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5-4


「やっぱりいません」「どこ見てもまったく!」「トイレも、浴室も、ベッドにもどこにもいませんでした」「もっと隅々まで探しましょう!」


 皆が口々に、餌をねだるヒナのように言うのを聞き取りきれず、苛立ちを必死に抑える。


「わかった、わかったから。オッケー、ストップ。俺の方でも、いちおう探せるところは全部探した。今から船長と会社の方に連絡を入れるから、とにかくいつも通りに仕事をしてくれ。悪いね、捜索はこっちの責務だから、君らは生産に穴を開けないようにしてくれ」


 俺の心は悲鳴を上げてるよ!


 せっかく彼女らと築きあげていた信頼が一気に崩れた、やっぱなんだかんだ言って、所詮俺は会社の犬なんだな、立場に抗えるような男じゃないんだな、そんなささくれた感情がみんなの心の中に、台風のように突発的に巻きあがるのをはっきりと肌で感じた。


「どうするのよ、あんた」


 フレアが、おのおのの持ち場に散る群衆を掻き分けて俺に詰め寄る。


 俺は彼女の逆三角形の目付きに圧倒されて息が詰まりながらも「どうするも何も、とにかく現状報告をして、幹部会を開かないと」と苦しい言い訳を放つので精一杯だ。


「形式的にいちおう訊くけど。ほんっとに心当たりない訳? あんた」


 俺も疑われているのか。まあ、仕方なかろう。


「な、ない。ほんとだ、間違いなくない! 信じてほしい! ほんとに!」


 フレアの目は、今までにないくらい尖ってる。

 ハア、と太く短い溜息。


「……だったら海に落ちたかもしれないわね。居なくなったあの子、身体が弱いから、夜にデッキで夜風にあたってる事があったのよ。寝れないって言って……もしかしたら、もしかするかもしれない……」


「待て待て、勝手に悪い方向に考えてもダメだろ。そこはとにかく目の前の事に尽力しながら最良の結果を待つしかないってば。そうだろ? なるようにしかならないって。安息は定期的には来てくれないんだから、人生なんて海よりよく時化るもんだろ。いいから待ってろ。俺がやれることやってきてやるから!」


「……」


 俺は黙り込むフレアを置いて、大股に船長室へ向かった。



*     *     *     *     *



 船長室の分厚いドアを締める。


 デッキを吹き抜ける風によろつきながら、飲料水タンクの所で、棒のように立ち止まってしまった。


「業務外の事に首を突っ込まなくてもいいんだよ」「公私を混同するな」確かに、ヤツは確かにそう言った! 


 若い女子が、この寒い海の上で行方が分からなくなってるのに、それを適当に、無感情な事務仕事のように無線係に本部への電信を頼んだだけで、さっさと追い出された! 

 しかも、船長はあの無駄に高級そうな椅子から一度も立ち上がることもなく!

 飲料水タンクの修繕すらしない癖に、あの椅子には経費を割くんですかね?

 どんあ感覚なんですかね?


「ざっけんなよ! クソが......! 腐ってんじゃねえぞ……」


 思わず壁を殴る。

 冷たい鋼鉄の感触が、怒りの拳をみるみる凍らせてゆく。


「なんでわかってくれないんだよ......どいつもこいつもさあ......」


 俺は寒風にちぎれそうな耳をさすり、頭を振って、工場へ下りる階段の一段一段を踏みしめながら、これはもう今までのように従順にしてはいられないな、と思った。


 みんなみんな、今日獲れて煮熟してしまった分の蟹を全て缶詰にしてしまい、工員らは空缶補充や機械のメンテナンスに倉庫荷造り、漁師連中はグモアの整備や網サヤメなどの仕事を終えると、おのおののタイミングで食堂で顔を突き合わせる。

 話題はもちろん、一つ。


 みんなの表情は夜の海のように底無しに暗い。


「……万が一の事を考えて、荷物を纏めておいてあげましょうよ」と言ったのは、いなくなった女子工員といつも一緒に居る、色白で前歯が少し大きい、身体の弱そうな子だった。


 賛成する者もいれば、「まだ死んだなんてきまったわけじゃない、縁起が悪いことを言うのはやめて」と顔をしかめる子もいた。


 それもそうだ、俺は両者の意見の意図がわかる。


「勉強もダントツにできるし、可愛い子だったのに」と惜しむ声もあった。


「ダメダメ、気持ちで諦めちゃ......」すすり泣きがあちこちで起きる。それが色々な方に広がっていった。


 だけど彼女らはまだ十代の子供、次第に議論は食事そっちのけに熱くなり、次第に喧嘩のようになっていった。


 極端な疲れがみんなを苛立たせるのだった。


 こうなるとフレアがいくら言ってもダメだった。


「ともかく、船長には会社への連絡を頼んだから、後は会社が捜索の手配をしてくれるはずだ。俺も気掛かりだけど、今は見つかる事を信じて仕事に集中するしかない」


 俺の言葉で、場がしんとなり、後は誰も何も言わずに、ようやく……すっかり冷めた飯を食い始めた。


 俺はそこから重ねて何か言うつもりにもなれず、監務室へ上がった。食堂には五分も居なかった。



*     *     *     *     *


 

「ざぷちょう、これ食べて」


「ん?」


「これ」ミーシャがスプーンで掬ってよこしたのは、赤色の見慣れない塊だった。「これ嫌いなの」と鼻をつまみながら。


「なんだっけこれ」「ヨウボウバナ」


 確かこれは、蟹の刺し網に一緒に絡まってくる混獲魚だ。


 念の為に言っておくと、味はめっちゃいい、それこそサバの水煮缶詰を実にした味噌汁みたいなイメージなのだが、見た目が少々グロテスクなのだ。うっかりグモアに乗って漁の風景を見せてもらい、その姿を見てからというもの、完全に食べられなくなったらしい。かわいそうに。


「今までは食べてたじゃんか。美味しいでしょ。これはこういう料理だと思って食べてみなよ、ほら」


 ミーシャの右側に座ったフレアが、自分の器から細かく崩したヨウボウバナの身を掬い、うまく身と汁を絡めてフーフー冷まし、ミーシャの口元へもっていった。


「ほら、あー」「ぷいっ!」


 全力で拒否じゃんよ。磁石のS局とN極のコントかよ。


「ちょっと、食べなきゃあ。大きくなれないよ」


「いーっ!」

「もーっ......」


 フレアはそれを自分で食べてしまって「あーあ。好き嫌いするとあたしみたいな綺麗なお姉ちゃんになれませんよ」とぶつくさ言った。

 ノリ的にノーコメだが、否定はしません、否定はしませんよ僕は。


 こらそこ、面食いって心の中で思ったのバレてるから!


「いいもんミーシャ好きなものだけできれいになれるもん」


「それが出来たら世の中もっと美人だらけよ。好き嫌いはだめよ」


「嫌なものは嫌!」


「まあまあ、ちょっと静かにしてったら」


 俺はミーシャの左側で思わず笑ってしまいながら、自分の幼少期を思い出していた。 

 そういえば俺も好き嫌いが激しくて、ピーマンやシイタケ、ニンジン、青魚、牛乳がどうしてもダメだったな~。


 けっこう致命的だよね、こんだけ嫌いな食べ物が多いとさ。


 なやましーさー。


 それで俺の親は手を焼いたそうだが、祖母が別の料理に完全にわからないように混ぜ込んで食べさせてくれたのだ。これはまさにおばあちゃんのワザだった。


 俺の親は考え方が違って、そうすると大人になってから普通に食事が出来ないといって、なんとか原型のまま食べさせるよう俺に訓練をする方針だったが、まあその気持ちも今なら分かるけど、当時の俺にとってはそれは地獄であり拷問だったわけよ。

 原型も味もそのままなんてさ、酷なのよ。

 子供に理想を押し付けるもんじゃない。そっと導いてやらねば。


 俺にそれが、できるかな? この機会に試してみても面白そうだ。


「簡単な話だよ。そういう時は気を逸らせばいいわけでさ」


 嫌いな者も好きなもので包み込んでしまえば、それは好きなものの一部になる。


「気を」「そらす?」


「そうそう。例えば―――」


 もうそれは〝敵〟でも〝脅威〟でもない、栄養の一つでしかない。そうすれば文字通り儲けものだ。


 こんなこと、ちょっと考えればわかるのに。どうしてかみんな、感情が入ると逆の行動をとっちゃうんだよね。


「ミーシャの好きなこれに、こうやって細かく砕いて砕いて、それから混ぜて、ほら。ヨウボウバナがたべられちゃった」


「......こえ?」


「うん」


 俺は彼女が好物としてる肉料理にヨウボウバナの身を「食べさせて」やったわけだ。


「これなら、ミーシャはヨウボウバナを食べないよ。ミーシャが食べるのはヨウボウバナを食べてくれたこのダプさんだからね」


「......うん? うん......」


 彼女は、困ったような、それでいて何かを頼み込む、縋るような――そんなまなざしで、首ごとぐるんと俺の目をまっすぐ、深く、覗き込んでくる。

 天体望遠鏡よりも遠くを、電子顕微鏡よりも精密に、何かを探るように。


 子供って、こんなに奥ゆかしい反応をするんだな。

 俺にとってはこんなの、初めての感覚だ。


「ほら、いいから食べてごらんよ。美味いから。感想きかせて」


「......ぅし」


 ミーシャの小さい子供用ナイフが、ダプ肉を削るようにして切り、これまた小さいフォークで刺して、パクリ。


「どう?」

「......おいひい」「でしょでっしょ!」


 やったぜ嬉しい! どうだ。


 俺は満面の笑みをつくって見せる。彼女はもぐもぐしながら一瞬真顔というか、目を丸くしたあと、飲み込んで、にっこり笑った。


「美味しかった」


「魚の味したか?」


「ううん。しない、ダプさんの味だけ」


「だから言ったっしょ。これでミーシャも綺麗なお姉さんになれるよ。よかったねー!」


「うれひい! ぬくぬくぱぁ!」


「おいおい、もっと小さくして、ゆっくり食べなきゃダメだよ」


 やれやれ。

 これが毎日だなんて、子を持つ親の気苦労が垣間見れますな。


 これ、子育てっていうミッションを通じて己の人間性を試されるよねほんと。人間性テストだわマジ。


 人を一人育てるってのは大変だけど、一瞬一瞬に小さなご褒美が隠れてるものでもあるんだよな。

 自分の面倒、ましてや自分の機嫌すら自分でとれないこの俺に自分の子供なんて、夢のまた夢......そもそも嫁さんも彼女すらも居ない俺が口に出して言う事は、決して出来ない、許されないんだろうけどさ。

 それでも思う事あるわけよ、おじさんは。


「ねえ」


 フレアが、これまた口をもぐもぐさせながら俺を呼ぶ。


「なに?」


 イライラしないように、顔をこわばらせないように気を遣う。

 真正面の二つの目玉が俺をしっかりと捉えている。


「あんたって、元の世界では子供、何人いたの?」


「ぼるっふ!! びしゃれこれ」思い切り噴き出した。危ない危ない、咄嗟に横を向いて助かったよ。もう少しで顔面に噴射してしまうところだったぜべいべ。

「うわ、きたな!!」「ざぷちょー、ゲロ!!」


 やめて騒がれるのまじ嫌いなの!!


 自分をネタにして盛り上がられたりすると俺はもうどうしていいのか分からなくなって、やんなくていい事やっちゃったり言わなくていい事言っちゃったりしてボケツホリストになるからやーめーてーくりーむー。


「待って、ちょ、そんな汚い言葉やめなされホンマに」


 俺は慌ててナプキンで顔やそこらへんを拭きながら噎せた。いますぐこの場から逃げたい、穴があったら入りたいけどよく見たらその穴って俺が掘ったボケツじゃねってゆー。


「そうだ、言ってたなったんだなあそーゆーこと。げほっごへ」


 情けない独り言だけが達者に踊る。

 まるでこの船のプロペラも俺の事を笑っているかのように、時々風を切っている音が大きくなったり、不規則になったりしながらずっと鳴っている。


「なに? 何を言ってなかったの? ねえ」


 俺は水を一気に飲んでから、溜息交じりに仕方なく「子供はいない。独身だよ」と、そのため息にセリフを乗せたような感じで応えた。


「ええ、じゃあ、歳の離れた小さい兄弟でもいた?」


「いや。一人っ子」


「親戚が近くにいたとか?」


「それもない。親戚づきあいあんまりない家系でさ」


「......」


 微妙な空気が流れる。


「それにしては......妙に子供の扱いが手馴れてるわね......」


 俺は急に、ハラハラした。


「いや、ち、ちがう、別に小さい子供が好きとかそういう訳じゃないからね? 勘違いしないでくれよ、な? おい!」


 ミーシャは俺にビッと指を突き出し、「ざぷちょー、へんたい?」とかさ。

 俺はまた噴き出した。


「違うから、全く持って違う! 俺はロリコン趣味とか全くないから誤解してくれるな!」


「「ロリコンってなに?」」


 二人同時に訊いた。


「え......っと......ここでは言えません!」


「なんでよ!」


「だめ!」


 なんたって俺は独身で彼女も居た事ない非リアのテンプレなのにJKと幼女と食事を共にして、こんな羞恥プレイを受けてるんだか、全くもう! けしからん! 

 幼女の世話をする縛りに美人系ツンデレJKに変な空気飲まされるミニゲームとかほんと、無課金でもぜっっっったいやらない糞ゲーだわ! 

 どんなボーナスがもらえるんすかね......。


「あーあ、いい思いってのはそう長くはできないのは、どこの世界でも同じなのかぁ。とほほほほ……」


 しょぼくれる俺をよそに、二人は楽しく食事を続けていた。



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