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「お疲れ様です。本日はめでたく当初のノルマを大幅に前倒しで達成できたので、会社の方から皆さんにささやかなながらお酒と軽食の方が支給ございます。そして恒例の活動写真隊の皆様にもご乗船頂きまして、贅沢にも三本の活動写真を上映して頂ける事になりました」
わあっと、工場内に満座の拍手が巻き起こる。
こういうかしこまったスピーチなんか、したことがない。言葉の言い回しも合っているのかどうか怪しいけど、まぁそこは目をつぶってもらおう。
滅多にない事らしく、若い船員らはどう振舞ったらいいのか分からないようで、みんな始終ソワソワ、モジモジして、喉も乾いていないだろうにやたらと水を飲んだり、やけに長く同じ料理を突いたりしていた。
「たまの息抜きだ。こういうのも無いと、娯楽がゼロに等しい海の上じゃあ、嫌になっちゃうもんなあ!」
酒のグラスを片手に、早くも出来上がったレックス職長が肩を組んできた。
酔った時の絡み方は、どの世界でも同じなのかもしれない。ちょっと和む。
そして彼は赤い顔で「もっとも、最近は内務の日にあんたが教育を施してくれるおかげで、女の子たちは娯楽が増えたようだけれども」とやけに大きな声で付け加えた。
「そうそう。ハルキさん容姿端麗だから、前の雑務長と入れ替わってくれてよかったって専ら好評なんですよ。まだまだ恋多き年代の女子連中からしたら、二十代半ばのハルキさんは憧れ
るのに色々と丁度いい存在なんですよ。女の子は年上を好きになりやすいっていうし。最初はみんな、本当に人が入れ替わる事があるんだって、ちょっと怖がってましたけど、
今じゃ自分も違う世界の誰かと入れ替わりたいっていう人が大勢いいて。まるで恋愛小説みたいな妄想まで流行ったりしてるみたいで」
マードック漁撈長もしこたま飲んでるようで、長広舌を振るったうえに豪快なゲップまでかました。
俺はなんだか痒い気持ちを覚えつつも、せっかくの空気を壊さないように必死だった。
「そうかそうか。まあなんにせよ、仕事に対してみんなが本腰を入れられる環境に俺が貢献できてるなら、ヨシだな」
自分がこんな事を言うようになるなんて、本当に前世のあのクソッタレな日々からは毛ほども想像できなかったし。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ。
なんならこの歳で彼女いない歴以下略だけど、こちらでは容姿も褒めてもらえるしスキルも付与されるしでマジでボーナスステージ同然な。
「フレアさんも最近、やけにお洒落するようになったし、きっとハルキさんに気がある証拠ですよ」「適当な事を言ってるんじゃないよこのギョロ目」
あ、俺氏、ついにギョロ目って直接言っちゃった(笑)
酒の勢いってやばいね(爆)
「ひっどっ!! なにげに気にしてるのに。パワハラですよそれ!!」
――いや。
パワハラって言葉こっちの世界でもあったのかよ。
てかそれならなぜこの労働時間に労働環境うんぬん......。
炊事係たちがワゴンを押してきて、みんなの間に海産物の乾物やチーズ、漬物、豆の煮物、干し肉が配られた。
「本部には内緒な。俺らの奢り」と、各ラインの職長らから菓子も配られた。
それらを肴に、漁師や工員、船員の区別なく、皆が一様に楽しく、まさに無礼講といった様で宴に興じていた。
その光景が、なにやらたまらなく愛おしく、また、尊く思えた。
「こら、ありえない。向こう行ってよ!」「いいじゃんかよ、ちょっとくらいさぁ」
――酔いが回ってくると、若い漁師や船員が雑務工をナンパしたり、ボディタッチが大袈裟になってきて、ちょっと険悪になるシーンが増えてきた。
そのたびに俺はいちいち席を立って、普段持ち歩いている杖を持って行って少し凄んでやったり、咳払いをして〝嫌な権力の使い方〟をしなきゃいけなかった。
これもこれで、お仕事だ。
まあ、無理もないよな、男だもん、女が好きだよな――心の中では、そう思いながら――ね。
「活写、やるぞー!! 集まれー!!」
宴もヤマを越えた辺りで、会社が依頼した活動写真隊という映画会社の技術者らが工場の正面に幕を立て、そこにプロジェクターみたいな機械で映画を映してくれた。
活動写真というのはもともと昭和や大正くらいの言葉のはずだけど、なんか俺らの想像する映写機とは完全に違う、もっと簡素な、大きめの鉛筆削り器みたいな機械で上映していた。
「今回は、うら若き乙女の為に、恋愛モノを二本持って参りました」という写真隊の人の言葉に、酔った女子たちは、耳を塞ぎたくなるほどの歓声を上げて、そしてお互いを見て、
お互いに爆笑していた。
この瞬間、普段は寡黙に九時間も、十時間も単純労働に励む彼女らも、普通の女子なんだと思わされ、それが俺にはすごくホッとさせられた。
「ざぷちょー、抱っこしてとくとーせきで見せて」
「あれ、ミーシャ。いつの間に」
いきなり俺の袖を引っ張るもんだから、びっくり仰天。
「そろそろ参加させてやらないと、この子も娯楽が無さ過ぎて可哀想でしょ」と付き添いのフレアさんも登場。
彼女もしっかり飲んでおり、陶器のような白皙の頬がほんのり、紅潮していた。
その様子に、なぜかドキリとさせられる。
「ああ。まあ、せっかくのパーティなのにたった一人で船室に置いておいてもいいこと無いしな」
俺は椅子を並べるのを手伝い、みんなの計らいでよく見える位置に座らせてもらえた。
妙にヒューヒューと囃し立てて、フレアの隣の席にされるというヘンテコな忖度付き。
「あんたとこんな船の中で恋愛モノとか。悪酔いしそうだし」
フレアはワインをチビチビやりながら、むしゃりとチーズを齧った。
意外と酒が好きなんだな、と思わされる仕草だった。
「こっちこそ。ラブストーリーなんて男が観てもクドいし笑えるだけだよ」とため息。
「そもそも活動写真なんて、誰かの理想を描いてるだけだから所詮、クドいしつまらないし都合がよすぎるものなのよ。ご都合主義が現実を浸食し過ぎ」
「なかなかに酷評するねえ。俺の元いた世界じゃエンターテインメントには恵まれてたから言わせてもらうけど、これは文化の最先端だよ」
「あっそ。こっちもこっちで悲惨に違いないけど、あんたが元いた世界も、なんだかんだ悲惨な世の中だったみたいね。仮想現実がそれだけ栄えるなんて、現実から逃げたい人が多い証でしょ」
「......そうかもしれない。ていうか、そうだよ。みんな、自分の人生に納得できない気持ちを消化しきれずにいる」
「それならこの世界も同じ。例えばここに居る子たちはみんな、青春ってものが何かを知らないわ」
「だろうね。すごく不憫だよ」
「……かくいうあなた、青春は楽しめたの?」
周囲の音が遠くなる。「なんで。てか、どう思う?」
「え?」
「楽しめたように、見える?」
グラスに口を付け、「うん。見える」と彼女は静かに呟いた。
それが意外で俺は気勢を削がれ、彼女の顔をまじまじと覗いてしまった。活動写真機の照り返しで、顔が真っ白に見えた。「どうしてそう思ったの」
彼女は「んーっと」と少し考えてから、こちらを見ずに続けた。
「青春が無かった人が、あたしら若者にここまで優しく出来るものなのかなと思ったから」
「そ......そんなに優しいかな、俺……? なんか、照れるわ、へへへぬ」
キモい笑い声が出てしまったあああああ!
数人がこちらをちらと見て、クスクスと笑う。
やめてくれ、変な雰囲気になってると誤解されてるよあれ絶対。
部屋が暗い事も、活動写真の作品の内容もあって絶対テンションが異常にボルテージ上げてると思われてるよ乙女たちに!
「変な声出さないで。犯罪級に笑い方キモイわよあなた」と釘どころか刃を刺されたのち「優しいというか馬鹿真面目。報われない苦労をする事で自分に酔うタイプでしょ」と、刃を超えて刀並みの切れ味の言葉を追加送信された。
「う……メンタルが致命傷だが……まあ的を射てるかな。俺はあんまり恵まれた家庭環境じゃなかったからさ。自分から率先して苦労すりゃ自体が好転するのかもなとか思ってる。そんな事決してないのにさ」
話の内容はぶっちゃけ暗くて重いのに、酒が入っているのと、宴の妙な高揚感でさっぱり悲壮感なく自分の本心が語れる。
この陰キャの俺が誰かに本音を打ち明ける事も珍しいのだぞよ。
「へえ。あんたもイケてない側の子なわけだ」
フレアはちょっとだけ意地悪な声を出した。
「非リア極めて二十五年っすから」と、定型文をコピペしとく。
「なに? 非リアって」
「君が言いたい事を要約して、大匙一杯の憐れみと二リットルの侮蔑を添加したもの」
何それ。
我ながらなにそれ。
やだ。やだもう。
「ふーん。じゃあ、あたしもそうだわ」「いやいや、ちょっとベクトル違う。方向性違う。君らも恵まれない人かもしれないけど、ちょっと違うんだよこれ。俺ら非リアの方が自己責任的な部分が多いから情けなさでは群を抜いてて、君らは本当に不可抗力が多いから」
暗い話や自虐ネタになると機関銃並みに早口且つ饒舌になるのは基本の仕様。
「そんなに力んで不幸話してどうするの。そういうとこよ」
言葉が出なかった。
容赦無し、すっと胸に染み入る蝉の声。って、ちがうわっ。
「別にそういうつもりじゃ」
「もういいわよ。もう十分よ。あんたの器のでかさは、十分に伝わってる」
「......!?」
またも彼女の顔をぐぬっと覗き込む。頬がむず痒い。
外野がなんかワイワイ言ってるけど、たぶんみんな、めっちゃ勘違いしてるだろうな。
なんか言った方がいいんだろうけど言葉が出ない。この真っ白な肌と澄み切った目の奥で紡がれる物語と、言葉の網は俺にどんな魔法をかけようとしている?
フレア。
彼女は海より深く、暴風雨よりも俺をかき乱す存在なんだな。
「ちょっとなに、そんな至近距離でこっち見ないで。えっち」
「え、えっえっえっええええええええっちって、えちてえ......っち......っち」
ふっと視界の端が気になってそちらを見ると、船員や工員ごちゃまぜの、どれもぐでんぐでんに泥酔した男たちが、全員こちらを見て満面の笑みで、それぞれ拳を振ったりサムズアップをしたりしているではないか!!
満座の拍手喝さいが、俺の意識を飲み込んだ。
もう、ほぼヤケになって、流れに任せておいた。
ミーシャは二作目の活動写真が始まるまでは、みんなにかわるがわる遊んでもらったり、職工から飴やキャラメルを貰ったりして宴の空気にはしゃいでいたが、二作目の上映開始から十五分もしないうちに俺の膝の上で寝てしまった。