を持ったような……脳髄はもはやモノを考える器官では無かった。

 体が軽い。力が漲り、体の筋肉という筋肉をむくれさせるようにも感じた。


「放せよ」


 耳が捉えた俺の声は震えていた。

─────────────────────────

 駄目だよ。

 煩いよ。

 近寄らないでよ。

 貴女、ずっと近くにいたんでしょう。

 私じゃなくて、貴女が。

 なんで。なんでアヤトは。

 あんなに──あんなに変わってしまったの?

─────────────────────────

 会社から帰宅した私を待っていたのは、見知らぬ男物のスニーカーであった。隣には娘の靴。かすかにシャワーの水音も聞こえる。

 もうそんな年頃か、という感傷に一瞬だけ浸る。どうしたものか。そういえば今日は早く帰るということを伝えていなかった──思い返してみれば、最近は殆ど口を聞いていない。どう触れればいいかわからなくなったのはいつからか。

 娘は私がこんな時間に帰ってくるとは思ってもみなかっただろう。普段は夕飯も一緒に食べられないような時間での帰宅だ。油断も致し方なし、と言えるだろう。


 不干渉を続けて、気不味くなった人間としては『ことなかれ』でいきたいけれど。

 それとは別に、その男に会ってみたいと思う自分も確かにここにいる。


 外から見たとき、リビングにも電気がついていた。廊下に備えられた扉を隔ててすぐ、そこのリビングに彼はいるのだろう。

 すっかり筋肉の落ち、丸くなった腕を取っ手にかけ、戸を開けた。よく滑る筈の横開きの扉は妙に重かった。

 私は、わざとらしい咳払いを一つして、どこかに潜んでいるであろう人に声をかける。


「……出てきてもらえるかい?」


 居間は静まり返っている。少し待つと、ごそごそと音がして──


「ども……」


 ソファの影から怖ず怖ずと出てきた少年は、少女のような線の細い造形だった。上背も横幅も控えめで、栄養状態が心配になるような小柄さだ。……中年太りが言っても仕方がないが。


「ごめんなさい、もう、か、帰ります……んで」

「あぁ、違うんだよ。何も君たちの関係にどうこう言いたいわけじゃなくて……」


 少年も口が回っていないが、私も口が乾き果てて参っている。

 それに、謝罪は対等な関係性を云々と言うのはこう言うことだろうか。踏み込み難い空気が出来てしまった。


「君は……口下手な方かい」

「多分、そうです」

「そうか、私もだよ──お陰で榛名には嫌われてばかりだ。自分でも、あまりいい父親とは思えないね」

「いるだけ、マシですよ」

「ぁ……申し訳ない……」


 地雷を踏んでしまったか。もう少し話をしておきたいところだが、こうにも居心地が悪いのでは──


「上がったよぅ……っ!?」

────────────────────────

 かちゃり、と小気味よい音を立て、鍵が開いた。玄関に入り、横目に親と妹の靴の有無を確認し、帰宅していない妹に母が帰宅している旨を伝えるメッセージを送る。音を立てぬよう、自分を知られぬよう、細心の注意を払って自室を目指した。長くて短い階段と廊下を抜け、軋まぬようにひっそりと開いたドアの向こうへ駆け込んで一息。妹からの返信はない。


 思案の時間だ。まだ、悩める。まだ、もがける。


「娘を──頼みます」

 何を、どれくらいの時間話していただろうか。

 緊張、驚き、そんな色々がないまぜになって織りあげられた時間のことを、ぼくはあまり覚えていなかった。

 横で顔を伏せ、拳を固めていた彼女の顔も。

 覚えていないが──理解はした。

 溝があった。深い、深い、溝。そうそう埋められる深さではなく、易々と跳べる幅でもない。

 それを肌で感じてしまったが故か、彼女の父のその言葉だけはずっしりと胸に残った。

 誰が埋めたでもなく、順調に外堀を埋められている。こちらよりも家族との穴を埋めればいいものを……なんて思うけれど、ぼくは人のことを言えない。


「──って感じでさぁ……はは」


 誰が聞いているでもない。ぼくの、独り言。誰かに聞いてほしいような、秘めておくべきことのような。笑ったのは誰?誰を嗤った?

 また肺を空にし、ベッドに倒れ込んだ。ぼふぅっ、という空気が流れる音が止み、一瞬のラグを置いて雨音がやってきた。また、強まってきたようだ。


 大事なコト。モノ。ヒト。沢山を昔に置き忘れてしまって。捨てたのではなく、ただ置き忘れて。心が──念が残ったままで。

 どうでもいいこと、大事なこと……。どうでもいい、ありふれたことだからこそ、大事なこと……ぼくが欲しいのは……。

 このまま迷えば迷うだけ、分かれ道で心がバラバラになって行きそうで──そうすれば、ぼくは消える?


 風呂上がりの彼女が連れてきた凍てつく空気。

 雨に濡れた紫色の肌ではない、ぬくもりのある暖色の肌。そこを這う緑の髪から滴る水滴。メイクの落ちた顔を隠すように持ったハンドタオル。ぼくはまた見蕩れていた。

 思い出してまた、ぬるま湯の嫌悪感に浸る。結局自分は彼女をどう見ているのか。まだ、それに向き合いたく無かった。

 答えを出さない自分。出さないまま、動こうという自分。不誠実の他、なんと呼んだものか。ごろり、と寝返りをうつ。ぼくはどうすれば。その答えに従っていいのか。

 これらの一切に答えが出ないままなら、ぼくはまた逃げるのか。


「さみぃ……」


 そのあと、ぼくたちは揃って風邪を引いた。

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